ジャンルを超えてカルチャーを語れる理由とは?――さやわか×仲俣暁生「物語評論家とはなにものか」イベントレポート
5月19日、物語評論家のさやわかと、評論家・編集者の仲俣暁生によるトークイベントがゲンロンカフェで行われ、配信された(会場は無観客)。さやわかの新著『世界を物語として生きるために』の刊行記念として企画されたこの対談では、物語論や文芸批評の枠組を超え、深く広いカルチャー論が展開された。
1964年生まれの仲俣暁生と1974年生まれのさやわかには10歳の差がある。しかしトーク全体を通して感じられたのは、2人の知識や経験に驚くほどの共通点があることだ。実際の発言を見てみよう。
さやわか「中学三年生のときに、サッカー部の大会が終わったのでこれから何をしようかと考えて、本を読むことにしようと思ったんです。それで本屋へ行って、筒井康隆の『にぎやかな未来』とかを買ったんですよ」
仲俣「僕も中学一年生のときに自分のお小遣いで初めて本を買おうと思って近所の小さな本屋に行ったら、トルストイ『人生論』と筒井康隆『にぎやかな未来』が並んで置いてあったんですよ。どっちを買うか30分くらいすごい迷ったけど、自分のなかの声に忠実に従って『にぎやかな未来』を買ったんです」
仲俣「(編集の仕事のやり方は)編集部で捨ててあったゲラを見て覚えました」
さやわか「ぼくもそうでした。最初に入った編集部で、赤入れの仕方がわからなかったから、ゴミ捨て場から(ゲラを)拾ってきて参考にしてました」
これら以外にも、2人のあいだで共通する体験はいくつも語られた。そういった個人的な体験から出発して、1980年代の音楽シーンやパソコン文化、あるいは世界文学やサッチャー政権の動向といったような国際政治に至るまで、話題はじつに多岐にわたった。若い世代にとっては貴重な対話と言えそうだ。
物語評論家とは?
2人がそれぞれの来歴を語るうちに、話題は自然と、さやわかの「物語評論家」というユニークな肩書きへ向けられていった。さやわかは次のように語る。
「ぼくが興味あるものは、基本的になんらかの意味で物語性のあるものだけなんです。例えば音楽だったら、作者自身とか歌詞から物語を読み取る。ぼくは物語性から対象を解釈するんです。その話を以前、(ライターの)ばるぼらさんに話したことがあって、そうしたら『じゃあ専門は物語だから、(肩書は)物語評論家でいいんじゃない』と彼に言われたんです。それはおもしろいなと思って、物語評論家を名乗ることにしました」
これを聞いた仲俣は「なぜ物語”批評”家ではなく物語”評論”家なのか?」と質問した。
さやわかは、批評とは「人間の営みを作品としてとらえ、それについて説得的に語る行為」と捉えているという。他方で評論は「必ずしも対象を作品としてとらえる必要はない」。そこが異なるというのだ。
そのうえで、「自分は物語を語る行為を、(批評のように)作品や文化の枠組みで展開するのではなく、社会や人間や世界のように大きな単位につなげていく行為にしたかったんです。だから物語評論家という肩書きがいいと思ったんです」と説明した。「物語評論家」という一見突飛な肩書きの背景には、さやわかの仕事の狙いが込められていたのだ。
カルチャーシーンを俯瞰する
さやわかには『文学の読み方』という著作があり、仲俣は昨年(2020年)『失われた「文学」を求めて【文芸時評編】』を発表したばかり。事前には文学が話題の中心になる思われたイベントだったが、ジャンルを越境する『世界を物語として生きるために』の内容と呼応するように、話題は漫画、ゲーム、編集、そして人生遍歴など多岐に及んだ。
さやわかの音楽原体験は、「ピコピコがかっこいいな」と思いながら聞いていた「ハイスクールララバイ」(イモ欽トリオ、1981年)。作詞は松本隆、作曲は細野晴臣だ。そこからYMO、C-C-B、大江千里、中森明菜といった名前が語られ、仲俣もまた即座にリアクションを返していった。
テンポのよいやりとりには独特の高揚感があり、本イベントの白眉だった。さやわかもまた、こんなに音楽の話ができるのは初めてだと興奮気味に語っていた。仲俣は、次は音楽を主題にイベントを行いたいと提案し、さやわかも前向きな返事を返していた。
2人のあいだには10歳の年の差がある。必ずしも同世代とはいえない。にもかかわらずこのような会話が成立しているのは、必ずしも共通の知識や体験があるがゆえではない。カルチャーを語るうえで本当に重要なのは、自分の知識や体験がどのような文脈の上に位置しているのかを俯瞰し、地図のように把握すること。2人が共有しているのは、まさにそのの文脈と地図なのだ。
もし次回、音楽をテーマとした2人の対談がゲンロンカフェで行われたとしても、話題は必然的に他のジャンルにも及ぶだろう。しかし話題がどこまで広がったとしても、それもまた音楽の文脈と繋がるに違いない。さやわかと仲俣暁生は、そのようにして文化を語ることのできる書き手たちなのだ。その豊かさを経験できたことが、このイベントの最大の収穫だった。(遠野よあけ)
シラスでは、2021年11月16日までアーカイブを公開中。ニコニコ生放送では、再放送の機会をお待ちください。
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210519/)
遠野よあけ