日常の異端性 ──『細雪』 |グレゴリー・ケズナジャット

谷崎潤一郎(1886-1965)
撮影=編集部
家族の小説
谷崎潤一郎の『細雪』は家族の小説と呼んでもいいだろう。作品の中心は、1936年の阪神地方に暮らしている旧家蒔岡家である。大阪を拠点とする本家は長女・鶴子と、鶴子の父親の死後に養子として一家の長となった辰雄に引き継がれており、次女・幸子は、計理士を務める夫・貞之助とともに芦屋に居を構える。辰雄と反りが合わない三女の雪子と四女の妙子はおおかた幸子たちの家に滞在し、三十路を越えてもいまだ結婚が決まらない雪子の見合いが家族の課題になっており、小説の中核をなしている。かつての栄華を失いつつも、蒔岡家はそれでも大阪の名家であり、次々と縁談を持ちかけてもらう。だが相手の生活形式が雪子に合わなかったり、相手の一言で雪子がうんざりしたりするなど、結局は結婚まで至らない。
問題は雪子自身にあるのかもしれない。旧家の古いしきたりを教え込まれた彼女は、より明るくて刺激的な人格が持て囃される社会の風潮の中で取り残されつつある。また、一見従順に見える彼女は芯が強く、ときには頑固さとして表れるこの特徴は縁談を無に帰することがある。雪子の人となりはどこかで時代とずれている。
雪子とは逆に、いかにも近代的な女性である妙子は、由緒ある家で育てられたにもかかわらず人形作りなどの作業で生計を立てることに抵抗がない。雪子のことが決まるまで結婚ができない妙子は繰り返し恋愛事件を起こし、本家と幸子たち分家の関係を掻き乱す。
雪子の結婚問題と妙子の恋愛問題は作品に動きを与える役割を果たすが、上中下の三巻にわたって一つの壮大な物語が繰り広げられているかといえば、そうではない。蒔岡家の世界は、そもそも線的に進むものではなく、季節ごとに微細な変化を重ねながら循環するものである。冬のお正月祝い、春の花見、夏の蛍狩り、秋の茸狩りという風に、その反復が彼らの生活にリズムを与える。一九五七年に『細雪』を英訳したエドワード・サイデンステッカーは最初にその題目を A Dust of Snow と訳したが、それでは原題のニュアンスが伝わらないと判断した彼は最終的に The Makioka Sisters(『蒔岡姉妹』)という大胆な改題に踏み切った。読者は納得せざるを得ないだろう。この作品のフォーカスはあくまで、蒔岡家の四姉妹と彼女たちを囲む世界にある。
戦時下の社会とは対照的な穏やかさ
複数回テレビドラマや映画の原作となっている『細雪』は谷崎文学の言わずと知れた代表作だが、一方で谷崎の他作品に照らし合わせると、本小説が著しく異質なものであるとわかる。谷崎潤一郎の作品といえば、多くの読者は「マゾヒズム」(『痴人の愛』『瘋癲老人日記』)、「スキャンダル」(『卍』『鍵』)、「歴史」(『蘆刈』『武州公秘話』)、あるいはそのすべてを合わせた作品(『春琴抄』『夢の浮橋』)といったイメージを思い浮かべるだろう。しかし『細雪』にはこういった特徴が見受けられない。上方文化の長い歴史がところどころ描かれているし、妙子の言動に谷崎が頻繁に描く「悪女」の面影がないわけではないが、作者が刺激的な場面を一つも挿入することなくこれほどの大作を書き上げたことはむしろ意外だ。この作品に谷崎文学の異端性を求める者はがっかりするかもしれない。
谷崎は1942年に『細雪』の執筆に取りかかったとされている。1943年1月に第一回が『中央公論』に掲載され、続く第二回は3月に無事発表されたが、読者の反響を呼んだからか、官憲の注目を引いてしまった。戦前の中流階級の華やかな暮らしを描いたものとして時局にふさわしくないとされ、第三回の掲載が予定された六月号に「決戦段階たる現下の諸要請よりみて、或ひは好ましからざる影響あるやを省み」掲載を中止するという出版社からのメッセージが載った。
掲載が中止になってからも谷崎は作品の続きを書き進めた。1944年に上巻の私家版を上梓して配布したが、これも問題視され、谷崎は二度としないようにと脅された。しかし「『細雪』を書いたころ」「『細雪』回顧」「疎開日記」などで記録しているように、44年から45年に戦火を避け、転々と引っ越している間も執筆を中断しなかった。そんな状況の中、蒔岡家の穏やかな生活を思い描くことで何らかの安心を得たことは想像に難くない。
本文中の引用は中公文庫『細雪(全)』(1983年)による。


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