プラットフォームをめぐる闘争──とある情報法研究者のアメリカ滞在記|成原慧
プラットフォームのあり方が社会を揺さぶっている。
Google、TikTok、X、Amazonなどコミュニケーションや取引を支えるインターネット上の場である「デジタルプラットフォーム」の権力が注目を集めるようになっている。日常生活から政治や選挙に至るまで、膨大な情報がデジタル空間を通じてやり取りされており、その流通や処理をさまざまなプラットフォームが支えている。その中で、プラットフォームを通じたフェイクニュース、偽情報・誤情報やヘイトスピーチの拡散、さらにプラットフォーム事業者による利用者のデータの悪用が大きな問題として議論されるようになっている。
もっとも、「プラットフォーム」が人々や企業の間のコミュニケーションや取引を支える場のことだとすると、プラットフォームは、デジタル空間以外にも見出すことができる。例えば、さまざまなテナントが入ったショッピングモールも、一種のプラットフォームだ。また、新聞や民放などマスメディアも、さまざまな広告が掲載される媒体という点で一種のプラットフォームといえる。異なる考え方や価値観を持つ学生や研究者が集まる大学も、プラットフォームの一つといえるかもしれない。このように、従来から、プラットフォームは現実空間に存在してきた。とはいえ、デジタルプラットフォームは、データやAIを活用して、国境を越えて大きな力を持つようになっており、従来のプラットフォームには見られなかった新たな問題を生み出すようになっている[★1]。
特に問題が噴出しているのがアメリカ合衆国だ。例えば、アメリカでは前回2020年の大統領選挙後、第1次トランプ政権からバイデン政権への交代に向けた手続が進む2021年1月6日に、大統領選挙の結果に不満を抱くトランプ大統領(当時)の支持者らが首都ワシントンDCにある連邦議会議事堂を襲撃し占拠するという事件が起こった。
当時トランプ大統領は選挙の正統性を疑うような投稿を繰り返しており、事件を受けてTwitterやFacebookは彼のアカウントを「暴力を扇動するおそれ」が高まっているとして停止することを決めた。これをきっかけにして、アメリカの保守派の間で「リベラル」なデジタルプラットフォームが保守派の言論を「検閲」しているという批判と反発が高まり、後述のように、プラットフォーム事業者による「検閲」を禁じる州法の制定につながっていくのである[★2]。
近年のデジタル社会において、プラットフォーム事業者は国家に代わって仮想空間を統治するようになったといわれる[★3]。トランプ大統領のアカウント停止が問いかけたのは、そのようなデジタルプラットフォームの役割とそれに対する国家による規制のあり方という論点だった。
TwitterやFacebookが暴力を扇動するおそれがあるという理由で大統領のアカウントを停止させることは正当なのか? それは表現の自由や民主主義に反しないのか? 国家はデジタルプラットフォームによるデータの利用やAIの開発にどこまで介入し規制をかけることができるのか?…… このような論点は、今日、アメリカだけではなく世界各地の法律家や研究者が頭を悩ますテーマとなっている。それは日本でも変わらない。
そのような問題を考えるための入り口として、本稿ではアメリカ社会における「プラットフォームをめぐる闘争」の様子を描き出してみたい。すでに述べたように、アメリカではXやFacebook、TikTokなどのデジタルプラットフォームのあり方が、大統領選挙や保守・リベラルの対立といった現実政治と深く結びつき、ときに激しい「闘争」さえ引き起こしている。そこに生じている闘争は、プラットフォームに依存して言論や他者とのコミュニケーション、経済活動を行う日本の我々にとっても、もはや無縁のものではなくなっている。
2023年8月から2024年5月にかけて、筆者はアメリカ合衆国マサチューセッツ州にあるハーバード・イェンチン研究所(HYI)に滞在していた。この研究所はハーバード大学と連携してアジア各国からの研究者を受け入れるプログラムを実施している[★4]。筆者は、幸いなことに、HYIの客員研究員としてアメリカに滞在する機会を得られたため、この機会を活かして今日のアメリカにおけるデジタル社会と法制度のあり方を調査し研究しようと考えていた。
筆者が専門としている情報法は、「情報」の生産・流通・消費に関わる法的問題を研究する法学の一分野である。デジタル社会の進展に伴って、その扱う対象は広がり続けている。筆者はこれまで、インターネット上での表現の自由や、プライバシー、個人情報に関する問題、AI(人工知能)やメタバースなどの新技術に関する法制度、さらにキャンセルカルチャーに関する法的問題などについて研究してきた。その上で、今回のアメリカ滞在を通じて、AIやIoT(モノのインターネット)により現実空間と仮想空間の連携・融合が進展する時代における新たなガバナンスの方法をテーマとした研究に取り組む計画であった。その中心となる論点が、社会におけるデジタルプラットフォームの役割とそれに対する規制だった。
ちょうど滞在期間中、アメリカではデジタルプラットフォーム規制のあり方をめぐる重要な訴訟や立法が進んでいた。学界での議論も活発で、筆者はまさしく「闘争」をその只中で垣間見ることができた。
だが、それに加えて、当初は意図していなかった形で、もう一つのプラットフォームをめぐる「闘争」に巻き込まれることにもなった。それは2023年10月に始まったガザ紛争が引き起こした「大学をめぐる闘争」だ。アメリカの大学ではイスラエルを批判する学生たちが抗議活動を行い、それに対抗するイスラエル支持者との間に激しい対立が生じていった。ハーバードは、まさにその舞台の一つとなった。
アメリカに生じている「プラットフォームをめぐる闘争」は、オンラインの仮想空間の中だけでなく、現実世界においても繰り広げられている。この二重性を、デジタルプラットフォームのみに注目した議論では忘れがちかもしれない。
本稿では、筆者がアメリカ滞在中に経験した仮想空間と現実世界のプラットフォームをめぐるふたつの闘争を描き出すことを通じて、今日における私たちの言論と知を支えるプラットフォームのあり方を考えてみたい。その先に、日本の私たちが考えなければならない論点も浮かび上がってくるだろう。
デジタルプラットフォームをめぐる闘争
ハーバードでは、プラットフォームガバナンス、AIガバナンス、プライバシー・データ保護などのテーマで連日のように多くのシンポジウムや講演会が開催されていた。それらをテーマにしている研究者も多い。例えばHYIでの筆者のメンター(指導教員)は、インターネット法分野で著名なジョナサン・ジットレイン教授だった[★5]。
滞在中、筆者はロースクールや哲学科の講義を聴講しつつ、学内外の有識者の講演会やアジア各国から来ているHYIの同僚のランチトーク(アメリカの大学では昼食を取りながら研究の話をするイベントが頻繁に催される)など、デジタル社会に関するさまざまな議論に参加した。筆者自身、日本のプラットフォームガバナンスについて報告したこともある[★6]。
アメリカの研究者や法律家の話を聞いていて印象に残ったのが、彼ら・彼女らの多くが、自国の抱える問題を率直に認め、自国を相対化しているように見えたことだ。アメリカが世界の中でも例外的な姿勢をとっていることを認め、ときにアメリカ法が抱える問題を批判する法学者も少なくなかった。
伝統的にアメリカの知識人や法律家は、連邦議会に言論や出版の自由を侵す法律の制定を禁じた、合衆国憲法修正1条による言論の自由の強力な保障を誇りにしてきた。
修正1条による言論の自由の保障は、「思想の自由市場」という表現で説明されることが多い。すなわち、言論は、誤っているようにみえるものであったとしても、政府による規制は控え、民間における言論間の対抗や自由競争により淘汰・是正していくべきだと考えられてきたのである[★7]。
しかし最近になって、むしろ修正1条がAIやデジタルプラットフォーム分野での必要な規制を妨げていると批判する法学者や法律家も増えている。フェイクニュースやヘイトスピーチが引き起こす社会問題によって、これまで言論の自由を擁護してきたリベラル派の知識人の間でさえ、強すぎる言論の自由の保障によって必要な規制が妨げられているのではないかという問題意識が広がっているのである[★8]。
もちろん、今日のアメリカでも国家(連邦政府、州)からの自由を重視して、政府による規制を批判・警戒する知識人や法律家、市民は依然として少なくない。しかし、従来のアメリカ型の「思想の自由市場」モデルへの評価は自明なものではなくなっており、個人の権利・自由を重視するリベラル派の内部でも論争が生じていることは確かだろう。
冒頭でも述べたように、近年のアメリカでは、フェイクニュースやヘイトスピーチ、また利用者のデータの悪用など、デジタルプラットフォームをめぐる問題が噴出している。それにもかかわらず、EU(欧州連合)や他国の政府と比べて、アメリカ政府はAIやプラットフォーム規制の分野で必要な立法をほとんど行っていないとこぼす法学者もいた。アメリカの法学者や実務家の議論でも、EUの立法や議論、カナダなど外国の判例が参照されることが少なくなかった。また、アメリカの中でも、カリフォルニア州など先進的な州法による実験や試行錯誤は注目されることが多かった。
それに対して、連邦政府や連邦議会の動きの遅さや政治的分断による身動きのとれなさを嘆く声や、連邦政府や州政府による実験的な規制を押し留めようとする保守化した連邦最高裁の姿勢を批判する声はよく聞かれた。実際、政治的立場の違いを超えて広く見直しが必要だと説かれている通信品位法230条(この法律によりプラットフォーム事業者は利用者の発信したコンテンツについての責任を免除されている)の改正や連邦レベルでの個人データ保護法の制定さえ、いまだに実現していないのである。法学者からは、競争法や消費者法といった既存の法制度を活用してプラットフォーム規制に取り組むリナ・カーンの率いる連邦取引委員会(FTC)に期待する声も多く聞かれた。
こうした中で全米の注目を集めていたのが、ソーシャルメディアによる「検閲」を規制する州法の合憲性が争われた「NetChoice事件」である。筆者も、2024年2月末にワシントンDCに出張し、連邦最高裁でこの事件の弁論を傍聴した。
連邦制をとるアメリカでは、それぞれの州が独自の法律を制定できる。しかし、その内容が合衆国憲法に抵触する場合は、連邦裁判所によって合衆国憲法との適合性(合憲性)が審理されることになる。NetChoice事件と呼ばれる一連の訴訟では、テキサス州法とフロリダ州法の合憲性が争われていた。すでに述べたように、トランプのアカウント停止以降、アメリカには、リベラルなデジタルプラットフォーム事業者が保守的な言論を「検閲」しているという主張が現れてきた。両州はそうした保守的な世論を受けて、ソーシャルメディアによるコンテンツモデレーション──保守派の見方からすれば「検閲」──を規制する州法を制定したのである。Netchoice事件は、そのような州法はプラットフォーム事業者の自主的な編集判断を脅かしているとして、テクノロジー業界団体がテキサス州を訴えたものだった。
従来の言論の自由をめぐる論争や訴訟では、社会にとって有害とされる言論が政府の「検閲」により規制され、それに対して言論の自由を守ろうとするメディアや市民が闘争を挑むことが多かった。ところが、今日では、ソーシャルメディア事業者という私人による「検閲」から利用者の自由を守るために国家により規制を求める側と、そうした国家による規制からプラットフォーム事業者のコンテンツモデレーションという言論の自由を守ろうとする側との闘争が繰り広げられているのである。
つまり今日の言論の自由をめぐる闘争は、古典的な言論の自由をめぐる闘争に比べて、より複雑化した構図を見せている。それに伴い、言論の自由を守ろうとする市民や法律家、知識人の間でも立場が分かれることになる。
例えば、これまでネットの自由を擁護してきたローレンス・レッシグやティム・ウーといったリベラルな法学者が保守的な州政府を支持する側に立って意見書を提出し、驚きをもって受け取られた[★9]。一方で、筆者が連邦最高裁の傍聴券を求めて並んだ列で隣になったウィキペディア財団のスタッフは、州法がウィキペディアにも適用される可能性に懸念を示し、州政府による「検閲」規制に反対する姿勢を示していた。ウィキペディア財団は、レッシグらと同じく、ネットの自由を守ろうとする立場だが、保守的な州政府による今回の立法は、むしろネットの自由を脅かすと考えていたのである。
NetChoice事件の口頭弁論でも、連邦最高裁の判事から「プラットフォーム事業者の権力が強大化する中で、従来の言論の自由に関する判例法理は引き続き妥当するのか」という根本的な疑問が提起された。つまり、プラットフォーム事業者はコンテンツモデレーションの際に、新聞と同じような「編集判断」を行っているのか?──だとすれば、プラットフォーム事業者の編集判断が尊重され、政府が介入することは原則として許されなくなる。それとも、プラットフォーム事業者によるユーザーの投稿したコンテンツの伝達は、コモンキャリア(郵便局や通信会社)による郵便の配達や電信・電話の媒介に相当するのか?──だとすれば、利用者の権利や利益を守るため政府がプラットフォーム事業者の行為を幅広く規制できる[★10]。
連邦最高裁はその後、7月にNetChoice事件の判決を下した。その内容は、言論のバランスを図る目的で政府がプラットフォーム事業者のコンテンツモデレーションに規制を課すことに消極的な姿勢を示した上で、審理を尽くさせるために原審に事件を差し戻すというものだった[★11]。
NetChoice事件で問われていたのは、まさしく、デジタル社会において自由を脅かすのは誰か、自由を守るのは誰か、という根本的な問いだった。また、アルゴリズムを用いたコンテンツモデレーションに人間による編集判断と同様に言論の自由が及ぶのかという先端的な問題も問われた。連邦裁判所は、これらの問いに明確に答えることは避けつつ、さしあたり従来の言論の自由の考え方を維持し、政府による規制には懐疑的な姿勢を見せた。結局のところ、Netchoice事件を通じて提起された論点の決着は先送りにされ、いまなお論争が続いているのである。
現実世界のプラットフォームをめぐる闘争
筆者がアメリカで在外研究を行っていたのは、主にデジタル社会における新しいガバナンスの研究に取り組むためだった。しかし滞在中、意図しない形で、仮想空間のプラットフォームだけでなく、現実世界のプラットフォームをめぐる闘争にも直面することになった。
客員研究員として筆者が受け入れられていたHYIは、大学とは独立の法人格と財源を有する組織ではあるが、その建物はキャンパス内にあり、筆者も大学の施設を利用して研究をしていた。そして、筆者の滞在中にハーバードは言論と知のプラットフォームとしての試煉を迎えることになるのである。
ハーバード大学では、2023年7月にクローディン・ゲイが第30代の学長に就任し、9月に就任演説を行った。ゲイは、初の黒人のハーバード学長である。人種問題を研究してきたこともあり、黒人かつ女性というマイノリティの立場から、大学のダイバーシティを促進する役割を期待され、学内外の注目を集めていた。そのような中で生じたのが、ガザ紛争であった。
2023年10月、ハマスによるテロ攻撃を受けて、イスラエルがガザ地区への攻撃を開始した。ガザ紛争は、ユダヤ系の市民が多くアラブ系の市民も少なくないアメリカ社会に大きな影響を与えた。ハーバードでも、イスラエルを擁護する立場と批判する立場の両方から学生らによる声があがり、双方の学生団体による論争が繰り広げられた。
パレスチナを支持するハーバードの学生団体らは、イスラエルを批判する公開書簡をInstagramに投稿した。これに対して、公開書簡は被害者であるはずのイスラエルを一方的に批判するものであり「反ユダヤ主義」的であるとの批判が、一部の教員や学生、同窓生、寄付者、元学長のローレンス・サマーズ、そして学外の政治家らから巻き起こった[★12]。さらに批判は加熱し、イスラエルを批判する公開書簡に賛同した学生団体に所属する学生の氏名や顔写真が、大学の周囲を走行する宣伝トラックやインターネットで晒された。学生の中には、就職先が決まっていたにもかかわらず内定を取り消された者も現れた。
近年のアメリカでは、保守派が左派によるMeToo運動や黒人への差別や暴力に反対するBLM運動の「行き過ぎ」を「キャンセルカルチャー」として批判してきた[★13]。
こうしたキャンセルカルチャーにより、自らの社会的な地位や評価が失われることをおそれて、人々の言論が萎縮しているというのである。ところが、ガザ攻撃後の「反ユダヤ主義」をめぐる論争では、イスラエルによるガザ攻撃を批判・抗議する左派の学生が、氏名や顔写真を晒されたり、就職の内定を取り消されたりするなど「キャンセル」にあった。
さらに、学外からの批判は、こうした学生による「反ユダヤ主義」的な言動を放置しているとされた大学の執行部、とりわけゲイ学長にも向けられていく。
12月5日には、連邦議会で公聴会が行われ、ハーバードのゲイ学長に加え、マサチューセッツ工科大学(MIT)とペンシルベニア大学の学長が証人として召喚された。各大学の学長には議員らから厳しい批判や質問が寄せられた。ユダヤ人のジェノサイドを呼びかける言論がハラスメントを禁じた学内のルール(行動規範)に反するかという質問に対して、学長たちが「文脈による」として明快な答えを示さなかったことなどにより、世論の批判も高まった。ゲイ学長の慎重な答えは、学者らしく正確を期そうとしたものだったが、世論の理解を得ることは難しかった[★14]。こうした批判の高まりを受けて、ペンシルベニア大学の学長は辞任し、ゲイ学長も謝罪に追い込まれた。その前後、ゲイ学長には過去の論文での不適切な引用など剽窃疑惑も浮上した。
当初、大学の理事会や同窓会、多くの教員はゲイ学長を擁護・支持しようとしていた。しかし、学外からの圧力は弱まらなかった。大学の周囲を学長を批判する宣伝トラックが走行した。大学への寄付者の一部からも寄付をとりやめるという圧力をかけられた。年が明けた1月2日、ついにゲイ学長は辞任を表明した[★15]。
その後、暫定学長のアラン・ガーバーの下で、一連の闘争と論争で傷つき分断したハーバードの学生や教員の対話を促すためのイベントが行われ(その一環でキャンパスにおける言論の自由と対話のあり方をめぐる討論会や哲学者のマイケル・サンデルによる特別講義も行われた)、ユダヤ系やアラブ系の学生に対する偏見への対処のあり方を検討するタスクフォースが設置された。ハーバードでの論争は落ち着きを取り戻したかのように見えた。
しかしそれは束の間のことだった。4月下旬には、ニューヨークのコロンビア大学でイスラエルのガザ攻撃を批判して学生の抗議デモが行われ、大学の要請を受けて学内に入った警察による多くの学生が不法侵入等の容疑で逮捕された[★16]。
言論の自由が手厚く保障されているはずのアメリカにおいてキャンパスで抗議活動を行う学生が多数逮捕される映像は、世界に衝撃を与えた。私も驚いた一人である。しかし、冷静に考えてみれば、そもそもアメリカにおける言論の自由は、原則として他者の財産権と衝突しない範囲で認められてきたに過ぎない。それゆえ、私有地であるキャンパスにおいて大学のルールや方針に反して抗議活動を続けた学生が、大学の要請を受けた警察によって不法侵入の容疑で逮捕されるのは理由のないことではない。コロンビア大学での出来事が明らかにしたのは、大学においてでさえ、言論の自由は、私たちが言論を行うプラットフォームの財産権の範囲で認められるという冷徹な事実だったといえるのかもしれない。
ハーバードでも4月下旬から学生の抗議活動がふたたび発化した。大学の中庭であるヤードで、学生による抗議デモが行われ、仮設テントによるキャンプが数週間にわたり続けられた。その間、キャンパスの一部が閉鎖され、学外者の立ち入りが制限され、学生や教員の立ち入りにも身分証の確認が求められた。学内の警備は強化され、緊張が増した。とはいえ、多くの学生が、いつもどおり、学期末の試験やレポートの準備を進めるとともに、キャンパスライフを楽しんでいたことも事実なのであるが。
ハーバードでは、卒業式を前にして大学当局と学生グループが合意に達し、学生が自主的にキャンプを撤去することになった。コロンビア大学やカリフォルニア大学ロサンゼルス校など、学生の抗議活動に対して警察が投入された他大学とは異なり、ハーバードは、警察を学内に投入することなく、ひとまず平和的に紛争を解決したのである。もっとも、ハーバードをはじめアメリカの多くの大学ではキャンパスの中に大学警察が常駐しており、普段から大学警察が学内の秩序・治安を維持しているということは書き添えておくべきだろう。
5月23日には、日本の卒業式に当たるコメンスメント(Commencement)が行われた。コメンスメントでは、卒業生を代表して挨拶した学生が、抗議に参加した一部の学生を卒業させなかった大学の対応を批判した。そして、卒業生の一部が抗議の意思を示して式を途中で退出した。コメンスメントでは学位記を受け取る際にパレスチナの旗を掲げパレスチナとの連帯を示す学生が少なからず現れた一方で、上空では飛行機がイスラエルとアメリカの国旗を掲げてデモンストレーションした[★17]。アメリカでは、コメンスメントという場もまた、卒業を祝う儀式にはとどまらず、異なる思想と言論が闘うプラットフォームとなり得ることが示されたのである。
ハーバードでの出来事が示しているように、言論の自由の価値とマイノリティやコミュニティの安全の保護という衝突する価値の間でモデレーションをいかに行うかという問いは、デジタル空間のみならず、大学のような現実世界にも突きつけられている[★18]。
また、次のような点も指摘できる。先述のとおり、アメリカでは、言論の自由が重視され、ヘイトスピーチすら法的には規制されていない。多くの大学は学内ルールでキャンパスでのヘイトスピーチを禁止しているが、ルールの内容は大学ごとに異なっているところも多い[★19]。そして、2024年に全米の大学で吹き荒れた抗議活動を受け、ハーバードを含む多くのアメリカの大学は、学内のデモや抗議活動を規制するルールを厳格化しているが[★20]、異なる方針を示す大学もある。
デジタルプラットフォームのコンテンツモデレーションのあり方が多様であるのと同様に、大学のコンテンツモデレーションのあり方も多様である。学生たちの抗議活動とそれに対する各大学の対応は、大学も多様なプラットフォームであって、それぞれの間でガバナンスのあり方をめぐる「プラットフォーム間の競争」が行われているということを示している。
アメリカというメタプラットフォーム
約9ヶ月半の滞在を通じて、アメリカでは、インターネット上の仮想空間のみならず、現実世界でも、プラットフォームをめぐる闘争が広がっていることを実体験することになった。そして、学生によるガザ紛争をめぐる言論や抗議活動がしばしばソーシャルメディアを通じて行われていることにも現れているように、仮想空間におけるプラットフォームをめぐる闘争と現実空間におけるプラットフォームをめぐる闘争は密接に関わりあっている。
これまで見てきたように、アメリカでは、ソーシャルメディアや私立大学などさまざまな私的主体が言論のプラットフォームを提供・管理してきた。特に、GoogleやMetaなどアメリカ発のデジタルプラットフォームは、アメリカという領域を超えて、世界の言論プラットフォームとしての役割を果たしてきた。また、ハーバードをはじめアメリカの有力大学(多くは私立大学)は世界各国から研究者や留学生を惹きつけて、世界の学問のあり方を左右しており、学問のグローバルプラットフォームと化している。
いまアメリカ社会で問い直されているのは、それら世界の言論と知を支えるグローバルなプラットフォームに、アメリカの世論と政治がどこまで・どのように介入することができるのか、そしてそもそも介入すべきなのか、ということだ。ソーシャルメディア事業者によるトランプのアカウント閉鎖やガザをめぐる学生運動への大学と世論の反応は、そのようなアメリカ社会の根本的な揺れ動きをあらわしている。
アメリカという国家は、それ自体が、多種多様なプラットフォームを生み出す「メタプラットフォーム」というべき存在なのかもしれない。
そこではこれまで、「思想の自由市場」の名の下にプラットフォーム間の自由競争が行われてきた。それゆえアメリカでは、伝統的に「メタプラットフォーム」である連邦政府からの規制が最小限にとどめられてきたのである。対して、最近では多くの市民がプラットフォームのガバナンスに関心を持つようになり、そのモデレーションのあり方が公共的な関心と議論の対象になっている。
プラットフォームに対する関心の高まりは、次のような出来事にもあらわれている。今年4月、アメリカでは「TikTok禁止法」が成立した。その内容はアメリカに「敵対的な外国」の企業が管理するアプリの国内での配信を禁じるもので、中国の親会社にTikTokの売却を強いる立法となっている。「メタプラットフォーム」としてのアメリカは、自国のプラットフォームには自由を広く認める一方で、TikTokのような緊張関係にある国の資本の下にあるプラットフォームに対しては、安全保障の見地から強硬な対応をとることもある[★21]。(その後、TikTokはTikTok禁止法の差止めを求め提訴している。中国系のプラットフォームがアメリカの国是である言論の自由を盾にしてアメリカの国策に挑戦しようとしているのであるが、それが裁判所に受け入れられることになるかどうか予断を許さない状況にある。)
また、言論の自由やビジネスの自由を重視してきたアメリカにおいても、政府からのプラットフォームへの圧力や影響力行使は決して少なくないことも見逃してはならない。
公権力によるプラットフォームガバナンスの手法としては、連邦議会の公聴会が用いられてきた。連邦議会の公聴会は、本来は、議員から証人が質問を受け説明を行うことが求められる場である。だが、実際には、説明の要求のみならず、「問題のある」言論等に対応するよう事実上の圧力を受けることも少なくない。デジタルプラットフォームによるフェイクニュース対策や個人情報保護のあり方については連邦議会の関連する委員会において何度も公聴会が行われてきたし、先に見たように、現実世界の言論と知のプラットフォームである大学に対しても、ガザ攻撃後の学生の「反ユダヤ主義」的言動をめぐって公聴会が行われ、主要な大学の学長が召喚され、議員らから厳しい質問を受けた。
アメリカにおいて連邦議会の公聴会は、法律等によるフォーマルな規制を超えて、政治部門がプラットフォームにインフォーマルな圧力をかける舞台として機能してきたといえるだろう。「メタプラットフォーム」であるアメリカという国家は、それぞれのプラットフォームの多様性を認めつつも、ときにそのあり方に介入している。
こうした政治的な働きかけがある程度受け入れられている背景には、プラットフォームが、私的(プライベート)な主体により設置・管理されていることが多い一方で、公共的(パブリック)な役割を果たすようにもなっているという現実がある。
たしかに、ソーシャルメディアの利用規約やポリシーに基づく利用者のアカウント停止、また大学の要請を受けた警察による学生の不法侵入容疑での逮捕などの事例に見て取れるように、プラットフォームの権力は、私的なものである財産権や契約に裏付けられている。しかしながら、コンテンツモデレーションなどプラットフォームの果たしている役割は、ある側面では公共性を帯びているし、プラットフォームの財産権や利用者との契約も、警察や裁判所など公権力の行使により裏付けられている面がある。このことは、プラットフォームのガバナンスあり方に法や政治が介入できる余地を示してもいる。
プラットフォームのガバナンスのあり方については、それぞれのプラットフォームにおいて模索が続けられており、それらの利用者である消費者や学生の立場も含め、さまざまな立場から議論が活発に行われている。私的権力である各プラットフォームから個人の自由を確保するためには「メタプラットフォーム」たる国家に積極的な介入を求めるべきなのか? それとも国家による介入は必要最小限にとどめ、プラットフォーム間のガバナンスの自由競争を通じて、利用者の自由を実現していくべきなのか? そこでは自由とガバナンスのあり方に関する根本的なビジョンが争われているのである。
多くのデジタルプラットフォームの母国であるアメリカにおける「プラットフォームをめぐる闘争」は、プラットフォームに依存して言論や他者とのコミュニケーション、経済活動を行う日本の我々にとっても無縁ではない。日本でもすでに、LINEの利用者らの個人情報が資本関係にある韓国のNAVERの関連会社経由の不正アクセスにより流出した問題をめぐって、総務省がLINEヤフーに対してNAVERとの資本関係の見直しを求める行政指導を行うなど、プラットフォームのあり方をめぐる議論や闘争が活発になっている。また、今年に入り、プロバイダ責任制限法が改正され、情報流通プラットフォーム対処法に改められたり、スマホソフトウェア競争促進法が制定されるなど、プラットフォーム事業者に対する規制も強化されている。
そして、この記事を書き上げ、改稿している最中にトランプが再び大統領選挙に勝利した。トランプが大統領に返り咲くことにより、アメリカにおける闘争の行方は一層見通し難くなっているが、こうした闘争が日本でも我々の依存するプラットフォームのあり方を少なからず左右することは確かである。
写真提供=成原慧
★1 成原慧「情報法からみたプラットフォームをめぐる法的問題」、千葉恵美子『デジタル・プラットフォームとルールメイキング』、日本評論社、2023年。
★2 成原慧(インタビュイー)、豊秀一(聞き手)「トランプ氏のアカウント凍結、ツイッター社の責任とは」、朝日新聞デジタル、2021年2月23日。URL= https://digital.asahi.com/articles/ASP2Q63T0P2QUTIL03P.html
★3 Kate Klonick, “The New Governors: The People, Rules, and Processes Governing Online Speech,” Harvard Law Review, 131, 2018. URL= https://harvardlawreview.org/print/vol-131/the-new-governors-the-people-rules-and-processes-governing-online-speech/
★4 URL= https://www.harvard-yenching.org/
★5 URL= https://cyber.harvard.edu/people/jzittrain
★6 URL= https://www.harvard-yenching.org/events/platform-governance-after-the-pandemic-and-other-crises-from-a-japanese-perspective/
★7 アメリカにおける「思想の自由市場」論の思想的背景については、ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ―米国100年の精神史【新装版】』野口良平、那須耕介、石井素子訳、みすず書房、2021年を参照。
★8 Nilay Patel, “Harvard professor Lawrence Lessig on why AI and social media are causing a free speech crisis for the internet,” The Verge, Oct. 24, 2023. URL= https://www.theverge.com/23929233/lawrence-lessig-free-speech-first-amendment-ai-content-moderation-decoder-interview
★9 Brief of Law and History Scholars as Amici Curiae in Support of Respondents, NetChoice v. Paxton, 603 U.S. (2024). No. 22-555. URL= https://www.supremecourt.gov/DocketPDF/22/22-555/298559/20240123170737653_2024.01.23%20Final%20Netchoice%20v.%20Paxton%20Amicus%20Brief.pdf
★10 この訴訟の背景と論点について詳しくは、成原慧「米国におけるプラットフォームのコンテンツモデレーションに関する規制と議論の動向」、総務省デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会WG(第8回)、2024年3月18日も参照。URL= https://www.soumu.go.jp/main_content/000935747.pdf
★11 Moody v. NetChoice, 603 U.S.__ (2024). URL= https://www.supremecourt.gov/opinions/23pdf/22-277_d18f.pdf
★12 J. Sellers Hill & Nia L. Orakwue, “Harvard Student Groups Face Intense Backlash for Statement Calling Israel ‘Entirely Responsible’ for Hamas Attack,” Harvard Crimson, October 10, 2023. URL= https://www.thecrimson.com/article/2023/10/10/psc-statement-backlash/
★13 キャンセルカルチャーをめぐる問題については、成原慧「キャンセルカルチャーと表現の自由」、『法政研究』89巻3号、2022年、167頁。URL= https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/6757908/8903_p167.pdf
★14 Randall Kennedy, “Browbeating: Randall Kennedy on the campaign against Claudine Gay”, London Review of Books, Vol. 46 No. 2, January 25, 2024. URL= https://www.lrb.co.uk/the-paper/v46/n02/randall-kennedy/browbeating
★15 The Fellows of Harvard College, “Statement from the Harvard Corporation: President Gay, Harvard University,” January 2, 2024. URL= https://www.harvard.edu/2024/01/02/statement-from-the-harvard-corporation-president-gay/
★16 “Police Clear Building at Columbia and Arrest Dozens of Protesters,” New York Times, May 8, 2024. URL= https://www.nytimes.com/live/2024/04/30/nyregion/columbia-protests-college
★17 “As it Happened: More Than 1,000 Stage Walkout at Harvard Commencement Ceremony,” Harvard Crimson, May 23, 2024. URL= https://www.thecrimson.com/article/2024/5/23/harvard-commencement-live-updates/
★18 Daniel Kreiss & Matt Perault, “What Universities Might Learn from Social Media Companies About Content Moderation,” Tech Policy press, May 20, 2024. URL= https://www.techpolicy.press/what-universities-might-learn-from-social-media-companies-about-content-moderation/
★19 Cass Sunstein, Campus Free Speech, Harvard University Press, 2024.
★20 Emma H. Haidar & Cam E. Kettles, Garber Says Student Protesters Will Face Consequences if They Violate Harvard Policies, Harvard Crimson, August 29, 2024. URL= https://www.thecrimson.com/article/2024/8/29/garber-harvard-protests-warning-shot/
★21 ハーバードでの議論として、次のシンポジウムがある(リンク先で講演動画を視聴できる)。“Institute for Rebooting Social Media, Dangerous Dancing?: TikTok, National Security, and the First Amendment,” April 12, 2024. URL= https://rebootingsocialmedia.org/events/dangerous-dancing-tiktok-national-security-and-the-first-amendment/
成原慧