教育危機の時代を救う、ZEN大学の秘策──吉見俊哉×川上量生×東浩紀「大学に未来はあるのか」イベントレポート

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webゲンロン 2025年7月31日配信

 2025年3月12日、ゲンロンカフェにてZEN大学とゲンロンの共同公開講座第11弾が開催された。登壇したのはZEN大学特別招聘教授に着任した社会学者の吉見俊哉と、同大学の設立・運営に大きく関わる株式会社ドワンゴ顧問の川上量生、聞き手はZEN大学教授就任が決まった東浩紀である。議論のテーマはずばり「日本の大学の未来」。少子化やAIの登場によって大きな危機を迎えつつある日本のアカデミズムに対して、ZEN大学はどのようなビジョンを提示できるのか。

 吉見は大学制度に関する数多くの著作で知られている。イベントでは、吉見と川上のあいだで白熱の議論が繰り広げられることとなった。争点はリアルの世界とネットの世界における「移動の自由」である。この記事ではその議論の一部をレポートする。

吉見俊哉×川上量生×東浩紀 大学に未来はあるのか──AIとリベラルアーツとZEN大学
URL = https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20250312

大学に未来はあるのか?

 日本の大学は危機に瀕している。人口減少は大学にとって文字通り死活問題である。日本の18歳人口は90年代以降減り続けている。にもかかわらず、大学の定員数は上昇し続けている。これはいったいどういうことだろうか。なぜこのような矛盾が生じているのか。

 答えは規制緩和にある。80年代中曽根政権による規制緩和以降、大学の数が急増し、ある種の「バブル」を迎えた。2000年代初頭には一時的に減少したものの、以降は再び緩やかに上昇し、いまだにその傾向が続いている。もちろん、増加に見合うだけの人口上昇があれば問題はない。しかし現実はそうなっていない。この40年間、日本の大学の需給バランス、つまり進学者数と大学数のバランスは着実に崩れている。

 こうした状況を考えたとき、日本の大学の未来は残念ながら暗いと吉見は言う。大学が飽和している一方で、これ以上18歳人口が増えることはないからだ。2025年現在の大学進学者は62‐63万人ほどだが、2040年には46万人にまで減少する。そうなってしまえば、大学の経営は立ち行かなくなる。大学はどうすればいいのだろうか。

人口減少をどうするか

 対策はないわけではない。リカレント教育の充実、つまり社会に出たあとにもう一度学びに来る人を増やすことや、国際競争力を伸ばすために留学生を増加させること、あるいは政府による助成を充実させることなどが考えられる。

 これらは魅力的に見える。実現すれば大学は大きく変わるかもしれない。だが吉見によれば現実は厳しい。助成は過去50年間増えていない。留学生の数も予想に反して伸びていない。リカレント教育についても、そもそもすでに大卒者が多い以上、じつはそこまで伸びしろはない。

 そうなると、現実的な対策としては、大学の規模の縮小や統廃合、あるいは単価の値上げすなわち授業料引き上げに行きつかざるを得ない。後者に向かえば、学費が払える家庭と払えない家庭のあいだに大きな格差が生まれてしまう。大学の未来はやはり厳しい。

 ところが、ZEN大学の設立に携わった川上は、これこそが自分たちにとってチャンスだったのだと語る。川上は、飽和した大学は今後減少に転ずるだろうと予想する。とくに地方の状況は深刻になっていく。なかには大学がなくなってしまう地域もでてくるかもしれない。そのような地域の学生の受け皿をどこが担えるのか。川上は、それこそが通信制大学としてのZEN大学であると述べる。

 通信制大学はキャンパスを持たない。その分、教育の質を落とさずとも低いコストで運営できる。さらに通信制大学は改革を行いやすい。つまり、教育の自由度が高い。

 川上はやはり通信制のN高等学校を立ち上げ、運営してきた経験ん照らして、プログラムの充実や単位修得の柔軟なシステムなど、通信制ならではの利点を明快に述べる。それらを踏まえたうえで、ZEN大学はこれからの大学の可能性を探ろうとしている。

日本版ミネルヴァ大学としてのZEN大学?

 そんなZEN大学を、吉見は「日本版ミネルヴァ大学」とも形容する。ミネルヴァ大学はアメリカのサンフランシスコに本部を置く総合大学で、その特徴は「特定のキャンパスを保有せず、学生が世界の各都市にある寮を移り住みながらオンラインで授業を受ける」という先進的なシステムにある。

 吉見は、これからの大学の根本理念は「移動の自由」、つまり学生がさまざまな国や地域を移りながら学びを深めることにあるべきだと指摘し、ZEN大学はこの点で、ミネルヴァ大学の方向性に近いのではないかと語る。21世紀の大学は「旅する大学」でなければならないというのだ。

 こうした大学観はいま突然出てきたものではない。大学が生まれた中世ヨーロッパでは、都市と都市のネットワークが緊密に結ばれていた。知識人や聖職者、さらには商人や職人の移動が活発に行なわれ、その往来に基づいてヨーロッパの知は発展していった。教養諸学としてのリベラル・アーツは、なによりもまず、移動の自由によって成り立っていたのである。

 吉見はこのように歴史をたどりつつ、日本のこれからの大学は、全世界とは言わなくとも、日本の都市と地方を自由に移動しながら学ぶような形を目指すべきだとする。AI時代だからこそ、実際に移動して身体で学ぶのが大事なのだと。

二つの移動の自由と大学の多様性

 川上の考えは少し異なる。川上は移動の自由の重要性を認めつつも、これからは物理的な移動ではなくネット上での移動がより重要になってくるのではないかと述べた。

 川上によれば、今後ZEN大学は数万単位の学生数を目指す。学生全員を海外に留学させることは、資金的に見ても現実的ではない。海外に学生を送り出すのは重要なことだが、それは一部のエリートのための教育に限られる。

 しかし、ネットの移動であれば話は別だ。コストが低いし、さまざまな国籍や階級に開かれる。現代では知識人にかぎらず、たとえばクリエイターがオタクカルチャーを通じて国境を超えてつながり、新たな先進的プロダクトをいくつも生み出すなど、ネットでの移動が重要になる例が増えている。川上はZEN大学でこの路線をさらに推し進めていくと語る。

 討論では、あくまでも「物理的な移動の自由」にこだわる吉見と「ネットを通じた移動の自由」に可能性を見出す川上のあいだの対立が明らかになった。東が壇上で指摘したように、これは文系vs.理系の対立のようにも見える。文系はネットに頼らないリアルな公共空間を大事にし、理系はしばしばヴァーチャルな可能性を肯定的に評価する。

 しかしながら、実際は両者の意見は重要な点で一致している。いまの大学では「エリートしか知らない若者がエリートになる」という構図が、ますます強化されているという現状認識だ。知的階級の閉じた再生産が行われている。この状況を打破するためには、さまざまな出自や階級や性格をもった学生が一同に集まって学ぶ、「猥雑な場としての大学」を取り戻していかなければならない。そうした真の多様性のもとで学んだ学生こそ、将来の日本を率いる人材になるべきだ。この点については全員が同意した。

 吉見と川上はリアルとヴァーチャルのどちらをより重視するかで意見を異にする。だがそれは、あくまで共通の目的を達成するための「手段の違い」であって、根本的なすれ違いではない。イベントでは、両者の共通の志が明らかになった。

ZEN大学が描く大学の未来

 このイベントでは、吉見と川上がともに「移動の自由を通じて多様な学生を包摂する通信制大学」を目指していることが明らかになった。少子化やAIの登場で大学を取り巻く環境が急激に変わろうとしている中で、ZEN大学の先進的な取り組みは今後ますます注目されていくだろう。

 イベントではさらに、吉見の思想のルーツにある演劇経験や、川上のN高等学校の運営秘話、そしてミネルヴァ大学への率直な意見などが交わされ、議論はひじょうに盛り上がった。ここでは取り上げることができなかったが、東のAI時代を見据えた大学論も必聴である。

 ZEN大学への入学を考えている人に限らず、これからの教育の未来について興味がある人に広く開かれた、重要な討論となった。ぜひアーカイブ動画を購入のうえ、全編を視聴していただきたい。(田村海斗)

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