悪い場所で時間を稼ぐ
アトリエのスクラップブック
考えてみると、こうした「文章」そのものを執筆するのは、これが初めてかもしれない。
私は2015年から SNS やギャラリーなどで作品を発表してきた、いわゆる美術家である。批評家でもなければキュレーターでもないので、知識や理論を緻密に組み上げて歴史や思想を編み直すのではなく、手先と直感を通じて作りながら考えるような、泥臭い現場で思考してきたタイプだ。
もっとも、私にとって、この「手先を通じて作りながら考える」という身体感覚はどうしても不真面目なニュアンスを含んでしまう。なぜなら日々の生活で指先が触れているのはだいたいスマートフォンであり、それは制作であっても同様だからだ。私は絵を描く際ほぼ必ずと言っていいほど対象をカメラで撮影して画像を見ながら絵画にする。たとえ「その対象」が目の前にあったとしてもそうするのは、ディスプレイを通して触れることが現代の情報環境というもう一つの現実を捉えることだと考えているからだ。
仕事中であれ制作中であれ、常に手元では SNS を通じて流れてくる無数の画像データを指先で滑らせている。だからいま「手先を通じて作りながら考える」といえば、そうした不真面目で手癖とも呼べる操作が主である。私にとって、ドローイングも140文字のテキストもショート動画も、みな細切れに破砕され、こぼれ落ちていくものになっている。そうした破片をペタペタと貼り付けて仮組みしていくことが、私にとって現在手応えのある思考であり、制作のリアリティなのだ。
だからこそ、本稿もまた洗練された批評理論というよりは、そうした思考の断片を貼り出したようなひとつの「スクラップブック」として執筆してみたい。
2026年10月24日刊行『ゲンロン19』

名もなき実昌





