情念の白い墓標(4) 噓に塗り固められた死|入江哲朗

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初出:2012年8月20日刊行『ゲンロンエトセトラ #4』
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7.


 『続白い巨塔』の物語は、その骨格において、ほとんど『白い巨塔』の繰り返しにすぎなかった。財前五郎は、過去に自分が辿った道のりをもう一度、しかもより厳しい条件のもとで歩まされることとなる。

 かつて財前が浪速なにわ大学医学部の教授となるべく権謀術数を弄して戦った熾烈な選挙戦は、今度は日本学術会議の会員選挙へと大幅にスケールが拡大されて展開する。立候補を財前に持ちかけた鵜飼うがい医学部長には密かな思惑があり、財前はそれをむしろ白い巨塔を登る一歩に利用してやろうと野心をたぎらせる。しかし戦う相手は洛北大学の神納じんのう教授や近畿医大の重藤しげとう教授といった錚々そうそうたる顔ぶれであり、混戦は必至であった。他方で、佐々木庸平の死をめぐって財前の注意義務怠慢を訴えていた遺族との裁判は、大阪地裁の判決においては財前が勝訴したものの、遺族の控訴が認められたため大阪高裁でふたたび争われる。相手側の弁護士である関口は財前らの論拠を切り崩そうと新たな証人探しに奔走しており、財前も一審での勝利に安んずるわけにはゆかない。いままでの河野こうの弁護士に加えて国平くにひら弁護士も新たに雇い、入念な事前準備と根回しを進めてゆく。そうして学術会議選と控訴審という「シーソー・ゲーム」がいよいよ苛烈を極めようとするさなかに、財前は佐々木庸平の亡霊と出会うのであった。


 財前は、婦長のさし出すタオルで手を拭い、ぎょろりとつくだを見た。
「佃君、君は講師なんだよ、講師ともあろうものが、いくら患者が教授への紹介状を出したからといって、教授診察日でない日は、よほどの場合でない限り、講師が診察するというぐらいの判断と気概は持ってほしいものだね」
「どうも申訳ありません、患者にはそう云いきかせたのですが、紹介名刺も持参していましたのでつい……」
 佃が詫びるようにひき退りかけると、いきなり、ぬうっと、安田太一が顔を出した。
「これは、これは財前先生でおますか、ご高名な先生がお忙しいのは、よう解っとりますが、浪速大学病院まで来た限りは是非とも、先生のご診察をお願い致します、先生に診て戴き、先生のお診たてやったら、たとえ癌やと云われても納得がいきますわ」
 もみ手をするような腰の低さで、財前の傍へ寄った途端、財前は思わず、心の中であっと叫び、あとずさりした。五十四、五歳の齢恰好と云い、五分刈の胡麻塩頭、それに中肉中背の背恰好と云い、二年前、噴門癌の手術をして術後死亡した佐々木庸平に生写しであった。財前の背筋に凍りつくような不気味な冷たさが走ったが、生前の佐々木庸平の顔をはっきり知らない佃には、財前の心の怯えは解らなかった。

(④332-333頁。なお本稿では2002年の新潮文庫版『白い巨塔』の巻数を便宜上①~⑤の記号で示した)


 その「怯え」に強いられて財前自身が診察した結果もまた、佐々木庸平のときと同じく早期の噴門癌であった。まるで三文芝居のように出来すぎたこの反復をきっかけに、財前ははじめて、自分の運命という筋書きに対する脅威、「眼に見えないものに対して神経をすり減らすような不安」を覚えはじめる。安田太一の手術中にも彼は「遺骸をまさぐっているような不気味さ」に襲われ、あろうことか第一助手から手渡された尖刃刀クーパーを落としてしまった。「眼もくらむばかりの明るさの手術室の中で、一瞬、暗い影のようなものが財前の眼の前を横切り、食道と胃を切断する時、尖刃刀クーパーを取り落したのは、一週間先に証人調べを控えた控訴審に何か不吉な影でもあるというのだろうか──」(④354頁)。言うまでもなくこれは、すでに運命に囚われてしまった者の思考である。かつては自分の揺るがぬ自信と野心によって、教授選から裁判までどんな茶番でも演技を貫き舞台を支配しつづけてきた財前はいま、自らが塗り固めてきた噓に復讐されようとしているのである。

 学術会議選には金と権威にものを言わせたあくどい戦略で辛くも勝利したものの、控訴審では関口弁護士の厳しい追及によって財前は窮地に立たされてしまう。苦しまぎれに佐々木庸平の受持医であった柳原に責任を転嫁する発言をおこなったところ、柳原は傍聴席から思わず「それは噓です!」と叫び声を上げる。柳原には将来の出世を約束し過分な縁談も用意してやったというのに、そうまでして維持しようとした虚構は結局、最後まで持ちこたえることができなかった。「絶対服従で将棋の駒の如く自在に動かすことの出来た」はずの医局員からの反逆の気運は、柳原のみならず江川にまで及び、彼の協力によって関口弁護士は財前の不利を決定づける書証を手にする。江川とは、元は浪速大学附属病院第一外科の一員であり、学術会議選における集票工作という財前の思惑によって舞鶴総合病院へ転出させられた医師の一人であった。書証を突きつけられた財前は急いで弁護士と弥縫策を練りながらも、もはや「自身の仕組んだ虚偽の罠の中へ落ち込み、今やぬきさしならぬところへ追い込まれて行きつつある自分を感じ」ずにはいられなかった(⑤278頁)。

 大阪高裁から下された判決は、ぎりぎりの線で控訴人・佐々木よし江を勝訴させた。その判決理由には、次のような言葉が述べられている。「いまだその本態さえ解明されていない癌の問題で、被控訴人の過失を問うことは、あるいは医師に対して過酷な注意義務を強いることになり、医療施術に障害をもたらすとの批判も充分あり得ることと思われるが、人命尊重の立場から、人間の生命と健康を預かる業務に従事する医師に対し、医学的に可能な限りの手段と努力を求めることは決して意義なきに非ずと信じ、且つ、被控訴人が診療、研究、教育の指導に当る国立大学医学部の教授であることに考えを及ぼす時、一般医師の水準を超えて厳しく責任を問うべきであると信ずるが故に、当裁判所としては、冒頭の如き判決を行なったものである」(⑤309頁)。ここにはまさしく、作者が「小説的生命より、社会的責任を先行させ」て続編に取り組んだすえの結論が表明されていると見ることができよう。しかし財前はあくまでも判決を不服とし、上告の手続きを進めようと興奮も露わに法廷の椅子から立ち上がった瞬間、意識を失ってその場に倒れてしまった。実はそのときすでに、直径5センチほどにまで進行した胃癌が、財前の体を蝕んでいたのである。

入江哲朗

1988年生まれ。アメリカ思想史、映画批評。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD。著書に『火星の旅人――パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』(青土社、2020年)、『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』(共著、石岡良治+三浦哲哉編、フィルムアート社、2018年)など、訳書にブルース・ククリック著『アメリカ哲学史――一七二〇年から二〇〇〇年まで』(大厩諒+入江哲朗+岩下弘史+岸本智典訳、勁草書房、2020年)など。
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