【 #ゲンロン友の声】「ダメ人間」についてどう思いますか?
こんにちは、質問です。東さんは、いわゆる「ダメ人間」もしくは「弱い人間」について、どう思っているでしょうか。心が弱くて、すぐに傷ついて感傷的になり、人のせいにもし、自己否定と自己肯定を繰り返す、その辺によくいる人たちのことです。そしてそれは、僕自身のことでもあります。自覚をしながらなんとか押し込めつつ、日々を生きています。彼らの多く、そして僕も、思想や哲学、もしくは芸術などに、救われている実感があります。その一方で、それらを実践している人々は、とても強い人間であるように思えてなりません。創作物では繋がっているものの、やはり私たちはリアルでは繋がることはできないのでしょうか。東さんは、弱い人間をどう思っていますか。(神奈川県, 20代男性)
弱い人間をどう思っているか。その質問への答えはシンプルに、ひとは状況によって強くもなり弱くもなるので「弱い人間」がいるわけではない、というものです。ただ「ダメ人間」はいると思います。そしてぼくはダメ人間はあまり好きではありません。なぜなら、ダメ人間は、単なる弱い人間とはちがい、弱さから抜けだそうとしていないので、コミュニケーションができないからです。自分は弱い、どうしましょう、と話しかけられて、こちらが真剣に答えを返しても、いやどうせそれできないんです、ぼくは弱いからとまた同じ答えが返ってくる。それがダメ人間です。そこではコミュニケーションはなにも生みません。むろんそういうひともいてもいい。そしてそういうひとと話すのが好きなひともいていいけれど、ぼくとしては話すのは時間の無駄だなと感じます。そうぼくが思うのもまたぼくの自由です。もしかしたら質問者さんは、ここまでの回答を読んで、ああやはり自分の苦しみは理解されないんだな、東さんも強いひとだからなと感じたかもしれません。しかしそれはまちがっています。最初に記したように、弱い人間がいるわけではありません。だれでも弱くなるときがあるだけです。ぼくだって弱い人間だったときはあった。大事なのはそこから抜けだそうという意志です。このように言うと今度は質問者さんは、そんな意志が湧いてこないのが弱い人間なんだ、だから自分は困っているのだと答えるかもしれなせん。しかし、もしそうだとしたら、質問者さんは他人とのコミュニケーションになにを求めているのでしょう。コミュニケーションは心を開くことからしか生まれない。つながりはつながりの意志からしか生まれない。質問者さんは、自分の行為そのものを裏切っている。質問者さんはここに質問した。それそのものが、すでに質問者さん自身が弱さから抜けだそうとした意志の現れなのです。その意志を大切にして生きていくことが大事かと思います。以上は、思想や哲学や芸術には関係ありません。それ以前の話です。(東浩紀)
東浩紀
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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