『高慢と偏見』とオースティン一族 たんなる ラブ・ロマンスではない──『高慢と偏見』|小川公代

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2025年5月10日刊行『ゲンロン18』

『高慢と偏見』 Pride and Prejudice(1813)
ジェイン・オースティン Jane Austen(1775-1817)
引用元=https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:PrideAndPrejudiceTitlePage.jpg#mw-jump-to-license


★1 先崎彰容、東浩紀との対談「本居宣長とルソー──文学の価値を再定義する」『新潮』2024年12月号、157頁。先崎は野家啓一『物語の哲学』を援用しながら、文学、あるいは物語というものは閉じられたものだと考えられがちだが、物語る相手によってじつは「自在に変化することができる」という説明をしている。
★2 同、164─165頁。
★3 鈴木美津子『ルソーを読む英国作家たち──『新エロイーズ』をめぐる思想の戦い』(国書刊行会、2002年)には、オースティンやマライア・エッジワスら、『新エロイーズ』を模倣、あるいは翻案しつつ、ルソーを批判したり、称賛したりする作家たちがいたことが詳細に分析されている。
★4 BBC Oneでは1995年9月24日から10月29日にかけてBBCドラマ版の『高慢と偏見』(主演はジェニファー・イーリー、コリン・ファース)が放送された(55分の長さのものが6エピソード)。また、2005年にはジョー・ライト監督による『プライドと偏見』(主演はキーラ・ナイトレイ、マシュー・マクファディン)の映画が公開された。日本では『天使のはしご』という、これもやはり「ラブ・ロマンス」が柱となる宝塚ミュージカルにも翻案されている。さらには、『高慢と偏見』を読解することによって、陳腐化されがちな「ラブ・ロマンス」の価値を再評価しようとする研究者もいる。Barbara Sherrod, “Pride and Prejudice: A Classic Love Story” in Persuasions, No.11 (1989).
★5 オースティンの長兄ジェイムズの長男。
★6 J・E・オースティン=リー『ジェイン・オースティンの思い出』、中野康司訳、みすず書房、2011年、263頁。オースティン=リーは「良識を土台とした、バランスのとれた知性を持ち、愛情豊かな心が、その知性をさらに魅力的なものとし、確固たる道徳心が、そのすべてをしっかりと支えていた」と語っている。
★7 エドワード・W・サイード『文化と帝国主義1』、大橋洋一訳、みすず書房、1998年、176頁。また、マーガレット・カークハムによれば、『マンスフィールド・パーク』は「保守的な無抵抗主義」とは無縁であるどころか、オースティンの「もっとも野心的でラディカルな」作品であるという。Margaret Kirkham, Jane Austen, Feminism, and Fiction (Brighton and Totowa NJ: Harvester Press, 1983), p. 119.
★8 ディアドリ・ル・フェイ『ジェイン・オースティン 家族の記録』、内田能嗣、惣谷美智子監訳、彩流社、2019年、22─23頁。
★9 同、23頁。
★10 姉のフィラデルフィアはわずかに残った財産の中から自分の取り分を取得すると、インドに渡り、東インド会社の外科医と結婚した。ジェイン・オースティンは海外の政治的な状況も的確に把握することができたのだろう。
★11 同、27頁。
★12 レディ・キャサリンは、ダーシーの貴族家系の象徴として登場する。彼女はフィッツウィリアム伯爵の娘であり、ダーシーの母親レディ・アンは彼女の妹である。貴族の間では、血筋の純度を保つために「いとこ婚」が頻繁に行われていた時代であり、レディ・キャサリンはダーシーと彼のいとこにあたる自分の娘を結婚させようと考えていた。そんなところに、父親の死とともに後ろ盾を失うような娘エリザベスが有力候補として浮上するのだ。レディ・キャサリンがベネット家を突如訪問し、格下であるエリザベスを牽制するのも理解できる。
★13 ル・フェイ前掲書、44頁。
★14 リトルワース家の人々は、『エマ』に登場する誠実で賢明な自作農のマーティンのモデルかもしれない。

小川公代

72年生。英文学者。上智大学外国語学部教授。著書に『ケアの倫理とエンパワメント』、『翔ぶ女たち』(講談社)、『ゴシックと身体』(松柏社)など、訳書にシャーロット・ジョーンズ『エアスイミング』(幻戯書房)、シャーロット・ゴードン『メアリ・シェリー』(白水社)など。
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