経験的な「わかる」を超えて──野村泰紀×池田達彦×竹内薫「物理学はどれだけわからないのか」イベントレポート

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webゲンロン 2025年12月29日配信

 2025年8月6日、ZEN大学とゲンロンの共同公開講座第15弾がゲンロンカフェにて開催された。宇宙論を専門とする理論物理学者の野村泰紀と、同じく理論物理学者で量子コンピュータが専門の池田達彦を招き、サイエンスライターの竹内薫が司会を務めた。三氏ともZEN大学で教員を務めている。議論のテーマは現代物理学。量子論や相対性理論など、非専門家にとっては難解に見える理論について、非常に明快な解説と議論が行われた。

 現代の物理学の到達点はどこで、なにがいまだ「わからない」のか。そして、これから物理学はどこへゆくのか。この記事では、現代物理学を取り巻く問題とその背景のエッセンスをレポートする。

野村泰紀×池田達彦×竹内薫 物理学はどれだけわからないのか──宇宙、量子、最先端の謎に挑む
URL = https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20250806

現代物理学へのいざない

 特別な道具を使えば、未来の世界へタイムスリップできる。あるいは、我々が生きるこの世界は、無数のパラレルワールド(並行世界)と干渉しあっている。なんの小説のお話だろうか。『ドラえもん』のようなマンガの設定だろうか。今どきのSFにしてはベタすぎて、あまり出来がよくないという印象を持つひともいるかもしれない。

 しかしこれらが創作ではなくて、物理学的にその可能性を示すことのできる現実だとしたら、どう思われるだろう。つまり、現実にタイムスリップをしたり、パラレルワールドと接触したりできる可能性があるのだとしたら。

 実際のところ、量子論や相対性理論といった現代物理学の知見をもってすれば、そのようなSFめいた出来事の可能性を示すことができる。かつて想像力によって描かれていた世界は、いまや数式によって、きわめて精密に描くことができる。なんともロマンのある話だ。

 ところが、そんなロマンに膨らみはじめた胸も、高度に専門的な数式の羅列を前にすると、しぼみ始めてしまうかもしれない。現に「ちょっと興味はあるけど、自分には物理学をちゃんと理解するのはむずかしい」と感じたことのある人は少なくないはずだ。できることなら非専門家でも分かるように、でもなるべく厳密に、物理学の到達点に触れてみたい……なんて、ちょっとワガママなことを思ったことがある人もいるだろう。筆者(文系出身)もそのひとりである。

 本イベントは、そんなワガママに真正面から応えてくれるものだ。池田による量子コンピュータの解説に始まり、シュレディンガーの猫、時間の矢、量子もつれなどなど、有名な思考実験や理論について、第一線で活躍する研究者たちの明快な解説を楽しむことができる。数式もほとんど出てこない。筆者も、難解なはずの議論がすんなりと飲み込めた。

  タイムスリップやパラレルワールドとの接触がいかなる意味で可能と言えるのか。そして同時に、なぜ我々が思い描くような仕方ではほとんど不可能であると言わねばならないのか。本イベントを通じて現代物理学の到達点とその限界について知るなかで、こうした疑問にも一定の解答が与えられることになるだろう。

量子とは何か

 イベントは「量子を小学生に教えるとしたらどう説明するか」という、竹内の導入的な質問から始まった。

 池田の答えは「日常生活とは全くちがう法則で動く極小の粒子」というものだ。量子は粒子と波の性質を併せ持ち、さらに異なる状態が「重ね合わせ」になっているという特徴を持つ。つまり量子は、状態aと状態bに分岐したパラレルワールドの、両方を重ね合わせた状態で存在しているのだ。しかもパラレルワールドの量子同士は相互干渉を起こし、現象の発生に影響を及ぼしているのだという。なんとも夢の広がる話である。

 だが野村によれば、そうしたパラレルワールド同士の干渉が我々の目にみえるような規模で起こる確率は、ほとんど0に近い。なぜならあらゆる物体(たとえば人間)は、無数の量子(原子)でできているからだ。ある人物が並行世界と干渉するためには、人体を構成するすべての量子が干渉を起こさなければならない。たとえ単独の量子が10%の確率で干渉しあうと仮定しても、人間が別世界の自分と干渉を起こすのは10%を何兆、何京、いやそれよりはるかに大きい数だけ累乗した、極めて小さい確率になってしまうのである。

 しかも量子は、ある程度大きい物質から干渉を受けると、「重ね合わせ」の状態から特定の状態へと収束してしまう。これは、量子の「デコヒーレンス」と呼ばれる現象である。

 イベントではかの有名な「シュレディンガーの猫」を例にこれが説明された。量子の動きのみが影響する段階では、猫が生きている状態と死んでいる状態は重なりあって存在している。だが、人間の感覚器官が干渉することでデコヒーレンスが起こり、重ね合わせが解消され、猫の生死が「確定」してしまう。量子力学はパラレルワールドの存在可能性を拓くが、その理論を信じれば信じるほど、SFが思い描くようなパラレルワールドとの相互通信は不可能だと考えざるをえなくなるのだ。

 そして、量子の重ねあわせを活用して超高速の計算を行う量子コンピュータにとっては、まさにこのデコヒーレンスを回避することが非常に重要となる。

量子コンピュータ——"More is different"

 こうしてイベントは、池田の専門である量子コンピュータにまつわる議論へと移った。池田の研究関心は、量子レベルのミクロな世界の動きが、人間にも知覚可能なマクロな世界の動きとどう連関しているのかということにある。マクロな現象をミクロな動きの集合として説明可能であると考える「還元主義」に対し、池田は「創発(Emergence)」を重視する立場を取る。

 つまり、ミクロな動きが集合してマクロな現象となるとき、単にミクロな動きを合計するだけでは説明できない異質な現象が起こるということだ。アメリカの物理学者アンダーソンは、このことを "More is different" と端的に表現した。

 しかし、それを実験で証明するにはかなりの困難が伴う。そもそも、デコヒーレンスの可能性を完全に排除することが容易でない。それに成功しても、量子の数が少し増えるだけで干渉可能性の組み合わせが爆発的に増加する、「組み合わせ爆発」の問題に直面することになる。  たとえば20個のスペースに10個の量子が配置される組み合わせの数は約20万通りであるのに対し、40個のスペースに20個の量子が配置される組み合わせの数は、千億に達する。それだけの数の並行世界が生じるわけだ。池田によると、それぞれの世界での量子のふるまいすべてをスーパーコンピュータで計算しようとすると、前者は一週間で終わるが、後者はなんと4×10^17週間(宇宙年齢の60万倍)を要するという。量子の独立したふるまいを明らかにすることは、現代においてはまだごく小さなスケールでしか可能でないのだ。

 しかし量子コンピュータが実用化されれば、こうした計算を短時間で行いうる。まだまだその道のりは長いというが、近年、外部からの干渉などによるエラーを訂正する「量子誤り訂正」が可能となり、実用化に向けて大きなブレイクスルーが果たされた。いずれは、既知のマクロな現象についてミクロな次元から説明を与えるだけでなく、量子コンピュータによるミクロな次元の操作によって、未知のマクロな現象を人為的に創発させるという研究すら可能になるかもしれない。前半の最後では、池田によってそんな壮大な展望が提示された。

相対性理論の衝撃

 イベントの後半では、古典物理学から現代物理学への理論的変遷について、野村による解説が展開された。野村いわく、古典物理学は、19世紀後半にマクスウェル方程式(電磁波に関する方程式)が提唱されたことで一応の完成を見た。しかしそこには、一つの大問題が残っていた。マクスウェル方程式に従うと、光(電磁波の一種)の速度が絶対的に確定してしまうのである。どういうことか。

 通常、速度というものは相対的にしか定めることができない。たとえば「時速4kmで進む人」というのは、「地球上で静止状態にある人から見て、特定の方向に時速4kmで進む人」のことである。絶対的な時速4kmというものは考えられない。

 ところが光の速度は、固定の値が定められてしまうのだ。光は、誰がいつどこから見ても、秒速30万kmで進むのである。古典物理学の観点からは謎でしかないこの事態を解決したのが、アインシュタインの特殊相対性理論である。アインシュタインは、光の速度の固定性を時間の不変性よりも優先した。つまり、光の速度が常に一定になるように、時間の側が「ねじ曲がる」と考えたのである。たとえば、高速で運動している人にとっては、静止している人にとってよりも時間が速く進むといった具合に。   さらに野村の話は、特殊相対性理論から一般相対性理論へ、そしてそれらと量子論の繋がりにまで展開されていく。ミクロな世界を扱う量子論と、マクロな世界を扱う相対性理論。両者は互いの影響を無視できるほどスケールの違う理論であり、それゆえ多くの場合は互いを考慮に入れないで計算が行われる。しかし、本当は完全に無縁でありえないはずの両者を統合しうる「量子重力理論」が提唱され、そのほぼ唯一の可能性として超弦理論があり……。

 ——と、このような具合に解説は進んでいき、ここからが話の本番なのだが、レポートでお伝えできるのはここまでだ。続きはぜひ、イベント本編をご覧いただきたい。古典物理学から現代物理学へいたる大まかな流れのほとんどを、しっかり押さえることができるはずである。

物理学のブレイクスルー

本レポートを締めるにあたり、筆者にとってもっとも印象的だったことを記しておきたい。冒頭で野村が語っているように、物理学の「謎」や「わからなさ」には、いくつかの種類がある。理論でも実験でも明らかになっているが、経験的には謎めいて見えるだけのもの。理論は準備されているが、まだ実験によって確証されていないもの。最後に、理論すら構築できないもの。そして往々にして人々は、「経験的な謎」の段階で足止めを食らい、理論的な前進そのものを妨げられることになる。

 本イベント全体を貫くテーマがあったとすれば、それは、物理学におけるブレイクスルーについてであったと言えるだろう。それは理論を徹底的に遵守することでもたらされる。光速が固定であるという理論を徹底したアインシュタインは、我々の経験的な直感を超えて、時間の流れすら変様させてしまった。それはかつて、「もし地球が丸いなら、反対側の人は地球から落ちてしまうではないか」という人々の直感を、重力という概念(「下」は相対的なものである)が覆してしまったのと同じである。経験的な「わかる」を超えて、愚直なまでに誠実に理論を前に進めるとき、ブレイクスルーは起こってきた。

 登壇者たちが口を揃えて言うのは、量子を人類にとって有効に活用するための道のりは、まだまだ長いということである。そこに至るまでには、いくつもの偉業が成し遂げられねばならないだろう。だがおそらく、完全に不可能というわけでもない。池田によれば、量子の動きを外部から完全に切り離して観測する実験はそれ自体、20世紀最高の知性の一人であるフォン・ノイマンによって、理論的にきわめて困難であることが指摘されていた。だが現代の物理学は、極めて小さいスケールとはいえその実験を成功させている。ブレイクスルーは、いまなお着実に進行中なのだ。

 本イベントの視聴者は、登壇者による丁寧な解説で物理学の最先端に触れながら、そんな来たるべきブレイクスルーの予兆をたしかに感じることができるはずである。(石原威)

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