ロシアは「半分」理解できる──池田嘉郎×小泉悠「ロシアは理解できるのか」イベントレポート

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webゲンロン 2024年5月30日配信
 ロシアの対独戦勝記念日である5月9日、近現代ロシア史を専門とする池田嘉郎の新著『ロシアとは何ものか──過去が貫く現在』(中公選書)が刊行された。それを記念し、同日に著者の池田とロシアの軍事・安全保障の専門家・小泉悠との対談がゲンロンカフェにて行われた。日本のロシア研究を牽引し、また現在進行中の戦争に関しても積極的に発信してきたふたり。4時間にわたった濃密な議論の一部をレポートする。
 
池田嘉郎×小泉悠「ロシアは理解できるのか──対独戦勝記念日に考える「大国」の謎」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20240509

 池田と小泉は、意外にも今回が初対談どころか初対面である。そもそも池田がなぜロシアを研究対象にしたのかを小泉が尋ねるところから、対談ははじまった。

 きっかけは1982年まで遡る。当時11歳だった池田少年は家族とロンドンに住んでいた。このロンドン時代に、池田は父に連れられてしばしば「ある人物」の墓を詣でていた。墓の主はカール・マルクスであると父は家族に教えてくれた。やがて帰国し大学に入学した池田は、ちょうどソ連がペレストロイカの時期だったこともあり、ロシア(ソ連)を研究対象にしたそうだ。これ自体がひとつの世代の歴史を証言するようなエピソードである。

 他方で、軍事オタクとしてロシアに接近していったという小泉は、幼少期にテレビで見た「ソ連」の国名に、「なぜカタカナと漢字が混ざっているのだろう」と疑問を抱いたという。くしくも1982年生まれの小泉にとっては、それが唯一のリアルタイムのソ連の記憶だ。ミリタリー志向はないという池田と、歴史には弱いという小泉だが、初対面とは思えないほど打ち解けた雰囲気の中、池田の講義が始まった。

ロシアは「驚くべきもの」である

 新著で「ロシアとは何ものか」という大きな問いを立てた池田。その理由は、「ロシアはやはり驚くべきものだから」だ。これまで多くの研究者が、ロシアを他国と比較したり、ロシアを取り上げながらも日本の欠点を指摘する教訓話に回収してしまうことで、その驚きを摘み取ってきたという。これまで回避されてきたこの大きな問いに、今回池田は正面から向き合ったのだ。

 19世紀ロシアの詩人チュッチェフは「ロシアは知恵では分からない」という詩を書いている。池田は、その認識は「半分」正しいと語る。西欧の社会構造を前提にしていてはロシアは捉えられない。なぜなら西欧とロシアでは、「社会」や「政党」といった一般的な言葉すら異なる意味合いをもつからだ。

 例えば「社会」という言葉。これは、西欧では政治権力から自律した領域のことを指すが、ロシアでは社会はむしろ強力な政治権力によって作られてきた。また「政党」は、西欧では様々な利害の部分(part)を調整する組織(party)として形成されていったのに対し、ロシアでは政党を組織することが20世紀初頭の帝政末期まで禁止されていた。ロシアでは政党は社会主義者の秘密結社としてスタートし、ソ連時代には一党独裁の共産党が歴史的「真実」を体現する動員装置と化すことになる。こうしたさまざまな背景を踏まえ、西欧とロシアの社会構造はあるていど個別に考えていくのが良いと池田は述べる。

 池田はまた、社会構造の違いの一例として、家族や村落のように自然発生する「ゲマインシャフト」と、政党や会社のように機能分担にもとづいて作られる「ゲゼルシャフト」の区分を紹介する。大まかにロシアは前者が、西欧は後者が優位な社会である。池田によると、ロシアはもともとゲマインシャフト的な社会であったが、近代化に伴ってゲゼルシャフトの方法を取り入れた。しかし結局は、「ゲゼルシャフト(利益社会)を利用して再強化を続けるゲマインシャフト(共同社会)」であり続けている。池田はこの状況を「近代の言葉で武装した中世」と表現するが、小泉は、自身がロシアに感じていた「中世っぽさ」を理論づけるこの表現に深く同意していた。

戦争下のロシア研究者として

 歴史を踏まえて、現在のロシアについてはどうか。今も続くウクライナ侵攻がロシア研究全体に深刻な影響を与える中、ふたりはこれまで戦争について積極的に発言してきた。小泉は、戦争に関する池田の発言が「ロシア専門家の中で最も腑に落ちる」という。また池田も、開戦直後に侵攻の背景を解説した記事★1を発表した際、小泉がX(旧Twitter)でそれを「重厚なインタビューですぬ」★2と紹介してくれたことに勇気づけられたと語った。戦争が起きた時にたまたまロシアを研究していた者として状況を引き受け、発信し続けている専門家の間の信頼関係が見える。

 他方で、両者はロシアの侵攻に対して明確に批判的な立場を表明していることもあり、戦争が続く限りロシアに行くつもりはないと語る。ただし、インターネットはリアルタイムの情報を与えてくれる。たとえばイベント当日は対独戦勝記念日だったが、YouTubeでリアルタイムに軍事パレードを見ることができる。小泉はこうした距離感を「溝ができてしまったが、細い線で繋がっている感じ」と表現した。

 戦争を続けるロシアとの向き合い方について、池田は、ロシア人の多くは戦争を多かれ少なかれ支持しているだろうと厳しい見方をとっている。しかし、開戦直後からロシア国内で反戦を訴え続けている友人たちもいるという。そうした友人たちに堂々と顔向けできるように振る舞うことを心がけていると、池田は語った。小泉も「ロシアの論理」を理解する必要性を説く一方で、それはロシアの政府や世論に同調することではないと指摘。「大国はロクなことをしない」という考えにもとづき、現在戦争を遂行している大国の一つとしてロシアを批判的に分析していると述べた。

歴史を書き残すこと

 イベントはロシアの話題に終始したわけではない。読書家のふたりらしく、本を読む/書くことの重要性が議論に上った。SNSを巧みに駆使することで知られる小泉だが、世の中で起きていることを知るためには、ネット上に氾濫する情報を集めるだけでは不十分だと語る。まとまりのある情報を集め、それを自分の頭で整理していくには、時間のかかる読書が最適だ。文章を書くことで、そこを土台としてさらに論理的、かつ深く思考することができるのだと述べた。池田は、現在の情勢について何冊も本の形で発表してきた小泉の姿勢は重要だと指摘した。

 今次の戦争をめぐっては、時に専門家のあいだでも激しい対立が起きている。ふたりはともに、専門家として何よりもまとまった文章を書いて発表することの大切さを強調した。文章にすることで、たとえ読者が異なる立場だったとしても、その違いが明確になるからだ。小泉は論稿を発表したことがきっかけで、「軍事屋」ゆえに自分を警戒してきた左派系の論者たちから対話を持ちかけられたエピソードを紹介した。文章を発表することで、初めて開かれる回路があるのだ。

 池田は歴史家として現在進行中の戦争について書くにあたり、ペレストロイカ期の日本のロシア史研究者たちの論稿を参照しているそうだ。記録さえ残っていれば、後世にきちんと検証できる。池田は今の状況を熟考するなかで、現代史とは異なる「現在史」という概念を考えついた。それは時代区分ではなく、目の前で起きていることを理解するために過去を眺め、積極的に遡っていく姿勢なのだという。小泉は、今自分たちが書き残しているものも30年後には厳しく検証されるのだろうと述べた。今回の対談もその一つになるのかもしれない。

 

 イベントでは、他にもソ連時代から現在に至る戦勝記念日の変遷や、ふたりのロシア滞在時のエピソードなど様々な話題が繰り広げられた。第一線でロシア研究に携わり、ついに戦勝記念日にゲンロンカフェでめぐり逢った池田と小泉が、4時間にわたりロシアについて語り合った貴重なイベント。ぜひアーカイブでご覧いただきたい。(平田拓海)


★1 「ロシア「帝国」の幻影復活 相克のウクライナ近現代史」、日本経済新聞、2022年3月1日。URL= https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD2587R0V20C22A2000000/
★2 URL= https://x.com/OKB1917/status/1499665191885500417

池田嘉郎×小泉悠「ロシアは理解できるのか──対独戦勝記念日に考える「大国」の謎」
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