読書の起源と「絵本ブーム」──『ゲンロン17』より|阿部卓也

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webゲンロン 2024年10月2日配信

 

絵本と子ども

 子どもの成長は早い。思えばもう何年も前の話だが、私の長女が小学校に上がって最初の学芸会の劇の演目は、『11ぴきのねこ』だった(正確に言うと「11ぴきのねこ」シリーズ四作目の『11ぴきのねこ ふくろのなか』)。児童たちは、担任の先生と一緒に原作の絵本(馬場のぼる作、こぐま社刊)を読んで物語を理解し、配役を話し合い、お芝居を作り上げていったそうだ。絵本では、とらねこ大将以外のねこのデザインは全員同じだが、学芸会では各家庭で衣装を用意するため、バラエティーあふれる外見になっていた。我が家でも、娘は納得いくコスチュームのために100円ショップで生地を熟考し、私は不慣れな手縫いで、ねこの尻尾を作った。

 『11ぴきのねこ』は、最低でも11人の児童を一度に舞台に上げられる利点もあって、未就学児や小学校低学年の演目の定番である。『11ぴきのねこ ふくろのなか』の筋立ては、遠足に出かけた11ぴきのねこたちが、行く先々で「はなをとるな」「はしをわたるな」などの立て札をことごとく無視し、花を摘み、危険な橋をわたり、ついには「ふくろにはいるな」と書かれた大きな袋に入ったばかりに、「ウヒアハ」という怪物に捕まってしまい……というものだ。原作にはない「おどりをおどるな」という場面を追加して流行歌を挿入する台本が広まっており、私の娘たちは Ado の曲に乗せ、今時な振り付けのダンスをしていた。けれども頰を紅潮させ真剣に演じる児童たちを見ながら、私がむしろ感じたのは、そのストーリーアーク(筋の起伏や楽しみどころ)の本質が、保育や教育の現場での奔放な翻案を経てもなお維持され、しかも時代を超えて古びていない、ということだった。

 『11ぴきのねこ ふくろのなか』が刊行されたのは1982年で、これは他のサブカルチャー、例えば児童向けアニメで言うと『魔法のプリンセス ミンキーモモ』や『戦闘メカ ザブングル』、マンガで言うと『ハイスクール! 奇面組』や『Gu-Gu ガンモ』などが──『AKIRA』や『風の谷のナウシカ』の原作連載もだが──開始された頃である。シリーズ1作目の『11ぴきのねこ』に至っては1967年の初版発行で、つまり『ウルトラセブン』や『ジャイアントロボ』の放送開始と同年ということになる。

 しかし『11ぴきのねこ』は、初版から50年以上年経った2020年頃の私の家でも、寝る前の読み聞かせの定番だった。我が家の『11ぴきのねこ』は、もともと約40年前に私の母が子どもたちのために買ったものだ。私の娘と息子は、物語の中盤、おなかをすかせた11ぴきが大魚に一蹴されて空高く舞い上がるシーンが大好きで、「フワーン」という擬音を私が読むたび、ベッドの中で何度でも笑い転げた。

 

 

 「次は、絵本についての本を書きたいんです」と、『ゲンロン』編集部の上田洋子氏、横山宏介氏に何気なく語ったのは、ゲンロンカフェで2024年4月4日夜に開催された石田英敬氏とのメディア論対談「そもそも「文字」ってなんなのよ?」の、アフターセッションだった。時刻はすでに深夜2時を回っていた(ねないこだれだ)。上田氏は白ワインを飲みながら、私の断章的な構想に耳を傾け、「それ、次の『ゲンロン』に書いてみませんか?」と言ってくださった。

 哲学と現代社会の関係を問う先鋭的な人文誌『ゲンロン』に、絵本は一見まるで似つかわしくないテーマに思える。しかし上田氏によれば『ゲンロン』読者には育児中の層も多く、むしろ身近で切実な題材でもあるという(確かに、私自身がそうだ)。より踏み込んで言えば、書物、文字、イメージ、テクノロジー、産業、社会、公共性、責任など、『ゲンロン』的な問題系、あるいは哲学を取り囲み、哲学を可能にする基本単位は、絵本の制作と受容においても、中心的な課題となるものばかりである。

 ともかく本稿はそうした幸運な経緯で書かれた、これから考察していきたい問題についての、雑多な構想メモである。むろん絵本研究は高度に専門的かつ巨大な領域で、優れた成果も数多く存在する。私は、自身の力量を超える対象だということを重々承知の上で、先人の成果に全面的に支えられつつ、メディア論や印刷技術史という視点を織り込むことで、いくばくかでも新しい議論を提起することができたら、と願っている。

書物の起源としての絵本

 私が絵本という対象に惹かれている大きな理由の一つは、それがある意味では最も純粋・典型的な意味での本であり、しかし同時に、一般的な本と決定的に異なる性質をいくつも持っているという、両義性ゆえである。

 まず事実として、世のほとんどの人にとって、絵本は全ての読書の起源そのものだ。生まれてきた子どもに最初に与える、いわゆる「赤ちゃん絵本」を「ファーストブック」と呼ぶことがある。この言い回しは、それが「最初の絵本」というだけにとどまらず、「最初の本」であることを含意している。個体発生的な、子ども(=あなた)の成長過程に即して言えば、文字だけの本と絵本は截然と分断されているものではなく、むしろはっきり連続し、徐々にシフトしていくような経験としてある。

 そのことに関連するが、絵本の中での絵と文字の区分も、一般にイメージされているよりずっと相互浸透的なものだ。この点については、詳しい論証をする紙幅がないので結論だけ述べると、絵本における絵は、本質的には文字(特に活字)の一種だと、私は考えている。複製技術を前提に制作され、意図を持って反復的に複数が空間的に配置され、継起し、ナラティブを伝達することを主目的にしている記号の体系、という意味においてである。絵本における絵の機能は、審美的鑑賞対象としての一般的な絵画とは、決定的に異なるものだ。絵本は「絵画に説明文を添えたもの」でもなければ、「文章に挿絵を添えたもの」でもないのである。

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「絵本ブーム」をめぐって

 とはいえ、そのような絵本は、大昔から通時的に存在してきたメディアではない。明治以降、太平洋戦争敗戦までの期間の絵本文化の展開については、今は語る余裕がないが、現在の我々がイメージする日本の絵本とは、もっぱら1950年代以降、石井桃子らによる「岩波の子どもの本」シリーズなどを皮切りに、アメリカを中心とする海外の絵本が翻訳紹介されるようになり、その影響のもとで制作されるようになった、創作絵本のことだ。

 特に1960年代から70年代は、絵本史において「絵本ブーム」の時代と呼ばれる、特別な期間だ。冒頭で言及した『11ぴきのねこ』や『ぐりとぐら』(福音館書店、1967年)ほか、誰もが知り、今も読み継がれる永遠のスタンダードと言うべき作品群が、この時期に数多く出現した。私の目下の主要な関心は、この「絵本ブーム」期に起きていたことを、多角的に検討することにある。以下、そこにおける主要な論点を列挙していきたい。

 第一に、絵本作家とは誰だったのか、という問題がある。一般的に言って、ある職能領域が立ち上がる場面では、同時期、あるいはそれ以前に存在していた他の領域からの人的なシフトや相互浸透が起きる。この時代の絵本作家は、児童文学のように既存の関連職域から接続した人材だけでなく、例えばやなせたかしや長新太のように大人向けの社会風刺的なマンガからの横断や、馬場のぼるなど牧歌性が失われていく時期の少年マンガからの横断、山本忠敬や若山憲ら広告産業の拡大とともに再編・巨大化していく時期のグラフィックデザイン領域からの横断、西巻茅子のように芸大で美術を学び子どもの絵画教育に関わっていた人材の合流など、絵本制作技術と互換性のある表現分野のメインストリームやエスタブリッシュメントからはみ出ていくような人々の系譜が、結果的に集まったもののように思われる。さらに、東京都立高等保母学院出身の保母(現在でいう保育士)で、混乱を極めるベビーブームの集団保育の現場から『ぐりとぐら』のストーリーを創出した中川李枝子や、かつて軍人(航空士官)を目指した化学肥料製造企業の工学者でありながら、同時に東大セツルメントの活動に携わり貧しい児童のために紙芝居や幻燈を上演していた経歴を持つ『からすのパンやさん』(偕成社、1973年)等の作者かこさとしなど、この時期に決定的な仕事をした才能群は、それぞれが、なぜ絵本あるいは子どもに接近しなくてはならなかったのかという、内的かつ時代的な必然性を強く抱えている。要するに絵本の歴史は、絵本ではないものの歴史との関係において理解されなくてはならないというのが、ここでの中心的な問題意識である。

 第二に、出版社や編集者の活動を再定位したい、という関心がある。絵本の創造性は、概して作家主義的に理解されがちだが、実際には出版社が企画を主導したり、編集者が内容に深く介入することによって成立している要素も大きい。編集者が、作者のポジションを兼担している事例もしばしばある。福音館書店の社長だった松居直が、その代表的存在である。作者の単独性を商業性と接合し、唯一的な内容の作品を誰でも買える本として流通させる決定的な役割を担った、編集者や出版事業者の仕事を、歴史の中に位置づけ直したい。この問題については、本稿の後半で、こぐま社の創業者である佐藤英和の事例を紹介する。

 第三に、絵本をテクノロジー(特に印刷技術)の次元から解釈する、という論点がある。絵本は複製メディアで、しかも安価である必要があるので、歴史上どのような絵本が存在しえたかは、カラー印刷の高度化や安定化がいつどんな形で果たされたのかという問題と、切り離すことができない。典型例を一つ挙げるとすれば、いわさきちひろの水彩画は、四色分版のフルカラー印刷が低廉化しない限り、社会に登場できないはずだ。もちろん、いわさきはスミ一色で印刷されたカットやドローイングでも優れた作品を数多く残してはいる。しかしいわさきの児童画の中心は、何と言っても画用紙の肌理の上で柔らかく伸びる描線と、水で溶け合って滲む淡い色調が織りなす、水彩画の世界である。子どもの世界を、あの技法によってしか不可能な解像度で捕捉したことが、永遠に人々の胸を打ついわさきの絵画の力の源泉にあるのは明らかだ。その絵画世界を、そのまま写真的に取り込んで印刷し、安価に配本することができなければ、我々がこの画家の達成を広く認識することは、かなり難しかったのではないだろうか。例えば、いわさきが絵を担当した1970年の絵本『もしもしおでんわ』(松谷みよ子文、童心社)は、1冊400円だった。これは当時の週刊マンガ誌が約100円であることに比較すればそこまで安価ではないにせよ、「ちょっと良いもの」として誰でも手が届く価格だ。

「こぐまちゃんえほん」の世界

 以上、かなり概略的な論述を続けてきたので、ここからの本稿後半では、より具体的な対象に話題を絞って、議論への肉付けを試みたい。つまり特定の絵本作品を事例として取り上げ、その生成プロセスを詳しく検討しながら、ここまでに提起した各種の論点が、例えばどのような形で見出されるのかを確認していこう。(『ゲンロン17』へ続く)

本論考は、10月4日(金)に書店発売される『ゲンロン17』収録の「絵本が登場するとき」の一部を抜粋し掲載するものです。著者の阿部卓也さんは、同日4日にゲンロンカフェにて、言わずとしれた絵本界のレジェンド作家である五味太郎さんとの対談イベントにご登壇されます。ぜひ会場または配信にてご覧ください。
 
五味太郎 × 阿部卓也 「わかんない」が「おもしろい」!──五味太郎と絵本の50年【『ゲンロン17』刊行記念】
URL=https://genron-cafe.jp/event/20241004/
 
また、『ゲンロン17』では、本論考の続きのほか、東浩紀と上田洋子による旧ユーゴ圏への取材をもとにした記事群や、暦本純一さん、清水亮さん、落合陽一さんによる座談会などを多彩なテーマの記事を収録。こちらもぜひ、以下よりご予約・ご購入ください。

阿部卓也

1978年生まれ。愛知淑徳大学准教授。メディア論研究者。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得満期退学。博士(学際情報学)。デザイナーとしても活動し、理論と実践の架橋に取り組んでいる。『杉浦康平と写植の時代』(慶應義塾大学出版会)で第77回毎日出版文化賞特別賞、第45回サントリー学芸賞を受賞、東京TDC賞2024入選。
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