危険な闘い ──あるいは現代アートの最前線(前篇)|会田誠+東浩紀 司会=黒瀬陽平
初出:2014年03月20日刊行『ゲンロン通信 #11』
会田誠は危険な作家である。昨年開かれた森美術館での個展「会田誠天才でごめんなさい」では、四肢切断された美少女を描いた連作『犬』が性差別を助長させるとして撤去を求められるなど、社会的事件に発展したばかりだ。なぜ彼は、危険な闘いを続けるのか。芸術は社会にとってどのような意味を持ち、いかにして関わるべきか。聞き手に東浩紀、司会にカオス*ラウンジ代表・黒瀬陽平を迎え繰り広げられた、現代アートの最前線を巡る熱いトークを完全収録。
東浩紀 ご無沙汰しています。ぼくはじつは会田誠さんとはほとんど初対面なんですね。どこかですれ違ってご挨拶させていただいたことがあるかもしれないのですが。
会田誠 たぶん二回目です。一回目は村上隆さんの「GEISAI」でゼロアカ道場がブースを出していて、ぼくがその近くをふらっと歩いていたら声を掛けてくれました。二回目は、ぼくの記憶が確かならば、もっと昔に原宿駅の辺りで突然呼び止められて、「東浩紀です」と名乗られたような……。
東 ぼくがですか?
会田 そうそう。でも、誰かと間違っているかもしれないです(笑)。
東 ぼくは記憶が欠落しがちなので、忘れているだけかもしれません。会田さんの作品は昔から拝見しています。今日は司会として、日本現代美術界の最先端を走るカオス*ラウンジの代表・黒瀬陽平さんをお招きしました。
黒瀬陽平 東さんに司会を頼まれて本当に司会だったことが一度もないので、ぼくも緊張しています(笑)。よろしくお願いします。
東 今日はタイトルからもわかるとおり、会田さんをお招きして、「現代アートの最前線」について語りたいと思っています。
まず最初にざっくばらんな印象から話しますと。ぼくは、会田さんについて、「日本」を表現の核に置く作家という印象を持っています。同年代の村上隆さん、奈良美智さんと比べてもその傾向は顕著で、その点ではいまの日本の若い世代に一番影響を与えているのはじつは会田さんかもしれない。たとえばChim↑Pomは会田さんの影響下から出てきていますね。
村上さんとは何度も対談しているのですが、彼と話すと、どうしても「世界のアート・マーケット」といった国際的、経済的な話になりがちです。けれども、今日はせっかく会田さんをお招きしているので、むしろ「日本における現代美術」というドメスティックな話をしていきたい。ただ、いかんせんぼくはこの方面について、素人というか、ただの一ファンでしかないのですね。そこで黒瀬くんから、ここ一〇年間くらいの現代美術について、そしてそのなかで会田誠はどのように位置づけられているのかについて、最初に話していただければ。
黒瀬 会田さんは一九九〇年代にデビューしましたよね。ぼくから見ると、会田さんはちょうど、岡崎乾二郎さんや「ポストもの派」といったモダニズムリバイバルの勢力に対するカウンターとして登場したように感じました。小難しいことを言って作品をつくり、「理屈がついていなければ駄目だ」という人たちの逆をいく。これは、最近の作品にも見て取れる傾向だという気がしています。つまり、会田さんの活動のひとつの側面には、理屈を並べるアートに対するアイロニーがあるのではないか。
その一方で、二〇〇〇年前半くらいまでは、会田さんはさわらの椹木野衣さんの「日本では美術は舶来のものでしかなく、根付くことはない」とした「悪い場所」を体現するアーティストのひとりとして見られてきたと思うんです。けれどこういった見方は、二〇〇〇年代後半に、どこかの時点でひっくり返ったと思うんです。つまり、会田さんが若いときに「この人たちの言っていることはわからない」と言って皮肉の対象にしていた人たちが、時間が経つにつれて会田さんよりも人気がなくなって、会田さんだけが生き残ってしまった。いまはむしろ、会田さんのほうが影響力を持ってしまっている状態だと思うんです。
東 会田さんの対抗相手は誰になるのかしら?
黒瀬 一番は岡崎乾二郎さんでしょうか。実際に、浅田彰さんと岡崎乾二郎さんの名前を直接タイトル入れて批判した作品もありますよね。
会田 まあ批判というと大げさですが、二〇〇七年に山口晃くんと二人展を開いたときにつくった、ネタみたいな作品ですよ。山口くんを目当てに来るお客さんには、和服を着たおばさまとかも多くて、現代美術にはあまり興味がない人もたくさんいた。でも一応、ぼくらは現代美術の畑にいるものだから、そういう立場もお客様にご説明したいなと思って、「浅田さんや岡崎さんも一応ぼくら関係しているんですよ」ということを、批判とかではなくただ伝えたかったんです。
黒瀬 その意図は伝わらなかったと思いますよ(笑)。
会田 いまの黒瀬さんの説明はだいたい当たっているのだけれど、ぼくはそこまで尖っていたわけでもないんです。東京藝術大学で油絵科の学生をやっていた頃には、岡崎さんの名前なんて知らなかったですし。ぼくが反発心みたいなのものを抱いていたのは、むしろ岡崎さんほど尖ってない作家たちに対してでした。ぼくが学生だった一九八〇年代、銀座のギャラリーで展覧会を開いていたのは、ほとんど抽象画ばかりでした。抽象画なんだけどちょっと叙情的だったり、モダニズム絵画なんだけど日本的にしっとりしたりボヤ〜としちゃっていたり。それが多数派だった。それで、「こういうのが美術なら、あんまり美術家とか画家とかになりたくないな。別の仕事をしたいな。漫画家とかになれるならなりたいな」と思っていた。
しかしその後、ジェフ・クーンズが『美術手帖』で紹介されるようになるなど、抽象画以外の面白いことができるような雰囲気が、世界的にも広がってきた。一九七〇年代のコンセプチュアルアートあたりからの真面目一辺倒から、徐々に状況が変わってきて、そんななかで村上隆さんなんかが出てきたんですね。ぼくの世代は微妙に村上さんより下なわけですけど、村上さんを中心とする上の世代が、日本における現代美術の新しいジャングルを分け入って、第一陣を進んでいってくれた。ぼくの世代は先輩がある程度切り開いてくれた道を選んだので、楽で得をしたという実感もあります。
岡崎さんの名前が出ましたが、岡崎さんほど尖った人はあまりいない。岡崎さんはいまでも活躍しているし、言ってしまえば全然マシなほうなんですね。もっと興味がなかった人、すでに消えていってしまった人もたくさんいますから。
東 もう一〇年以上前になりますが、村上隆さんと知り合ったばかりの頃に、「原宿フラット」というトークイベントに出ないかと誘われたことがあります。登壇者は浅田彰さん、岡崎乾二郎さん、椹木野衣さんと、村上さん。ぼくは事情があって出演しませんでしたが、村上さんは、とにかくこの人選で開催することにこだわっていた記憶があります。他方では、会田さんも、山口さんとの二人展で、浅田さんと岡崎さんをわざわざ揶揄したというエピソードがある。やっぱり、村上隆にしろ会田誠にしろ、浅田彰と岡崎乾二郎の二人の言説をどう乗り越えるかが、重要な課題になっていたということでしょうか。
会田 お二人はとても独特で、いまも昔も主流派ではなかった。だからいいというか。とくに岡崎さんは、普通に美大の油絵科を卒業して、ぬるい感じの抽象画を描いている多数派とは一線を画していましたよね。彼がなにをやりたいのかぼくはあまり理解しているわけではないのですが、何か根本的なことをやろうとしている感触は受け取っています。たとえば村上さんも海外のアートフェアに出た際に、KaiKaiKiki Galleryで岡崎さんの絵を売り出したりしていますし。
会田誠 たぶん二回目です。一回目は村上隆さんの「GEISAI」でゼロアカ道場がブースを出していて、ぼくがその近くをふらっと歩いていたら声を掛けてくれました。二回目は、ぼくの記憶が確かならば、もっと昔に原宿駅の辺りで突然呼び止められて、「東浩紀です」と名乗られたような……。
東 ぼくがですか?
会田 そうそう。でも、誰かと間違っているかもしれないです(笑)。
東 ぼくは記憶が欠落しがちなので、忘れているだけかもしれません。会田さんの作品は昔から拝見しています。今日は司会として、日本現代美術界の最先端を走るカオス*ラウンジの代表・黒瀬陽平さんをお招きしました。
黒瀬陽平 東さんに司会を頼まれて本当に司会だったことが一度もないので、ぼくも緊張しています(笑)。よろしくお願いします。
会田誠は何者なのか?
東 今日はタイトルからもわかるとおり、会田さんをお招きして、「現代アートの最前線」について語りたいと思っています。
まず最初にざっくばらんな印象から話しますと。ぼくは、会田さんについて、「日本」を表現の核に置く作家という印象を持っています。同年代の村上隆さん、奈良美智さんと比べてもその傾向は顕著で、その点ではいまの日本の若い世代に一番影響を与えているのはじつは会田さんかもしれない。たとえばChim↑Pomは会田さんの影響下から出てきていますね。
村上さんとは何度も対談しているのですが、彼と話すと、どうしても「世界のアート・マーケット」といった国際的、経済的な話になりがちです。けれども、今日はせっかく会田さんをお招きしているので、むしろ「日本における現代美術」というドメスティックな話をしていきたい。ただ、いかんせんぼくはこの方面について、素人というか、ただの一ファンでしかないのですね。そこで黒瀬くんから、ここ一〇年間くらいの現代美術について、そしてそのなかで会田誠はどのように位置づけられているのかについて、最初に話していただければ。
黒瀬 会田さんは一九九〇年代にデビューしましたよね。ぼくから見ると、会田さんはちょうど、岡崎乾二郎さんや「ポストもの派」といったモダニズムリバイバルの勢力に対するカウンターとして登場したように感じました。小難しいことを言って作品をつくり、「理屈がついていなければ駄目だ」という人たちの逆をいく。これは、最近の作品にも見て取れる傾向だという気がしています。つまり、会田さんの活動のひとつの側面には、理屈を並べるアートに対するアイロニーがあるのではないか。
その一方で、二〇〇〇年前半くらいまでは、会田さんはさわらの椹木野衣さんの「日本では美術は舶来のものでしかなく、根付くことはない」とした「悪い場所」を体現するアーティストのひとりとして見られてきたと思うんです。けれどこういった見方は、二〇〇〇年代後半に、どこかの時点でひっくり返ったと思うんです。つまり、会田さんが若いときに「この人たちの言っていることはわからない」と言って皮肉の対象にしていた人たちが、時間が経つにつれて会田さんよりも人気がなくなって、会田さんだけが生き残ってしまった。いまはむしろ、会田さんのほうが影響力を持ってしまっている状態だと思うんです。
東 会田さんの対抗相手は誰になるのかしら?
黒瀬 一番は岡崎乾二郎さんでしょうか。実際に、浅田彰さんと岡崎乾二郎さんの名前を直接タイトル入れて批判した作品もありますよね。
会田 まあ批判というと大げさですが、二〇〇七年に山口晃くんと二人展を開いたときにつくった、ネタみたいな作品ですよ。山口くんを目当てに来るお客さんには、和服を着たおばさまとかも多くて、現代美術にはあまり興味がない人もたくさんいた。でも一応、ぼくらは現代美術の畑にいるものだから、そういう立場もお客様にご説明したいなと思って、「浅田さんや岡崎さんも一応ぼくら関係しているんですよ」ということを、批判とかではなくただ伝えたかったんです。
黒瀬 その意図は伝わらなかったと思いますよ(笑)。
会田 いまの黒瀬さんの説明はだいたい当たっているのだけれど、ぼくはそこまで尖っていたわけでもないんです。東京藝術大学で油絵科の学生をやっていた頃には、岡崎さんの名前なんて知らなかったですし。ぼくが反発心みたいなのものを抱いていたのは、むしろ岡崎さんほど尖ってない作家たちに対してでした。ぼくが学生だった一九八〇年代、銀座のギャラリーで展覧会を開いていたのは、ほとんど抽象画ばかりでした。抽象画なんだけどちょっと叙情的だったり、モダニズム絵画なんだけど日本的にしっとりしたりボヤ〜としちゃっていたり。それが多数派だった。それで、「こういうのが美術なら、あんまり美術家とか画家とかになりたくないな。別の仕事をしたいな。漫画家とかになれるならなりたいな」と思っていた。
しかしその後、ジェフ・クーンズが『美術手帖』で紹介されるようになるなど、抽象画以外の面白いことができるような雰囲気が、世界的にも広がってきた。一九七〇年代のコンセプチュアルアートあたりからの真面目一辺倒から、徐々に状況が変わってきて、そんななかで村上隆さんなんかが出てきたんですね。ぼくの世代は微妙に村上さんより下なわけですけど、村上さんを中心とする上の世代が、日本における現代美術の新しいジャングルを分け入って、第一陣を進んでいってくれた。ぼくの世代は先輩がある程度切り開いてくれた道を選んだので、楽で得をしたという実感もあります。
岡崎さんの名前が出ましたが、岡崎さんほど尖った人はあまりいない。岡崎さんはいまでも活躍しているし、言ってしまえば全然マシなほうなんですね。もっと興味がなかった人、すでに消えていってしまった人もたくさんいますから。
東 もう一〇年以上前になりますが、村上隆さんと知り合ったばかりの頃に、「原宿フラット」というトークイベントに出ないかと誘われたことがあります。登壇者は浅田彰さん、岡崎乾二郎さん、椹木野衣さんと、村上さん。ぼくは事情があって出演しませんでしたが、村上さんは、とにかくこの人選で開催することにこだわっていた記憶があります。他方では、会田さんも、山口さんとの二人展で、浅田さんと岡崎さんをわざわざ揶揄したというエピソードがある。やっぱり、村上隆にしろ会田誠にしろ、浅田彰と岡崎乾二郎の二人の言説をどう乗り越えるかが、重要な課題になっていたということでしょうか。
会田 お二人はとても独特で、いまも昔も主流派ではなかった。だからいいというか。とくに岡崎さんは、普通に美大の油絵科を卒業して、ぬるい感じの抽象画を描いている多数派とは一線を画していましたよね。彼がなにをやりたいのかぼくはあまり理解しているわけではないのですが、何か根本的なことをやろうとしている感触は受け取っています。たとえば村上さんも海外のアートフェアに出た際に、KaiKaiKiki Galleryで岡崎さんの絵を売り出したりしていますし。
会田誠
1965年新潟県生まれ。美術家。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。
絵画、写真、映像、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画など表現領域は国内外多岐にわたる。
小説『青春と変態』(ABC出版/筑摩書房)、漫画『ミュータント花子』(ABC出版/ミヅマアートギャラリー)、エッセイ集『カリコリせんとや生まれけむ』(幻冬舎)、『美しすぎる少女の乳房はなぜ大理石でできていないのか』(幻冬舎)、『戦争画とニッポン』(椹木野衣との共著、講談社)など著作多数。
近年の主な個展に「天才でごめんなさい」(森美術館、東京、2012-13年)、「考えない人」(ブルターニュ公爵城、ナント、フランス、2014年)、「世界遺産への道!!~会いにいけるアーティストAMK48歳」(霧島アートの森、鹿児島、2014年)、「ま、Still Aliveってこーゆーこと」(新潟県立近代美術館、2015年)、「GROUND NO PLAN」(青山クリスタルビル、2018年)など。自身2作目となる長編小説『げいさい』が2020年夏に刊行予定。 撮影:松蔭浩之 Courtesy Mizuma Art Gallery
黒瀬陽平
1983年生まれ。美術家、美術評論家。ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校主任講師。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。2010年から梅沢和木、藤城噓らとともにアーティストグループ「カオス*ラウンジ」を結成し、展覧会やイベントなどをキュレーションしている。主なキュレーション作品に「破滅*ラウンジ」(2010年)、「キャラクラッシュ!」(2014年)、瀬戸内国際芸術祭2016「鬼の家」、「カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇『百五〇年の孤独』」(2017-18年)、「TOKYO2021 美術展『un/real engine ―― 慰霊のエンジニアリング』」(2019)など。著書に『情報社会の情念』(NHK出版)。
東浩紀
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。