うたたねのように光って思い出は指先だけが覚えてる熱|大庭繭

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アフターの誘いをどうにか断って、わたしはドレス姿のままタクシーに飛び乗った。きらびやかな光で溢れる街を背にして車は闇を切り拓くように進む。繁華街を抜けると、あたりはすっかり明かりが落ちて、時が止まったみたいに静かになる。人の姿が消えた街の中をタクシーやトラックたちがびゅんびゅん走り抜けてゆく。今夜の満月は特別にきれい。濃紺の空にまんまるの月が、濡れた水蜜桃のように光っている。姉さんはきっと月と同じくらい、まんまるに膨らんで、いっそう冷えびえとつめたく張りつめているに違いない。飲みすぎたせいか頬が火照って、頭がひどく痛んだ。どうも最近は身体がやけに怠い。お酒にも酔いやすくなってしまって、指名客が入れてくれたシャンパンもヘルプの子たちに協力してもらってなんとか空けられた。前はもっと強かったはずなのに。体調が悪いせいか、いつも以上に些細なことで気分が落ち込む。でも、姉さんのことを考えている時だけは幸せな気持ちになれる。隅田川に沿ってゆるくカーブする首都高からは、照明の落とされたスカイツリーの根元が見えた。ライトアップされていないそれは、存在感がなく、剥き出しの骨が集まっているみたい。たよりない輪郭が闇の中に淡く溶けている。一刻も早く姉さんに触れたくて、わたしは自分の身体を強く抱きしめた。
玄関の引き戸を乱暴に開けて、むしり取るようにヒールを脱ぎ捨てると、そのまま階段を駆け上がって寝室に飛び込む。両親の遺してくれた古い一軒家は夜でも乾いた日向の匂いがする。寝室は、窓から差し込む月の光で満たされて、薄瑠璃色に染まっている。窓を開けると、湿ったぬるい風が部屋に流れ込んできた。この時間の空気は重く静か。ねっとりと濃密で、海の底みたいだなって思う。クイーンベッドの上に横たわる姉さんが、仄白い光を放つ。透明な水風船のように、はちはちに膨らんだ姉さん。わたしは、脱皮するみたいに、ドレスやストッキングや下着をするすると身体から引き剥がし、素裸になって姉さんの上に倒れ込んだ。
薄くつるつるとした膜がわたしの皮膚に触れる。この世界のなによりも優しくやわらかな感触。あまりの心地よさに、小さく息を漏らす。膜の中に満ちる透明な液体はひんやりとつめたく、わたしの体重をやわらかく受け止めた。熱い素肌が姉さんにとろとろと溶かされてゆく。わたしと姉さんの温度が混ざり合う前の、このひとときがいちばん気持ちいい。やわらかな膜の中をつめたい液体で満たされた姉さんは、声を発することすらできない。ただ、心地よい感触でわたしの身体をそっと包み込んでくれる。わたしは、目を閉じて姉さんの膜越しに聞こえる遠いさざ波のような音に耳を澄ませた。
「ママ」
ふいにそばで声がした。びっくりして飛び起きたけれど、あたりに人影はない。開けっ放しの窓からかすかに風が入ってくる。小さく揺れるカーテンをじっと見つめていると、急にぐらりと視界が揺れた。


大庭繭
1 コメント
- TM2025/05/19 21:01
SFだと思うとうたたねのシステムが気になってしまう。システム的には母の記憶がツバサの中で再構築されて母は動的なものというかよくてLLM的なものとして振る舞うかなと思ってしまう。そう思うとどうしても母の一人称目線が気になってしまう。最早ツバサが母の記憶の断片から母を妄想するほうがしっくりくるけどそうなるとヘアバンド型の装置だとかが気になってしまう。あと亡くなりそうな脳梗塞となるとそもそも記憶は再生可能なんだろうか?ここもSFという形だと気になってしまった。 でも逆にSF的に回収されない母の姉の存在は魅力的だった。この魅力は恐ろしく、喪失から母(祖母)から傷つけられる母というやや定型な部分を姉の表象が他では味わえない印象を残している。 姉的な想像力で全面に振り切られた作品が読みたくなりました。 この物語自体リアルなツバサと母のエピソードなどまだまだ書き込める余白が多分にあって、まだまだ大きく味が濃くなる余地が感じられます。すごいです。 人魚ごっこも読みたくなりました!