【書評】『革命と住宅』を読んで思いだしたこと──本田晃子『革命と住宅』評|五十嵐太郎

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webゲンロン 2024年1月15日 配信

政治に翻弄されるビルディングタイプ

 ソ連の建築論を精力的に発表している本田晃子の『ゲンロンβ』での連載をもとに執筆された『革命と住宅』は、一昨年刊行された『都市を上映せよ』(東京大学出版会、2022年)に続く著作となる。おそらく文学や演劇などのジャンルと違い、建築の分野ではロシア語圏を専門とする研究者があまりいないため、その著作にはいつも勉強させてもらうことが多い。実は筆者にとっては、2011年に彼女の博士論文「天体建築論──イワン・レオニドフと紙上の建築プロジェクト」の最終審査を引き受けたときからの縁となる。これは後に東京大学の南原繁記念出版賞に選ばれ、『天体建築論──レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』(東京大学出版会、2014年)として書籍化、サントリー学芸賞も受賞するなど高い評価を獲得した。今回、『革命と住宅』を読みながら、改めて、そもそも自分がロシア/ソ連の建築をどのように学んでいったかを思い起こした。

 筆者が大学に入学したのは1985年。当時、日本建築史や西洋建築史の講義はあったが、近代建築史を体系的に教える講義はなかった。院試でも近代建築史はほとんど出題されていなかったと思う。大学院に進学すると、藤森照信による日本近代建築史の講義があったが(後に『日本の近代建築 上・下』岩波書店として書籍化)、西洋の近代建築については、デザインが好きな学生が自主的に本や雑誌を読むことで知識を吸収していた(もちろん、現在は多くの大学で近現代の建築を教えており、筆者も東北大で学部生に講義している)。ロシアのアヴァンギャルドを知る入り口となったのは、美術やデザインの分野を介してか、あるいは八束はじめの著作『逃走するバベル』(朝日出版社、1982年)だったかもしれない。後者は革命と建築をテーマとしており、筆者がフランス革命時の建築家ジャン゠ジャック・ルクーを卒業論文のテーマに選んでいたことから手にとったが、読者がすでにかなりの知識をもっていることを前提としたトリッキーな文章で、入門書としてはふさわしくなかった。

 数年前に立教大学でビルディングタイプについての連続講義を企画したとき、八束のレクチャーでは、革命が起きるとき、新しいビルディングタイプが登場することが力説されていた。言うまでもなく、ビルディングタイプとは施設/制度の産物であり、社会がうみだすものだ。ゆえに、革命によって大きく社会が変化するとき、それまで当たり前だと思われていた施設がなくなったり、まったく新しいビルディングタイプが計画的に構想されたりする。『革命と住宅』のキャッチコピー「革命は『家』を否定する」は、まさにそれを示したものだ。本書の冒頭で議論される集合住宅「ドム・コムーナ」のように、従来の家族制度に代わり、共同生活による実験的な空間が求められる。建築の分野では、これをプログラム論とも呼ぶ。実は1980年代から90年代にかけて、チュミのディスプログラミング論、コールハースの『錯乱のニューヨーク』、アトリエ・ワンらの「メイド・イン・トーキョー」などによってプログラム論が注目されたが、ポストモダン的なハイブリッド(用途の複合)や転用の側面が強く、社会を根幹からひっくり返すようなものではなかった。またチュミ以外は、むしろ資本主義の消費のサイクルを加速化させるものだったと言えるだろう。例外としては山本理顕のプログラム論が、家族や社会の制度に疑義を提出していた。

 本書の前半「革命と住宅」(第1章~第5章)は、スターリンやフルシチョフなど、ソ連の指導者が変わるなかでどのように集合住宅のあり方が変化したか、そこで人はどのように暮らしたか、その理想と実態の乖離などを論じている。アヴャンギャルドが失墜した後のソ連では、モダニズムを推進する西側の諸国とは対照的に、派手で古典的なデザインをもつスターリン建築が推奨されたことはよく知られている。しかし、ソ連の一般的な集合住宅は日本ではあまり紹介されなかった。若き日の黒川紀章や建築構法の研究者である松村秀一がプレハブの技術や標準化住宅に関心を示したが、社会背景まで含めた総合的な議論ではない。モスクワ建築大学で学んだ建築家の松原弘典も、ポスト・スターリニズムの時代に関心をもっていたが、事件を起こしたことで、研究からは離れた。したがって、本田の登場は、ソ連に疎い建築界にとってありがたいものだった。八束は大著『ロシア・アヴァンギャルド』(INAX出版、1993年)を上梓し、日本語で読めるロシアの前衛建築のバイブル的な書物となったが、ここには団地の歴史は含まれず、本人もロシア語は自由にできないと述べている。それらに足りていなかった点を補う『革命と住宅』は、『都市を上映せよ』と同様、政治体制の変化とそれが建築に与える影響をとてもわかりやすく整理することで新鮮な景色を見せてくれる(なお、集合住宅における実際の暮らしについては、建築計画学ならばアンケートによる住まい方調査を行うが、本書は映画や文学を批判的に読み込むことでそれを補完している)。

社会との関係から紙上の建築を考える

 もうひとつ別のルートから思いだそう。

 もしかすると、筆者の学生時代にはレム・コールハース が注目されはじめ(実作はまだ多くなかった)、すでにザハ・ハディドがデビューしていたから、彼らの源泉としてロシア構成主義を覚えたかもしれない。学生時代から実現されなかった建築に興味をもち(上述の卒論で論じたルクーの作品もそうだ)、幻想の建築に関する本をよく読んでいた。そしてロシア構成主義やペーパー・アーキテクチャーも紹介した「未来都市の考古学」(東京都現代美術館、1996年)や「アーキラボ」展(森美術館、2004年)ほか、テラーニ、アーキグラム、磯崎新らのアンビルドが重要となる展覧会カタログに寄稿したり、タトリンの第三インターナショナルが起点となる「インポッシブル・アーキテクチャー」展(埼玉県立近代美術館ほか、2019-20年)や「アニメ背景美術に描かれた都市」展(金沢建築舘、2023年)の監修をつとめるなど、非実在建築の仕事にも幾度も関わっている。本書では、第二部となる後半「亡霊建築論」(第6章~第11章)が、まさにこのテーマを扱う。すなわち、レオニドフやヴェスニン兄弟、ソ連映画における建築、コンペが繰り返されながら結局実現しなかったソヴィエト宮殿、そしてペーパー・アーキテクチャーの活動などを論じているのだ。

 とくに、ペーパー・アーキテクチャーと呼ばれるブロツキーとウトキンらのアイデア・コンペ受賞作の図版が何点も紹介されている点については、筆者がそれらを雑誌で眺めた世代だったこともあり、本当に懐かしい思いを抱いた。しかし、当時は彼らの背景も全然知らなかったし、またそれが歴史化されるとは想像すらしていなかった。ちゃんと数えたわけではないが、日本は世界的に見て、突出してアイデア・コンペが多い国である。言葉の通り、アイデア・コンペとは、実現を前提とせず、学生や若手の建築家が腕試しで応募し(ハードルは低く、大判の紙を一枚提出すすればOK)、見事に最優秀賞に選ばれると、100万円(たまに200万円もある)の賞金が手に入り、審査した建築家に顔や名前を覚えてもらうチャンスとなるというものだ(ちなみに、丹下健三の名が最初に建築界で知られるきっかけとなった1942年の大東亜建設記念造営計画も、建築学会が企画したアイデア・コンペだった)。ともあれ、画面がほとんど真っ黒になるくらい執拗に描きこまれたソ連作家のドローイングは、ポップな色使いで個性的な形態が流行していたポストモダンの時代において異彩を放っていた。

 自由に作品を発表できないソ連において、一攫千金のチャンスもある日本のアイデア・コンペは魅力的な発表の舞台だったのだろう。当時、中国からの留学生による手描きのドローイングがうまいことに驚いたことがあるが、もともとは中国に影響を与えていたソ連の建築教育も、ボザール流の名残で徹底的に図面の表現を鍛えていたのかもしれない(ちなみに、現在の中国の大学はコンピュータと3Dプリンタを推進し、日本の方がアナログになった)。また、1980年代という時代を考えると、モダニズムをベースとせず古典的な造形を使うペーパー・アーキテクチャーは、近代建築を否定し過去の様式を引用するポストモダンの雰囲気と相性が良かったと思われる。寓話的な表現は、1960年代のスーパースタジオなど、ラディカリズムの建築をも想起させる。もっとも、ペーパー・アーキテクチャーの作品がもたらす意味を社会背景に引きつけて解きほぐすことは、本田でなければできなかった作業だろう。

 ところで、本書の「おわりに」では、2000年代半ばにソ連建築界が活況を呈していたということが記されている。これを読んで、ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展2008を思いだした。筆者は日本館のコミッショナーをつとめており、ヴェルニサージュ(内覧会)のとき、あやしいロシアの開発業者がやってきては、紙幣に印刷された都市のここでビルをつくるから設計しないかと、石上純也に景気が良いはなしを打診していた。一方でその翌年、ヴェネツィアビエンナーレ国際美術展2009を訪れると、ロシア館の展示「未来に対する勝利」でパーヴェル・ペッペルシテインというモスクワ出身のアーティストが、あまりにもバカバカしい未来建築のドローイング群を展示していたのが、忘れられない。例えば、2088年の巨大な頭をのせたビル型の住宅群、2158年に発見される鏡の惑星、2288年の核爆弾のマッシュルーム雲のかたちをした家、2388年の空飛ぶ湖、3000年に建設されるキリストの巨大彫像、未来都市を攻撃する古い家屋のイメージ、7111年の「The Big A」という「A」の形状をもつをモニュメントなどだ。それらは筆者にとってはいまだに謎であり、本田には将来ぜひ彼の作品も論じて欲しい。

 ソ連の建築といえば、デザインの前衛性からとかくロシア・アヴァンギャルドばかりが注目されがちだが、本来は各時代をつうじて、ビルドにしろアンビルドにしろ、とにかく過剰なエネルギーにあふれていることにその特異性がある。そして、それは「理想」の社会を実現すべく、思想あるいはイデオロギーを建築に込めようとしたから起きたことだろう。最近、『建築思想図鑑』(学芸出版社、2023年)の出版記念イベントに顔をだし、コメントを求められて、次のように発言した。この本は建築思想を徹底的に図解したことがユニークだが、そもそも建築とは思想を図解したものではないか、と。同書には本田も寄稿しており、イベントで発言を求められたのもちょうど彼女のプレゼンテーションの後だったから、そうした考えを改めて表明したように思う。ソ連において建築は思想だった。が、思いだすと、筆者が博士論文のテーマとして新宗教の建築を選んだのも、それが理由だった。宗教は拡大していくと、無理矢理にでも教義を形態化しなければならないフェイズを迎える。本来は物理的な形態がない思想に対して、具体的なかたちを与える困難さと滑稽さ。そのダイナミクスをもっとも大規模に実行したのが、20世紀のソ連だったことを本書は教えてくれる。

 


革命と住宅
本田晃子 著(発行:ゲンロン叢書)

五十嵐太郎

1967年パリ生まれ。建築史・建築批評家。1992年東京大学大学院修士課程修了。博士(工学)。現在、東北大学大学院教授。あいちトリエンナーレ2013芸術監督、第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館コミッショナーを務める。芸術選奨新人賞。『日本建築入門』(筑摩書房)、『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房)、 『モダニズム崩壊後の建築』(青土社)、『現代建築宣言文集』(共編著、彰国社)ほか著書多数。
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