ニューメディア時代にこそ歴史の教訓を 国威発揚の回顧と展望(最終回)|辻田真佐憲

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2025年5月10日刊行『ゲンロン18』
 本記事は、著作権者である辻田真佐憲さんからの申し出により、公開を終了いたしました。

辻田真佐憲

1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。単著に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』『文部省の研究』(文春新書)、『天皇のお言葉』『大本営発表』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、『新プロパガンダ論』(ゲンロン)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)、『文藝春秋が見た戦争と日本人』(文藝春秋)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。

2 コメント

  • TM2025/05/23 17:57

    ラウレルの言葉はメタ的観点に立って初めて浮かぶ言葉だと思う。他者の思惑で虐げられているとき、正面からの怒りは世界を変えない。むしろ悲劇を増幅する可能性すらある。怒りや苛立ち、落胆といったネガティブな感情は消せないけれど、それを懐に抱えたまま、思考はあくまで俯瞰的に他者の思惑を認識、その絡まりの中で隙間を通すべきなんだろう。 追記の提言はとても響きました。

  • watamama2025/08/18 14:00

    辻田さんのコラムで触れられていた「プロパガンダ・メディア神話」は2025年8月現在において石丸旋風や”プロマーケター集団刀”の失速を予見するものであり、また参政党の躍進はその対極の地道なコミュニティー成熟の努力の結果ということを(主張はどうあれ…個人的には賛同できない)鋭く批評していた。素晴らしかった。

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