銀河の片隅から科学と人間を繋ぐ――全卓樹×山本貴光×吉川浩満「この世界の小さな驚異について」イベントレポート

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ゲンロンα 2021年6月21日配信
 昨年(2020年)末、ゲンロンカフェの恒例イベント「『人文的、あまりに人文的』な、人文書めった斬り!」で、山本貴光、吉川浩満、斎藤哲也の三氏が「人文的大賞2020」として選んだのが、高知工科大学教授・全卓樹の『銀河の片隅で科学夜話』である。現代科学の様々な分野の成果を22の短い物語にまとめた本書は、最先端の科学を扱いながら、詩的な抒情味にあふれた一冊だ。 
 本イベントでは、高知在住の全をリモートで繋ぎ、「人文的大賞」選考委員である山本と吉川が、本書が誕生した経緯や現代科学のリアルについて伺った。このレポートではイベントの一部を抜粋してお伝えする。(ゲンロン編集部)

異世界への扉としての『銀河の片隅で科学夜話』



 全は自身の著書を、「科学奇譚」という言葉で表現している。科学を題材にしながらも、何かの待ち時間や寝る前など、色々な場面で読まれて欲しい、様々な感性を持つ人の目に触れて欲しい、そして、本棚のどこに入れればいいか分からない本を書きたい──この言葉には、そんな意図がこめられている。吉川はこの本を、一般的な科学読み物とは違い、「寝る前にウォークマンで聞く音楽」くらいの手軽さで、「10分間ぐらい異世界に連れて行ってくれる」と評した。 

 この本が提案しているのは、新たな科学コミュニケーションの形といってもいいだろう。 

 

科学的なものの見方は自然ではない



 現代では科学の発達により、分子や粒子といった超ミクロの世界も観察可能になった。一方で、その成果を理論的に示されても、門外漢からすれば「だから何なんだ」という感想しか抱けないこともある。全は、「科学は特殊な認知力で何かを見ているにすぎない」と、科学の力を謙虚に評価する。つまり、科学は人間の素朴な感覚からは離れた認知形態科学であり、科学者はそれについてもう少し自覚的であるべきというわけだ。 

 
 

 全はこの後スライドを用い、量子力学の世界を説明してくれた。量子の世界はまさに、「特殊な認知力」が必要とされる分野の典型だ。 

 量子力学は、マクロな対象を運動方程式に当てはめてその動きを予測する古典物理学とは違い、ミクロな粒子=波(量子)の動きを確率で記述する。そして量子の状態は、観測の度に変化する。しかし動きの記述が確率頼みで、観測するたびに状態が変わるというのは、素朴には理解しづらい。これを常識的な感覚で理解するため、「量子の状態は観測するまで特定されない」とするコペンハーゲン解釈や、量子は重ね合わせの状態で存在し、並行世界に分岐しているというエヴェレット解釈などが提案されてきた。 

 全はこれらの解釈は、確定的な事実を表すものではなく、あくまで「解釈」だと説明する。量子の振る舞いを記述する波動方程式は数学的に正しい。しかし、それで何が起こったかを人間が理解するには、なんらかの解釈が必要なのだ。言うなれば、それらの解釈はあくまで、暫定的な「設定」であり、私たちの常識を量子の世界でも通用させるためのものだ。そのため、これらの解釈にはいびつなところがある。人間の感覚と量子力学をすりあわせようとすると、どうしてもおかしな点が残ってしまうのだ。 

 
 

 全は量子力学の基礎を解説し、21世紀におけるその応用である量子暗号や量子計算がもたらす「量子ファイナンスのニルヴァーナ」の可能性に触れた後、吉川の著書『理不尽な進化』を、量子力学の理論と並行な形で、確率分布関数を用いて読み解いてみせた。全は『理不尽な進化』で示された、「劣位な種は途絶え、優位な種のみが生存するというわけではなく、常にどの時点でも優位と劣位が併存している」という考えに注目し、これを「生命の分布関数的発展」と呼んだ。生命の進化という事象を、量子力学の知見を参照してどう表現するか──この議論の詳細はぜひ、動画の中で確認して欲しい。種の進化、ひいては人間社会の発展というものもまた、常識的な感覚で捉えるのが難しいことがわかる。つまり「理不尽」なのだ。 

 
 

 

物理学は新たな領域をひらけるか?



 量子力学に続いてテーマに挙がったのは、全が現在注目しているという社会物理学だ。進化生物学者のピーター・ターチンの研究に代表されるこの分野は、様々なデータ(人口、食糧状況など定量化しやすいものから、文学の変遷まで!)を指標化し、ビックデータ解析で歴史を記述しようという試みである。 

 全によれば、現在は様々な領域の専門家が、人間の活動を数理モデル化しようと、好き勝手に色々な論を立てている状態だという。そのため、それぞれの数理モデルの妥当性をどう検証するかという問題が生じている。とはいえ、様々な分野の専門家が自分たちの見える世界から人間を捉えてみるのは意義深い行為であり、勃興期ならではの混乱状態を、全は好意的に見ているそうだ。 

 番組の終盤では、全の専門である現代物理学に話が及んだ。全は物理学全体が閉塞感に覆われているという。彼は現在の状況を、量子力学が発見される前の19世紀末の物理学の状況になぞらえた。電磁気学が完成し、古典物理学で説明すべきものはほとんど説明しつくされてしまった当時は、落穂ひろいのようにしか学問が進まない状況だった。現在もそれに近い状況で、若い研究者を惹きつけて活発に進展しているのは、量子コンピューティングと機械学習の分野だけだという。停滞は権威主義を招き、秀才同士が能力を競う、いわば学問の競技化とも言うべき事態が生じているそうだ。これは全以外にも広く共有された問題意識で、たとえば理論物理学者のリース・モーリンも、物理学のこういった現状を「バッド・ソシオロジー」と呼んで批判している。 

 これと同じような状況が、江戸時代の日本で発達した和算の歴史においても生じていたと山本は言う。和算は、農民、商人、武士など、様々な出自の人々が本業とは別に営むものだった。関孝和による発展以降には流派が生まれ、誰から教わったか、免許皆伝を得られたかといった形式が重視されるようになる。制度化が進むと停滞も始まる。どのようなジャンルにおいても、こういった業界化は避けられないのだろうか? 

 
 

 全はその状況の突破口として、宇宙に期待をかけているという。近年ふたたび活発な宇宙探査で未知の物質や現象が発見され、現在の理論では説明できないものが見つかれば、物理学はまた活性化するはずだ。ぜひとも宇宙から、物理学に夢ある未来がもたらされることを期待したい。 

『銀河の片隅で科学夜話』の裏話から、量子力学の講義、そして現代物理学の課題と展望へ──。話題は科学の各ジャンルを横断し、自由に展開していった。現代社会を生きるうえで必須といえる科学リテラシーをより深め、柔軟な思考を取り戻すためにも、ぜひアーカイブをチェックし、現代科学の世界への理解を深めてもらいたい。「寝る前にウォークマンで聞く」くらいの気持ちで、まずは無料部分だけでも視聴していただければ。(杉林大毅) 


 シラスでは、2021年12月2日までアーカイブを公開中。ニコニコ生放送では、再放送の機会をお待ちください。

全卓樹×山本貴光×吉川浩満「この世界の小さな驚異について──人文的、あまりに人文的な科学夜話」 
(番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20210604/

 

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