訴訟は社会が変わるきっかけだ──大野聖二×栗田穣崇×川上量生「ネット時代の権利と文化」イベントレポート
当時インターネットを騒がせたふたつの事件を、まだご記憶のかたも多いだろう。じつはそれらの事件は、たんに世間の話題を集めたり炎上を引き起こしたりしただけではなかった。ふたつの事件の背景には、ネット時代の知的財産権やそれを保護する法制度のありかたを考えるための重要な論点が存在していたのだ。
4月17日に行なわれた、ZEN大学(仮称・設置認可申請中)とゲンロンが共同で運営する公開講座の第6弾イベントに、このふたつの事件にかかわりのある人物たちが登壇した。株式会社ドワンゴ顧問の川上量生、同社取締役COOの栗田穣崇、そしてドワンゴの訴訟代理人をつとめる大野聖二弁護士の3氏である。イベントでは、知的財産法の基礎知識から実務のぶっちゃけ話までがとことん語り尽くされた。
本レポートでは、初学者にも実務家にも面白い、間口の広さと奥深さをかねそなえた充実のイベントの論点をぎゅっと取り出し、ダイジェストでお届けする。
大野聖二×栗田穣崇×川上量生「ネット時代の権利と文化──知的財産権をめぐって」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240417
国境をこえるインターネットと法の限界
ネット時代の知的財産権。その中でも、今回のイベントで取り上げられたふたつの事件では、それぞれ異なる権利が争点となったという。
まず、知的財産権とは、著作物や発明、商標などの創作者に与えられる諸権利をまとめてあらわす呼び方である。具体的には、著作権や特許権、商標権などがそれにあたる。それらの権利のうち、イベント前半で話題となった「ドワンゴ対FC2事件」では「特許権」が、後半の「ゆっくり茶番劇商標登録問題」では「商標権」が大きくかかわってくる。
イベントは川上による導入プレゼンから始まった。川上によれば、知的財産権をめぐる国ごとの法制度のちがいによって、外国企業が有利になり日本企業が不利になる状況がつくりだされている。そして、その一例が特許権をめぐる争いにあらわれているという。
そこから話題は、「ドワンゴ対FC2事件」へと入っていく。まずは大野弁護士から、この事件で問題となった「特許権」とはそもそも何なのか、基礎的な解説が行なわれた。キーワードは、特許権を直接的に侵害する行為である「実施行為」、権利侵害のふたつのかたちである「直接侵害/間接侵害」、そして「属地主義」だ(これらのいっけん小難しそうな概念が事件の核心とどのように関わってくるかは、ぜひイベント本編で確認してほしい)。そのうえで、2022年に最初の判決が下されたドワンゴ対FC2事件について、詳しい説明と議論がなされていく。
簡単に、事件のあらましを紹介しておこう。2016年、ドワンゴがFC2にたいする特許権侵害訴訟を東京地方裁判所(東京地裁)に提起した。ドワンゴは、ユーザーの投稿したコメントをそれぞれが重ならないように画面上に表示するしくみにかんして特許権を有している。これをFC2が侵害していると訴えたのだ。この事件は、時系列順に「第1事件」「第2事件」と呼ばれているふたつの訴訟から成り立っている。後者は2023年5月26日に知的財産高等裁判所で控訴審判決がなされ、現在は最高裁判所へ上告が申し立てられている。そのドワンゴ側代理人を大野がつとめているというわけだ。
訴訟の経緯やおもな争点については、イベントのなかで大野から丁寧な説明がなされている。だから詳しくはイベント本編をご覧いただくとして、ここでは、ドワンゴ対FC2事件の意義についてのやりとりに触れておきたい。
川上は、今回の訴訟はビジネス的にはやらないほうがいいものだった、と振り返る。なぜなら、金銭的利益に直結するような訴訟ではないからだ。しかしそれでも提訴に踏み切ったのは、社会的な意義を考えてのことだったという。
大野の説明にしたがえば、この事件においてとくに重要な争点となったのは、特許権のキーワードのひとつとして出てきた「属地主義」の考え方だ。属地主義とは、ざっくりいえば、日本で起きたことは日本の法律に、アメリカで起きたことはアメリカの法律にしたがって解決しよう、という立場のこと。日本の裁判所は、特許権について、従来この立場を採用してきた。
それを問い直したのが、インターネットの登場とWebサービスの普及だった。ドワンゴ対FC2事件では、ユーザーの多くは日本にいるがサーバーはアメリカにあるFC2の特許権侵害を日本の裁判所が裁くことは可能なのか、というポイントがおもに争われた。属地主義の立場からすれば、日本の裁判所はこれを裁くことができない。しかし大野は、「ネットワーク社会において、サーバーを海外に置くだけで特許権の侵害が認められなくなるのはおかしい」と語る。
ドワンゴ対FC2事件は、ネット時代の権利と法制度のありかたをめぐる、社会にたいする問いかけだったのである。
プラットフォーマーとしてネット文化を守ること
社会的な意義を考えて訴えを起こすこと。ドワンゴ対FC2事件を振り返って、栗田は「普通の会社ではやらないと思う」と苦笑する。だが、そこでビジネス的なメリットだけでなく、社会的な意義を考えるところに「川上イズム」があるという。その姿勢があらわれたもうひとつの出来事が、栗田が中心的な役割を果たした「ゆっくり茶番劇商標登録問題」だった。
「ゆっくり」については、知らないひとはググってみてほしい。「ゆっくり実況」や「ゆっくり解説」、「ゆっくり茶番劇」などで動画検索をかけると、まんじゅうみたいな絵柄のキャラクターが、特徴的な音声で喋っている動画を無数に見つけることができる。とあるゲームの二次創作を起源とするこのネットミームは、ある種のパブリック・コモンズ(公共財)として、多くのネットユーザーに愛されてきた。
ゆっくりの特徴は、「ゆっくりMovieMaker」という動画編集支援ソフトが用意されていることだ。もとは原作者のいるキャラクターや音声だが、ユーザー自身がコンテンツをつくりだすことが容易である。さらに、ゆっくりの元となった「東方プロジェクト」などの権利者たちもガイドラインなどを整備し、二次創作を後押しする文化がつくられている。
そのような中、2022年5月、原作キャラクターなどの権利者ではないある人物が「ゆっくり茶番劇」の商標権を取得したと発表し、ネット界に激震が走る。当初はライセンス使用料を徴収するという発表もなされていたことから、反発も大きく、いわゆる「炎上」が広がった。
騒然とするネット界を鎮めるべく動き出したのが、ニコニコ動画の運営を統括している栗田だった。じつは栗田は、当初はそれほど積極的にアクションを起こすつもりはなかったという。実務的な感覚からすれば、「ゆっくり茶番劇」の商標が取得されても高額な使用料が徴収される事態にはならないのは明らかだった、と栗田は振り返る。
だが、炎上はかなり激しく、とくに「ゆっくり」を使って動画制作を行なっている配信者には10代の若者が多いことから法的なトラブルへの不安も高まっていた。そこで栗田は、「ゆっくり」文化の中心地でもあるニコニコ動画として対応に乗り出すと発表し、ドワンゴとして商標権の無効審判請求や商標出願などを行なったのである。
栗田も説明するとおり、ドワンゴによる商標出願は、その独占を防ぐことを目的としていた。それは、ドワンゴ対FC2事件と同様、自社のビジネス的な利益を求めた行動というよりは社会的な意義を優先した行動だったのである。
栗田はつぎのように語る。「東方プロジェクトが流行っていったのもニコニコ動画のなかだし、ゆっくり茶番劇やゆっくり動画が生まれてきたのもニコニコ動画。だから、そういったネット文化はニコニコ動画の気概として守っていきたい」。
イベントの冒頭で川上が指摘した、国ごとの法制度のちがいによって日本企業が不利になっている状況に対して、ドワンゴは訴訟を通じてその構造のもとである法制度を問い直してきた。また、日本ならではのネット文化を守るための法的なアクションも起こしている。今回のイベントは、そのような企業文化をつくりだしてきた川上の経営者としての理念と、その理念と実務をつなげる役割を担ってきた栗田と大野の視点が交錯する、きわめて貴重なトークとなっていた。
最後にもうひとつ見逃せない論点を書き足しておけば、川上がイベントの随所で口にしていた「AIの登場によって商標権以外の知的財産権は不要になるのではないか」という指摘は、作者や人格などの概念を前提とする近代的な法制度を考え直していくための端緒となるように筆者には感じられた。その指摘にたいする、知的財産法の専門家としての大野の返答も重要だ。
だが、その議論を紹介する紙幅は尽きている。AI時代の権利と法制度のありかたを予見させるアツい議論は、ぜひイベント本編にてじかに受け止めていただきたい。(植田将暉)
大野聖二×栗田穣崇×川上量生「ネット時代の権利と文化──知的財産権をめぐって」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240417