『高慢と偏見』とオースティン一族 たんなる ラブ・ロマンスではない──『高慢と偏見』|小川公代

ジェイン・オースティン Jane Austen(1775-1817)
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揺らぎの作家オースティン
我々は文学というと、すぐに自分語り、つまり内面の告白だと考えてしまう。しかし、内面というのは広い世界のようにみえて、実は非常に閉鎖的な世界でしかない。なぜなら他者との「関係」が排除されているからです。私は私だけでできていない、他者との伸び縮みし凹凸のある体験によって形成される[★1]。
たんに内面の閉じられた世界を表すと思われがちな文学の世界も、また「私」という個の世界も、じつは「他者との伸び縮みし凹凸のある体験」によってつくり出されている。筆者が賛同してやまないこの考え方は、『新潮』に掲載された東浩紀との対談において先崎彰容が明確に述べたものである。文学においても、人間が他者との関係をどうにか構築しようとしたり、その試みに失敗したりする物語が多く語られてきたのだ。「万人の自由」を実現する社会を構想していたルソーでさえ、『新エロイーズ』という恋愛小説では、平民サン=プルーに恋した貴族の娘ジュリが私的な欲望と公的な要請のせめぎあいによって葛藤し続けるさまを緻密に描いた。東によれば、ルソーは「ラジカルな個人主義者でありながら、保守主義者でもあり、その二つは表裏一体になっている」[★2]。
ルソーの影響を受けた一九世紀の英国作家ジェイン・オースティンの小説にも、他者との「関係」が排除されない揺らぎの物語が語られている[★3]。 オースティンの『高慢と偏見』は、イングランドの階層社会を舞台に、男子がいないベネット家の次女として生まれた主人公、エリザベスが、経済的安定を授けてくれる婿をみつけようとする母ベネット夫人に翻弄されながらも、自分にふさわしい相手を見極めるという物語である。エリザベスが出会うのは、魅力的な青年士官のウィッカム。そしてもう一人が、イングランド屈指の資産を保有するが鼻持ちならないダーシー。上流階級の紳士であってもダーシーの傲慢な態度にエリザベスは我慢がならない。ところがエリザベスは、偶然の再会を重ねるごとに彼女に対して真摯な気持ちを伝えようとするだけでなく、それを証明するために行動するダーシーに少しずつ惹かれていくのだ。
『高慢と偏見』は、体制派と反体制派のイデオロギー論争からは無縁の恋愛話に見えるかもしれない。しかし、ルソーの『新エロイーズ』同様、たんなるラブ・ロマンスでもない。それどころか、近代社会において自由であるはずの個が、恋愛や婚姻の関係性によって、階級意識の引き裂かれや複雑さに晒される様を巧みに描き出している。
イングランドでは、一八七〇年代まで女性は財産を相続できなかった。相続権のなかった女性たちに残された選択肢は、結婚するか、想像を絶する苦労をして、家庭教師、文筆家、性労働者などになるかであった。息子のいないベネット家では、五人の娘たちはみな、裕福な紳士階級の男性と結婚することによってのみ将来の生活の保障が得られる。エリザベスの親友であるシャーロット・ルーカスもまた、経済的な安定のために、分別もなければ、好感がもてるわけでもない、しかしベネット家の財産継承者であるコリンズとの結婚を選ぶのである。
エリザベスがしがない士官であるウィッカムに惹かれたのは、その逆張りである。オースティンの小説には、異なる階級社会のあいだで引き裂かれることの葛藤が臨場感をもって描かれている。このような葛藤は、貴族と庶民の混淆性を表すオースティン一族の複雑な家系を抜きには語れないだろう。この点に着目すれば、ジェイン・オースティンの保守とはいえない、かといって急進派でもない、一人の生身の人間の姿が浮かび上がる。
たんなるラブ・ロマンスではない
オースティンの代表六作品には政治や戦争などが描かれないため、社会問題を批評的に描く作家としては記憶されていない。しかし、彼女はヒロインの恋愛という「私」の物語を語ることによって、その背景にある産業革命、新興階級の勃興、あるいは大英帝国という社会の変容を凝視し続けた作家でもある。『高慢と偏見』でいうと、たとえば、ダーシーの親友のビングリーは新興階級の象徴的存在であり、貴族の母をもつダーシーとは本来違う出自なのだ。
それでは、なぜ一九世紀から現代までの『高慢と偏見』の翻案作品には「ラブ・ロマンス」の要素がふんだんに盛り込まれてきたのだろうか[★4]。一つ目の要因として、オースティン自身が革新性をきわだたせるのを回避したことがある。フランス革命が起きた一八世紀末、イングランドでは体制派と反体制派の勢力が拮抗し、エドマンド・バークやメアリ・ウルストンクラフトといった知識人が保守とリベラルに分かれて論陣を張っていた。しかし、フランスで恐怖政治が追い討ちをかけ、フランス革命の流れが過激なものへと変容したことで、当時イングランド首相であったウィリアム・ピットは危機感を募らせ、保守勢力を糾合して改革運動を抑える方針に舵を切った。
そんな政治状況のなか女性がリベラル思想を表明することは、社会全体から集中砲火を浴びるようなものであり、女性作家の多くは声を上げることを躊躇した。ウルストンクラフトの娘で『フランケンシュタイン』(Frankenstein, 1818)の作者でもあるメアリ・シェリーもそのうちの一人である。作品にリベラルな言説を取り込むにしても、自分が批判対象にならないようそれをうまく隠す創意工夫が必要だった。
二つ目に、オースティンの甥ジェイムズ・エドワード・オースティン=リー[★5]が書いた保守的な伝記『ジェイン・オースティンの思い出』(A Memoir of Jane Austen, 1870)の影響も甚大である。これは、端的にいって当時文化的記号として「女性作家」が孕んでいたラディカル性を全力で覆い隠そうとした伝記である。当時は女性作家による作品というだけで社会の価値を転覆するものだと「敵視」される傾向にあったのだ。オースティン=リーは叔母であるジェイン・オースティンがその批判対象になることを怖れ、ヴィクトリア朝時代に敬遠された──フランス革命の負の遺産でもある──「感受性」を排したオースティン像をつくり出した[★6]。
ヒロイン・エリザベスが、ウィッカムとの激動の人生を選択せず、年収一万ポンドの大地主であるダーシーとの結婚を選ぶプロットは、いわばシンデレラ・ストーリーである。一方でウィッカムはエリザベスの妹で、奔放な性格のリディアとの駆け落ちを成功させるのだが、それは当時の貞操観念からするとベネット家の評判をおとすことと同義である。じつはダーシーもまだ年若い妹ジョージアナがウィッカムの誘惑によって社会の周縁に連れ去られそうになった経験がある。そこで、ベネット家の窮状に寄り添い、ウィッカムとリディアの婚姻締結の支援を申し出るのだった。
したがってこの小説は捉えようによっては、社会秩序の現状維持を再強化しているという解釈もできるかもしれない。しかし、大地主に対する憎しみやルサンチマンを抱えており、体制派に叛逆的な立場をとるウィッカムが、必ずしも善良で誠実であるとは限らない。ヒロインが、ダーシーとウィッカムの個々の人格を見抜く展開は、二元化するイデオロギーのどちらにも回収されまいとするオースティンなりの倫理が見てとれる。
オースティン一族の山あり谷あり
このように体制側の経済活動や潤沢な富が描かれてはいるが、オースティンが体制側の非人道的な活動を容認しているというわけでもない。『高慢と偏見』の翌年に出版された『マンスフィールド・パーク』(Mansfield Park, 1814)を例に取り上げてみよう。寡黙な主人公ファニー・プライスは家族の貧困を緩和するため叔父のサー・トマス・バートラムのもとに養女として引き取られる。そこで出会った次男エドマンドとの恋愛を発展させていくのだが、この小説は、バートラム家の富がじつは西インド諸島アンティグアに所有する砂糖プランテーションによって得られたことを暴露している。『文化と帝国主義』でエドワード・W・サイードは、「カリブ海におけるサー・トマスの財産とは、奴隷労働によって維持される砂糖プランテーションでなければならないはず」と述べている[★7]。
オースティンの家系を辿っていくと、これらの物語の設定を裏付けるかのように、貴族、地主、司祭、商人など、じつに多様な職業をもつ人たちが親戚関係にいたことが分かる。オースティンの父親ジョージ・オースティンも、じつはオースティン作品のさまざまな登場人物同様、多難を乗り越えて経済的安定を得た人物であり、財産を約束されていたわけではない。
ジョージ・オースティンは、トンブリッジに住んでいた外科医のウィリアム・オースティンと、準男爵サー・ジョージ・ハンプソンの娘レベッカの息子として生まれた。姉二人と妹一人と過ごしていた何不自由ない生活は、母親の死によって、突如として失われる。父ウィリアムが別の女性と再婚し、さらには不運なことに、「この二度目の結婚に合わせて遺言書を書き換えるのを怠った」ため、ジョージたちの教育は叔父たちの善意に委ねられてしまう。叔父のスティーヴンは「積極的に不親切だったとは言えないまでも、無視するという方法で」対処した[★8]。しかしジョージは元来「温和でやさしい性格と、堅固な信念」があり、叔父の不当な仕打ちにもくじけず、特別奨学金を受けてオックスフォード大学に入学することができ[★9]、牧師の仕事に就くことができた[★10]。
他方、ジェイン・オースティンの母親の実家であるリー家は「グロスターシャー、アドルストロップの大リー一族の一員」で、「ロンドン市長サー・トマス・リーの子孫」であった[★11]。ジェイン・オースティンの祖父トマス・リーは、オックスフォードの旧家であるペロー家のジェイン・ウォーカーと結婚し、その娘がジェイン・オースティンの母親カサンドラにあたる。
『高慢と偏見』のベネット一族の入り組んだ階級はオースティン家のこの複雑さを反映しているといえる。それは、ダーシーの伯母レディ・キャサリン・ド・バーグが突然ベネット家にやってくる場面から見てとれるだろう。ダーシーの一度目のプロポーズを断っていたエリザベスはこの訪問に困惑しながらも、レディ・キャサリンに「あの方は紳士です。わたしも紳士の娘です。それだけは同等ですもの」と言い放つ。それに対して、「そうですね。あなたは紳士の娘ですね。じゃ、あなたのお母さまはどこのどなたでしたっけね? あなたの叔母さま、叔母さまはどこのどなたなんです? その方たちの身分を、わたしが知らないと思ったら、大まちがいですよ」とレディ・キャサリンは返している[★12]。
なぜ「あなたのお母さま」、つまりベネット夫人は低く見られていたのか。それは、貴族であるレディ・キャサリンから見れば、メリトンのコモン・ロー裁判所で下位弁護士(attorney)をしていた父をもつベネット夫人は社会的に不釣り合いだからだ。オースティンは、雨露をしのぐ最低限の生活ができるために結婚を余儀なくされる女性たちの窮状に寄り添う。当然ベネット夫人も例外ではない。コリンズとの結婚を決意したシャーロットの葛藤を描いたのも、経済的理由のために男性との結婚を選んだ女性は体制側であるという決めつけをしないためであろう。
むすび──一族によるケアの実践
女性にとって生きづらい時代に、オースティンは結婚をせずに作家になれたが、それはオースティン一族の手助けがあったからだ。オースティンの兄エドワードは、(父方の親戚にあたるナイト家の後継者となるため)養子になった。そのおかげで、経済的に立ち行かなくなるジェインや彼女の母親たちをチョートンにある邸宅の敷地にあるコテージに住まわせることができたのだ。
オースティン一家は、ジョージの冷徹な叔父とは違い、相互依存のケアを実践していた。地域のコミュニティとの助け合いを行っていたのだ。オースティン家の赤ん坊の育ての親は、農場で暮らすジョンとエリザベス・リトルワースであり、彼らの幼い娘ベッツィが、オースティン家の子どもたちの遊び相手であった。「この拡大家族のようなリトルワース家は、その後もほぼ一世紀にわたって、オースティン家に対して、献身的な友人」であった[★13][★14]。『高慢と偏見』では、社会的身分が同等ではないベネット家と親戚関係になることを想像できなかったダーシーが、その閉じられた世界から新たにエリザベスとの関係を築き、一族に変容をもたらす選択をする。オースティンに一族の混淆性を言祝ぐ思想があったからこそ、他者に開かれる物語を生み出すことができたにちがいない。
★1 先崎彰容、東浩紀との対談「本居宣長とルソー──文学の価値を再定義する」『新潮』2024年12月号、157頁。先崎は野家啓一『物語の哲学』を援用しながら、文学、あるいは物語というものは閉じられたものだと考えられがちだが、物語る相手によってじつは「自在に変化することができる」という説明をしている。
★2 同、164─165頁。
★3 鈴木美津子『ルソーを読む英国作家たち──『新エロイーズ』をめぐる思想の戦い』(国書刊行会、2002年)には、オースティンやマライア・エッジワスら、『新エロイーズ』を模倣、あるいは翻案しつつ、ルソーを批判したり、称賛したりする作家たちがいたことが詳細に分析されている。
★4 BBC Oneでは1995年9月24日から10月29日にかけてBBCドラマ版の『高慢と偏見』(主演はジェニファー・イーリー、コリン・ファース)が放送された(55分の長さのものが6エピソード)。また、2005年にはジョー・ライト監督による『プライドと偏見』(主演はキーラ・ナイトレイ、マシュー・マクファディン)の映画が公開された。日本では『天使のはしご』という、これもやはり「ラブ・ロマンス」が柱となる宝塚ミュージカルにも翻案されている。さらには、『高慢と偏見』を読解することによって、陳腐化されがちな「ラブ・ロマンス」の価値を再評価しようとする研究者もいる。Barbara Sherrod, “Pride and Prejudice: A Classic Love Story” in Persuasions, No.11 (1989).
★5 オースティンの長兄ジェイムズの長男。
★6 J・E・オースティン=リー『ジェイン・オースティンの思い出』、中野康司訳、みすず書房、2011年、263頁。オースティン=リーは「良識を土台とした、バランスのとれた知性を持ち、愛情豊かな心が、その知性をさらに魅力的なものとし、確固たる道徳心が、そのすべてをしっかりと支えていた」と語っている。
★7 エドワード・W・サイード『文化と帝国主義1』、大橋洋一訳、みすず書房、1998年、176頁。また、マーガレット・カークハムによれば、『マンスフィールド・パーク』は「保守的な無抵抗主義」とは無縁であるどころか、オースティンの「もっとも野心的でラディカルな」作品であるという。Margaret Kirkham, Jane Austen, Feminism, and Fiction (Brighton and Totowa NJ: Harvester Press, 1983), p. 119.
★8 ディアドリ・ル・フェイ『ジェイン・オースティン 家族の記録』、内田能嗣、惣谷美智子監訳、彩流社、2019年、22─23頁。
★9 同、23頁。
★10 姉のフィラデルフィアはわずかに残った財産の中から自分の取り分を取得すると、インドに渡り、東インド会社の外科医と結婚した。ジェイン・オースティンは海外の政治的な状況も的確に把握することができたのだろう。
★11 同、27頁。
★12 レディ・キャサリンは、ダーシーの貴族家系の象徴として登場する。彼女はフィッツウィリアム伯爵の娘であり、ダーシーの母親レディ・アンは彼女の妹である。貴族の間では、血筋の純度を保つために「いとこ婚」が頻繁に行われていた時代であり、レディ・キャサリンはダーシーと彼のいとこにあたる自分の娘を結婚させようと考えていた。そんなところに、父親の死とともに後ろ盾を失うような娘エリザベスが有力候補として浮上するのだ。レディ・キャサリンがベネット家を突如訪問し、格下であるエリザベスを牽制するのも理解できる。
★13 ル・フェイ前掲書、44頁。
★14 リトルワース家の人々は、『エマ』に登場する誠実で賢明な自作農のマーティンのモデルかもしれない。

小川公代