安田登(聞き手=山本貴光)「禍の時代を生きるための古典講義――第4回『論語』を読む」イベントレポート
ゲンロンα 2020年7月20日配信
漢字で読み解く『論語』の真実
安田は、20世紀中国の詩人、
君子と小人
安田は、『論語』で説かれる「君子」は、もともとは身体・精神に障害を持つ人を指していたはずだという。彼らは、「普通の人」=「小人」であれば取るに足らないものとして気にしないことを、細やかに気にして生きることが多い。それが転じて、「様々な気づきをもてる、徳の高い人間」の意味にするようになったのだと。 我々は他者の悪い部分にばかり注目してしまう。しかしそうではなく、どのような状況下でも理性をはたらかせ、いったん保留して評価できるのが「君子」ではないか、と安田は語る。 今までうまくいっていたことがうまくいかなくなり、判断を迫られるとき、小人から君子への道が開かれる。山本は、専門であるゲーム開発やプログラミングの例を用いて、失敗の理由を分析し、次のステップへ移行していくプロセスの重要性を説いた。定石どおりの手ではなく、試行錯誤の末に自分で答えを見つけた瞬間こそ、脱皮のチャンスなのだ。 続いて話題は「為政篇」に戻り、「五十而知天命」の一節が遡上に上った。「天」は、「大」の字とおなじ原型を持つが、天のほうがより、頭部が強調されたかたちをしている。そもそも天の字は、人間の頭頂部を示していたというのだ。そして「命」の古代文字は、おおきなものに跪く人間のかたちを象っており、「天から刻印されたもの」という意味をもつ。 この「天命」を知るにはどうすればよいのか? 安田は「尽心」が必要だという。自分にできるかぎりのことを行い、余計なものを除いていくこと。そこから、自分の持つ天命を再発見することができるのだ。 最後に安田は「切磋琢磨」に触れた。この四字熟語もまた『論語』の学而篇を出典とする。現在は「仲間同士競い合う」という意味で用いられているが、本来は「あるモノを加工する」という意味の言葉だった。転じて「一人一人にあったものごとのやり方がある」という意味で使われたこともあったという。 いまこそ、この「切磋琢磨」の多様な意味を見直すべきときかもしれない。新型コロナウイルス感染症の流行によって、人々の行動が制限される一方、テレワークをはじめ働き方の多様化が進んでいる。従来のオフィスでは成果が出せず苦しんでいたひとが、かえってパフォーマンスを発揮できるようになった例もある。まさに「一人一人にあったものごとのやり方がある」ということだ。 ひとは新型コロナによって適切な場所を見つけ、力を発揮できるようになることもある。「禍の時代」を生き抜くためには、「切磋琢磨」の精神が必要なのかもしれない。 最終回を迎えた講義は、2時間×2番組に及んだ。博覧強記の知識をもとにした大ボリュームの古典講義。講義の核をなす漢字の読み解きを味わうには、動画視聴をお勧めしたい。(清水香央理) こちらの番組はVimeoにて公開中。レンタル(7日間)600円、購入(無期限)1200円でご視聴いただけます。 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200715