水面から飛び出した魚(4) 飛び魚と毒薬(16)|石田英敬

2026年10月22日

webゲンロン 2026年10月22日配信

私は自分に一つの修練(メレテー μελέτη)を課した。それは「自己の技法」として、毎日の時間割を定めるものだった。 (『断絶の中で』Dans la disruption, p.312)

 

獄中の修練 (メレテー)

 「監獄とは絶えざる禁欲なのだ」[★1]。ベルナールは、独房での日課をエピクテトス(古代ギリシア・ストア派の哲人)の「修練(メレテー μελέτη)」という言葉で語る──

私のメレテーは、実際には、いくつもの訓練ディシプリンから成っていた。獄中の5年間、毎朝、マラルメを読むことから1日を始めていた。朝、目覚めたまま夢想にふけると、制御できない予持(protention)が生じる。それを避けるため、目が覚めるとすぐに起き上がった。

「予持」と現象学用語で言っているが、要するに性的な夢想のこと。つまり朝立ちするわけだ(明け方はレム睡眠だからだね)。それを回避するために、毎朝かならずマラルメの詩、あるいは散文を30分繰り返し読む。暗唱するためではなく、噛みしめるように「聴き取る(entendre)」ためだ。
 

 禁欲はとても重要なのだ、哲学的生のためには。
 

 前回(連載第15回)の最後で、マラルメの無題のソネット「わが書は閉じられし、パフォスの名を綴じ込めて Mes bouquins refermés sur le nom de Paphos」の後半の二行──ベルナールが独房の小卓の上にその二行だけを刻みつけていた──を引用した:

Ma faim qui d’aucuns fruits ici ne se régale

わが飢えは この地では 何の果実も楽しまず

Trouve en leur docte manque une saveur égale : 

その博学なる不在にこそ 等しき味わいを見出すのだ

 その後、詩は暗示的で官能的な最終部(シンタックスを取るのが文法的に超‐難しい、マラルメ語法で有名な箇所!)へと続くのだ──

Qu’un éclate de chair humain et parfumant !
ああ、たとえ、肉豊かなる人の果実が香り高く輝き出でようとも!

Le pied sur quelque guivre où notre amour tisonne,
われらの愛が熾火を掻き立てる、あるギーヴル(蛇)を踏みしめつつ、

Je pense plus longtemps peut-être éperdûment
われは思う、いっそう長く、おそらくは狂おしいほどに

À l’autre, au sein brûlé d’une antique amazone.
もう一つの果実を──古代のアマゾネスの、焼かれた乳房を。[★2]

 マラルメだから難解だと思うかもしれないが、どういう詩かというと── 

 あなたは、アフロディーテ生誕の地とされる南の島パフォスの名が記された本(いままで数々の本を読んできたのだけれど、あなた[ =マラルメのこの詩の読者] がいま読み終えようとしている本であるこの詩集『ポエジー』のこと。このソネットはその巻末に置かれた一篇なのだ)をいま閉じようとしている。この詩に記しるされた果実の「博学なる不在」を味わおうとしている私の傍らには(じつはここは冬のパリの薄暗いローマ街のマラルメのアパルトマンなのだが)妙齢の女性ココットメリー・ローラン[★3]が侍っており、底冷えする冬のパリゆえ暖炉の、とぐろを巻く巨蛇(ギーヴル)に喩えられた、燃え燻る黒々とした太い薪に私たち二人は脚を伸ばして温まっているのだ。さきほどからメリーのふくよかないかにも美味しそうな果実を抱えたかのような白い胸からは甘い香りが漂い出し、2人の愛の熾火をかき立てているようではあるのだけれどもね。詩人の私はなにげにそしらぬふりをよそおいつつその胸元からはふとまなざしをそらし、あの熱い南の島の古代のアマゾネスの焼かれて欠けた片方のおっぱい──不在の乳房──をひたすら狂おしく夢見ておるのであるぞ、・・・という微妙にエッチな詩なのだよ(アマゾネスに乳房は一つしかないというのはよく知られた伝説で、なぜなら女戦士であるアマゾネスは弓を引くために邪魔になる右の乳房を灼いて切除しているからである)。
 

 アフロディーテが生まれたとされる愛と美の島。詩人は書物を閉じ、古代の官能の世界を想起しつつ、不在の果実(≒アマゾネスのもともと不在の乳房)にこそ理想的(ideell)な欲望対象を見出す。ベルナールはその詩の二行を小卓の上に刻きざみつけ、欠如がイデエールな象徴価値に転じる──明確にフロイト的な意味での──「昇華(sublimation)」の回路を心に刻んだわけだ[★4]。

自己の技法 la technique de soi

 「私は自分に一つの修練(メレテー μελέτη)を課した。それは『自己の技法 technique de soi』として、毎日の時間割を定めるものだった。何週間も、何か月も、決まった時間になると、必ず読み、書き込み、注釈を加え、ついには書き、そしてまた読むことを自分に課した」と、ベルナールは『断絶の中で Dans la disruption』[★5]で語っている。

 「自己の技法」とは、フーコーが、コレージュ・ド・フランスで1982年に「主体の解釈学 L’herméneutique du sujet」を講じたときに使った言葉だ。それが、ちょうどこの頃である。トゥールーズの獄中にあったベルナールがパリのコレージュ・ド・フランスでのフーコー講義の中身を知っていた可能性は極めて低いが、『監獄の誕生』(1975)[★6]の著者が説く「自己の技法」を、監獄のなかの人が「自習」していたと考えるとなんとも興味深い。

 フーコーは、メレテーを思考のなかで状況を想定して行う演習だとした。さらに、読むことと書くことをつなぐ装置としてヒュポムネーマタ(覚え書き)を位置づけて、読み、抜き書きし、読み返して、ロゴスを自分のものにしていく技法ととらえている[★7]。  

監獄でのルーティーン

 ここで、ベルナールの日課を整理して再構成してみよう[★8]。きみは(私もだけれど)、さながら修道院のなかの修道士に比すべき厳格さにビックリしてしまうだろう──
 

 1 まず3週間のハンストをするなどして独居房を獲得し、日常的なコミュニケーションの言語からは断絶した、ほとんど話さない生活に閉じこもった[★9]。
 

そして、
 

 2 マラルメの詩を読むという日課から朝は開始する[★10]。今し方見たように、リビドー面では、これはフロイト的な意味における「昇華」の契機の導入だ。
 

 3 次に朝の詩の30分の後に、本を読む時間をつくる。ベルナールは読書を3日がかりの周期に組み立てていた。

 1日目は朝7時から9時まで、テクストをひととおり通読する。

 2日目は9時から、前日に読んだテクストを、前日のノートを見返しながら読み直す。すると、前日の自分の解釈とのあいだに、たいてい「ずれ(écarts d’interprétation)」が見つかる。ベルナールによれば、このずれがしばしば、彼がのちに「surpréhension(超‐了解)」と呼ぶことになるものの始まりだった[★11]。

 3日目は14時からこれらを総合(synthèse)する。「リコレを一杯とゴロワーズを一本」済ませてからである[★12][★13]。

図 ベルナールの三日周期の読書・書記ローテーション(石田作成)

 このように時間割どおりに読書と書記のサイクルを繰り返せば、1日目の初読テクストAは、2日目には自分のノートとともに読まれ、3日目には総合としてまとめられる。2日目には新しいテクストBが初読の時間に読まれ、3日目にはまた新しいテクストCが初読され・・・という具合に、テクストを読む・書くサイクルが3日単位でローテーションされる。テクストを読むことが、1回かぎりの出来事ではなく、「再読と書き直しを緊密に繰り返す体系的な反復の実践」として組織されていったのだ(上記の「ベルナールの3日周期の読書・書記ローテーション表」[石田による制作]を参照されたい)。
 

 4 読んだものは書くことに移される。本に書き込み、そのメモをルーズリーフに写してバインダーに綴じ、カードを作り、それをまとめて「読書報告」に書き直す。自分が実際には(effectivement)何を読んだのかを確かめるためである[★14]。『Passer à l'acte』の言い方では、カード(fichier)から注解へ、注解から執筆へ移るこの過程で、「世界の残りが立ちのぼり、こうして想起が生み出された」[★15]。

 これは本への書き込みであると同時に、「自分自身に注釈をつける(m'annoter moi-même)」ことでもあった[★16]。フーコーのヒュポムネーマタにきわめて近い。ただし、ベルナール自身がそれをフーコーの論文「自己の書法」(1983)[★17]で知ったのは「ずっと後のこと」だと断っている[★18]。監獄のなかでの自習は、文字どおり概念より先に実践されていたのである。
 

 5 身体も時間割に組み込まれる。読書と総合の作業の合間には、独房の床で体操をする[★19]。監獄は早くに消灯し、朝5時に再び電灯がつく。ベルナールはこの施設の時間を、そのまま早起きの習慣に変えた[★20]。

 ここにはじつは、アイロニカルな置き換えがある。フーコーは『監獄の誕生』の冒頭で、絶対王政下でのダミアン[フランス王・ルイ15世暗殺未遂犯]の華々しき身体刑[1757年、群衆の前で四頭の馬に四つ裂きにされた公開処刑]の場面と、その4分の3世紀後、のちの内務大臣レオン・フォーシェがパリ少年院のために作った分刻みの稠密な時間割とを並べて、近代における規律権力の誕生を描きだしたのだった[★21]。ベルナールは、まさしくその近代監獄の時間割を「自己の技法」の時間割に作り変えたことになる。 

 フーコーは『主体の解釈学』で、思考のなかの演習としてのメレテーは実際の状況での鍛錬としてのギュムナシア(実地訓練)一対になってはじめて自己の技法として働くとしていた[★22]。独房のベルナールは、独房で体操することでそのセットを実践していたとも言えそうだ。
 

 6 夜は小説の時間である。午後6時頃のガメル(刑務所でアルミの飯盒に入れて配られる食事)の後に小説を読み[★23]、やがてプルーストの『失われた時を求めて』を集中的に読むようになる[★24]。朝のマラルメ、夜のプルースト。

 この2つにはさまれた1日の中心で、最初は詩学や言語学の本、徐々に哲学の本、そして『論理学研究』や『グラマトロジー』が読まれていった。ベルナールはのちに、「読者は読むとき、自分自身を読む読者である」というプルーストの言葉を引く[★25]。夜の読書は、自分の記憶という織物を読み直す時間でもあった。
 

 7 ベルナール自身が書いたものを読むのは、原則として自分ひとりだった。例外は、ジェラール・グラネル(連載第13回参照)や通信教育の教授たちに宛てた手紙で、そこでは読んだものの解釈をあえて試みている。それ以外の小さなテクストは、読み直し、縮め、注解を加え、さらに注解の注解を書くためだけに書かれた。それらは「誰も読むことのない」分厚いバインダーに溜まっていく。それでも、その束は「35年後のいまも、私に書かせているものすべてを導いており」、書斎の棚の上で埃をかぶっていると2016年に書いている[★26]。フーコーが「自己の書法」で、自己の技法としての書くことを、ヒュポムネーマタ(覚え書き)と書簡の2つの形で論じていたことを思い出そう。ベルナールの独房にも、覚え書きと手紙という、まさにその2つの書く形があった。
 

 8 こうした日課の果てに、沈黙のなかから「もう一つの声」が立ち上がるようになる。それは、もはや私ではなく「moi-l’autre(他なる私)」が語る独語であり、言語は伝達をやめて「記号を送り(faire signes)」始める[★27]。この独語は、街角で「ひとりごとを言う人」の狂気と紙一重である。両者を分けていたのは書くことによる支えであり、「ヒュポムネーシスが[狂気への転落を防ぐ]私の防護柵(garde-fou)だった」[★28]。
 

 フーコーとの違いもここでは見えてくる。フーコーのヒュポムネーマタは、すでに語られたロゴスを集め、自分のものにして、自己を形づくるための技術だった。ベルナールのメレテーが生み出したのは、自己の領有というよりは、自己が他なるものへと変わることである。昨日の自分のノートを今日読み直すたびにずれが生まれ、その反復のなかで「他なる私」が語りだす。

 2014年秋、ベルナールは抑うつのなかで自殺願望にとらえられてカウンセリングを受けていたが、そのとき精神科医に向かって、こう説明している。書くことは、精神的苦しみを「思惟ノエシスの文化」へと昇華するものであり、日々「規則的に実践しなければならない」。「それは最も広い意味での規則、つまりメレテーとも呼ばれる」[★29]、と。30数年を隔てて、メレテーはここでパルマコン pharmakon の治療術として名指し直されているわけである[★30]。

固有テクスト(Idiotexte)と個体化

 ベルナールは1980年に獄中で「イディオテクスト(idiotexte)」(ひとりひとりの記憶を、自らを読み直し書き直しつづける固有の[idios]テクストとみなす考え方)のアイデアを思いついたと私は前回(第15回)書いた。そのイディオテクストを、当時どのような図式で考えていたのかは、ドキュメントが公表されていない現状では正確には分からない。 

 だが、テクスト考証によって──それが、たとえ実際には描かれたことはなかったとしても──どのような図式でありえたかを推理してみることは、かなりの蓋然性をもってできるように私には思えるのだ。その理由とは次のようなものだ。
 

 ベルナールは、1995年にCésureという精神分析の雑誌に、「Ce qui fait défaut(欠如するもの)」と題された、48頁にわたるかなり長い論文を載せている[★31]。そのなかに、計14件の図式が提示されている。そのうちの最初の図が「図式(a)」で、下の引用中に提示されているので見てもらいたい。これがイディオテクスト概念の出発点になっている最も原初的な──私の仮説では1980年にはおそらく描かれていた──図式なのだが、その意味と重要性についてはこのあと詳しく説明する。
 

 ベルナールは1984年に出獄後、1986-1987年頃に博士学位論文『エピメテウスの過失──技術と時間』の準備を開始した。1992年には執筆を終えて博士論文を提出する。その第1部と第2部はほぼそのままの形で『技術と時間 1 エピメテウスの過失』(1994)、『技術と時間 2 方向喪失』(1996)として出版される。元の博論には、その時点で刊行されなかった最後のパートがあって、「不可欠の欠如 Le défaut qu’il faut」というタイトルで最終巻(『技術と時間』第3巻)として出すことが予定されていた[★32]。(フランス全国博士論文データベースtheses.fr に登録されたベルナールの博士論文 La faute d'Épiméthée : la technique et le temps の「要旨」は、その最後を「イディオテクストは、本研究全体が目指している概念であり、生きられたことのない〈既在〉を、個体化のうちに組み入れるものである」という一文で締めくくっている[★33]。)

 「白痴(idiotie)」をめぐって書かれることになっていたこの巻は、『技術と時間』シリーズの刊行予定のなかでつねに最終巻として予告されつづけていたのだが、ついに刊行されるにいたらず、未完のまま残された仕事となってしまったのである[★34]。

 しかし、ベルナールは、2018年の『技術と時間』増補新版の「後書き」にいたるまで、Césure 誌掲載のイディオテクストの「渦巻き (spirale)」の同じ図式を維持している。2010年にもまったく同じ図式を載せた論考「Le concept d’ « idiotexte » : esquisses」をフランスの認知科学会(ARCo)の機関誌Intellecticaに発表している[★35]。したがって、少なくとも1995年以降は、一貫してこの図式をもとに、イディオテクスト論を考えつづけていたことは間違いないのである。
 

 1980年に獄中で考えついた「イディオテクスト」にまで同じ図式が遡ることを証明することはできない。だが、「図式」がまさしくカント的な意味での認識の図式(シェーマ)であること、そしてベルナールが当時すでに『メノン』を出発点に考えていたこと──その非‐超越論的な認識論から考えれば、イディオテクストの図は記憶の補助ヒュポムネーマタとして当時から描かれていた──少なくともそのように想像されていた──可能性が高く、その最初の形は「図式(a)」だったと、私は仮説形成アブダクションするのである。
 

 1995年の「Ce qui fait défaut(欠如するもの)」では、この図式を導入して、次のように説明している[★36]。

 イディオテクストとは、それ自体が個体化の過程であるような記憶である。それは、自らを読むと同時に自らを書く記憶であり、その書くことがそのまま読むことでもあり、読むことがそのまま書くことでもあるような記憶である。この読むことは、つねに前-テクスト pré-texte(イディオテクストに到来する出来事、知覚、耳にした言説や自ら発した言説など)を介してなされる。前-テクストは、イディオテクスト的な個体化をなす変様を作動させる因子オペレータであり、その個体化の過程のなかで、この記憶のテクスト性が織りあげられていく。

 自らを読みながら書き、また逆に自らを書きながら読む記憶は、次のように表すことができる。

 ベルナールは、この渦巻きの図について、記憶の問題を概念化するために考えられたものであり、「イディオテクストの概念」は「ベルクソン、フッサール、ハイデガー、シモンドンの記憶の問いを引き継ぎ、それらに連鎖させることで構成される」と、この図式を導入するセクションの冒頭で述べている[★37]。じっさい、この図は、ベルクソンの『物質と記憶』の「円錐」図式を水平にして引き継いでいると読めるし、『技術と時間 2 方向喪失』ではフッサールの時間図表が渦巻きで説明されることになるだろう。
 

 ベルナールのイディオテクスト論については、今後の連載で詳しく論じていくことになるが、私たちがいまから注目したいのは、「それ[=イディオテクスト]は、自らを読むと同時に自らを書く記憶であり、その書くことがそのまま読むことでもあり、読むことがそのまま書くことでもあるような記憶である」という箇所だ。これこそ、獄中のベルナールの「読む・書く」実践──のちに彼が「ヒュポムネーシス(補助記憶作用)」と呼ぶことになる、補助された記憶の働き──を理論化した図式にほかならない。

 この図式が描きはじめたのは、その補助記憶作用の螺旋の運動である。獄中では、ベルナールはまだシモンドンの哲学の「個体化(individuation)」の概念を知らなかったが[★38]、日課の「時間割ローテーション」を見れば、読み(レクチュール)/書き(エクリチュール)の繰り返しが、イディオテクストの螺旋、すなわちレクチュールとエクリチュールの螺旋運動を描いていることが分かる。ベルナールのメレテーは、このように自分自身の読む/書く螺旋を描くことで、「自己のエクリチュール」を 掻・書・描・画カき 始めていたわけだ。その補助記憶作用(ヒュポムネーシス)は、いまはまだ書記メディアの表面にとどまっているが、出獄後、それが多メディア化するにつれて、螺旋の弧は拡大しつづけ、問題も複雑になっていく。こういう意味で、監獄は彼の「ヒュポムネーシスの現象学」の実験室だったのである。

人生の準‐因果性 quasi-causalité

 さて、ベルナールの獄中の哲学について、4回にわたって書いてきた。

 最後に、彼の人生における、原因と結果について考えてみたい。

 ふつう私たちは、人生の出来事を原因と結果の連鎖として考える。経営に行き詰まったジャズ・バーの主人が銀行強盗を重ね、逮捕されて、5年の刑を受けた。罪が原因で、罰が結果である。物体と物体がぶつかりあうように行為が行為を引き起こし、法の機構がそれに刑期を割り当てる。ここまでなら、誰にでも語れる話だ。

 ところがベルナールは、獄中の5年間をこう振り返っている。

この経験[独房のなかでの自分の生のエポケー]をとおして、私は自分の「罰」の「準‐原因(quasi-cause)」となり、罰は私にとって僥倖(chance)となり、私の大いなるエポケーの経験となった。この経験から私は、「ストア派の論理」を、必然を徳(アレテー ἀρετή)へと変‐形することだと悟った。[……]そして欠如(le défaut)を、不可欠なものにすべきもの(ce dont il faut faire ce qu’il faut)、と考えはじめたのである。[★39]

 この「準‐原因」とは何か。

 ベルナールがここで依拠しているのは、ドゥルーズが『意味の論理学』でストア派から引き出した「二重の因果性」の考え方だ[★40]。ストア派の論理学によれば、本来の意味での原因は物体だけに関係している。物体は互いに混じりあい、作用し反作用しあう。だがその物体の混合の表面には「出来事」が生じる。刃物が肉を切るとき、刃物も肉も物体だが、「切られる」という出来事自体は物体ではない。それは非物体的な効果=結果(effet)である。この出来事は、一方では物体の側に本当の原因をもち、他方では他の出来事の側に、いわば「原因のようなもの」、つまり「準‐原因」をもつ。アレクサンドリアのクレメンスが伝えるところでは、ストア派は「物体は本来の意味での原因だが、非物体的なものは比喩的に、原因のようなしかたで原因となるのである」と言った[★41]。

 ドゥルーズは物理学からも例を引いている。液体の表面に起こる出来事は、分子間の変化を実際の原因とする一方で、「表面張力」の変化を準‐原因としている、と。そう、水面である。この連載の題を思い出してほしい。飛び魚とは、水面を破って飛び出す魚のことだった[★42]。
 

 ドゥルーズは、この準‐因果性を詩人ジョー・ブスケに体現させる。ブスケは1918年、第一次大戦の戦場で脊椎に銃弾を受けて下半身が麻痺し、それから30年余り、カルカソンヌの、日よけ鎧戸を閉ざした部屋の寝台の上で書きつづけた。カルカソンヌは、トゥールーズから東へ100キロに満たない町だ。ブスケは書いている。「私の傷は私より前に存在していた。私はそれを受肉するために生まれたのだ」[★43]。

 ドゥルーズによれば、これは諦めではない。諦念もまた、出来事へのルサンチマンの一つの姿にすぎない。そうではなく、自分に起きることの準‐原因となること、「われわれに起こることに値しない者とはならないこと」。ストア派の道徳に意味があるとすれば、それしかない、とドゥルーズは言う[★44]。

「投獄される」/「哲学者になる」

 先に触れた「Ce qui fait défaut(欠如するもの)」で、ベルナールはイディオテクストの図式を導入するに先立って、ブスケを「自らの傷を書くことによってその準‐原因となった詩人」と呼んでいる[★45]。そして、欠如が「不可欠なもの(ce qu’il faut)」へと反転するのは、否定が肯定に転じる弁証法によるのではなく、この準‐因果性の論理によるのだ、と述べる。

 「書くことによって」という一句に注意しよう。傷はブスケの身体に起きた。罰はベルナールの身に降りかかった。どちらも物体の側の因果の帰結である。けれども、その出来事を自分の生の準‐原因へと変えるのは、書くことなのだ。書くことでトラウマの出来事を自分にとって不可欠な出来事へと変-形させることだ。あの3日周期の読み書きの日課を思い出してほしい。昨日の読みは今日の再読のなかで「ずれ」を生み、そのずれが明日の総合を導いていく。過去の読みは、あとから書き直されることで、未来の読みの原因になる。

 イディオテクストの定義で、前‐テクスト、つまり到来する出来事や知覚や言説が「変様の作動因子オペレータ」と呼ばれていたことも思い出そう。ドゥルーズはブスケについて、準‐原因となることを「〈作動者 l’Opérateur〉」となることだと書いていた[★46]。到来する偶然を、書きながら読むことによって、自分の個体化を作動させるものへと変える。イディオテクストの螺旋とは、準‐因果性のシステムなのだ。


 ただし、ベルナールは一つの点でドゥルーズと決定的に異なる。ドゥルーズの準‐原因は、非物体的な表面の水準にある。ベルナールにとって、その表面には物質(=質料)の支えが要る。紙、カード、バインダー、本の余白。補助記憶(ヒュポムネーシス)の支持体がなければ、出来事は準‐原因へと反転しない。ストア派の非物体的なものを、ベルナールは技術の側から地上へ引き戻したのである。イディオテクストの論理は非‐超越論的(a-transcendantal)なのだ。ドゥルーズの言う「出来事が反照する表面と裏地」[★47]とは、独房の小卓に刻まれたマラルメの2行であり、床に積み上がっていくノートの束だった。

 「私は自分の罰の準‐原因となった」。この言葉は犯罪の正当化でも、運命の甘受でも、罪悪の内面化と更生というニヒリズム(ニーチェ)でもない。偶然(accident)として降りかかった罰を、自分の生の必然として引き受け直し、そこから行為へと移ること、それこそが passer à l’acte (現勢化)なのである。フランス語でこの言い回しは、なによりもまず犯罪の実行を指す。かつて銀行強盗という「行為への移行」によって監獄に入った男が、監獄のなかで、書くことによる「行為への移行」、哲学者としての「現勢化」を学んだ。『Passer à l’acte』という書名の二重の意味が、ここにある。
 

 飛び魚は、ほんの一瞬、水の重さから逃れて水面の上へ飛び出す。だがそれを可能にしているのは、ほかならぬ非‐超越論的な水面──書くことの物質的表面メディウム──なのである。

 


★1 Stiegler, B. Passer à l’acte, Galilée, 2003, p.42.
★2 Mallarmé, S. Œuvres complètes I, édition présentée, établie et annotée par Bertrand Marchal Bibliothèque de la Pléiade Gallimard, 1998, p. 45. 訳は石田による。
★3 Méry Laurent(本名 Anne-Rose Suzanne Louviot、1849–1900)。ナンシーの生まれで、15歳で結婚したがまもなく夫と別れてパリに出た。シャトレ座などの舞台に端役で立った後、第二帝政期以来のいわゆる「ココット(cocotte)」として生きた。ココットとは、富裕な庇護者の援助で暮らし、華やかな社交を営んだ「半社交界(ドゥミ・モンド demi-monde)」の女性たちのことである。彼女はナポレオン三世の歯科医だったアメリカ人トマス・W・エヴァンズの終生の庇護を受け、パリの住まいと郊外の別邸「レ・タリュ(Les Talus)」でサロンを開いた。そこにはマネ、マラルメ、ユイスマンス、コペ、ホイッスラー、ジョージ・ムーア、レーナルド・アーン、そして若きプルーストらが集った。マネのモデルとして《秋(メリー・ローラン)》(1881)などに描かれ、マネの死(1883)の後にはマラルメとの親密な交わりが深まっていく。マラルメは彼女を「孔雀(Paon)」と呼び、扇や献辞の小品など数多くの「折りふしの詩(vers de circonstance)」を捧げた。二人の関係を「友情」と呼ぶか「愛人」と呼ぶかについては、伝記家たちの見方が分かれている。またプルーストは、彼女をオデット・ド・クレシーのモデルの一人にしたと言われる(オデットのモデルは複数が候補に挙げられ、メリーはそのひとりである)。写真等を見たい人は次をどうぞ: URL=https://fr.wikipedia.org/wiki/Méry_Laurent
★4 最近知り得た知識として、獄中生活を書いたPasser à l’acteの出版から2年後の2005年にベルナールは、刑務所での生活についての展覧会の際に、“Le temps de la prison”と題する講演を行っていて、こうした刑務所における欲望の問題を他の著作よりも具体的に語っている。Stiegler, B. “Le temps de la prison”, in: J.-M. Cerino, Dépositions III. No publication information. No page numbers, 2006. Cité par Daniel Ross “Too Soon / Too Late: A Pretext for a Recurrence of Bernard Stiegler” Media Theory, Vol. 7, No. 2, pp. 01-36, 2023. 
★5 Stiegler, B. Dans la disruption: comment ne pas devenir fou? , LLL Les Liens qui Libèrent, 2016, p. 312. 未邦訳。
★6   Foucault, M. Surveiller et punir: la naissance de la prison, Gallimard, 1975; 邦訳 ミシェル・フーコー、新訳版『監獄の誕生:監視と処罰』慎改康之訳、新潮社、2026年。
★7 Foucault, M. L’herméneutique du sujet, cours au Collège de France 1981-1982, Hautes Études/Gallimard/Seuil, 2001, p. 348 sq.;ミシェル・フーコー『主体の解釈学 コレージュ・ド・フランス講義 1981-1982』廣瀬浩司・原和之訳、筑摩書房、2004年、415頁以下。
★8 ベルナールの著作では、Passer à l’acte, Galilée, 2003(『現勢化: 哲学という使命』ガブリエル・メランベルジュ+メランベルジュ真紀訳、新評論、2007。) とDans la disruption, op. cit., 2016 に詳しい記述が読めるが、内容が重複する部分は両著をもとに再構成している。訳は原文から石田訳を使っている。
★9 これについては、本連載第11回で語った。
★10 マラルメの詩が、昇華の契機になることには、マラルメの詩の言葉の効果が大きいのだが、その〈不在の詩学〉については、「in-signifiance」をめぐる「花」のイデーのエイドス的還元をすでに本連載第13回で解説している。今回、「博学なる不在(le docte manque)」をめぐってそれを再確認することになる。
★11 Stiegler, B. Dans la disruption, p.310.
★12 ibid., p.310.
★13 リコレ(Ricoré)は、ネスレ社が1950年代にフランスで発売したインスタント飲料。焙煎したチコリ(キクニガナ)の根の粉にコーヒーを混ぜたもので、本物のコーヒーより安く、カフェインも少ない。庶民的な朝食の飲み物として親しまれてきた。ゴロワーズ(Gauloises)は、黒タバコを使ったフランスの大衆的な紙巻煙草。三日周期の作業の締めくくりに置かれたこの「一杯と一本」には、修道院の日課のような時間割のなかにある、ささやかな儀式という趣がある。
★14 ibid., p. 308.
★15 ibid., p. 44.
★16 ibid., p.309.
★17 Foucault, M. « L'écriture de soi », Corps écrit, no 5 : L'Autoportrait, février 1983, pp. 3-23. Foucault, M. Dits et écrits, t. IV, Gallimard, 1994, texte n°329 ; 邦訳「自己の書法」神崎繁訳 『ミシェル・フーコー思考集成 IX 自己・統治性・快楽』筑摩書房 、2001年。
★18 Dans la disruption, p. 309.
★19 ibid., p. 310.
★20 ibid., p. 312.
★21 『監獄の誕生』新訳版、12-13頁。
★22 Foucault, M. L'herméneutique du sujet, op. cit., p. 342 sq. ; 邦訳407頁以下参照。
★23 Dans la disruption, p. 301.
★24 ibid., p. 305.
★25 ibid., p. 314.
★26 ibid., p. 312.
★27 Passer à l'acte, p. 45 ; 邦訳『現勢化』74-75頁に対応。
★28 ibid., p. 47 ; 邦訳78頁に対応。
★29 Dans la disruption, p. 316。
★30 死の欲動にとらえられて真夜中に車を走らせ、200キロ離れた精神科クリニック、ラ・シェネ(La Chesnaie)に駆け込んだこの時期の逸話(Dans la disruption, pp. 299-300.)については、いずれまた詳しく述べることになる。
★31 Stiegler, B. « Ce qui fait défaut » Césure (Paris), 1995 (n°8), pp. 231-278.
★32 Stiegler, B. La technique et le temps 1. La Faute d’Epiméthée 2. La Désorientation 3. Le Temps du cinéma et la question du mal-être suivi de Le nouveau conflit des facultés et des fonctions dans l’Anthropocène, Fayard, 2018, pp. 382-383 ; 邦訳『技術と時間 2 方向喪失』石田英敬監修、西兼志訳、法政大学出版局、2010年、100-101頁に記述がある。
★33 Stiegler, B. La faute d’Épiméthée : la technique et le temps, thèse de doctorat, sous la direction de Jacques Derrida, EHESS, 1993. URL=https://theses.fr/1993EHES0309 
1996年に刊行された『技術と時間 2 方向喪失』の註には、Césure誌掲載の論考「Ce qui fait défaut(欠如するもの)」は、博論で論じられたイディオテクスト概念の「素描エスキス」であると記されている:Stiegler, B. La technique et le temps, op. cit., p. 383, n.1 ; 同邦訳、105頁、註66。
★34 第3巻は実際には2001年に『映画の時間と〈難‐存在〉の問題』として出版された。この第3巻の時点で第4巻「Symboles et diaboles」と第5巻「Le défaut qu’il faut」が予告されていた。その後、2018年の前掲書(註32)の「新版序」では、第4巻「L’épreuve de la vérité dans l’ère post-véridique」、第5巻「Symboles et diaboles」、第6巻「La guerre des esprits」そして第7巻「Le défaut qu’il faut. Idiome, idios, Idiotie」という構想が述べられている(同書p. 12) 。
★35 Stiegler, B. « Le concept d’« idiotexte » : esquisses », Intellectica, 2010/1-2, n° 53-54, pp. 51-65.
★36 Stiegler, B. « Ce qui fait défaut », art. cit., pp. 247-248.
★37 ibid., p. 247
★38 Césure 誌掲載の1995年のヴァージョンはシモンドン用語の「個体化」で図を説明しているが、ベルナールがシモンドンを知ったのは1984年で、その時点で書き上げていたイディオテクスト論のドラフトをフランソワ・ラリュエル François Laruelle(1937-2024)に見せたときに、きみはシモンドンを読むべきだと言われて発見したと証言している(Stiegler, B. “The Theater of Individuation: Phase-Shift and Resolution in Simondon and Heidegger,” trans. Kristina Lebedeva, Parrhesia, no. 7, 2009, p. 56, n. 8.)
★39 Dans la disruption, §29, p. 97.
★40 Deleuze, G. Logique du sens, Minuit, 1969, quatorzième série “de la double causalité”.
★41 ibid., p. 115, note 1 .
★42 ibid., p. 115.
★43 ibid., vingt et unième série « de l’événement », p. 174.
★44 ibid., pp. 174–175.
★45 ibid., p. 235.
★46 Logique du sens, p. 174.
★47 ibid.
 

石田英敬

1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。
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