滋賀県民はどこから来たのか 滋賀県民は何者か 滋賀県民はどこへ行くのか|天沢時生

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私事だが昨年末に結婚した。いまは妻と二人で滋賀に住んでいる。
昨年12月に東京ビッグサイトで開催された文学フリマでは二人ともの恩師である大森望さんをはじめ、多くの友人や知人に祝福してもらい、おかげで俺たちはとても幸福な時間を過ごすことができた。けれども反対に呪いをかけてくる奴もいた。その女性は最初、俺と妻に「おめでとうございます」と声を掛けてきたが、これは懐に忍ばせた鋭利な刃を隠すためのフェイクだ。続く言葉に驚いた。彼女は妻に向かってこう言ったのだ。
「ほんまに滋賀に住むんですか。都落ちやないですか」
そしてアハハと空々しく笑った。唖然と言葉を失う俺を視界の外に追い出して、彼女はさらに妻に向かってこんな提案をした。
「今度関西女子会しよ。みんなで旦那の悪口を言い合いましょう」
兵庫県民だという。「大阪で会いましょう」と締めくくって彼女は立ち去った。兵庫ですか。大阪ですか。その夜、俺は悔し涙で枕を濡らした。
ゲンロン編集部から依頼を受け取ったのは、あの屈辱と挫折の日から僅か10日後のことだ。「関西とSFについて書いてほしい」とのことだが、俺は今回、SFのことなんて書かないぞ。兵庫県民に対する胸いっぱいの怨念を抱いて、「滋賀VS関西」を全力で書く。
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「関西」について考え始めた時、まず思い当たったのは、俺は関西に対する帰属意識が薄いということだ。なんなら近隣他府県に対して謎の対抗意識さえ抱いている。これらは滋賀県民特有のものだろうか。気になったので関西の作家数人に同じ問いをぶつけてみた──関西についてどう思うよ? 京都に住む作家仲間、麦原遼さんのメールを引用する。
[「関西地方」を]「関東地方」に対抗するようなものとして語っていいものかについてはかなり迷う。現在の関東地方が東京(東京都)を中心にしたものであるとするなら、関西は一つの都道府県を中心にしたものではないように思われる。[中略]京阪神は関東の首都圏に似ているのかなと思ったが、交通網的に全然違う。
とりわけ重要な指摘は交通網の違いだろう。関東の交通網は首都圏を中心に放射状に走っている。鉄道も道路もそうだ。関西はそうではない。滋賀を出て西へ行くと京都、さらに西へ行くと大阪、またさらに西へ行くと兵庫に至る。放射状ではなく横並びだ。滋賀県民的には、奈良や和歌山に行くには電車よりも車の方が遥かにベター、とりわけ後者は同じ関西といえどその印象はほぼ秘境だ。昔、熊野を訪れたことがあるが、あの土地を「地の果て」と呼ぶことには体感的な納得がある。
「京阪神」という言葉にも注目したい。これは関東における「首都圏」と対応する、関西の都市圏の名称だ。大阪市を中心とした都市圏を指す「大阪都市圏」という呼称もあるが、これはほとんど使われない。大阪単独の看板ではなく、京都、大阪、神戸という関西主要3都市の総称がメジャーなのだ。
上記からわかるのは、関西最大の都市は大阪だが、位置関係的にも存在感においても、関東における東京ほどの存在感を持ってはいないということだ。関西に中心は存在しない。
ここで文フリの苦い記憶が思い出される。大阪で会いましょう。大阪が関西の中心じゃないのだとしたら、なぜ彼女はさも当然のように大阪を指定したのだろう。先述の通り、横並びの位置関係は滋賀、京都、大阪、兵庫の順だ。滋賀と兵庫の間に京都と大阪が挟まっている。公平を期するならば、間をとって京都か大阪でやりますか、どちらにしましょうか、という相談がなされて然るべきだ。だが相談はされず、大阪なんだよと彼女は言い切った。これが兵庫・滋賀両県のヒエラルキーにまつわる主張、上下関係をほのめかす言外のマウンティングであることは自明だ。彼女は暗にこう言ったのだ──「頭をたれよ! 三下の滋賀県民よ。我は兵庫県民であるぞ」と。「都落ち」というパワーワードも同じ性根から生まれた。
これで関西が一枚岩でないことがいくらかおわかりいただけたと思う。しかしまだ滋賀県民の、関西に対する帰属意識のなさを説明するには足りないと感じる。そこで今度は「滋賀は関西ではない」とする向きがあることについても考えてみたい。これは主に大阪あたりから聞こえてくるイジり系のディスで、ゲンロン編集部國安さんからの依頼文にも以下の一文がある。
滋賀は関西じゃないというかたもいらっしゃると聞いたのですが、そのあたりのアイデンティティも含めて書いていただけると面白い記事になるのかな、と考えております。
関西じゃないなら滋賀は何なんだ。
滋賀県民はどこから来たのか。何者か。どこへ行くのか。
イケハヤが「まだ東京で消耗してるの?」と都民を煽って早10年、コロナ禍を経てフルリモートワークが広く浸透したこの時世に、それでも「都落ち」と揶揄されるほど滋賀はアカンのか。
これらのことを今回俺は、筆を執る前に県内で体験した二つのイベントを通して考察した。その二つのイベントとは『びわ湖疏水船』と『ミシガンクルーズ』だ。
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滋賀の特色は何かと問われれば、なんといっても日本最大の湖である琵琶湖だろう。
「琵琶湖疏水」は明治時代、豊かな水源を隣接する京都に流すべく作られた水路だ。水を引っ張るだけでなくかつては水運も発達し、それがなくなった今も毎年春と秋に観光船が運航する。
俺がびわ湖疏水船に乗ったのは2023年11月のことだ。集英社の編集者、田中玲遠さんが滋賀にやって来た折に二人で乗船した。
船着き場にほど近い京都の蹴上駅で田中さんと落ち合い、乗船時間までしばらく周囲を散策した。近隣には「蹴上インクライン」が残存する。坂の下の南禅寺から蹴上に向かってつづく全長582メートル、高低差約36メートルの急斜面に、かつてのケーブルカーの線路が形態保存されている。水運の時代、船で運航するには落差が大きすぎるということで、この区間では台車に船を載せて、敷設されたレール上をケーブルで引っ張り上げるというパワフルな運用がなされた。現在インクラインの中は自由に散策でき、ちょっとしたインスタ映えスポットになっている。とりわけ桜満開の季節はよく賑わう。秋晴れのこの日も線路上で写真を撮る人がたくさんいた。
しばらくして乗船時間が近づいたのでインクライン上流の蹴上船溜(乗船所)に向かった。疏水の手前には赤レンガ造りの立派な建造物が建っている。「旧御所水道ポンプ室」といい、昔は京都御所に防火用水を送水した。レトロで瀟洒な見た目だが、2階バルコニーは見かけ倒しの偽物で、そこへ通じる通路も階段もない。嘘バルコニーを横目に船に乗り込んだ。
いざ出航すると、乗船前に見たインクラインもそうだが、「よくもまあここに水路を通そうなんて考えたもんだな」と改めて感じさせられる。というのもこの水路、場所によっては水深僅か1メートルの部分もあり、うっかり通ると船が乗り上げてしまうのだ。ぱっと見平坦な川の上を、船は時折カーブを描きながら進んでゆく。操船には相当なテクを要することだろう。
琵琶湖疏水のルート上には全部で4つのトンネルがあり、琵琶湖に近いものから順に「第一トンネル」、「諸羽トンネル」「第二トンネル」、「第三トンネル」と名付けられている。1970年、経路変更のための改修で新たに開通した諸羽トンネルのみ、番号ではなく当該地区名「諸羽」がそのままトンネルの名前になった。船はまず第三トンネルの出口から入り、数字を逆行する形だ。各トンネルの入口、出口の上には伊藤博文、山縣有朋、西郷従道など明治時代の偉い人の揮ごうとされる扁額が刻まれていて壮観だ。
トンネルで区切られた4つのエリアに着目するならば、第二トンネル〜諸羽トンネル間の山科疏水、東山自然緑地がとりわけ美しい。山と木々に囲まれた風光明媚なロケーションだ。疏水と並走する遊歩道には散歩する人やランニングする人がおり、ベビーカーを押す若い夫婦がこちらに手を振ってくれる。河岸には身じろぎもせずじっと川面を見つめる鳥の姿があった。これは青鷺で、奇しくも同年夏に劇場公開された宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』を観たばかりだった俺たちは、「見てください青鷺ですよ!」「なんかワルイこと企んでそうですね!」とテンション爆上がりだった。
他方、辟易したこともあり、それはトンネル内の行程だ。内壁はコンクリートで覆われておりいかにも下水道ライク、真っ暗で生臭い。だがこれらは事前の想定通りであまり気にならない。気になったのは別のことだ。全部で3本あるトンネルの中でも、最後に通り抜ける第一トンネルはとりわけ長く、全長2.4キロにおよぶ。我らがびわ湖疏水船はこの長尺の闇が虚無の時間とならぬよう、一つの趣向を用意してくれていた。それは英霊の召喚だ。実は疏水船にはあらかじめプロジェクターが搭載されている。第一トンネルに入ると、船上ガイドのお姉さんが満を持してプロジェクターを起動した。煌びやかな大礼服を纏った禿頭、白髭の男の姿がコンクリート壁にバストアップで投影された。彼が往年のギャルゲーよろしく目パチ口パクでのたまうことには、
1、彼の名前は北垣国道、明治時代の京都府知事だ
2、琵琶湖疏水は北垣と京都市が行った一大事業である
3、事業の完遂にあたっては、「未発達な土木技術、貧弱な機械や材料、そして経験の乏しい人民への教育[ママ]」に悩まされてマジ大変だった
俺は打ちひしがれた。「琵琶湖の水止めたろか」というフレーズがある。歴史上の長きにわたり、滋賀県は琵琶湖・淀川水系の治水・水利を巡って京都・大阪と対立してきた。「琵琶湖の水止めたろか」は琵琶湖水源の恩恵をあわよくばまるっと簒奪せんと野心を燃やす両府民に対する、滋賀県民の抵抗の表明、魂の叫びだ。だが北垣の言によれば、そもそも琵琶湖疏水は京都府の事業であり、京都のものだという。
つまり俺たちは琵琶湖の水を止めることができないってこと?
ならば滋賀県民のアイデンティティはどこにあるというのか。結局、北垣が打った長い演説の中に「滋賀」というワードは一度も出てこなかった。「気象萬千」「廓其有容」「随山到水源」──伊藤が、山縣が、西郷が扁額に刻んだ文字が、いまは京都サイドが滋賀に圧をかけるべく用意した権力的後ろ盾に見える。実体を失ってなお現世に留まる明治の英傑たちが、第一トンネルに降霊された元京都府知事の背後でワイングラスを優雅に弄び、クククとほくそ笑む姿が透けて見えるようだった。
暗く長いトンネルを抜けて視界が開ける。滋賀県大津市は三井寺そばの船溜で下船した。ほんの数百メートルの距離をのろのろと、敗北感に打ちのめされた負け犬の足取りで歩き、ついに琵琶湖に至ると、大津港に真っ白な汽船が停泊しているのが見えた。琵琶湖観光船『ミシガン』だ。
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『ミシガンクルーズ』は観光汽船に乗って琵琶湖南部を周遊する船旅だ。滋賀を舞台にして昨年本屋大賞を受賞した宮島未奈さんのベストセラー青春小説『成瀬は天下を取りにいく』の中でもワンエピソードの題材として取り上げられていたから、名前をご存じの方もおられるだろう。
「灯台もと暗し」の言葉通りというべきか、長らく滋賀に住みながら俺は一度もミシガンに乗ったことがなかった。そこで今回、地元県にまつわる新発見を求めて単身乗船した。今年1月のことだ。
大津港に到着したのは出港時間ギリギリだった。大慌てでチケットを購入して船内に駆け込んだ。入口近くに設置された案内板をまず確認する。日本語と英語の二言語表記だが、ここって英語圏だっけと思わず錯覚しそうになる。というのも、1F TOILET、2F MICHIGANHALL、3F CRUISEDECK、4F WHEELHOUSEといった具合に、英語の方がフォントがデカく、日本語はルビとして書かれている。
2階最後尾のパドルウォークでは、この船のトレードマークとなっている赤いパドルを拝むことができる。しばらくするとパドルが水しぶきをあげて回転を始め、船が港を出た。国内では珍しい外輪船だ。「ここは本当に滋賀なのか」という懐疑心は、船内散策を進めるうちにさらに膨らんだ。通路から覗くいくつかの広間には赤い絨毯が敷かれ、豪奢なシャンデリアが煌めく。とりわけ目を引くのは貸切限定の特別室「ロイヤルルーム」に飾られた大絵画だ。横長のキャンバスの上を川が流れ、岸辺に汽船が停泊している。手前の陸地ではテンガロンハットの白人男性たちが荷馬車を降りて商いしている。一見して日本ではなさそうだ。ミシガンか?
チケット購入時に受け取ったパンフレットによると、国内のレストランシップの先駆けでもあるという。ちょうど小腹も空いていたので2階のカフェブースに向かった。メニュー表から『パドルパンケーキ』を選んで注文する。生地に苺を混ぜ込むことでトレードマークのパドルカラーを再現した赤いパンケーキを驚愕の12段重ねにして、傍らに生クリームとソースとベリー類を添えた劇薬だ。お子様ランチよろしくてっぺんに旗が立っている。そのチョイスを多少不思議に思ったが、劇毒をただ一心不乱にむさぼった。
超高カロリーな食事の後、4階建ての最上階まで上って甲板に出た。岸辺はもうすっかり遠く、ホテルやマンションが整然と並び立つ浜大津の街のパノラマが広がっていた。ふくふくとした冬羽のユリカモメが空を飛び交い、西岸に連なる比良山地は雪帽子を被ってすっかり白い。束の間寒さを忘れて見入った。それからしばらくして船内アナウンスが耳に届く。
アナウンスに従って3階の大広間に向かった。シンプルなレクリエーションルームといった趣で椅子がたくさん並ぶ。平日にもかかわらず盛況で、乗客は40人以上いたように思う。子連れのファミリーもいれば海外からの観光客らしき人たちもいた。細長い空間の一番奥には1段高く作られたステージがあり、後方の壁にはこの船のロゴマークが描かれている。茶色い舵を背負った宝の地図風の巻紙に赤文字の船名──MICHIGAN。
何が始まるというのです? 答えはすぐにわかる。ステージ上に3名の人物が登場する。女性一人に男性二人だ。男性たちは揃ってど派手なストライプのジャケットを着込み、女性は若草色のドレスを着て花とフルーツの飾りのついたボーラーハットを被っている。ショーマンと1目でわかる出で立ちだ。
「パーサー」と呼ばれる盛り上げ番長3人組が、間もなく始まる1大ショーのための重要アイテムを乗客全員に配る。たったいま諸君に配布したのは紙と砂で出来た手製のマラカスである、と彼らは言った。リズムに乗って振りまくれ。
そして生歌ライブが始まった。率直に言って激ヤバだった。セットリストは全2曲、『カントリー・ロード』と『ユー・アー・マイ・サンシャイン』、どちらも全編英語で歌われた。全力でマラカス振って、みんな盛り上がっていきまSHOW TIME!! というようなことをパーサーたちは叫んでいたような気がする。俺は煽られるがままに必死でマラカスを振りながら、海外からの観光客と思しき白人のご夫婦を横目に見た。マラカスを振っていた。だがそのノリはどこかぎこちなく、苦笑交じりの表情に戸惑いの色が滲む。俺の心に自ずと「敗戦」の2文字が浮かんだ。
終演後、俺はパーサーのお三方に話を聞きにいった。どういったきっかけでミシガンショーを始めたのですか。先刻の狂熱ライブでメインMCを担っていた、3人組のリーダーと思しき男性が質問に答えてくれた。曰く、彼らは大阪ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの元クルーだ。自然豊かな滋賀に心惹かれ、数年前に移住してきた。その際、滋賀の偉い人といい感じに話をつけてミシガン船内で興業する栄誉を得た。
すごいショーを観賞し、半ば放心状態で俺は船を降りた。去り際に振り返る。急ぎ足のため行きに見逃した、船の偉容を目に焼きつけるために──そして見たのだ。真っ赤なパドルと対極に位置する船首のてっぺんで、風を食べて意気揚々とはためくド派手な国旗を。パドルパンケーキに立っていたのと同じ旗だった。意匠は赤と白合わせて13本の横縞、四角に区切った左上部は青く塗られ、その上で50もの星が煌めく──星条旗だ。
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滋賀県民は自虐ネタが大好きだ。それは「琵琶湖の水止めたろか」の殺し文句にも表れている。だが自虐は地元愛の裏返しであり、必ずしも他府県によるイジリを良しとしているわけではない。「都落ちじゃないですか」と兵庫県民に嘲笑されたら悔し涙で枕を濡らす。「『近畿2府3県』なんて言いますけれども」と大阪府民にボケイジりされたら「滋賀もおんぞ、2府4県や!」と律儀にツッコミながら悔し涙で枕を濡らす。琵琶湖について京都府知事の語ることの中に滋賀が含まれなかった日にもやっぱり悔し涙で枕を濡らす。見えざる権力勾配を幻視して危うく陰謀論者に身をやつしかけながら。
だがいつまでも泣いてばかりいられない。涙を拭いてそろそろ結論に入ろう。
琵琶湖を周遊する観光船「ミシガン」は暗示に溢れている。そもそもの船名がそうだし、船首には星条旗を掲げる。船内では『カントリー・ロード』と『ユー・アー・マイ・サンシャイン』が全編英語で歌われる。パーサーの3人が元大阪府民というのも非常に示唆的、かつここには巧妙なミスリードが含まれる。元USJクルーの肩書きは彼らを大阪の尖兵に思わせる。だが件のテーマパークの母国はどこだったか。
ひとたびミシガン船を離れても暗示は滋賀県内のいたる場所に隠されている。俺の地元でもある近江八幡市は、何を隠そうミシガン州グランドラピッズと姉妹都市の関係にある。隣町の野洲市にあるビーチの名前は「マイアミ浜」で、砂浜には椰子の木が生い茂る。2022年には読売・日本テレビ系の人気番組『秘密のケンミンSHOW極』で滋賀特集が組まれた。「海なし県なのに琵琶湖がハワイ化!? 滋賀県民の真実」と題して、ハワイアンカフェや常夏風リゾートホテルがいくつも立ち並ぶ琵琶湖岸の真実の姿が放映された。これらはすべて本当のことだ。どれほど激しく他府県に攻撃されても俺は絶対に陰謀論者にはならない。
思えば織田信長が南蛮文化を奨励した戦国の時代から、滋賀は異文化交流の盛んな土地だった。メンソレータムを日本に普及させた実業家としても知られる宣教師ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905年に滋賀を訪れてそのままこの地に永住した。1941年には日本に帰化して、以後は「一柳米来留」を名乗った。ファーストネーム「米来留」は「米国より来りて留まる」を意味する。また彼は帰化名の直筆サインをいくつも後世に遺したが、「一柳」と「米来留」の間に、円の中心に点を打つ独特の記号を必ず添えた。ヴォーリズはこの記号に「ここが世界の中心」との意味を込めたという。
ではヴォーリズをして「世界の中心」と言わしめた「ここ」とはどこを指すのだろう。
1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れて、第二次大戦は終戦を迎えた。同年11月、進駐軍が滋賀にやってきた。彼らは滋賀県神崎郡八日市町(現東近江市)に当時存在した大日本帝国陸軍の飛行場を焼き払い、新たな基地を設営した。俺の家は代々大工で、当時まだ若く大工見習いだった俺の祖父は、彼らの依頼を受けて兵舎の修繕に出向いたという。
真実は今後も決して表沙汰にならないだろう。だが散りばめられた数多の〝しるし〟が暗示する。かの国による我が県の統治は水面下で秘密裏に、今日に至るまでえんえん維持されてきた。戦争が終わり、GHQがやってきて80年経つが、未だに滋賀はかの国の占領下に置かれたままだ。
滋賀県民はどこから来たのか。何者か。どこへ行くのか。ここまで読み進めてくださった方ならばもうおわかりですね。
そう、滋賀は関西ではない。我々の帰属意識は関西にはない。我々の帰属意識はあの素晴らしい自由の国にある。従って 「都落ち」などでは断じてない。三下の兵庫県民が、敗戦国の一都市風情が、何が「アハハ」だ俺等を笑うな。 頭をたれよ! 我が名はアメリカ、永遠に星条旗はためく汝らの宗主国である。陰謀論者では断じてない。


天沢時生
2 コメント
- TM2025/05/19 21:01
私は人生における総近畿滞在時間1週間程度の人間です。内なる滋賀性はほとんど小説に寄っていて今回も取り上げられた成瀬シリーズ2作が7割くらい、吉田修一『湖の女たち』が2割5分くらいを占めます。本稿で展開されるアメリカ性、成瀬ではサラリと描かれていたそれ、印象がガラリと変わりました。後ろ盾を持った近畿からの独立ですね。不思議な読後感に包まれています。
- watamama2025/08/18 14:00
これは一体なんの話なんだ、こんな女本当にいるのか?? と、ドキドキしながら読み進めると出るは出るは滋賀の自虐…。なんでもないような國安さんの依頼文も、いつものXでのブラックジョークとも相まって酷く蔑んでいるようにも読めてしまう。 そしてドンデン返しの誇大妄想のオチへ!! 単に面白くも読めるし、地理・歴史をちゃんと押さえ情景が目にありありと浮かぶほど街歩きガイドとしても優れている。 近江大津宮は奈良より古いのであって、昔から有力豪族が住み、(琵琶湖は海と同等に食料が取れ)独自の力強い文化を大昔から形成していたに違いない。 信長の城下町、安土城の想像力、近江商人の町、なんと魅力的なんだ!! 歴史の"If"を駆動させ、さすがSF作家の文章とても面白く読みました。 天沢さんの小説も読みたくなったし滋賀へ行きたくなりました。




