コロナを記憶する、出来事を記憶する──大山顕 × 辻田真佐憲 × 東浩紀「コロナは2020年代の「顔」になるか?」イベントレポート
ゲンロンα 2020年10月1日配信
コロナを表象する
大山と辻田のトークは2回目で、前回は「コロナウイルスが人間の顔に似ているのではないか」という話題が展開。その話を受けて今回は、2人が「コロナウイルスと顔」を中心としたプレゼンを行った。そこに司会の東が絡む構成だ。
大山のプレゼンは「MANGA Day to Day」からスタート。同企画は100人を超えるマンガ家がコロナウイルスに関するマンガを日替わりで描いていくものだが、多くのマンガ家がコロナ禍下の日常生活を描いたのに対し、最初の回を担当したちばてつやと最後の回を担当した森川ジョージだけがコロナウイルスそのものの表象(キャラ化)にチャレンジしていたという。試みが成功したか否かは別にしても、コロナウイルスそのものを表現する試みはもっとあっていいのではないかと大山は問題提起する。
そもそも災害とアートは強く関係する。97年前の関東大震災の後には、廃墟となった東京をモチーフとした絵画が好まれるようになった。災害が風景を大きく変え、風景が表現を変えたのだ。
しかし、コロナ禍は風景を大きく変えはしないため、そもそも表現行為自体が災害と結びつかない状態が生まれていると大山は指摘する。それは「MANGA Day to Day」でコロナそのものを描くマンガが少ないことにも反映しているのだ。
記憶の難しさ
イベントは冒頭から“放談”の色が濃く、話題は多岐におよんだ。しかし、多様なトークテーマの中で、「記憶することの難しさ」が核にあったように筆者は感じた。コロナウイルスを表象する作業は、コロナ禍を記憶していくことにもつながる。
辻田のプレゼンもまた、様々な出来事の「記憶」に関わるものだった。辻田は「コロナウイルスの顔」を「コロナウイルス対策の顔」と捉え、政治家の言動を中心にさまざまな事例を細かく紹介する。8月からイベント直前まで多くの出来事がまとめられているのだが、筆者自身、話題のほとんどを忘れてしまっていることに驚いた。辻田は『ゲンロン』本誌の連載でも類似の表を掲載している。さまざまな情報が押し寄せる現代において、辻田のような作業こそが「記憶」のために重要になるのではないか。
集められた情報に3人は突っ込みを入れつつ、ときに笑い飛ばす。辻田は非常時には「笑う」ことすら不謹慎だとされてしまうことを指摘し、コロナ禍そのものの扱いが難しくなっている現状への不安を語る。
“つながり”が生まれる放談
イベントでは、『ゲンロン11』に掲載された東の巻頭論文「悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶」にも触れられた。一見するとイベントの本題である「コロナウイルスと表象」とは関係がないように見えるが、ここで東は原発事故や大量虐殺という人類の「悪」をいかに記憶していくかについて考察している。その点で、東の論考と今回のトークは深いところでつながっている。
大山は冒頭のコロナのプレゼンに入るまえ、この夏に訪れたという高田松原津波復興祈念公園を紹介し、内藤廣設計のパースペクティブから慰霊のありかたを考察していた。東の議論とも深く通ずるテーマであり、大山も東の論考に深い感銘を受けたと話していた。8時間に及ぶトークの最後でも同論考がふたたび話題に上がり、大きな伏線が閉じたかのようだった。
視聴者からの質問コーナーでは、登壇者の3人にオススメの本が尋ねられた。それに対して大山が「興味があるジャンルの本を深掘りして読んでいけば、他のジャンルに対する考え方もわかるようになる。深く掘っていけばどこかでつながる」と答えたのが印象に残っている。今回の鼎談の展開は、まさに大山の言葉を体現している。3人の専門はそれぞれ全く違うにもかかわらず、プレゼンに対してそれぞれの角度から指摘が入るなかで、徐々に一つの“つながり”が浮かび上がっていくのだ。これぞゲンロンカフェ、といえるイベントだった。
イベントではここには書ききれなかった多岐にわたるテーマが話題に上った。コロナ禍でのマンションポエム、大学のオンライン化の弊害や「MIYASHITA PARK」(宮下公園再開発)の評価まで、3人の話は尽きることがなかった。時に脱線したかと思えば、それが今までの話題に不意につながるというダイナミズムを存分に味わえるトークだったので、気になる人はぜひ動画で見て欲しい。(谷頭和希)
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URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200925