「間違えなかった日本」から歴史を考える──ゲンロン・セミナー第2期第5回「まちがいと近現代史」事前レポート|植田将暉

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webゲンロン 2024年6月21日配信

 「まちがい」をテーマに、哲学や臨床心理学、演劇や認知科学など、さまざまな切り口からの講義をお届けしてきたゲンロン・セミナー第2期も、いよいよ残す講義はあと1回! 最終回の講師は、ゲンロンカフェのイベントでもお馴染み、近現代史研究者の辻田真佐憲先生です。

 今回の講義のタイトルは、「近代日本はどこで間違ったのか?」。まちがいや失敗、反省の歴史から、日本の近現代史を振り返ります。しかし、「まちがい」から日本近現代を考えるとはどういうことなのか……? 講義のポイントを聞き手の視点からご紹介する、事前レポートをお届けします。

 

辻田真佐憲(聞き手=植田将暉)「近代日本はどこで間違ったのか?──まちがいと訂正の近現代史」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20240629/

 まずは、授業の概要について、辻田先生のコメントをご覧ください。

戦前の日本(日本の近代史)は、反省や教訓とかならずセットで語られます。なぜなら、戦前の日本はさきの大戦で敗北を喫し、国土が灰燼に帰し、多数の犠牲を出し、国家体制を抜本的に改められるほど、「間違った」とされているからです。戦後日本の歩み(日本の現代史)も、この反省と教訓と切っても切り離せません。

では、かつての日本はどこでどのように「間違った」のでしょうか。これは先の大戦を考えるだけでは見えてこない、とても射程の広い問題です。満洲事変までさかのぼる? それとも日露戦争まで? しかし、欧米列強の侵略に対する反撃であった明治維新まで否定し尽くすことは難しい……。

本講義では、よくある「間違ったこと」を列挙するのではなく、逆に「間違えなかった日本」を想像してみることを通じて、この問題を考えてみたいと思います。それは、現代日本の自画像を考えるきっかけにもなるでしょう。

 「間違えなかった日本」を想像してみる。今回の近現代史講義のいちばんの特徴は、近代日本の「まちがい」について考えるために、むしろその逆の、「まちがいのない」歴史を考えてみようという点にあります。

 

 近代以降の日本の歩みを振り返ってみれば、「もしあのとき間違えなければ……」と反省される点はいくつも見つかるはずです。たとえば、もし明治維新が大日本帝国憲法のそれとは異なる政治体制を実現させていたら……。もし戦前に生まれた政党政治が崩壊せず持続していたら……。もし日中戦争での「南進」をあきらめ、その後の対米開戦を回避していたら……。逆に、もし朝鮮戦争が起こらず特需で戦後不況を脱していなかったなら……。64年の東京オリンピックや70年の大阪万博が「成功」していなかったなら……。「もし〇〇が違うふうに進行していたら……」と想像してみたくなる出来事は、みなさんもいろいろと思いつくのではないでしょうか★1

 今回の講義では、そんな「歴史のif」を考えながら、近代日本が間違ってきたポイントを振り返り、いろいろと議論することができればと思います。

 

 もっとも「歴史のif」を考えることには批判もあります★2

 代表的なのが、「過去のまちがいを無かったことにして、都合のいい歴史をでっち上げようとしているのではないか?」という批判。それは特に、場合によってはホロコーストが起きたことさえ否定するような歴史修正主義のあり方にたいする懸念として示されがちです。

 また「もし〇〇が……」と想像してみるとき、その「〇〇」がどれほど歴史全体にとって重要なものか、という難しい問題も立ちはだかってきそうです。歴史は無数の出来事が絡まりあってかたちづくられている。だから、そのなかの一つを取り出して、「もし違うふうに進行していたら……」と考えたところで、都合のいい妄想をしているだけじゃないのか、という批判はつねに成り立ちそうな気もします。たとえば「〇〇」は単体で見れば失敗かもしれないが、それまでの成功の歴史と一体の必然的な出来事だったかもしれない。

 とはいえ、それらの批判はどちらも、歴史のifを考えるときの「都合のよさ」を問題視しているとみることもできます。まちがいの過去を都合よく改変してしまうこと、そして、まちがいの原因を都合よく矮小化してしまうことが問題のありかだとすれば、それとは違うやりかたで「歴史のif」を考えてみる道筋も見つけられそうです。

 

 ぼくが今回の講義の聞き手として考えているのは、むしろ「まちがい」を真剣に考えるためにこそ、「歴史のif」を想像することが有効なのではないか、ということです。

 「もし〇〇が違うふうに進行していたら……」と思い巡らすことで、まちがいの原因が浮かび上がってくる。まちがいが生じなかった選択肢がありえたことを認識することで、にもかかわらず間違えてしまったことの重みが実感される。それは、今後わたしたち自身が直面するであろう「まちがいを生みだす歴史的瞬間」のための予行演習となるはずです。

 

 まちがいを都合よく忘れるためではなく、まちがいを真剣に考えるための「歴史のif」とは、歴史をどのように見ることを意味するのか? そのような「歴史のif」を通じて、日本近現代史はどのように捉え直されるのか? その先に、どのような日本の自画像が浮かび上がってくるのか?

 辻田先生による日本近現代史講義を、ぜひお楽しみに! そして、会場やコメント欄などで受講生のみなさんのお考えをうかがえることも、聞き手としてとても楽しみにしています。(7月13日には、セミナー全体を振り返る「アフターセッション」も開催しますよ!)

辻田真佐憲(聞き手=植田将暉)「近代日本はどこで間違ったのか?──まちがいと訂正の近現代史」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20240629/

 

ゲンロン・セミナー第2期「1000分で『まちがい』学」特設ページ
URL= https://webgenron.com/articles/genron-seminar-2nd

 

★1 ところで、「もしあのとき……」という想像力にもとづいて書かれた日本近現代史系の歴史モノとして、「架空戦記」を挙げることができるかもしれません。戦前にも、戦後にも、日本では多くの架空戦記が書かれてきました。とはいえ、それらはあくまで「戦争」に焦点をあてる内容です(そういえば、かの『失敗の本質』もあくまで「作戦」レベルの事例研究です)。今回の講義では、第二次世界大戦だけとどまらない、もっと広いスケールで、日本近現代史の「もしあのとき……」を考えることができればいいなと考えています。
★2 「歴史のif」について学問的に分析した本として、社会学者の赤上裕幸による『「もしもあの時」の社会学──歴史にifがあったなら』(中公選書、2018年)を挙げておきます。歴史家たちやフィクションの作者たちの「歴史のif」への立場や議論を幅広く検討しながら、著者が主張する「未来を切り拓いていく思想」(246頁)としての「反実仮想」の方法論は──今回の講義とどこまで一致するかはともかく──真剣に受け止める価値があるでしょう。

植田将暉

1999年、香川県生まれ。早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程在籍。専門は憲法学、「自然の権利」の比較憲法史。ゲンロン編集部所属。
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