福島第一原発観光地化計画の哲学(1) 私はなぜ丹下健三に学ぶのか(後篇)|藤村龍至+東浩紀
初出:2014年3月1日刊行『福島第一原発観光地化計画通信 vol.8』
建築家の役割とは?
東浩紀 藤村さんはかねてから、理想の建築家像として「グーグル的建築家」を提唱し、その方法論として「超線形設計プロセス」を打ち出しています。人々の集合的な無意識を吸い上げ、それを建築の形態に反映するようなアーキテクトこそが、これからの時代にふさわしいとおっしゃってきた。しかし、今回のふくしまゲートヴィレッジは、明らかに異質な方法論で作られています。
藤村龍至 今回も、自分の確固たるアイデアを提出するというよりも、ほかの委員の話を聞いて、いろんなインプットを受けてまとめていくという形式を取りました。プロセスとしては従来とそう変わらないと思います。
ただ、はじめて「グーグル的建築家」という像を提案した時点から、単なる集合的無意識に従うようなものとは距離を取りたいと思っていました。グーグル的であるということは、意図を持ったアーキテクトが世論とつきあうための方法論のひとつなんです。ただ、今回はモニュメンタルなものをつくるのが目的のひとつだったので、その点ではかなり試行錯誤がありました。
東 試行錯誤について詳しく教えてください。ふくしまゲートヴィレッジを造形的な観点で見てみると、上空から見た際の勾玉のような形態や、博物館棟の出雲大社を思わせる屋根など、日本的でかつ前近代的な意匠が前面に押し出されています。
藤村 丹下さんの時代にも、伝統ある木造の建築を耐震耐火性能のある近代的な鉄筋コンクリート造にどう置き換えるかという問題はありました。しかし今回の狙いはそれとは違います。現代では、スパリゾートハワイアンズが「ハワイ」のイメージに加えて「江戸」的な意匠をまとった温泉と融合して動員を増やしたように、和風の意匠は記号として、市場の中で強い価値を生み出しています。とくに観光地との親和性が高いこともあり、今回はそれをうまく取り入れることを、テーマのひとつと捉えていました。
東 今回はJヴィレッジの跡地を再利用するプランでした。Jヴィレッジが持つ土地独特の力についてはどう感じておられましたか。
藤村 特徴的なのは、サッカーのフィールドは平面でなければならないので、敷地が平らに造成されていることです。Jヴィレッジの雰囲気は丘陵地のニュータウンにすごく近い。そういう意味では、近代を経た日本の空間そのものを体現しているような場所という感覚があるんです。アプローチのカーブも、まるでニュータウンの入口のようです。
東 ニュータウンも典型的な大規模開発のひとつです。藤村さんはいままで、「グーグル的建築家」という言葉にも象徴されるように、どちらかというと草の根型の、学生や住民など多くの関係者が設計プロセスに参加する方式を支持してきた。ところが、今回はそうではなく、大文字の「建築家」としてふるまっていたように思います。国や東電を支援する、という発言もその流れの中で出てきたものだと思いますが、心境の変化があったのでしょうか。
藤村 わたしが「グーグル」と言うときには、ユーザー側の視点よりも、アルゴリズムの設計者の方に、より強く感情移入しています。どうすればユーザーのコミュニケーションをスムーズにできるのか。ボトムアップ型で草の根支援をするのは重要です。しかし行政側に立つと、プロジェクトをスムーズに推進するためには、いまや強い権力を持つ市民たちとうまくコミュニケートしなくてはならない。そのための方法論が「グーグル的建築家」像であり、超線形設計プロセスです。
丹下健三ならばそれは統計的アプローチであり、黒川紀章であればメディア型の手法だっただろうし、磯崎新ならばハイアートの結びつきであった。その現代バージョンが、ボトムアップ型のアプローチを取り入れることで、コミュニケートしながら思想を伝えていくことだと思っています。
東 これからの時代、建築家が生き残っていくためには、草の根から建築が出てきた「かのよう」なふりをしなければならない、ということでしょうか。
藤村 その通りです。ただ、アイディアは与えられたものであっても、それがあくまで自分たちの手で考えられたと感じられるくらい、じっくりと議論するプロセスが必要です。鶴ヶ島プロジェクトを例に取ると、たとえば公共の資産を減らさなければならないという現実的な問題があったとします。しかしそれに対して、一般の市民は当然反対する。それをマクロな問題として理解してもらって話を先に進めるのが、プロジェクトの意義です。たんに数字を調整したり、サービスをカットしたりしたいわけではなく、それを実現することで可能になることがあるのだ、というポジティブな見解が共有されれば、合意形成も可能になる。だから、政策立案をするのはあくまで行政やアーキテクトの側で、その合意を形成するための手法だ、と考えています。
これはすべて裏で決めたあとにアリバイ作りのためにパブリックコメントを取るような手法とはまったく違います。わたしは本当にボトムの段階からユーザーの声を聞くべきだし、その方がおもしろいもんができると思っています。ただ、それはよほどユーザーを信頼し、かつどんな意見が出てきてもまとめあげるだけの自信がなければ、よい結果を導くことはできないでしょう。ユーザーだけでの想像力には限界があり、同様にアーキテクトだけでの想像力にも限界があります。ユーザーとの対話の中でアーキテクトが想像力を働かせていかなければ、最終的な「かたち」は出てこないと思うんです。
藤村 建築家は、根源的にはかたちを設計する職業です。ただ、かたちを考えるときには、いきなり一方的にイメージを押し付けるのではなく、ユーザーの要望をまとめながら、こちらの視点を混ぜ込み、秩序を持ったかたちをつくりあげていきます。それは先立ってあるものではなく、対話の中で生成されるものだと思います。
東 藤村さんにとってかたちはあくまで結果として出力されるもので、個人的な好き嫌いはない、ということでしょうか。
藤村 そう言うと語弊があります。好きなかたちを提出するのではなく、対話を重ねながら、好きだと感情移入できるかたちほうになんとなく誘導していく。しかしその過程で、ユーザー側に誘導されていくこともある。その「半分受身」のスタイルでやっています。だから、毎回かたちが出てくるたびに発見がある。
丹下さんと磯崎さんを比べると、丹下さんは自分の好きなプロポーションに対して自覚的で、そのかたちに建築を近づけていく傾向がある。それに対して磯崎さんは、対話の過程で出てきたかたちにのっかって、それをどんどん展開していく。
東 藤村さんの方法論は丹下さんよりも磯崎さんに近い?
藤村 そうですね。私も対話を始める時点ではゴールイメージを描きませんので磯崎型だと思います。 丹下さんやミース・ファン・デル・ローエのように、そのひと特有の素材やディテールを持つ建築家は、ある種の統一されたイメージはつくれるのだけれど、発注者の意見があるから、自分の好きなプロポーションを完全に実現することができない。ストレスが溜まりそうです。逆に磯崎さんやレム・コールハースのようにゴールイメージを持たない建築家は、設計のプロセス自体を楽しむことができる。その方がコミュニケーションが起こりやすく、ポストモダンの状況で仕事をする上では有益で、かつポジティブではないかと思います。
動員のための設計
東 最後に、いくつか大きなテーマについてうかがいたいと思います。今回提案されたふくしまゲートヴィレッジが実現するかどうかとは別に、建築が福島の復興にあたってどんな役割を果たすのか、藤村さんの言葉であらためて聞かせていただけますか。
藤村 先ほどの話と重なりますが、現場に人を動員することに尽きると思います。そしてそれによって、場所のイメージを変える。宗教施設は典型的な例ですが、建築はその場所にひとを集め、何度も繰り返し巡礼させることができる。
東 最近は「コンテンツツーリズム」という言葉も生まれているように、建物などなくても、そこを舞台にアニメやゲームを作ったほうが動員に有利だという見方もあります。
藤村 もちろんいろいろな見方があるでしょうが、コンテンツにそこまでの力があるでしょうか。動員のためにはそれに応じた空間設計が必要です。
いま、日本では定住人口1人あたりの年間消費額は、平均120万円とされています[★1]。これに対して、観光客を呼び込んで1回5万円使ってもらったとすると、24人で1人分になります。つまり、日本の定住人口を1人増やすのと、観光客に24人多く来てもらうのは消費額という観点からは同じ効果がある。
いま日本では、GDPに占める観光産業の割合が5%です。訪日外国人は1000万人ですね。しかしフランスでは年間8000万人が来ています。政府は2020年までに訪日外国人を2000万人にしたいと発表していますが、これは現実的にきちんと考えなければならないテーマです。戦後日本は農業国から工業国への転換に成功しましたが、これからどう展開していくかを考えると、観光は日本が食べていくためのひとつの方策だと思います。そしてその動員のための装置として、建築の意味を捉え返す必要があるのではないか。福島第1原発を「コンテンツ」と捉える、というと語弊があるかもしれませんが、ヒロシマがそうであったように、フクシマは日本にとっての観光資源のひとつになりうる。そういう意味では、福島はこれからの日本がどういう自己イメージを持ち、どうプレゼンテーションしていくかを考えるうえで、きわめて重要な位置を占めると思います。
東 評論家の福嶋亮大さんは、近著『復興文化論』で、西洋哲学は「住む」ことを人間の根本的な存在様式として捉えているが、日本の文化では宿に「泊まる」ことの方が基本的なあり方なのではないか、と指摘しています。ハイデッガーは「言葉は存在の家(ハウス)である」というテーゼに象徴されるように、人間が一箇所で「住む」ということを中心に考えていた。けれど日本では旅をして「泊まる」ことの方が自然で、それは「やどる」という言葉が「夜取る」「屋取る」に通じることからも明らかだ、というわけです。
これは興味深い指摘です。日本は観光産業が盛んで、みんな旅行をしておみやげを買ってくるのが好きですよね。ヨーロッパの建築が「住まう」ことを基本として組み立てられているのだと考えれば、日本人は逆に、「泊まる」ための建築、つまり観光のための建築の可能性について考えるべきかもしれない。原発被災地の復興についても、街を再生したり、ひとを定住させることに思考が向きがちですが、放射線量などさまざまな条件があり、なかなか話が進まない。しかし観光客が短期滞在するだけであれば、多くの課題はクリアできる。
藤村 近代化が進み、さらにこれから国際化が進展しひとの流入が増えてくると考えると、これからどんどん「故郷」を持ちにくい時代になってくるのではないかと思います。つまり、だれもがつねに旅をしているような状態です。そこでひとを動かし、経済を活性化していくことについてはもっと考えていかねければならない。定住人口を増やすことにこだわり、雇用を増やして税収を上げることばかりに目を向けるのではなく、ひとが動いて消費をすることで経済が回っていくような、そういう空間設計のあり方に転換していかなければならないと思います。
藤村 現在の大都市は大規模発電を前提としています。そのために原子力発電が要請されたのも当然です。もし東京のような大都市を解体してもよいのであれば、原子力は必要なくなるのかもしれない。しかし、これからも高度に人口が集積した大都市を前提に生きていくのであれば、大規模発電に反対するのは矛盾した行為です。脱原発と脱大都市はセットです。日本を本当に多極化し、ローカルな経済圏を復活し、大都市を解体させなければ、いまの原発を解体することはできません。
他方で、この前福島第二原発を取材し、戦後日本はこういうものをつくってきたのだと、強烈な感慨を抱きました。原発は、ものづくりに注力してきた戦後日本のひとつの象徴で、超高層ビルや新幹線のような、日本が誇るプロダクトのひとつであり、その事実は今後も変わらない。そこから目を背けても仕方がない。ただ、それを今後も日本の商品として送り出すのかどうかはまた別の問題です。個人的には、事故を起こしてしまった原子力発電よりも、新幹線技術の輸出の方が象徴としては有力だろうと思います。
東 最後の質問です。藤村さんは震災後、福島を含む東北地方を何度も訪れていますよね。そこで被災地がもともと持っていた土地の力や、そこに住む人々、その歴史についてどう思われましたか。ふくしまゲートヴィレッジには、福島的、東北的な意匠がほとんど取り入れられていません。そこに違和感を持つ方もいると思います。
藤村 最近の例を挙げると、香川県は「うどん県」として売りだしていますが、うどんの原料はオーストラリア産の小麦です。こういう例はいくらでもあって、場所性とオーセンティシティを結びつけるのはあまり好きではありません。たとえば、鶴ヶ島市でプロジェクトを手がけているときに、「鶴ヶ島らしい建物」しか作ってはいけないというのは、とても抑圧的な言説です。最近のワークショップでは、現地の方と対話するうちに、かたちのイメージが三通り出てきました。それは「教会」と「駅舎」と「路地」だったのですが、じつはこれはいずれも鶴ヶ島の現場周辺にはない。しかしそれを組み合わせて建築を構想しようとすると、その場所にないものを構想するのはけしからんと批判されることがある。そういう、歴史性や正統性に過度に重きを置いた態度については疑問があります。むしろ場所の力に対して、あまり信頼を置きすぎないほうがいい。むしろ警戒したほうがいい。
もちろん、まったく無関係な場所にギリシャの街を再現します! と言っても無意味ですが、なんらかのフックで立ち上がった、偶発的な場所性は大切にしたほうがよいし、それを育てれば、動員のちからになる可能性がある。福島における原発は、関東との位置関係や歴史的な背景と関連していますが、一方でこのような事故が起こり、いまのような複雑な条件に置かれたのは偶然でもある。その偶然から立ち上がった状況を逆手に取って、人々が福島に来るきっかけになれればいいと思っています。
東 なぜハコモノなのか。なぜニュータウンのような建物なのか。そしてなぜ建築家が福島について考えているのか。多くの読者が感じる疑問について、クリアにお答えいただけたと思います。これからの福島を考えるうえでは、外部からどう人を連れてくるかが重要になります。新しい視点からの提案を積み重ねていければと思います。
2013年12月20日 東京 藤村龍至建築設計事務所
構成・撮影=編集部
★1 総務省統計局「家計調査(平成23年度)」による。
藤村龍至
東浩紀