売野機子「マンガとは自分を知り、愛し、伝えること」──『ありす、宇宙までも』はなぜ「マンガ大賞」を獲れたのか【ひらめき☆講座特別インタビュー#3】

webゲンロン 2025年1月5日配信

 第一線で活躍するプロにひらめき☆マンガ教室運営スタッフと現役受講生たちがお話をうかがう「ひらめき☆講座特別インタビュー」の第3弾。 今回は『ありす、宇宙までも』でマンガ大賞2025の大賞を受賞した売野機子先生にお時間をいただきました。売野先生は自分のマンガ家キャリアをどう捉え、いかにしてマンガ大賞の受賞へとたどり着いたのか。ぜひお読みください。(編集部)

貸本と映画が原体験

——売野先生は幼少期にマンガをよく読んでいたとうかがいました。マンガに触れ始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

 

売野機子 実家の隣にあった貸本屋さんのおかげですね。流行りのマンガを多く取り扱っていたうえに、古い作品も保管していたので、小学生のころには浴びるようにマンガを読んでいました。お店の方とも仲良くなれたのもあって、ヒット作は少年マンガ、少女マンガを問わず読んでいたし、青年向けのマンガも読めました。

 

——印象に残っている作品はありますか。

 

売野 『りぼん』はよく読んでいて、谷川史子先生やあいざわ遥先生、水沢めぐみ先生など、錚々たる作家陣がいた時期だったのもあって印象に残っています。あとは『るり色プリンセス』を始めとする折原みと先生の作品です。先生の短篇を丸ごと描き写していたくらい。製本テープで本の形にして、幼馴染と「マンガ家ごっこ」として、お互いにファンレターを出し合う遊びをしていました(笑)。

 

——子どものころから創作への興味が強かったんですね。以降もマンガ漬けだったのでしょうか。

 

売野 いえ、中学受験をきっかけにマンガを禁止されたので、あまり読まなくなりました。一方でテレビドラマは禁止されていなかったので、ドラマを好きになって、その流れで実写に興味を持ち始めます。映画はよく見ましたし、学校からビデオカメラを借りて自主制作映画も作っていました。自分でカメラをもって街で写真を撮るのもすごく楽しかったので、この時期はマンガ以外で人生に夢中になっていました。

 

——先生のマンガは実写的な構図や大胆な画角が多いと感じます。その背景には当時の経験があったんですね。

 

売野 そうだと思います。そのころはミニシアターブームと重なっていて、国内外の新作映画を毎週のように観られる環境にありました。とくにガス・ヴァン・サント監督やアルノー・デプレシャン監督の作品は、中学から高校時代の私に一番響きました。自分が思い描く「カッコいい画面」には、そのころの映画がモデルとしてある。それがマンガにも表れているんだと思います。

読者と仲間に支えられて

——そこからマンガへ戻ってきたのはどのようないきさつなのでしょう。

 

売野 『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニメがきっかけでした。会社員をしていたときに同僚の家で見せられて、最初は乗り気じゃなかったんですけど、帰り道に原作を全巻買って帰ってしまうくらい好きになってしまって(笑)。それが縁で同人誌に誘われ、同僚と同人誌即売会に出ました。

 

——二次創作の出身なのですね。同人活動はどれくらいの期間行っていたのでしょうか。

 

売野 数年は続けていましたね。初めて参加した即売会が、ちょうど界隈の勢いのあるタイミングと重なり、たくさんの方に読んでいただけたので、うれしくなってまた次の同人誌を描いて。ありがたいことに、熱心な感想を送ってくださる読み手の方がたいへん多く、うれしさと作品への情熱を糧にまた次のイベントに……。というサイクルができていました。毎月本を出していて、月に数十ページ、多い時は100ページくらい描いていたと思います。それを数年続けていました。

 

——すごい量ですね! それだけの作品を発表するサイクルを保つ秘訣はなんだったのでしょう。

 

売野 熱心な読み手の方はもちろん、やっぱり作家仲間の存在が大きかったです。お互いに励まし合いながらも、切磋琢磨できる関係性でした。夜中にみんながチャットで楽しく交流している時は、「みんなが手を休めているこの隙にマンガを描いて、みんなより 1冊多く本を出す!」などと考えて机に向かっていたりもしました。「マンガが下手なわたしは仲間の10倍頑張ってやっと同じスタートラインに立てるんだ」と思っていました。すごくおもしろいマンガや小説を作るみんなに、少しでも認められたいという気持ちが強かったんですね。

 

——それから一次創作へと活動の場を移すまでには何があったのでしょうか。

 

売野 それも作家仲間がきっかけです。あるイベントの打ち上げでだれかが「みんなの一次創作が見たい!」と言い出して、一時創作のみのコミティアに出ることになりました。完全にお酒の勢いとノリで、その場で申し込みまで済ませてしまって(笑)。けれどわたしは「約束したからには出さなきゃいけないんだ!」と思い詰めて、必死に描き上げたのが『晴田の犯行』でした(のち『薔薇だって書けるよ─売野機子作品集─』に収録)。この作品を読んだ編集の方に声をかけられて、雑誌『楽園』で商業デビューすることになります。

「まずは売れてくれ!」

——お話を伺っていると、同人活動からデビューまでトントン拍子に進んできたようにも聞こえます。

 

売野 いやいや、本人としてはもう泥だらけになって頑張ってきたという感覚です。デビューした時はうれしさと同時に、悲しさがあったくらいです。当時の雑誌のコメントにも書いたと思うんですが、周りの作家さんが綺麗なドレスで着飾っているなかで、わたしだけ裸足で、しかも灰だらけの服のままお城に来ちゃった! と言いますか……。ここまで来たのは自分の実力以上の背伸びが実を結びうれしいという思いの一方で、いざデビューして周りを見たらみんなものすごく絵が上手で、下手なままデビューしてしまって恥ずかしいという複雑な気持ちがありました。

 それでも初めは、デビューしたら自分の良いところを見つけてくれるひとがどんどん増えて、ひとりでに実力が身につき、そのうちヒット作が出るのだろうと思ったんですが、まあ実際はそんなことはなかった(笑)。それどころか、二次創作や初期の短編作品を描いていたころはずっとあった、心のままに描けば読者から反響がある「打てば響く」感覚が、連載作品を作り始めてからはうまく感じられなくなってしまったんです。

 ありがたいことに各雑誌で担当編集さんについていただいていたので、メジャー誌に絞って企画を立てていましたが、私がおもしろいと思うネームは中々通らず、その間に描かせてもらっていた連載でもうまく手綱を引く感覚が掴めず、つらい時期が長かったです。担当さんはみんな本当に作品を愛してくれていたし、「自分なら売野さんをもっと売り出せる!」と熱意をもってくれていたんですが、なかなか結果につながらなかったことがしんどかったですね。

 

——その壁はどうやって乗り越えたのでしょう。

 

売野 ある担当さんに「まずは売れてくれ」と言われたんです。「売野さんが描くものがおもしろいのは知っているけど、いまのままではだれもあなたに興味がない。作品も読んでくれない。だからまずは売れてくれ!」と。そこまで言われたらこちらも「もう売れるしかねぇ!」と(笑)。

 それまでは、修正するにしても、「自分のマンガをどう直したらいいのか」という視点で考えていました。しかしそこからは「売れるマンガを描くにはどうしたらいいのか」という考えに切り替え、マンガの作り方自体を変えていきました。

 

マンガ大賞2025で大賞を受賞した『ありす、宇宙までも』。「週刊ビッグコミックスピリッツ」にて連載中。

 

——具体的にはどのような作り方をしたのでしょうか。

 

売野 過去に流行った映画や音楽を、分析しました。「たくさんの人に届くものを作ろう」と思ったとき、いま現在人気なモノをマーケティング的に調べ始めるのはノイズが入ると思いました。いまの流行をもとに作品を作っても、それが世に出るまでに流行はもちろん変わってしまいますし、構成自体に正しく注目できない気がします。

 だからわたしは「かつて売れた作品がなぜ売れたか」を知ろうと思いました。たとえばそれこそ『タイタニック』などの大作を改めて観て、「この感情を喚起している仕組みはなんなのか。このシーンが映画全体にもたらす効果はなんなのか。映画自体なぜ上手く機能しているのか」といったことを全て言語化して整理していきました。そうすると、たとえば全体の構成だけで言えば「沈没船探索のために過去を語る老女の回想をフレームに、豪華客船という閉ざされた空間で出会った身分差のある若者の恋と、彼らを含めた生存劇が交互に展開し、老女の語りに戻ることで過去が再定義され現在へと回収・昇華される」みたいな、おもしろさの大枠が見えてきます。そうしたら、同じおもしろさの大枠を、まったくちがう設定や前提のマンガにあてはめてみる。すると作品がものすごくおもしろくなるんです。これを、かつて流行ったポップソングやテレビドラマなども含めてひたすら行いました。これを繰り返すことで「ベタのおもしろさ」に気づけたことは大きかったです。

 そうやってメジャー作品が持つ共通の構造のようなものを自分なりに学んだあと、産休中だったスピリッツの担当さんの後輩編集者を紹介してもらって、いま連載している『ありす、宇宙までも』の企画が動き出しました。

読者がいなくちゃ意味がない

 

——『ありす、宇宙までも』は「マンガ大賞2025」の大賞を受賞されています。その際のスピーチで、「なんらかのマンガ賞の大賞をとろうと思って作った作品」と話されていたことが印象に残りました★1

 

売野 編集部から「絶対売れると思った作品しか載せなくても、ほんとうに売れるのはそのうちの何割か。だから、絶対に売れる作品を作るつもりでやってください」というオーダーがありました。だから最初から、『ありす』にはかなりの意気込みがありました。

 それに、描いているうちに、キャラクターたちに勇気をもらえたんですよ。主人公がトップを目指していく内容の作品なのに、作者のわたしがおよび腰になっていたら、キャラクターに失礼だな、と。それで「わたしも宣言しちゃおうかな」と思って、当時の担当編集に「この作品でマンガ賞の大賞取りたいです」と言いました。

 はっきりした目標ができたので、やるべきことも明確になりました。「このままでもおもしろいけど、大賞をとるほどではない」という理由で、掲載ギリギリにボツを出したこともあります。

 

——「大賞をとる作品」はほかとなにがちがうのでしょう。

 

売野 大賞をとるというのは、ここまでにお伝えしたおもしろい作品作りに加えて、読んでくださった方の心に届く作品にするということだと思うのですが、心に届くためには“作家自身が存在する”ことが必要だと思います。一度でも描いたことがある方はご存知だと思うのですが、マンガは描いていくうちに自分がどんな人間なのかが見えてきてしまうと思います。だからこそ、どんなに醜い、どんなに恥ずかしい自分でも、その自分を見つめ、自分を愛さないと、ペンが動かなくなる。そこを乗り越えて、私自身の個人的な想いや情熱が根底に存在する作品こそ人に届くのかなと、いまのわたしは考えています。

 

 そもそもわたしがマンガを描いている目的のひとつに、「こう考えているのってわたしだけじゃないよね」「これをうつくしいと思うのはわたしだけじゃないよね」と、自分の考えや感覚を共有できるひとを探したい、作品を通して手を繋ぎたい、というのもあります。

 

 

——それはつまり、マンガは突き詰めると自己表現だということでしょうか。

 

売野 自分のことにかぎらず、「読者に伝わらなかったら意味がない」とはつねに考えています。

 ある日「サブカル」売場の中に売野機子コーナーを見つけて衝撃を受けたことがあるんです。自分はメジャーな作品を描いていると思っていたので、「わたしってサブカルなんだ!」と(笑)。わたし自身は「サブカル」的なものが好きなのですが、もしその言葉に「一部の人しか共感できないもの」というニュアンスが込められていて、自分の作品がそこにカテゴライズされたのであれば、それは悲しい。読者の方から反応がない作品を描いているときはものすごくつらいです。

 だから担当の方にはいつも「これで伝わりますか?」と聞いています。読者に喜んでもらって、やっとマンガ家として安心できるので。

 わたしは同人活動を始めたころから、作品や作者としてのわたしを信じてくれる、熱心な読者とめぐり合えた。それはとても幸運なことだと感じています。私の拙い表現を丁寧に汲み取って共鳴してくださっていた彼ら彼女らをがっかりさせない、裏切らない、しかし同時に多くの人に伝わる作品を目指したいと考えています。ずっと私の作品を大切にしてくださった読者さんや担当編集のみなさん、書店さんに報いたいと思っています。

 

——たいへん勇気をもらえるお話でした。最後に見学に来た受講生からの質問にお答えいただいて、本日のインタビューを終わりたいと思います。

受講生と売野先生の質疑応答-Ozaki11さん編-

Ozaki11 売野さんの『インターネット・ラヴ!』の画面がすごくかっこよくて好きなのですが、この画面づくりはどこからインスピレーションを受けたのでしょうか。

 

売野 先ほども話したようにガス・ヴァン・サント作品の影響もあるし、あとは小学生のころに見た『カウボーイ・ビバップ』の画面の格好良さにも憧れがあって、空気感や画面のつくりに影響があるはずです。それと『インターネット・ラヴ!』はわたしの裁量でやれた作品だったので、大矢ちき先生の『回転木馬』や岡崎京子先生、80年代や90年代の同人マンガの影響が強く表れています。

受講生と売野先生の質疑応答-dai21さん編-

dai21 かつてマンガ業界で言われていた「3行でおもしろいキャプションを書ける作品でなければ売れない」という決まり文句に対して、先生が異議を唱えていたインタビューを読みました★2。いまも考えは変わらないでしょうか。

 

売野 当時のマンガ界は斜陽で、いまとはかなり雰囲気が違いました。売り上げがどんどん下がるなかで、より分かりやすく、より刺激的な作品を作って行こうという流れがあった。そういった空気のなかで幅を利かせていたのがくだんの決まり文句でした。

 いまは『鬼滅の刃』が爆発的に売れたり、電子書籍を売る環境も整ってきたりして業界全体が明るいので、そういったことはあまり言われなくなっています。けれど、もしまだ同じようなことをいうひとがいるとしたら、「その考えにとらわれなければもっとおもしろいマンガが描けるんじゃないか?」と立ち止まってほしいなと思います。

受講生と売野先生の質疑応答-嗄井戸麗さん編-

嗄井戸 『ありす、宇宙までも』のセミリンガルの描き方に、多くのひとからするとわかりにくい苦労や障害を、とてもうまく伝えられているなと感動しました。先生はどういうふうにセミリンガルを理解して、マンガに落とし込んでいったのでしょうか。

 

売野 わたし自身、身の回りに多言語を話せる人が多いなかで自分だけ日本語しか話せない、という環境で育ってきたので、まずはその体験を参照しています。もちろんテレビや本で身に着けた知識もありますし、あるいは子育てをするなかで気づいたことも参考になります。子どもって、それまでは知らない存在だった思いや考えを言語化できるようになった結果、感情がめちゃくちゃになることがあるんですよね。

 そうやって積み重ねた知識や経験に、それでもわからないところは想像して考えてみています。実際にマンガに落とし込むのはスクラップ&ビルドの繰り返しです。頑張って作ったものを作り直すのは怖いけど、直した方が絶対によくなる。怖がらずに自分のマンガをよくするために日々頑張っています。

 

2025年9月19日
東京、小学館ビル
聞き手=とらじろう+ひらめき☆マンガ教室第8期聴講生
構成=とらじろう+編集部
 

 


★1 「ありす、宇宙までも」がマンガ大賞2025を受賞!売野機子、授賞式で喜びのスピーチ 
URL= https://youtu.be/1q7epYaon7g?si=ccL27ZC2oOBd0mw0 
★2 「売野機子が語るエリック・ロメール。自分の気持ちに素直な自由さ」、CINRA 
URL= https://www.cinra.net/article/interview-202012-urinokiko_kngsh
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