ニコ生思想地図〈出張編〉──震災から文学へ|市川真人+高橋源一郎+東浩紀
初出:2012年10月31日刊行『ゲンロンエトセトラ #5』
3.11から1年余の4月14日。『日本2.0』の刊行が近づくなか、東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターにて、「ニコ生思想地図」初の出張編が開催された。ゲストは『日本2.0』の寄稿者である市川真人、高橋源一郎の両名。混迷が深まるいまだからこそ、言葉を扱う「文学」には、果たさなければならない役割がある──。危機の時代に届く言葉について、3人の文学者が語った。
東浩紀 こんにちは、東浩紀です。本日はニコ生思想地図出張編「震災から文学へ」と題して、紀伊國屋サザンシアターよりお送りします。本日お招きしたおふたりは、僕の会社が手がけている「思想地図β」シリーズの次号『日本2.0』にともに原稿をお願いしています。高橋さんには小説、市川さんには新しい文学についてのマニフェストを依頼しました[★1]。で、本来であれば、今日はその原稿を踏まえたうえで議論させていただくはずだったのですが──。
高橋源一郎 ごめんなさい。
市川真人 ごめんなさい。
東 といった次第で、無理でした(笑)。というわけで今日は、おふたりがその原稿でどのようなことを試みておられるのかうかがいつつも、3.11という大きな事件に対して、文学になにができたのか、なにをするべきだったのか、それぞれの経験も踏まえながら語っていただこうと思います。
さて、まずはみなさんご存じかと思いますが、高橋さんは昨年の11月に『恋する原発』(講談社)という長編を発表されました。まず高橋さんから、なぜ震災を受けてこの長編を発表しようと思ったのか、またもう少し遡って、震災にあたってどのようなことを考えられたのか、お話しいただけないでしょうか。
高橋 3月11日に震災が起こって2、3日後、僕や東さんに、『ニューヨーク・タイムズ』から依頼が来ました。それでまず、「どうしよう」と思いました。なにかを言わなきゃいけない。でも、なにか言わなきゃいけないのだけれど、まずいことを言うとあとで困る。正直に言うと、そう思いました。その時点では、まだ地震があり、津波が起こって、原発が爆発したということしかわかっていませんでした。これからなにが起こるのかと言われてもとてもわからない。ただ、『ニューヨーク・タイムズ』からの依頼は、震災について、戦後日本という時代背景を踏まえて、文化の面から書いてほしい、というものでした。それならば書けそうな気もしました。ほとんど準備はありませんでしたが、自分でも考えなければいけない、考えたいと思っているときに依頼があり、書かないとすごく悔いが残るだろうと思って引き受けました。
『恋する原発』を書いたのは夏のことですが、そのきっかけのひとつは、川上弘美さんの「神様2011」[★2]という短編です。ふつう職業作家は依頼されてから原稿を書くのですが、「神様2011」は持ち込みだったそうです。つまり、川上さんはベテラン作家で読者もたくさんいるのに、まるで新人みたいに「これを載せてほしい」と持っていった。読んでみるとわかりますが、作中に明確なメッセージが打ち出されているわけではなく、震災後のある種の混乱、というより川上さん自身の混乱が文章のかたちになっています。本人もなにが書けるかわからないままで書いている。それを見て、やはり小説でもやれることはあるのだと思ったんです。そのあとすぐ『恋する原発』に取りかかって、以前から構想があったこともあり、ここ10年くらいで一番早く、しかも一番集中して書けました。内容についてはあとで触れますが、作家は小説を書きながらものを考えるものなので、とにかく書かないと始まらない。そういう経緯で書かれたのが『恋する原発』です。
東 僕個人の感想をお話しさせていただくと、僕はこの『恋する原発』を読んで、80年代の高橋さんが戻ってきたように感じました。『恋する原発』の前作の『「悪」と戦う』(河出書房新社)は、どちらかと言うと道徳的なメッセージが強い作品でした。ですから、震災や原発事故を受けて小説を書くとなれば、やはりメッセージ性の強い作品になるのかと予測していたんです。しかし実際にページを開いてみたら、震災チャリティーのためにアダルトビデオを撮るという「バカげた」話が、すごくハイテンションな言葉遊びで描かれ続ける。『ジョン・レノン対火星人』(講談社文芸文庫)のころの高橋さんが戻ってきた、と感じました。そして、そこに逆に僕は勇気づけられる感じがしたんですね。
高橋 ありがとうございます。どうしてそういう作品になったのかというと、震災以降のこの国は、戦後ずっとおかしなシステムを放置していたツケが来ていますよね。実感として、「もうバカバカしくてやってられない、ふざけんな!」という思いがありました。それを小説にするとなると、シリアスな顔をして抗議したり、呪詛の言葉を吐くというふうにはならなくて、自分で書いていてもバカバカしいと思えるような作品になった。登場人物にも「震災チャリティーAVはないだろう」と言わせているんですが、僕もそう思います(笑)。社会が歪んでいる、間違っている、だからこういうふうに直しましょう、と建設的な提案をするのは、もちろん正しいことです。それによってこの国は少しよくなるかもしれない。それはとても喜ばしいことだと思うのですが、でもそれより先に、やってられない、もう本当にうんざりだ、と思ったこの気持ちを、まずなんとかしたかった。
市川 「うんざり」というのはなにに対する、あるいは誰に向けられた感情ですか?
高橋 政府の対応も、それを生んだこの国のシステムも、それを見逃してきた自分たちも含めて、このバカバカしさはなんだろうと。さらにその後、議論が硬直化していくバカバカしさ。あるいは、この国全体が自粛ムードに包まれていくバカバカしさ。そのうちひとつというわけではなく、ぶっちゃけどれも変だよね、と。もちろん、僕の作品がこの状況に対する正しい解答かというと、そうではないと思います。でも、いまこの時期に僕にできることは「もうバカバカしくてやってられない」と、誰に向かってというよりも、この空間に向かって、ひとこと言っておくことではないかと思ったんです。
東 よくわかります。世間では、震災を機に人々はまじめになり、社会について襟を正して考えるようになったと言われます。けれども思い返すと、実は日本は90年代後半くらいから、妙にまじめで窮屈な社会になっていたと思うんですね。とくに文学や思想はそうで、バカバカしいことが許されていたのは80年代までですね。当時はポストモダニズムと呼ばれる文化運動が盛んだったのですが、90年代に入るとその反省から、思想も文学もとてもシリアスになった。私見では高橋さんの作品にもその変化は表れていて、90年代も後半以降は、『日本文学盛衰史』(講談社文庫)[★3]のように、日本文学の全体を引き受けるような大きな仕事をされるようになっている。──そこに巨大な震災が起きて、なにもかもバカバカしくなったという。それは重要です。危機と対峙するということは、すごく極端なこと、ときにバカバカしいことを考えることでもあるはずです。そういう「危機の思考」が、実は90年代からゼロ年代にこそ忘れ去られていて、震災によってもう一度帰ってきたとも言えるのではないか。ひとつが『恋する原発』なのではないか。
日本人は震災の前から、社会をこうした方がいい、経済格差を解消しなくてはならない……と、ずっとまじめに議論してきました。しかし、今回それがすべて吹き飛んでしまった。もちろん、いまでも一生懸命まじめに考えている人たちを否定するつもりはない。ただ、いくらまじめに考えても、否応なくそれが吹き飛んでしまう瞬間というものがある。震災はそういうものとして現れた。
ここまでの話を受けて、市川さんはどうですか。
高橋源一郎 ごめんなさい。
市川真人 ごめんなさい。
東 といった次第で、無理でした(笑)。というわけで今日は、おふたりがその原稿でどのようなことを試みておられるのかうかがいつつも、3.11という大きな事件に対して、文学になにができたのか、なにをするべきだったのか、それぞれの経験も踏まえながら語っていただこうと思います。
さて、まずはみなさんご存じかと思いますが、高橋さんは昨年の11月に『恋する原発』(講談社)という長編を発表されました。まず高橋さんから、なぜ震災を受けてこの長編を発表しようと思ったのか、またもう少し遡って、震災にあたってどのようなことを考えられたのか、お話しいただけないでしょうか。
バカバカしくてやってられない。
高橋 3月11日に震災が起こって2、3日後、僕や東さんに、『ニューヨーク・タイムズ』から依頼が来ました。それでまず、「どうしよう」と思いました。なにかを言わなきゃいけない。でも、なにか言わなきゃいけないのだけれど、まずいことを言うとあとで困る。正直に言うと、そう思いました。その時点では、まだ地震があり、津波が起こって、原発が爆発したということしかわかっていませんでした。これからなにが起こるのかと言われてもとてもわからない。ただ、『ニューヨーク・タイムズ』からの依頼は、震災について、戦後日本という時代背景を踏まえて、文化の面から書いてほしい、というものでした。それならば書けそうな気もしました。ほとんど準備はありませんでしたが、自分でも考えなければいけない、考えたいと思っているときに依頼があり、書かないとすごく悔いが残るだろうと思って引き受けました。
『恋する原発』を書いたのは夏のことですが、そのきっかけのひとつは、川上弘美さんの「神様2011」[★2]という短編です。ふつう職業作家は依頼されてから原稿を書くのですが、「神様2011」は持ち込みだったそうです。つまり、川上さんはベテラン作家で読者もたくさんいるのに、まるで新人みたいに「これを載せてほしい」と持っていった。読んでみるとわかりますが、作中に明確なメッセージが打ち出されているわけではなく、震災後のある種の混乱、というより川上さん自身の混乱が文章のかたちになっています。本人もなにが書けるかわからないままで書いている。それを見て、やはり小説でもやれることはあるのだと思ったんです。そのあとすぐ『恋する原発』に取りかかって、以前から構想があったこともあり、ここ10年くらいで一番早く、しかも一番集中して書けました。内容についてはあとで触れますが、作家は小説を書きながらものを考えるものなので、とにかく書かないと始まらない。そういう経緯で書かれたのが『恋する原発』です。
東 僕個人の感想をお話しさせていただくと、僕はこの『恋する原発』を読んで、80年代の高橋さんが戻ってきたように感じました。『恋する原発』の前作の『「悪」と戦う』(河出書房新社)は、どちらかと言うと道徳的なメッセージが強い作品でした。ですから、震災や原発事故を受けて小説を書くとなれば、やはりメッセージ性の強い作品になるのかと予測していたんです。しかし実際にページを開いてみたら、震災チャリティーのためにアダルトビデオを撮るという「バカげた」話が、すごくハイテンションな言葉遊びで描かれ続ける。『ジョン・レノン対火星人』(講談社文芸文庫)のころの高橋さんが戻ってきた、と感じました。そして、そこに逆に僕は勇気づけられる感じがしたんですね。
高橋 ありがとうございます。どうしてそういう作品になったのかというと、震災以降のこの国は、戦後ずっとおかしなシステムを放置していたツケが来ていますよね。実感として、「もうバカバカしくてやってられない、ふざけんな!」という思いがありました。それを小説にするとなると、シリアスな顔をして抗議したり、呪詛の言葉を吐くというふうにはならなくて、自分で書いていてもバカバカしいと思えるような作品になった。登場人物にも「震災チャリティーAVはないだろう」と言わせているんですが、僕もそう思います(笑)。社会が歪んでいる、間違っている、だからこういうふうに直しましょう、と建設的な提案をするのは、もちろん正しいことです。それによってこの国は少しよくなるかもしれない。それはとても喜ばしいことだと思うのですが、でもそれより先に、やってられない、もう本当にうんざりだ、と思ったこの気持ちを、まずなんとかしたかった。
市川 「うんざり」というのはなにに対する、あるいは誰に向けられた感情ですか?
高橋 政府の対応も、それを生んだこの国のシステムも、それを見逃してきた自分たちも含めて、このバカバカしさはなんだろうと。さらにその後、議論が硬直化していくバカバカしさ。あるいは、この国全体が自粛ムードに包まれていくバカバカしさ。そのうちひとつというわけではなく、ぶっちゃけどれも変だよね、と。もちろん、僕の作品がこの状況に対する正しい解答かというと、そうではないと思います。でも、いまこの時期に僕にできることは「もうバカバカしくてやってられない」と、誰に向かってというよりも、この空間に向かって、ひとこと言っておくことではないかと思ったんです。
東 よくわかります。世間では、震災を機に人々はまじめになり、社会について襟を正して考えるようになったと言われます。けれども思い返すと、実は日本は90年代後半くらいから、妙にまじめで窮屈な社会になっていたと思うんですね。とくに文学や思想はそうで、バカバカしいことが許されていたのは80年代までですね。当時はポストモダニズムと呼ばれる文化運動が盛んだったのですが、90年代に入るとその反省から、思想も文学もとてもシリアスになった。私見では高橋さんの作品にもその変化は表れていて、90年代も後半以降は、『日本文学盛衰史』(講談社文庫)[★3]のように、日本文学の全体を引き受けるような大きな仕事をされるようになっている。──そこに巨大な震災が起きて、なにもかもバカバカしくなったという。それは重要です。危機と対峙するということは、すごく極端なこと、ときにバカバカしいことを考えることでもあるはずです。そういう「危機の思考」が、実は90年代からゼロ年代にこそ忘れ去られていて、震災によってもう一度帰ってきたとも言えるのではないか。ひとつが『恋する原発』なのではないか。
日本人は震災の前から、社会をこうした方がいい、経済格差を解消しなくてはならない……と、ずっとまじめに議論してきました。しかし、今回それがすべて吹き飛んでしまった。もちろん、いまでも一生懸命まじめに考えている人たちを否定するつもりはない。ただ、いくらまじめに考えても、否応なくそれが吹き飛んでしまう瞬間というものがある。震災はそういうものとして現れた。
ここまでの話を受けて、市川さんはどうですか。
市川真人
1971年生まれ。文芸評論家。早稲田大学文学学術院准教授。著書に『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか』(幻冬舎新書)、『現代日本の批評 1975-2001』『現代日本の批評 2001-2016』(共著、講談社)など。
東浩紀
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
高橋源一郎
1951年生まれ。作家。1981年「さようなら、ギャングたち」で群像新人長編小説賞優秀作を受賞してデビュー。著書に『優雅で感傷的な日本野球』(1988年、三島由紀夫賞)、『日本文学盛衰史』(2001年、伊藤整文学賞)、『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(2005年)、『さよならクリストファー・ロビン』(2012年、谷崎潤一郎賞)、『ゆっくりおやすみ、樹の下で』(2018年)、『今夜はひとりぼっちかい?』(2018年)ほか多数。