「ふと振り返ったら、とても遠くまで来ていました」──新芸術校第1期成果展『先制第一撃』レポート|今井新
初出:2016年3月18日刊行『ゲンロン観光通信 #10』
こんにちは。ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校、カメラマンの今井です。動画よりもひと足先に、メルマガにて新芸術校第1期成果展『先制第一撃』の様子をレポートします。
このレポートは作家個人のプライバシーに踏み込んだ内容となっていますが、これらの情報については成果展当日のステイトメント等で作家自身が発表しており、この原稿で公開することについて事前に承諾を得ています。
初めからこう書いてしまうと誤解を生むかもしれませんが、「先制第一撃」は1年間を通して生徒全員でコツコツと積み重ねた到達点としての展覧会というよりも、2016年の年明けから2月末までの怒濤の流れを経て到達した展覧会でした。その道のりは決して、始まりがあるから終わりがあるだとか、一歩ずつ足を踏み入れて頂上へ到達するなどというように言い表されるものではなく、常に波乱万丈で「駆け上って転んで谷に落ちて、這い上がっていたら濁流に飲み込まれるも、気付いたら自分は滝を上って頂上を目指していた」くらいの例えがちょうど良いでしょう。
新芸術校の授業のカリキュラムは1年を通して綿密に組まれたものです。しかし新芸術校には、そのカリキュラムの流れとは別にもうひとつの流れが存在しました。それは生徒全体の盛り上がり、言わば「教室で起きる波」です。
新芸術校の生徒たちは、美大卒から美術教育を受けた経験のない人まで様々な立場でしたが、全員、共通のハングリーさを持っていました。それは「現状に決して満足せず、己の表現手法をさらなる高みへ到達させたい」という欲求で、幾分の孤独も含んでいると思います。そんな人々がひとつの教室に集まったことで己の境遇と似通った仲間を得た喜びと同時に、それ以上の対抗意識に燃え上がり、春から夏にかけては毎月出される課題で生徒たちは常に競い合っていました。そうしてカリキュラムを燃料に教室は沸き上がり、ひとつの「波」を起こしていたのでした。
しかしその波は中間発表を過ぎ、後期の授業が始まるあたりで少し落ち着き、生徒たちはみなそれぞれ自分の制作に壁を感じ、悩むようになりました。互いの力をある程度把握してしまったからです。自分もまわりもどんな作品が提出されるのかわからない中で全力を出さざるを得ない、そんなかつてあった緊張感はなくなり、モチベーションが少し停滞した時期もありました。そうしているうちに年が明け、危機が訪れました。
それは新芸術校第2期募集に全く人が集まらないという、新芸術校の存続に関わるレベルの危機でした。そうした廃校の危機を乗り越えられたのは、端的に言ってゲンロンの追加宣伝や、ゲスト講師の方々による呼びかけのおかげでした。この危機を知った生徒たちもSNS等によって宣伝をすすめ、その結束によって停滞も緩和され、気が付けば成果展へ向けて作品を作らざるを得ない状況ができあがっていたのでした。
具体的には、宮台真司さんの課題と、卯城竜太さんのワークショップによる効果も大きいです。これら1月に行われた授業ではともに、かなりの難易度の課題が出されましたが、これらを乗り越えてきたことが、新芸術校の熱量を増していったと言えるでしょう。卯城さんのワークショップではちょっとした事件が起きました。生徒のひとり、Y戊个堂(あぼかどう)さん[★1]が「不在」を宣言し、授業を中座してしまった挙句、生徒同士のLINEグループからも退会してしまったのです。じつは、それらはすべてワークショップに応答した作品としての行為で、その後の講評の時間には彼からメールで作品意図が送られてきたのですが、新芸術校のスタッフの間でちょっとした動揺があったのは言うまでもありません。
このレポートは作家個人のプライバシーに踏み込んだ内容となっていますが、これらの情報については成果展当日のステイトメント等で作家自身が発表しており、この原稿で公開することについて事前に承諾を得ています。
教室全体で起きる波
初めからこう書いてしまうと誤解を生むかもしれませんが、「先制第一撃」は1年間を通して生徒全員でコツコツと積み重ねた到達点としての展覧会というよりも、2016年の年明けから2月末までの怒濤の流れを経て到達した展覧会でした。その道のりは決して、始まりがあるから終わりがあるだとか、一歩ずつ足を踏み入れて頂上へ到達するなどというように言い表されるものではなく、常に波乱万丈で「駆け上って転んで谷に落ちて、這い上がっていたら濁流に飲み込まれるも、気付いたら自分は滝を上って頂上を目指していた」くらいの例えがちょうど良いでしょう。
新芸術校の授業のカリキュラムは1年を通して綿密に組まれたものです。しかし新芸術校には、そのカリキュラムの流れとは別にもうひとつの流れが存在しました。それは生徒全体の盛り上がり、言わば「教室で起きる波」です。
新芸術校の生徒たちは、美大卒から美術教育を受けた経験のない人まで様々な立場でしたが、全員、共通のハングリーさを持っていました。それは「現状に決して満足せず、己の表現手法をさらなる高みへ到達させたい」という欲求で、幾分の孤独も含んでいると思います。そんな人々がひとつの教室に集まったことで己の境遇と似通った仲間を得た喜びと同時に、それ以上の対抗意識に燃え上がり、春から夏にかけては毎月出される課題で生徒たちは常に競い合っていました。そうしてカリキュラムを燃料に教室は沸き上がり、ひとつの「波」を起こしていたのでした。
しかしその波は中間発表を過ぎ、後期の授業が始まるあたりで少し落ち着き、生徒たちはみなそれぞれ自分の制作に壁を感じ、悩むようになりました。互いの力をある程度把握してしまったからです。自分もまわりもどんな作品が提出されるのかわからない中で全力を出さざるを得ない、そんなかつてあった緊張感はなくなり、モチベーションが少し停滞した時期もありました。そうしているうちに年が明け、危機が訪れました。
それは新芸術校第2期募集に全く人が集まらないという、新芸術校の存続に関わるレベルの危機でした。そうした廃校の危機を乗り越えられたのは、端的に言ってゲンロンの追加宣伝や、ゲスト講師の方々による呼びかけのおかげでした。この危機を知った生徒たちもSNS等によって宣伝をすすめ、その結束によって停滞も緩和され、気が付けば成果展へ向けて作品を作らざるを得ない状況ができあがっていたのでした。
成果展に至る様々な道のり
具体的には、宮台真司さんの課題と、卯城竜太さんのワークショップによる効果も大きいです。これら1月に行われた授業ではともに、かなりの難易度の課題が出されましたが、これらを乗り越えてきたことが、新芸術校の熱量を増していったと言えるでしょう。卯城さんのワークショップではちょっとした事件が起きました。生徒のひとり、Y戊个堂(あぼかどう)さん[★1]が「不在」を宣言し、授業を中座してしまった挙句、生徒同士のLINEグループからも退会してしまったのです。じつは、それらはすべてワークショップに応答した作品としての行為で、その後の講評の時間には彼からメールで作品意図が送られてきたのですが、新芸術校のスタッフの間でちょっとした動揺があったのは言うまでもありません。
新芸術校があらゆる出自の生徒で構成されているように、新芸術校成果展もあらゆる方面からの戦いになりました。第1期生有志の共同アトリエである「B.Esta337」で制作をしてきた者、地方から新芸術校に通っていることを活かして、他の生徒の作品を道中で受け取りながらトラックで搬入する者、さらには普段から「弓場勇作vs.松本しげる 100番勝負」(http://ybyskmtsmtshgr.tumblr.com)として生徒同士でドローイング対決に勤しんできた者。新芸術校開始から1年の間に様々な関係が生じており、成果展に至るまでの道のりも一筋縄ではいきません。
中でもまわりの生徒たちへ一番影響を与えたのが弓指寛治さんでした。もともと弓指さんはどの課題においても誰より熱量をもって制作し、堀浩哉さんの「100枚ドローイング」の課題の際には1200枚以上のドローイングを提出するなど、新芸術校でも特出した存在感を放っていました。ですが、新芸術校の中間発表が終わった頃、弓指さんは母親を自死により亡くされ、それ以降、彼は新芸術校に来なくなりました。そのことは新芸術校全体に大きなショックを与えました。それでも彼は、それ以降ずっと自宅で巨大な絵画を制作していたのでした。
そうして出来上がった作品が、今回金賞を受賞した弓指さんの絵画作品《挽歌》です。このパネル6枚からなる巨大な絵画は、沢山の鳥のモチーフを中心に画面が構成されており、弓指さんと彼の母の故郷・伊勢の町や宮川を舞台に、巨大な鳥とサソリが対峙する様子が描かれています。鳥は、弓指さんが自死者や自死遺族を救うために描いているモチーフです。火葬場で亡くなった母の遺体を燃やす際、最後に何か絵を描いてあげたいと思えど、頭が真っ白になり何も考えられない中、弓指さんが唯一描くことができたのがこの鳥の絵でした。原画は遺体とともに燃えてしまいましたが、このイメージなら母を救えると思えたという弓指さんは、以来、この鳥しか描けなくなった時期が続いたそうです。鳥に対峙するサソリは、ベトナムの寓話「カエルとサソリ」をもとに業(カルマ)のモチーフとして描かれており、ここでの業とは自死にあたります。つまりこの作品は自死者や自死遺族の業に弓指さんの描く鳥が立ち向かう構造になっており、この作品によって弓指さんは今後も芸術によって人を救い続けると決意したのです。
《挽歌》に対する審査員の方々からの講評としては、まず中間講評会での弓指さんの作品も見ていた岩渕貞哉さんからは「前回は扱った素材を作品でそのまま使ったに過ぎない印象を受けたが、今回は様々なモチーフを通してひとつのテーマを描いたことで、絵画としての強さが見受けられる」と、半年間での成長を認められ評価されました。主任講師の黒瀬陽平からは「私小説的だという意見もあるが、この作品は自死遺族に向けられたものであり、当然そこには自死者より何倍も多くの人間を救うという大きな問題意識が根ざしている」という評価を受けました。ゲンロン代表の東浩紀さんは「弓指さんが鳥のモチーフに取り憑かれた出来事それ自体に、芸術の起源を見出せるのではないか。絵画としての迫力も素晴らしい」と、高い評価を下し、それに重ねるかたちで浅田彰さんからは「鳥は古来から様々な宗教で魂を運ぶ生き物として伝えられている。力強い作品である」とのコメント[★2]が寄せられました。
中でもまわりの生徒たちへ一番影響を与えたのが弓指寛治さんでした。もともと弓指さんはどの課題においても誰より熱量をもって制作し、堀浩哉さんの「100枚ドローイング」の課題の際には1200枚以上のドローイングを提出するなど、新芸術校でも特出した存在感を放っていました。ですが、新芸術校の中間発表が終わった頃、弓指さんは母親を自死により亡くされ、それ以降、彼は新芸術校に来なくなりました。そのことは新芸術校全体に大きなショックを与えました。それでも彼は、それ以降ずっと自宅で巨大な絵画を制作していたのでした。
ひとつの大きな波:弓指寛治
そうして出来上がった作品が、今回金賞を受賞した弓指さんの絵画作品《挽歌》です。このパネル6枚からなる巨大な絵画は、沢山の鳥のモチーフを中心に画面が構成されており、弓指さんと彼の母の故郷・伊勢の町や宮川を舞台に、巨大な鳥とサソリが対峙する様子が描かれています。鳥は、弓指さんが自死者や自死遺族を救うために描いているモチーフです。火葬場で亡くなった母の遺体を燃やす際、最後に何か絵を描いてあげたいと思えど、頭が真っ白になり何も考えられない中、弓指さんが唯一描くことができたのがこの鳥の絵でした。原画は遺体とともに燃えてしまいましたが、このイメージなら母を救えると思えたという弓指さんは、以来、この鳥しか描けなくなった時期が続いたそうです。鳥に対峙するサソリは、ベトナムの寓話「カエルとサソリ」をもとに業(カルマ)のモチーフとして描かれており、ここでの業とは自死にあたります。つまりこの作品は自死者や自死遺族の業に弓指さんの描く鳥が立ち向かう構造になっており、この作品によって弓指さんは今後も芸術によって人を救い続けると決意したのです。
《挽歌》に対する審査員の方々からの講評としては、まず中間講評会での弓指さんの作品も見ていた岩渕貞哉さんからは「前回は扱った素材を作品でそのまま使ったに過ぎない印象を受けたが、今回は様々なモチーフを通してひとつのテーマを描いたことで、絵画としての強さが見受けられる」と、半年間での成長を認められ評価されました。主任講師の黒瀬陽平からは「私小説的だという意見もあるが、この作品は自死遺族に向けられたものであり、当然そこには自死者より何倍も多くの人間を救うという大きな問題意識が根ざしている」という評価を受けました。ゲンロン代表の東浩紀さんは「弓指さんが鳥のモチーフに取り憑かれた出来事それ自体に、芸術の起源を見出せるのではないか。絵画としての迫力も素晴らしい」と、高い評価を下し、それに重ねるかたちで浅田彰さんからは「鳥は古来から様々な宗教で魂を運ぶ生き物として伝えられている。力強い作品である」とのコメント[★2]が寄せられました。
第1会場となったゲンロンカフェでは、《挽歌》から鳥が飛び出しているかのように、鳥たちが天井から吊るされていましたが、これらは弓指さんの作品ではなくALI-KAさんの《御神座 Go-Shin-Za》の一部です。ALI-KAさんは《挽歌》の描かれたパネルの裏に、新芸術校の生徒やカオス*ラウンジの作品を徹底的に壊したものを敷き詰め、天井から吊るされた鐘と鐘の内側の闇によって「あの世」を表現しました。この絵の裏側の空間にも鳥たちは吊るされています。
じつは《挽歌》を取り巻くように吊るされたこの鳥たちと、絵を取り囲むように並べられている大量の靴の数は一致しており、それらが1日に66羽/足(日本の1日平均の自死者の数と同じ)ずつ、絵の表側から裏側へ、あるいは裏側から表側へと移動します。1足があの世の入り口に脱がれると、1羽があの世からこの世へと飛来する。そのことを通じて、この世とあの世を、断絶しているのではなく循環するものとして表現しています。ALI-KAさんの義母も自死されており、吊るされて移動する鳥たちはすべてALI-KAさんが奥様と共に制作されたものです。
弓指さんのコンセプトに対応した作品はもうひとつあります。和田唯奈さんの絵画作品《母の恋》です。自身の家庭環境にトラウマを抱えていると同時に、家庭を支える母親を強く尊敬していた和田さんは、1年を通してトラウマに少しずつ向き合いながら作品を成長させ続けていました。また、和田さんは弓指さんのことが好きで、ずっと心配していました。そして、自分の母親がそうであるように、自分自身も目の前の弓指さんを支えたいと思い、《母の恋》を描いたのでした。
このように『先制第一撃』では、金賞を獲得した弓指さんの作品を中心に、複数の作品が対応関係にあり、これが成果展で最も大きな波となったのでした。
それに対して銀賞を獲得した作品《GPの咆哮》は、そのような弓指さんを中心とした作品の波や、新芸術校やカオス*ラウンジの結束力そのものを対象にした、批判性を持った作品でした。作者はなんと卯城さんのワークショップで「不在」を宣言して以来、新芸術校からは姿を消していたY戊个堂さんです。
Y戊个堂さんはネットのユーザー生放送の配信者で、沢山の視聴者数を誇っています。その視聴者たちはみな、自分自身を「GP」と名乗り、Y戊个堂さんを「GP総帥」と呼ぶのでした。新芸術校やカオス*ラウンジによる結束や波を、GP総帥として生放送と視聴者からなる組織のトップに君臨する身として見てきたY戊个堂さんの作品は、GPたちに作品を作らせ2.5トントラックのコンテナ内でその展覧会を開くというものでした。つまり成果展の仕組みや構成にそのまま対応する展覧会を開くことで、成果展の仕組みそのものに揺さぶりをかける作品を作ったのです。
じつは《挽歌》を取り巻くように吊るされたこの鳥たちと、絵を取り囲むように並べられている大量の靴の数は一致しており、それらが1日に66羽/足(日本の1日平均の自死者の数と同じ)ずつ、絵の表側から裏側へ、あるいは裏側から表側へと移動します。1足があの世の入り口に脱がれると、1羽があの世からこの世へと飛来する。そのことを通じて、この世とあの世を、断絶しているのではなく循環するものとして表現しています。ALI-KAさんの義母も自死されており、吊るされて移動する鳥たちはすべてALI-KAさんが奥様と共に制作されたものです。
弓指さんのコンセプトに対応した作品はもうひとつあります。和田唯奈さんの絵画作品《母の恋》です。自身の家庭環境にトラウマを抱えていると同時に、家庭を支える母親を強く尊敬していた和田さんは、1年を通してトラウマに少しずつ向き合いながら作品を成長させ続けていました。また、和田さんは弓指さんのことが好きで、ずっと心配していました。そして、自分の母親がそうであるように、自分自身も目の前の弓指さんを支えたいと思い、《母の恋》を描いたのでした。
このように『先制第一撃』では、金賞を獲得した弓指さんの作品を中心に、複数の作品が対応関係にあり、これが成果展で最も大きな波となったのでした。
ダークホース:Y戊个堂
それに対して銀賞を獲得した作品《GPの咆哮》は、そのような弓指さんを中心とした作品の波や、新芸術校やカオス*ラウンジの結束力そのものを対象にした、批判性を持った作品でした。作者はなんと卯城さんのワークショップで「不在」を宣言して以来、新芸術校からは姿を消していたY戊个堂さんです。
Y戊个堂さんはネットのユーザー生放送の配信者で、沢山の視聴者数を誇っています。その視聴者たちはみな、自分自身を「GP」と名乗り、Y戊个堂さんを「GP総帥」と呼ぶのでした。新芸術校やカオス*ラウンジによる結束や波を、GP総帥として生放送と視聴者からなる組織のトップに君臨する身として見てきたY戊个堂さんの作品は、GPたちに作品を作らせ2.5トントラックのコンテナ内でその展覧会を開くというものでした。つまり成果展の仕組みや構成にそのまま対応する展覧会を開くことで、成果展の仕組みそのものに揺さぶりをかける作品を作ったのです。
事実、《GPの咆哮》は実に感動的で力強い作品でした。展示の存在そのものが熱量を持ち、鑑賞者を圧倒したのです。ゲンロンカフェと五反田アトリエの2ヶ所で審査をして、審査員一同、話し合いながらいざオフィスに帰って打ち合わせをしようという帰路の途中、目の前にトラックが止まったのです。まさかこれが作品なのか? と疑問を持つ間もなく、その荷台の扉は大きく開き、そこにはY戊个堂さんが紋付袴姿で仁王立ちして待っていました。さらに彼の隣には、半裸で自転車を漕いでいる男が、体に電飾を巻いて、自らの発電で輝いていたのでした。
直後、「すげえ!」と歓声を上げ、感極まって我先にと荷台へ乗り込む東さんと、怪訝な顔をしてゆっくりトラックに向かった浅田さんが対照的でしたが、その興奮はその場にいた全員に伝わりました。GPたちの作品は絵画、漫画、映像、書、半裸自転車男などと多彩で、半裸自転車男は「自分にできることはこれしかない。せめて明るさを自分で足そうと思った」という理由でペダルを漕ぎ続けていました。GPの個々の作品を単体で鑑賞するならば、成果展の他の作品より劣る点も見受けられます。しかしGPの総体として発揮されたインパクトは凄まじいもので、審査員たちの鑑賞体験を塗り替える威力を誇っていました。
審査員の中では、夏野剛さんがこの作品を大きく評価し、「他のコミュニティからは一見わからないものに様々な意味が込められていたり、同じコミュニティ内でも理解されない/できないが、外から面白いとわかるものが入っていたり、統一のない集合感がとても大きな力を見せている。他の会場の作品の深い意味合いをすべて破壊する力があった」と絶賛。同じく高い評価を下した東さんからは「第3会場を勝手に作ってしまうことは言わば新芸術校のパロディであり、新芸術を取り巻く環境全体を笑い飛ばす、痛烈な批判ではないか。単なる悪ふざけではなく知的な試みである」とのコメントがなされました。
講評会ではふるわずとも、展覧会が始まると、来場者からかなり注目された作品もありました。来場者投票による最多得票数(浅田彰審査員賞を受賞した鈴木薫さんと同率1位)を得た松本しげるさんの《自走するユートピア》&《画像山御来光》です。ターポリンに印刷された巨大なデジタルコラージュ絵画の前を「ユートピア」と書かれたのぼりをつけたルンバが走り続けるインスタレーションです。この作品は、インターネットの風景をモチーフにして、ユートピアのビジョンを描いています。《自走するユートピア》こと、絵の前を走るせいで鑑賞の邪魔となるルンバは、インターネットを「時に鬱陶しい存在である、無場所的な祝祭空間」ととらえた作品であり、奥にある絵画作品《画像山御来光》は参詣曼荼羅をモチーフに、自分が出勤する際に駅のホームの外側に立ち現れるユートピアのビジョンを描いたものです。松本さんは絵解きよろしく、その細かいコラージュをひとつひとつ丁寧に来場者へ説明しており、その刹那的なユートピアのビジョンに心を打たれた来場者は非常に多かったのでした。
直後、「すげえ!」と歓声を上げ、感極まって我先にと荷台へ乗り込む東さんと、怪訝な顔をしてゆっくりトラックに向かった浅田さんが対照的でしたが、その興奮はその場にいた全員に伝わりました。GPたちの作品は絵画、漫画、映像、書、半裸自転車男などと多彩で、半裸自転車男は「自分にできることはこれしかない。せめて明るさを自分で足そうと思った」という理由でペダルを漕ぎ続けていました。GPの個々の作品を単体で鑑賞するならば、成果展の他の作品より劣る点も見受けられます。しかしGPの総体として発揮されたインパクトは凄まじいもので、審査員たちの鑑賞体験を塗り替える威力を誇っていました。
審査員の中では、夏野剛さんがこの作品を大きく評価し、「他のコミュニティからは一見わからないものに様々な意味が込められていたり、同じコミュニティ内でも理解されない/できないが、外から面白いとわかるものが入っていたり、統一のない集合感がとても大きな力を見せている。他の会場の作品の深い意味合いをすべて破壊する力があった」と絶賛。同じく高い評価を下した東さんからは「第3会場を勝手に作ってしまうことは言わば新芸術校のパロディであり、新芸術を取り巻く環境全体を笑い飛ばす、痛烈な批判ではないか。単なる悪ふざけではなく知的な試みである」とのコメントがなされました。
現場の勝利:松本しげる
講評会ではふるわずとも、展覧会が始まると、来場者からかなり注目された作品もありました。来場者投票による最多得票数(浅田彰審査員賞を受賞した鈴木薫さんと同率1位)を得た松本しげるさんの《自走するユートピア》&《画像山御来光》です。ターポリンに印刷された巨大なデジタルコラージュ絵画の前を「ユートピア」と書かれたのぼりをつけたルンバが走り続けるインスタレーションです。この作品は、インターネットの風景をモチーフにして、ユートピアのビジョンを描いています。《自走するユートピア》こと、絵の前を走るせいで鑑賞の邪魔となるルンバは、インターネットを「時に鬱陶しい存在である、無場所的な祝祭空間」ととらえた作品であり、奥にある絵画作品《画像山御来光》は参詣曼荼羅をモチーフに、自分が出勤する際に駅のホームの外側に立ち現れるユートピアのビジョンを描いたものです。松本さんは絵解きよろしく、その細かいコラージュをひとつひとつ丁寧に来場者へ説明しており、その刹那的なユートピアのビジョンに心を打たれた来場者は非常に多かったのでした。
最後に
新芸術校で起きた波は弓指さんを中心に勢いを増して成果展を支配し、それと真っ向から争ったY戊个堂さん、そして、来場者の心には松本さんのビジョンも響いたのでした。各審査員の心を打った作品には、講評会で審査員賞が授与されました。浅田彰賞が鈴木薫さん《七つ森》へ、夏野剛賞が和田唯奈さん《母の恋》へ、岩渕貞哉賞がmgr(めぐる)さん《そのものの名を呼ばぬことに関する》へそれぞれ贈られました。
僕は新芸術校におけるほぼすべての授業を撮影し、1ヶ月ごとにドキュメンタリー映像を制作してきました[★3]。編集等の作業によって授業の様子を何度も見返しました。もしかすると僕は、どの生徒よりも長く新芸術校のことを見ていたのかもしれません。にも関わらず、成果展がこんなにも力強く、多彩な結果を生むものになるとは一切予想がつきませんでした。新芸術校について一言でまとめるとしたら「意外性」という言葉がしっくりくるのかもしれません。
このように様々な方向へあらゆる波が押し寄せた、新芸術校第1期成果展「先制第一撃」は2日間で437名の方々にご来場いただきました。果たしてこの波は来年の新芸術校へどう影響するのか。まだまだ新芸術校から目が離せませんね。
★1 Y戊个堂(あぼかどう)さんの「あ」の字は、本来は漢字表記ですが、表示上の制約から「Y(ワイ)」に置き換えさせていただきました。またその際、「あ」の字をYで代用することに関しては、ご本人から、Y戊个堂を名乗り始めた当初から正式に認めていることであり、「Y」で代用された場合には「ワイボカドウ」と読まれることも了承している旨、お知らせをいただいております。(編集部)
★2 浅田彰さんには、3/16(水)掲載のウェブマガジン「REALKYOTO」の連載を通じて、さらに詳細なご講評をいただきました。(編集部) 「先制第一撃批判──新芸術校成果展講評の余白に」
★3 今井新さん制作の「新芸術校」密着ドキュメントはVimeoの動画アーカイブにて公開中です。(編集部) #1 https://vimeo.com/129234802 #2 https://vimeo.com/134096300 #3 https://vimeo.com/135995492 #4 https://vimeo.com/138741810 #5 https://vimeo.com/146408353 #6 https://vimeo.com/149008571 #7 https://vimeo.com/151378790 #8 https://vimeo.com/156666294 #9 https://vimeo.com/158740322
今井新
1992年生まれ。美術家、映像作家。東京芸術大学大学院メディア映像専攻修了。2009年より都市における様々な事象を「取材」し、映像や漫画によって再構成する形式の作品に取り組み続けている。主な作品に、《トラベル・オン・ザ・ディスプレイ》(2013年)、《アイアムジョンキャントリー》(2015年)、《関内で暮らす二人について》(2020年)など。