ヒップホップという生き方|吉田雅史

1 ヒップホップという生き方
ヒップホップとは一体何だろうか。音楽ジャンルとしてのヒップホップを考える以前に、文化としてのヒップホップ、そしてそこで重要視されている理念とは何だろうか。それがなければヒップホップと呼べないものとは。
ほぼ四半世紀のあいだヒップホップのグループで活動しながら、自分がずっと追い求めているのはその答えかもしれない。音楽について文章を書いたり、話をしたりすることになったいまでも、この問いはずっと続いている。
ヒップホップのことを考えながら生きていると、その答えのヒントとなりそうな場面は、たまにやってくる。
たとえば、ビートメイカーとしてともに曲作りをしてきたラッパーたちのなかで、OMSBという人物は、わたしにとってヒップホップを体現した存在のひとりと言える。彼の作るビート、彼のラップのリリック、フロウ、DJでの選曲といった作品に表れるスタイルから、仕事の選び方にいたるまで、それらのすべてが、彼独自の美学に貫かれており、「ヒップホップ」としか言いようがないのだ。
それをセンスと呼ぶ人もいるかもしれない。しかしそれは決して先天的なものだけでなく、人生を賭けてヒップホップという文化をどれだけ愛し、リスペクトしてきたかが反映される、後天的なバロメーターでもあるはずだ。
OMSBはアメリカ人の父親を持ち、父親の国で生まれたヒップホップという文化を愛している。しかし幼少時の両親の離婚により離れ離れとなったその父親に対してはアンビバレントな感情を持っており──それはたとえばEP『喜哀』に収録の「Blood」(2023)で開陳されている──、結果的に彼は父親の母語である英語ではなく、日本語でラップをするに至る。そのある意味でねじれた状況が、最終的には、彼のオリジナルなスタイルに結実することとなる。
穏やかな物腰と愛嬌満点の笑顔が印象的な人当たりの良い彼は、ひとたびヒップホップのこととなると決してブレない、頑固なまでに譲らない美学を持ち──かつてRHYMESTERが「B‒BOYイズム」(1998)で「決して譲れないぜこの美学」と歌ったように──、特にアンダーグラウンドなヒップホップに造詣が深く、会話をすればいつもその話題で軽く数時間はあっという間に過ぎてしまう。誤解を恐れず言えば「ヒップホップ馬鹿」という褒め言葉が実に似合う人物。さらには(わたしの方がいくつも年上のはずなのに)わたしのラッパーとして、またビートメイカーとしてのあり方といった個人的な悩みにも度々相談に乗ってくれる懐の深さを持ち合わせている。
彼と一緒に作った「Justify Myself」という曲がある。自分自身の行為を正当化する、というタイトルだ。彼はフックで「挫折を嗜み/風に吹かれ赤くなる果実/多分、今が最高のとき」と歌う。2021年の曲だが、この時期のOMSBは様々な事情から苦境に立たされていた。2015年に傑作『Think Good』をリリースしてから、ソロ音源としてはブランクが空いていた。
彼にとって、ヒップホップ以外の仕事で生きていくことは考えられなかった。しかし一方で、ヒップホップを生業にして家族を養っていくのはもちろん簡単なことではない。それでもコンスタントに作品をリリースし、過去の自分を次々に超えていかなければならない。だがそのような「挫折」と表現できる自身の状況を、「嗜む」という前向きな言葉で受け止め、対峙する。その状況こそが「最高のとき」なのだと言い放つ。ここにわたしは、ボースティング(誇張)や価値転倒を武器に、抑圧や苦境と向き合う、ラッパーの姿を見ていた。
このラインを聴くたびに当時を思い出す。OMSBが置かれていた切実な状況と、その後リリースした傑作『ALONE』(2022)によって彼がその苦境を乗り超えていったことを。そして背筋が伸びる思いで、自分がヒップホップという偉大な文化に力を貰っていることを実感する。
ヒップホップを通して出会ったのは、人としての生き方や考え方をリスペクトできる同志や先人たちだった。わたしはヒップホップと出会っていない人生を想像することができないが、彼らもきっとそうに違いない。彼らは自身のオリジナリティを重要視し、長年の研鑽で獲得したスタイルに信念を持っている。そして逆境を跳ね返しながらも、現状に決して満足することなくその研鑽を続ける。おそらく人生を賭けて。
自分がリスペクトする者たちのそのようなヒップホップ観に向き合いながら、日々自らの姿勢を確認する。そして、もっとまっすぐに背筋を伸ばさなければならないと反省する。そう、ヒップホップとは、単なる音楽ジャンルの名称ではなく、まともに向き合うと「背筋が伸びる」ような生き方のことに違いない[★1]。
2 なぜヒップホップについて考えるのか
わたしはこの文章を、個人的な体験から書き始めた。だがここでヒップホップ──とりわけ日本語で歌われる「日本語ラップ」──について語るのは、なにも私的な思い入れを披露するためではない。ヒップホップとは一体何だろうか。それは日本語でこの文章を読んでいる、あなたに関わる問いである。そう思っているからだ。
たとえば、ヒップホップはアメリカ、日本にかかわらず若者を中心に盛り上がってきた文化だ。ラッパーたちは自分の身の周りの事象をリリックで表現する。それは日記のようでもあり、エッセイのようでもあり、SNSの投稿のようでもある。
だから当然、わたしたちが生きている世界の様々な状況を映し出す。
その他の多くの芸術作品と比べて特筆されるのは、ヒップホップが「リアル」かどうかをひとつの争点としている点だ。
いまやその誕生から50年が経過したヒップホップは、キッズからベテランまで、多くのプレイヤーとファンを抱える大きなコミュニティを形成している。だから様々な価値観が、歌われている内容やサウンドと、ときに共鳴し合い、ときにぶつかり合う。
ラップにおいては、日本語英語を問わず、そのとき流通している言葉遣いやスラングを交えた言語の、いわば現在進行形の姿が浮き彫りになる。たとえば日本語ラップにおいては、黎明期の1980年代から現在にいたるまで、時代と共に日本語が変化していく様が反映されているし、歌われる対象の変遷も示されている。つまり日本語ラップには、日本語の面白さや多様性が凝縮されている。だからこそこのジャンルは、日本語の表現の可能性を拡大し続けるものと言えるだろう。
また、サウンド面に目を向ければ、ヒップホップのビートは、他のダンスミュージックのジャンルと共鳴しながら、時代の先端を形作っている。アメリカでは2018年にはロックを抜いて最も聴かれている音楽ジャンルとなった。もう新しい音楽は誕生しないと言われるなか、その言葉をよそにサブジャンルを更新し続けるヒップホップは、常に皆がフォローする最新のモードと個別の作家の独創性の交配によって前進していく面白さがある[★2]。人々はなぜヒップホップで踊るのか。ラップのリリックにおける言葉の意味と、人々がダンスするためのリズムは、両立するものなのだろうか。こと日本語においてはどうなのか。
ヒップホップは、1970年代のニューヨークのアフロアメリカンやラティーノのコミュニティから生まれた。この文化は1983年に公開された映画『ワイルド・スタイル』に牽引されるようにして日本に上陸し、この国でもその四大要素であるDJイング、MCイング(ラップ)、ブレイキング(ブレイクダンス)、グラフィティがそれぞれに探求されていくことになる。とりわけラップは、言語の違いという巨大なギャップだけでなく、日本でどんな内容のラップをするか、そこには果たしてニューヨークのゲットーで生まれたヒップホップのオーセンティシティ(真正性)が担保されるのか、という困難な問いと向き合うことになった。
だから日本における先人たちは、アメリカからやって来たスタイルに則りつつ、同時にオリジナリティを生み出さなければならない、という極めてアンビバレントな課題を抱きながら、道を探ってきた。そして現在でも、日本語を用いることでしか生まれないであろうスタイルの探求は続いている。
日本語ラップの黎明期である1980年代と比較すると、近年日本においては「洋楽離れ」が囁かれ、特に欧米の音楽への見方が変わってきていると言われている[★3]。だがことヒップホップに関して言えば、当時もいまも、いわば「アメリカの影」を意識しないわけにはいかないはずだ。ラップのリリックには「いまここ」が映し出され、否応なしにある種の政治性が反映される。日本語ラップの立ち位置自体が、アメリカと日本のアンビバレントな関係性を映し出してしまっている。要するに「日本語ラップ」のあり方とは、アメリカの強い影響下にありながら近代国家としてオーセンティシティを保たなければならないという、戦後日本のアンビバレンスの相似形なのだ。そしてそれはアメリカでヒップホップが誕生し、いまでも常に最新のモードを生み出し続けていることと関係している。
だから日本でヒップホップについて考えることは、このグローバルな時代に、ある場所や時代にルーツを持つ文化・芸術を、どのように受容し、ローカライズするかを考えることでもある。そのときそこに立ち現れるオリジナリティとは、一体何だろうか。もとより言語表現やサウンド表現において、オリジナリティを持つとは、一体どういうことなのだろうか。
わたしたちは、いまの時代に、自分の持っているものをどのように見つめ直し、誇って、生きていくのか。ヒップホップとは、そのヒントとなる文化にほかならない。
★1 レジェンドMCのひとりであるKRS・ワンは、「ヒップホップは〝生きる〟ものなのである」と定義している。KRS‒ONE『サイエンス・オブ・ラップ』、石山淳訳、ブルース・インターアクションズ、1997年、20頁。
★2 “For the first time in history, hip-hop has surpassed rock to become the most popular music genre, according to Nielsen,” BUSINESS INSIDER, 2018. URL=https://www.businessinsider.com/hip-hop-passes-rock-most-popular-music-genre-nielsen-2018-1 また音楽ストリーミングサービスのSpotifyは、2023年には世界全体のストリーム数の約4分の1がヒップホップであり、世界中で最も聴かれるジャンルのひとつだと指摘している。URL=https://newsroom.spotify.com/2023-08-10/hip-hop-50-murals-new-york-atlanta-miami-los-angeles/
★3 「洋楽離れ止まらぬ日本 薄れる欧米への憧れ、国籍意識せず」、日本経済新聞(ウェブ版)、2024年3月4日。URL=https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78940470T00C24A3TL7000/


吉田雅史