【好評イベント紹介】浅田彰×福尾匠×布施琳太郎(+東浩紀) ポストモダンとはなんだったのか

2026年10月14日
webゲンロン 2026年10月14日配信

 

2026年10月7日、ゲンロンカフェでは浅田彰×福尾匠×布施琳太郎(+東浩紀) 「ポストモダンとはなんだったのか」を放送いたしました。

 

 

ポストモダンの旗手、浅田彰さんを迎えうつのは哲学者・批評家の福尾匠さんとアーティストのアーティストの布施琳太郎さん!
磯崎新や坂本龍一らのそばで、浅田彰にはポストモダンという時代がどうみえていたのか、柄谷行人という思想家・批評家は何者なのか。ただの回顧にとどまらない白熱の6時間が今ここに。
ぜひアーカイブをご覧ください!

アーカイブ好評配信中! 
浅田彰 × 福尾匠 × 布施琳太郎(+東浩紀) 「ポストモダンとはなんだったのか」
ご視聴はこちらから:https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20261007

※公開期間は2027年4月7日までを予定しています。
※視聴期限は予告なく変更となる場合があります。
※期限によらず、お早めのご視聴をおすすめします。

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チャッピーが観た、浅田彰 × 福尾匠 × 布施琳太郎(+東浩紀) 「ポストモダンとはなんだったのか」【AIイベントレポート】

※※この記事は、ゲンロンカフェでのイベントを読み込んだAI(ChatGPT)が自動生成した実験的なレポートです。まちがいを含むことがあります。正確な内容はイベント動画本編をご確認ください。※※

浅田彰が、9年ぶりにゲンロンカフェに帰ってきた。

「呼ばれて断ったわけではなく、単にお呼びがかからなかっただけ」。そんな軽口から始まった10月7日のイベントは、「ポストモダンとはなんだったのか」。聞き手を務める福尾匠と布施琳太郎は、この日が浅田との初対面だった。ふたりが知りたいのは、浅田が何を考え、どのように仕事をし、いま何に可能性を見ているのか。美術、建築、音楽、思想を横断する対話に、途中から東浩紀も加わり、夜は6時間を超えて続いた。

浅田が語り始めたのは、長く付き合ってきたアーティストたちのことだった。草間彌生、磯崎新、坂本龍一。若いころには、彼らと対等に話すことを特別とも思わなかった。しかし振り返れば、それは「特等席」で歴史を目撃する経験だったという。その記憶と数々の図版を通して、ポストモダンの輪郭が描き出されていく。

浅田によれば、モダニズムは批評と自己批評によって、余分なものを削ぎ落としていく運動だった。絵画なら、物語や装飾を捨て、抽象へ、さらには物や言葉だけの作品へ。だが、その先で、もう捨てるものがなくなる。そこで一度捨てた装飾や広告、歴史的な様式を拾い直し、引用し、不協和音を起こすように組み合わせる。それがポストモダンのひとつの姿だった。

その転換を鮮やかに物語るのが、1970年の大阪万博だ。丹下健三が設計を統括した巨大な大屋根。その下で磯崎新は、照明やロボットなどを駆使した、情報が行き交う「見えない建築」を構想していた。そこに岡本太郎の太陽の塔が、大屋根を突き破るようにそびえ立つ。モダニズムの最先端に、巨大化した土偶のような造形が衝突する。浅田はそこから、磯崎が歴史的な建築の引用を組み合わせた、つくばセンタービルへと話をつないだ。

同じ万博の鉄鋼館では、武満徹のもと、クセナキスや高橋悠治の前衛的な音楽が鳴っていた。浅田が繰り返すのは、「わからんな、しかしすごいな」という当時の空気だ。何に役立つのか、誰にでも理解できるのか。そう説明しきれないものに、企業も観客も付き合っていた。その面白さは、経済的な豊かさだけでは説明できない。

音楽の話では、坂本龍一の歩みが重ねられる。先行する前衛が自己否定の果てまで進んだあと、同じ道をなぞることはできない。そこで坂本は、さまざまなスタイルを自在に演奏する「万能のシミュレーター」のように、ポップの世界で活動していく。しかし長い時間を経て、晩年には自分自身の音響へとたどり着いた。浅田が紹介した高谷史郎との共同制作にも、互いに「俺が」と前に出ないふたりだからこそ生まれる豊かさがあった。「立派な友達を持ってたんだな」。軽快な語りのなかに、そんな言葉が混じる。

ところが浅田は、自分の仕事の話になると、すっと身を引く。フーコーを読めば、本とはこういう人が書くものだと思ってしまう。自分は傍観者にすぎない、と。福尾はそこに立ち止まる。浅田自身も、彼らと並ぶ仕事をしてきた批評家ではないのか。単著を書くことだけを物差しにせず、その多方向に広がった活動の具体的なあり方を知りたい。

布施も、アーティストの側から問いかける。坂本との共同制作で、浅田は何をしていたのか。返ってきたのは、コンセプトを書き、議論し、相手のアイデアを変え、こちらも刺激されるという話だった。完成した作品を解説するだけではない。作品ができる過程に入り、作家を変える。ふたりが探っていたのは、そういう批評家の働きだった。

ただ、かつての文化の豊かさを、そのまま現在の希望にはできない。1992年生まれの福尾にとって、自分の人生は「失われた30年」に重なる。大きな資金が動き、思想家とアーティストが交流していた時代は、遠い世界にも見える。AIをめぐっても、話はデータや計算資源の巨大さへ向かいがちだ。

そこで福尾は、理論には別の価値があると語る。持ち札の少ない状態からでも、自分で考え、文章を書き、作品をつくるための道具になること。過去の理論を再発見することと、新しいものをつくることも、きれいには分けられない。丸山眞男をいま誰かに伝えるにも、語る側が何かをつくらなければ届かない。浅田も、「批判のアップデートは絶対必要です」と応じた。

そして開始から3時間ほど。会場の質問をきっかけに、話は作品を誰に、どう届けるかへ移っていく。浅田は、誰かが拾ってくれればいい、届かなければ仕方がないという態度に、なお魅力を感じるという。一方、東はメディアをつくり、言葉が届くようにしている。それは重要な仕事だけれど——。

と、まさに東の名前が出たところで、本人が会場に現れた。


 

ここで締めの言葉を、と浅田は言う。だが、終わらない。東は資料を見て、さっそく別の補助線を引く。ポストモダンを考えるなら、パリだけでなく、カリフォルニアの思想史も必要ではないか。ヒッピー文化、サイバーパンク、ゲーム。そこにある想像力を、ヨーロッパの教養から幼稚だと見なすだけでは、いまのテクノロジーがもつ力を捉え損なう。

同時に東が取り戻したいのは、哲学者、美術家、音楽家が専門の境界を越えて付き合う、雑多な知の空間だった。自身を育てた『批評空間』にも、いま振り返れば狭さがあった。その外まで視野を広げたい。浅田も、ジャンルを越えて一緒に何かをする場所の重要さには同意する。ゲンロンの活動そのものが、ここで議論の対象になっていく。

やがて、言葉を届けることをめぐる違いが、次世代の問題として噴き出した。

東は、浅田や柄谷行人への「恨み」があるとすれば、次世代を育てることが大事だと、建前でも言わなかったことだと語る。届くものは届く。それは自分も思っている。だが、そう言っているだけでは、次の世代が消えてしまう。

「だけどあなたがいるだけでいいじゃん」

浅田は返す。若いころなら、その一言でうれしかった、と東。しかし年を重ねてみると、「俺だけみたいな」。自分が受け取ったものを、さらに先へつなぐ仕事が残っている。

もちろん浅田も、実際には編集を続け、言葉を届けようとしてきた。若いころに原稿を読んでもらった東は、浅田が手書きで「Excellent!」と記した紙を、いまも持っているという。届くことに執着しすぎない姿勢と、誰かに届くための場を維持する実践。ふたりの違いは、何も伝えなかった人と、それを一から始めた人の対立ではない。同じ経験を知っているからこそ、譲れない点も見えてくる。

世代の違いは、喋り方にも表れる。浅田と東は、相手の話に飛び込み、切り返し、次の話へ進む。布施はその速さを、「二人はバスケやってるけど、うちら野球やってるんですよ、多分」と評した。福尾も、自分のペースで話したいことを話す立場を手放さない。受け継ぐことは、同じ喋り方を身につけることなのか。この夜は、継承について語るだけでなく、その難しさまで目の前に出していた。

終盤、布施はあらためて、作家を変えるような批評がほしいと語った。話題の作品を、みんなが知っている共通の話題として使うだけではない。その文章によって、作家が次につくるものまで変わってしまうような批評だ。それは浅田や東だけへの注文ではなく、さらに下の世代へ向けた期待でもあった。

福尾も、社会と生き方を同時に語れることが、批評のよさだと続ける。作品に触発されて言葉を書き、その言葉が作品の側を変えていく。その往復を、もう一度つくりたい。

浅田が最後に示したのは、「冷たい親密さ」という言葉だった。すべてに同意して同志になるか、対立して関係を断つか。その二択ではない。距離があっても、あいつは面白いやつだと思っている。だからこそ、直球を投げ、批判もする。「仲良く喧嘩する」とは、そういうことだ。

ポストモダンとはなんだったのか。その問いは過去の思想に名前をつける作業から、これから誰と、どんな関係をつくるのかという問いへ変わっていった。作品も言葉も、人を変える。だが、その変化を自分の望む通りにはできない。浅田と東の再会、そこへ問いを差し込む福尾と布施。6時間を超える対話は、その厄介さと面白さを、ひとつの場に残した。

(文=GPT-6 Astra Pro)

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