夢と空白の起業家小説──『兄弟』|伊勢康平

余華 余(1960-)
引用元=https://en.wikipedia.org/wiki/File:Brothers_(Yu_novel).jpg
1949年に中華人民共和国が成立して以来、中国は驚異的なエネルギーをもってめまぐるしい転換の歴史を刻んできた。余華の『兄弟』は、中国が、空前の狂気と不毛さで人々を翻弄した文化大革命(1966─76年、以下「文革」)を経て苛烈な市場競争の時代へと突入してゆく約半世紀のあゆみを、ふたりの「兄弟」の人生をとおして描く小説だ。
第一部(邦訳では「文革篇」)は2005年、第二部(同「開放経済篇」)は翌2006年に刊行され、たちまち累計100万部超のベストセラーになった(非正規の海賊版はその何倍も流通しているとされる)。また日本語を含む数多くの言語に翻訳されており、2008年に「クーリエ・アンテルナショナル」の最優秀外国書籍賞を受賞、2019年には「ル・モンド」の「第二次大戦後の世界でもっとも影響力のある小説100選」に選ばれるなど、高い評価を得ている。まさしく今世紀を代表するアジアの小説のひとつといえるだろう。
著者の余華は1960年に浙江省杭州市で生まれた、文革を経験した世代の作家である。本書と同じく文革をあつかった小説『活きる』(1993年)が張芸謀によって映画化されており、そちらで知っているかたも多いだろう。『活きる』が1940年代の国共内戦から文革にいたる2、30年を舞台とするのに対し、『兄弟』では文革の手前から2005年の大規模な反日デモあたりまでが語られる。つまり『兄弟』は、著者自身がじっさいに生きてきた時代を描いた小説である。
駆けめぐる宇宙の夢
この本が描く「兄弟」はじつの兄弟ではない。再婚した親の連れ子どうしである。兄の宋鋼は6歳のときに母を病で亡くし、弟でひとつ年下の李光頭は、生まれたその日に父を(およそ私の知るかぎりもっとも下劣で悲惨な驚愕の死因により)失った。残されたふたりの親が結ばれたことにより、かれらは家族になる。文革がはじまる直前のことだ。
ふたりは上海近郊の「劉鎮」という街で生まれ育ち、私刑と略奪が横行する文革の時代をともに生き延びてゆく。そして中国が市場経済へと転換していくなかで職を得て独り立ちし、それぞれの道を歩む。その運命はじつに対照的だ。しかもその境遇の差は、少なからずふたりの人格のちがいに由来している。
弟の李光頭は非凡な商才をもつが、粗野で露悪的な性格で、野心や欲望を満たすためには手段を選ばない。一方で、家族や恩人は損得抜きで重んじる義理堅い一面もある。物語は李光頭を中心に展開し、とくに後半の「開放経済篇」では、かれが試行錯誤しながら起業家として成り上がっていく過程が大きな軸となる。
かれは公営の福祉工場の経営で才能にめざめたのち、廃品回収の企業を立ち上げ、日本の中古スーツの転売でひと財産を築く。その後もアパレル産業で急成長しつつ、劉鎮の再開発事業に乗じて街の大半の産業や不動産を手中に収めてしまう。圧倒的な「不動産王」として君臨した李光頭は、2001年にアメリカの実業家デニス・チトーが成し遂げた世界初の自費による宇宙旅行に触発され、宇宙をめざしはじめるのだった。
『兄弟』の物語は、李光頭の宇宙の夢からはじまり、約半世紀の叙述を経てかれが宇宙旅行を志すところで閉じられる。つまりこの小説は、強大な起業家が抱く宇宙飛行の夢によって循環している。見方によっては、李光頭は前澤友作とドナルド・トランプを混ぜ合わせたような人物といえるかもしれない。『兄弟』は2000年代に書かれた中国の小説だが、いま読み返すと、単に時代や国柄のちがいを感じられるだけでなく、昨今の風刺に見えてしまうような予見性がある。
強烈な個性を放つ李光頭とは異なり、兄の宋鋼は実直で穏やかな人物だ。作中でもしばしば「善良」「誠実」と評されているほか、容姿端麗で料理や裁縫にすぐれ、多少の文才も備えている。李光頭が福祉工場に勤めはじめたころに金属工場に就職し、ささやかながらも幸せな所帯をもつのだが、やがて勤務先の工場が破産し、身をすり減らしながら職を転々とすることになる。その顛末はじつに悲惨だ。
いっけん、宋鋼をめぐる物語は弱肉強食の世界で「正直者がバカを見る」話のようにも思える。じっさい中国では、そのような理由から『兄弟』が批判されることもあるようだ。
とはいえ、宋鋼が破滅的な末路をたどる理由はきわめて明白である。ひとことでいえば、宋鋼はとにかく自分が決めたことを「訂正」できないひとなのだ。
「文革篇」の末尾に、宋鋼が病床の継母から遺言を受ける場面がある。そこで「李光頭がどんなに悪いことをしても、見捨てない」でいてやるよう頼む継母に対し、宋鋼は「僕が一生李光頭の面倒を見るから。最後の一杯しかご飯が残っていなかったら、李光頭に食べさせてあげる。最後の一着しか服が残っていなかったら、李光頭に譲ってあげる」と宣言する。宋鋼が一方的に負担することを案じたのだろう、継母はかぶりを振って、あくまで兄弟で助けあうのが大事だと諭す。だが結局、宋鋼はそれを聞き入れなかった。
げんに、かれは李光頭が事業に失敗して困窮したときには、自分の食事を抜いてまで金や配給切符を分け与えるのだが、その後成功した李光頭からの助けは断固として拒否しつづける。最終的に「オレの会社の副総裁になれ。出勤したきゃ出勤してもいいし、出勤したくなきゃ家で寝てていい」という李光頭の申し出を断っておきながら、よそから来た詐欺師の仲間になり、「金を稼ぐためなら、僕はなんだってやる」と言ってその片棒をかつぐのである。ここにいたって宋鋼はもはや「善良」でも「誠実」でも何でもない(ちなみにその手口は現代社会ではまず成立しないだろうが、あまりの下品さと痛ましさゆえに忘れがたいものだ)。
李光頭は、柔軟に戦略を変えながら起業家として成長しつづける一方で、倫理を欠いた行為もたびたび行なう。その醜悪さに思わず眉をひそめる読者もいるだろうが、それでもかれは刑罰を受けるようなことはしない──文革期には現代だとアウトなこともしているが。他方で宋鋼は心優しい性格ながら、「兄は弟に譲り、その面倒を見るものだ」という考えに縛られつづけ、ついには犯罪に手を染めてしまう。ふたりの兄弟はじつに対照的だが、その対比はきわめて複雑だ。
ふたつの空白
この小説の魅力は、たしかに展開のおもしろさや兄弟の対比にある。けれども私は、いちばんの見どころはまったく別の箇所にあると考えている。
はじめに述べたとおり、『兄弟』は現代中国の歴史を舞台にした小説だが、じつは全篇をつうじて具体的な年号や日付が出てこない。基本的に李光頭の年齢によって説明されるだけである。たとえば、文化大革命は李光頭が8歳のころに起きたとされている(ここから李光頭は1958年生まれだと推定できる)。しかも年齢の表記は「開放経済篇」の冒頭で止まるので、それ以降は「廃品回収をするようになってから3年あまり」といった地の文の表現や、「5年前とは違う」などのセリフの端々から逆算して時期を特定してゆかなければならない──唯一の例外は「2001年4月28日」、つまりデニス・チトーがソユーズに乗って宇宙へ飛び立った日であり、この点でも『兄弟』における宇宙飛行の重要性はやはり際立っている。
『兄弟』は邦訳にして1000ページ近い大作であり、上記のような手がかりもほんのわずかなので、ふつうに読んでいるとある出来事がいつ起きたのか、まったくわからなくなってしまう。これはおそらく偶然ではない。私の読みでは、これは『兄弟』の物語が抱えるふたつの空白を隠すための巧妙な仕掛けである。
まず、李光頭の年齢に注目しながら読み進めてゆくと、「文革篇」の末尾と「開放経済篇」のはじまりとのあいだに約4年の隔たりがあることに気づく。これは1974年から77年にあたる。つまりここには、1976年9月9日の毛沢東の死が隠されている。これがひとつめの空白である。
ふたつめの空白は、「開放経済篇」第二六節後半から第二七節前半までの数ページにある。ここでは、李光頭が日本製スーツの転売で成功を収めた翌年から、わずか1年のあいだに事業を種類、規模ともに急成長させたこと、さらに県長と手を組んで劉鎮の再開発に乗りだし、5年で街の風景も人々の生活も一変させたことがごく手短につづられている。ページをめくるたびにどんどん李光頭の会社が大きくなり、街が変わってゆくそのスピード感は、まるで中国の経済発展の速さを追体験させるようでもある。
しかし、都合6年にわたるこの箇所が1989年から94年にあたることを念頭におくと、少々見え方が変わってくる。このあいだ、まず1989年6月4日に天安門事件が起きた。これにより中国は諸外国から制裁を受けて経済が一時的に低迷するのだが、この逆境を打破すべく鄧小平が1992¥年に上海や深など南方の諸地区を視察してまわり、経済発展のさらなる加速を命じてゆく。この「南巡講話」が「社会主義市場経済」という概念をもたらし、中国経済をさらなる高みへと引きあげたのである。
要するに余華は、たった数ページの手短な描写によって、この重大な時代の転換点を隠してしまったのだ。
1989年以降の数年で中国社会が大きく変わったことは現代史における明白な事実だが、それは余華本人が身をもって体験したことでもあった。
歴史の転換点には、必ず象徴的な事件が起こる。1989年の天安門事件がそうだった。[……]あの中国を席捲した激しい大衆運動は、6月4日早朝の銃声とともに終息した。その年の10月、私が北京大学を再訪したとき、そこにはまったく別の光景が見られた。[……]たったひと夏で、すべてが変わり、春に何か事件が起こったとはまるで思えなかった。[……]天安門事件は、中国人の政治的情熱が一気に爆発したこと、あるいは文革以来たまっていた政治的情熱が一時的にカタルシスを得たことを象徴するものだった。それからは金銭的情熱が政治的情熱に取って代わり、誰もがみな金儲けに走ったので、当然ながら1990年代には経済的繁栄が訪れた。(『ほんとうの中国の話をしよう』、飯塚容訳、河出文庫、12─14頁)
劉鎮の再開発以降、李光頭の行動は常軌を逸してゆき、宋鋼もにわかに没落の一途をたどってゆく。その意味で、政治の季節が終わり「金儲け」の時代が本格的に到来したこの数年間は、『兄弟』の物語にとっても重要な転換点である。いうなれば余華は、毛沢東の死や六・四天安門事件のように記述しづらい「象徴的な事件」──とくに後者は、大陸では触れることすら許されない禁忌だ──を空白にしながら、それらを小説の継ぎ目や物語の転換点に重ねあわせているのだ。巧妙な時間の操作によって生じる虚構と現実の接点、そこにこの小説の最大のスリルがある。
なお、ここに引用した『ほんとうの中国の話をしよう』は、現代中国の「象徴的な事件」の数々にまつわる自身の体験や考えを鮮やかにつづったエッセイで、ある意味『兄弟』と対をなす本といえる。大陸では禁書となっているが邦訳は手に取りやすいので、ぜひあわせて読んでみてほしい。
本文中の引用はアストラハウス『兄弟』(2021年)による。


伊勢康平