あなたがいまここにいないから、わたしはどこにでもいく──『怒りの葡萄』|白岩英樹


ジョン・スタインベック John Steinbeck(1902-68)
引用元=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_Grapes_of_Wrath_(1939_1st_ed_cover).jpg
葡萄の悦び
キリスト教徒ではない私にとっても、葡萄は悦びと歓喜を象徴する果実である。故郷の福島で過ごした小・中・高校時代は、遠来の客を迎えるたび、一家で果樹園へ繰り出し、唇や舌が葡萄の紫に染まるまで房にかじりついた。お盆には、仏壇に供えられた葡萄を従兄弟と分けあった。発熱で学校を休むと、近所の同級生の母親が葡萄の缶詰を届けてくれた。淡い緑に透き通る大粒の果肉がひんやりと甘く、思わず、このまま熱が下がらなければいいのにと願ったほどだ。
故郷を離れ、とりわけ大学院へ入ってからは、打ち上げでほぼ例外なく葡萄酒が供されていた。いま思えば、フランス思想を専攻していた教員の嗜好に合わせて手配されていたのかもしれない。院生たちは、次々と供されるボトルに乗じて、幾度も互いのグラスを満たしあった。しかし、それは刹那的な酔狂ではなかった。もちろん、労を慰めあっていたのは紛れもない事実である。のみならず、しばしば私的な功績とされる論考や作品が、実は広範な共同体の文脈で醸成されていたことを互いに認識しあう行為でもあったのだ。私にとって葡萄とは、成熟と収穫の悦びを分かちあう果実であり、困難からの回復や謝意、再生の祈念を託す象徴である。
放浪する先住民と入植者
のちにノーベル文学賞を受賞したジョン・スタインベックのピューリッツァー賞受賞作『怒りの葡萄』においても、そうした葡萄のイメージは変わらない。一九三〇年代のオクラホマ州で農業を営んでいたトム・ジョード一家は、旱魃や砂嵐に加え、大恐慌と農業の機械化によって耕地を失い、西部への移住を余儀なくされる。広告や新聞からジョード一家が思い描くカリフォルニアは、高賃金の仕事に恵まれ、陽光を浴びた果実を好きなだけ味わえる豊穣の楽園である。
しかし、一家そろっての移動は容易ではない。一切合切を積み込んだ改造トラックは老朽化が激しく、途上で何度も故障する。一家はそのたびに知恵と工夫をこらして、トラブルに対処せねばならない。次第に肉体的な疲労が蓄積し、黒雲さながらの不安が当初の希望を覆い始める。
トムの母親は「あんまりうまい話には、何かあまりうまくないものがあるような気がして、こわくなるんだよ」と不安を打ち明けずにはいられない。対照的に祖父は、葡萄に仮託した素朴な夢を隠そうともしない──「うんとでっかい葡萄を一ふさ、丸ごともぎとって、そいつを顔に押しつけて、思いきり汁を顎からたらしてみてえだよ」。
はたして、葡萄からこぼれ落ちる果汁が祖父の顎を濡らすことはなかった。彼はオクラホマを発ってまもなく、移住者キャンプで絶命し、物語を去ることになる。だが、オクラホマに強い愛着を抱き、最後まで移住を拒んでいたのは祖父だった。
祖父をはじめとする年長の世代は、自分たちの耕地が〈先祖=入植者〉によって先住民族から奪い取った土地であることを誇りにしていた。しかし、農業の機械化が進み、銀行や資本家による土地の支配が定着していく。すると皮肉にも、今度は入植者の子孫が土地を追われ、移住を強いられることになった。ジョード一家が資本の論理によって耕地を収奪され、故郷を喪失した道行きは、かつて集団移動を強いられた先住民の運命を想起させる。
ジョード一家が故郷を追われる約一世紀前、第七代大統領アンドリュー・ジャクソンは先住民の強制移住を断行した。その結果、チェロキー族を含む多くの部族が数百マイルもの移動を強いられ、飢餓や疫病で数千人が命を落とした。
ジャクソンは、先住民を標的とした政策を「文明化」と正当化した。が、実態は暴力による土地収奪と民族浄化にほかならなかった。移住先として指定されていたのがジョード一家の故郷オクラホマである。先住民が辿った道行きはのちに「涙の道」と呼ばれた。かつて彼らが刻んだ喪失と流浪の先に、ジョード一家は自らの足跡を重ねることになる。その軌跡は、アメリカ史の傷痕と交錯しながら、社会制度に孕まれた問題を浮き彫りにしていく。
トムと再会したのちジョード一家に同行した元牧師ジム・ケーシーは、トムの祖父の死に際して、「何に祈っていいか、誰に祈っていいか、わしにはわからねえだ」と心情を吐露する。そして、死後への祈りにとどまらず、内なる衝動に突き動かされながら、現実社会に生きる意義を行動に探し求める。
しかし、不条理な扱いや過酷な環境に抗議しようとしても、誰に訴えればいいのか、対象を特定するのが難しい。彼らの耕地を荒らし、家屋を倒壊させたのはトラクターだ。だが、たとえそれを破壊したとしても、新たなトラクターが工場から送り込まれるだけである。しかも、運転手は生活のために雇われた代理人であり、彼らを憎んでも解決には至らない。トラクターや運転手の背後を辿れば、地主や銀行、資本家に行き着くが、資本の論理によって巧妙に構造化され、ジョード一家に抗う術はない。
さらに、カリフォルニアへ辿り着いたジョード一家を待ち受けていたのは、過酷な搾取と差別であった。夢にまで見た果樹園では、労働者が極端な低賃金で酷使されている。その裏で農場主たちは、労働者を大量に集めて競争を煽り、彼らの団結を阻止していた。移住者キャンプの衛生環境も劣悪きわまりない。加えて、オクラホマ出身者はオーキーと蔑称され、排除すべき脅威と見なされる。こうした非人間化のプロセスは、資本と排除の論理が結託することで強化され、移住者を支配する構造的暴力として土地に深く根づいていた。
ジョード一家がカリフォルニアで直面した窮状は、かつて南部のプランテーションで黒人奴隷がさらされた苦境と交差する。多くの黒人奴隷は、法的な逃亡禁止に加え、現世の辛苦に耐えれば死後に救済されるという言説に縛られ、自ら自由を放棄せざるを得なかった。それに比して、ジョード一家には移動の自由が認められていた。が、資本の論理によって低賃金労働に縛りつけられ、実質的な選択肢を失っている。法的には自己決定の権利が存在するにもかかわらず、搾取的な経済構造に囚われ、彼らの手中には形骸化した自由しか残っていない。それでもなお、合法的な手段を駆使して人間を統制する仕組みは際限なく強化され、次第にその支配力を増していく。
暴発から社会変革へ
ジョード一家が夢見たカリフォルニアは、確かに肥沃で、作物が豊かに実っている。しかし、それらがもっとも必要な人々に届くことはない。何十万もの人々が飢えに苦しみ、子どもたちの死亡証明書には「栄養失調」と記される。その一方で、オレンジが大量に廃棄され、飢えにあえぐ者が口にできぬよう、灯油がかけられる。コーヒーは船の燃料に転用され、トウモロコシは薪の代わりとして燃やされる。ジャガイモは川に捨てられ、持ち去りを防ぐために番人が配される。あげくの果てには豚まで殺され、埋められる。それもこれも、ひとえに市場価格を維持するためである。
語り手はそれらを総じて「摘発されない犯罪」と呼ぶ。人間が直に手を下すわけではない。だが、人間が周到に組み立てた経済体制によってジャガイモが流され、豚が叫び、空腹のあまり腐ったオレンジを口にした子どもが死んでいく。カリフォルニアは自然の恵みによって飢えを満たすどころか、資本の暴力に覆われた不毛の地であった。それでもなお、果樹園を独占する農場主は、土地を奪われた労働者を酷使して、私有資本を増殖させる。希望が腐敗し、幻想が崩れ落ちる。抑圧された人々の魂には憤怒が鬱積し、いつしか「怒りの葡萄(the grapes of wrath)」として結実する。
膨れ上がる「怒りの葡萄」を私的な暴発に終わらせず、いかにして〈この社会/now-here〉の変革へ昇華するか。元牧師のケーシーは、組織的信仰への確信を失い、制度化された宗教を離れて久しかった。それでも、人間の救済と社会的な公正の源泉を、現行の体制には〈存在しない場所/no-where〉、すなわち虐げられた人々との連帯に見出した点において、真の宗教者だった。収奪と搾取が公然と横行する社会にあって、彼が自らの信念を実践へ移すに至るのは、必然の帰結であった。人々が飢えに身をよじり、にもかかわらず踏みにじられ、声を封殺される現実を前にして、沈黙を貫くことなどできなかったのだ。
「私は土地をなくした」。そのような独白は絶望を絶望として認識するのには有効である。しかし、それが私的な認識にとどまる限り、絶望の組成が変質することはない。だが、そこへもうひとりの人間が歩み寄り、「私も土地をなくした」と応じる。すると、絶望が共有される。絶望の構造が変容し、資本の論理の外側に、新たな中心点が出現する。「私」が「私たち」へと拡張され、「私たちが私たちの土地をなくした」悲しみが共有される。
ケーシーにとっては、魂さえ個人の所有物ではなかった。むしろ、個々に深く宿るからこそ、人類全体の普遍的な精神と結びつき、共有される。彼の思想は精神的探求にとどまらず、農場主の支配構造自体を根底から揺るがす挑戦でもあった。連帯と相互扶助を土台として、ケーシーは低賃金労働者のストライキを主導し、公正な社会の実現に奔走する。だがそんな矢先、農場主が雇った用心棒に撲殺されてしまう。
しかし、ケーシーの死は単なる終焉ではなく、魂の共有という理念をトムへ継承する契機となる。ケーシーが確信した人間の倫理は、殉死を通してトムに深く刻まれ、彼の行動原理として再生するのだ。トムは母親に誓う──おれはどこにでもいる(I’ll be ever’where)。飢えた農民とともに、搾取される移民とともに、「怒りの葡萄」を宿した者たちとともに。
怒りの葡萄はふたたび
ジョード一家の道行きを捉えるとき、いま・ここで生まれる相互扶助の営みは、資本の論理が支配する社会において、あまりに脆く儚い。それは確固たる場所を持たないがゆえに、どこにもないものに感じられるかもしれない。しかし、だからこそ、連帯と共有はあらゆる境界を越え、どこにでも拡張しうる可能性を秘めている。いわば、資本の論理によって「私」を肥大化させるのではなく、互いのテリトリーを少しずつ共有することで「私たち」を無限に広げていく運動なのである。そうして「怒りの葡萄」が収穫のときを迎えたとき、「私たち」の拡張運動は社会の構造を根本から揺るがし、未知の変革をもたらすに違いない。
2020年2月、『ガーディアン』紙は環境文学の名作トップテンを選出し、その筆頭に『怒りの葡萄』をあげた──「環境文学の原点ともいえる本作は、人為的な気候災害について、まだその名称がなかった時代に書かれた」。あの事故以来、私にとって福島の葡萄は、個別の体験や記憶を超え、人類全体の文脈で捉えるべき果実となった。学問の場においても、本来は知と相互扶助に支えられるべき共同体の紐帯が引き裂かれている。叡智が実る果樹が打ち捨てられ、葡萄が熟しきらぬまま落果する。
『怒りの葡萄』を生んだアメリカでは、ジャクソンを公然と称揚してきたドナルド・トランプが大統領に再選され、独断的な支配を強めている。だがしかし、ジョード一家の百年後を生きようとする私たちが、愚かな歴史の轍に絡めとられるわけにはいかない。数多の悲嘆と痛苦を分かちあうトムは、いまや至るところに出現しつつある。そして、収奪と搾取を加速する資本と排除の論理に抗しながら、血縁や地縁、言語や宗教の境界を融通無碍に越えて、新たな連帯と共有の地平を切り拓いている。
相互扶助を阻害し、分断を助長する統制が強化されるほどに、種は深く播かれ、葡萄は豊かに実る。「怒りの葡萄」は収穫のときを待っている。
文中の引用は新潮文庫『怒りの葡萄』(1989年)による。
参考文献
Michael Christie, “Top 10 books of eco-fiction,” The Guardian, 12 February, 2020.
John Steinbeck, The Grapes of Wrath, Penguin Random House, 2017.


白岩英樹



