南極の住人ペンギン、人間に出会う──上田一生×夏目大×吉川浩満「ペンギンは私たちになにを教えてくれるのか」イベントレポート
しかし2012年、およそ100年前に南極探検に参加した医師・動物学者のジョージ・マレー・レビックによる未刊行の論文が公開されると、それは当時すでに発見されていたことが明らかになった。なぜこの研究は隠されてきたのか? そもそもレビックの探検はどのようなものだったのか? 今年(2021年)4月に刊行された『南極探検とペンギン』は、デイヴィスが自身の研究人生を交えながら、レビックの南極探検とペンギン研究の足跡をたどっていく探検書であり、歴史書であり、生物書である。
今回ゲンロンカフェでは、デイヴィスと親交があり、自身も日本におけるペンギン研究の第一人者である上田一生、ペンギンをこよなく愛し、本書の翻訳を担当した夏目大、『理不尽な進化』などの著作があり、動物の世界に深い関心を寄せる文筆家の吉川浩満の三氏を招いてイベントを開催した。ペンギンを起点に、生物学、環境問題、歴史、政治など、動物をめぐり幅広いトークが展開された。本レポートではその様子を抜粋してお伝えする。(ゲンロン編集部)
『南極探検とペンギン』という本、翻訳の困難
上田は、本書を一読し、訳文の分かりやすさに驚いたという。そもそも南極の地名は難しい。というのも、それぞれ探検家の母語にちなんで命名されており、発音がよく分からないものも多いからだ。加えて、原書の文体は文学的であり、かつデイヴィス自身の研究と100年前のレビックの探検記が交差する構成を取っているので、時系列が行ったり来たりして解釈が難しい。
一般的な科学者と比較してデイヴィスの文章はあまりにドラマチックであると、夏目は翻訳を通じて感じたという。デイヴィスがレビックの論文を知るシーンの描写の細かさや、ホイットマンの詩の引用などが、デイヴィスの文学志向がとくに強く表れている部分だ。
『南極探検とペンギン』は入り組んだ本である。上田は、前提となる知識を丁寧に調べ上げ、そのうえで入れ子構造の文章を分かりやすい日本語に訳した夏目の仕事は、デイヴィスの思考回路をうまく整理するものだと評価した。
ペンギンと人間の関係の現在地
続いて上田は、『南極探検とペンギン』から話題を広げ、ペンギン研究におけるデイヴィスの立ち位置を紹介した後、ペンギンと人間との関わりについて説明していった。
現在ペンギンの数は減りつつある。人間の経済活動や温暖化の影響を受け、ペンギンの生存は脅かされている。上田は、ケープペンギン、マゼランペンギン、フンボルトペンギンなど、それぞれについて現在置かれている状況を紹介していく。ここで興味深いのは、ペンギンたちが人との関わりの中で直接数を減らしてしまった歴史である。
その原因がグアノだ。グアノとは、繁殖地となる島の上に、ペンギンを含む海鳥の糞、死骸、卵の殻などが長い年月にわたって堆積した層のことである。インカ帝国では古くから肥料として利用されていた。それが、19世紀後半の第二次産業革命以降、欧米の都市人口が増加し、食糧不足が起きると、農業生産の効率を上げるために施肥の考えが広まり、あらためて注目されるようになる。19世紀半ばから20世紀初頭にかけての「グアノ・ラッシュ」の時代には、アメリカとヨーロッパ諸国の船がこぞって世界中の海岸線や島々を巡り、グアノの奪い合いが発生した。
その最たる例が、グアノを重要な外貨獲得源にしていたチリ、ペルー、ボリビアの三国間で起きた戦争である。こうしてペンギンは繁殖地を荒らされ、大きく数を減らすこととなった。これに関連して吉川は、上田の著書『ペンギンは歴史にもクチバシをはさむ』も紹介した。ペンギンと人間の歴史的関係について更に知りたい方は要チェックだ。
一方で保全活動も進められている。現在ペンギンは、「域内保全」と「域外保全」、すなわち、本来の生息域内にいる野性のペンギンと域外にいる飼育下のペンギンの両方について保全活動が進められている。日本はじつは、多くの水族館や動物園でペンギンを観察することのできる、世界でも類を見ない域外ペンギンの大国でもある。
しかし最近、その地位が揺るがされている。日本以外のアジア諸国でもペンギン人気が高まり、ペンギン飼育が爆発的に増加しているのだ。南極のとあるコウテイペンギンのコロニーが一網打尽にされ、動物園・水族館に売られたと推測される事態まで発生している。それら動物園・水族館の関係者に話を聞くと、「南極の知見を広めたい」という教育的な効果を口にするが、裏には資源開発の思惑が見え隠れするという。この動きについてはペンギン学者だけでなく、南極研究者たちのあいだでも危機感が広がっている。
そのような動物園・水族館のほとんどは、国際的なペンギン保護のネットワーク(域外ペンギンを一羽ずつ血統登録し、種の保全とペンギン研究に役立てるための組織で、世界で約1000ヶ所の動物園・水族館が参加している)に入っていない。韓国、台湾、シンガポールの一部の動物園・水族館は呼びかけに応じているもの、参加数はまだ少ない。アジアをペンギン飼育のブラックボックスにせず、このネットワークに引き込み、しっかりと管理していくことが大事であると、上田は指摘した。
上田の発表は、「可愛い」とめでるだけで済まされない、ペンギンと人間のリアルな関係を教えてくれるものだった。
南極という環境
話を聞いていると、実際に南極に行ってみたくなる。現在はコロナ禍で停止しているものの、南米やオーストラリアから南極観光船は頻繁に運航されているので、お金さえあれば研究者でなくとも南極へ行くことができる。誰もいない極寒の地、ペンギンの大陸、白銀の景色──南極は我々の冒険心をくすぐって止まない。上田はその体験者として、南極の旅で印象に残ったポイントを三つ紹介してくれた。
第一に南極海の洗礼。船の揺れが旅客者を苦しめる。ときに10メートルを超える波を切って進んでいく際の揺れはすさまじく、航海に慣れた船員でさえ船酔いをしてしまうほどだ。
第二に、南極大陸が美しい世界であるだけでなく、死屍累々が積み重なっている場でもあるということ。南極取材ではカメラを向けられることが少ないが、凍った卵や死んだペンギンは朽ちることなくところどころに転がっているそれらは雪に埋もれるか、海かクレバスに落ちるまで、氷上から姿を消すことはない。
第三が厳しすぎる気候。南極は地球上で最も気温が低く、最も乾燥し、最も風が強い地域だ。最低気温は-89℃を記録し、風速20-30mは当たり前、一週間以上強風状態が続くことさえある。そんな極限環境を人はどのように感じるのだろう……。もはや想像がつかない。
しかしそんな厳しい現実を目の当たりにしてもなお、繰り返し行きたくなるほどの魅力が南極にはあるのだ。
広がるペンギンワールド
番組終盤では、三者によるペンギントークがあらためて盛り上がった。特に、ペンギン関連書籍や写真集を逐一追っている夏目の愛に満ちたトークが止まらない。
ペンギンを起点に、分類学、歴史学、サブカルチャーへと度々脱線していく、濃密なトークもあった。徳川家康や新井白石といった江戸時代の人物たちとペンギンに意外な関わりがあったことなども興味深い。吉川は話を受け、『家康・アダムズ・ペンギン』という題名で一冊本が書けそうだと言った。ペンギンと日本史という、一見なんのつながりもない二つのトピックがどう結びつくのか。読んでみたくなるタイトルだ。
登壇者それぞれのペンギン愛が語られるなか、名残惜しくもイベントは終了した。動画アーカイブを見れば、いままで知らなかったペンギンの世界に触れ、もっとペンギンのことを好きになれるに違いない。愛らしい姿をした南極の住人ペンギンたちは、私たちに様々なことを教えてくれる。(杉林大毅)
シラスでは、2022年1月16日までアーカイブを公開中。ニコニコ生放送では、再放送の機会をお待ちください。
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210719/)