文理融合、あるいは「喧騒」のある科学──ゲンロン・セミナー第2期第4回「認知科学・進化論とまちがい」事前レポート|國安孝具

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webゲンロン 2024年5月10日配信

 「まちがい」をテーマに多彩な講師陣による講義をお届けしてきたゲンロン・セミナー第2期も後半に突入。5月18日(土)の14時から開催される第4回の講義にお招きするのは、文筆家・編集者・配信者の吉川浩満先生です。

 「芸術や政治についてだけでなく、科学や技術についても評論が必要だ」★1と語る吉川先生。さまざまな科学のなかでも、吉川先生が『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』や『理不尽な進化』といった著書で取り上げてきた認知科学と進化論(進化学)の観点から、「まちがい」をめぐる講義をしていただきます。

 ここでは、前もって講義のみどころを聞き手が紹介する事前レポートをお届けします。

 

吉川浩満(聞き手=國安孝具)「まちがう、ゆえに我あり──認知科学・進化論から考える「まちがい」の合理性」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20240518/ 

 認知科学は、「文理融合」を体現するかのような学際的な学問です。認知科学の誕生と発展を論じたハワード・ガードナーの『認知革命』によれば、この分野はなんと6つの学問──言語学、人類学、心理学、神経科学、そして人工知能と哲学──の交流によって生まれたものなのだそう★2

 第二次世界戦後から1950年代にかけて、各分野の研究者たちがそれぞれの領域で革新的な研究プログラムを立ち上げました。なかでも、人工知能を共同研究していたアレン・ニューウェルとハーバート・サイモン、それに言語学者のノーム・チョムスキーが重要人物です。彼らが脳とコンピュータをテーマとしたシンポジウムで一緒になったことから、新しい学問の領域が浮かびあがり始めます。当時はまだ「認知科学」という名前はありませんでしたが、70年代には学術誌『Cognitive Science』が創刊されるなど、徐々に学問の世界に定着していきました。

 それでは、認知科学の革新性とはいったいなんだったのでしょうか?

 ひとことでいえば、それは「心には情報処理のシステムがあり、それを科学の対象にすることができる」という信念です。では、これのどこがどう新しかったのか? 少なく見積もっても認知科学の誕生から半世紀がたった現在、その新しさは逆にわかりにくくなってしまっているかもしれません。

 認知科学以前、心理学を席巻していたのは「行動主義」と呼ばれるパラダイムでした。さらに以前の心理学では自分の意識を観察する「内観」が重視されていましたが、行動主義はそれを非科学的なものとして退け、外から観察できる刺激とそれに対する反応(=行動)に心理学の対象を限定しました。たとえば、有名な「パブロフの犬」の実験がこのパラダイムのうえで行われたものです。扱う対象を客観的に観察できるものに絞る方法論のおかげで、心理学は反証可能な科学に近づきました。しかしたほうで、そこからは「「心」をどのようなものとして捉えるか」の視点は抜け落ちてしまいました。

 そんな行動主義のパラダイムにブレイク・スルーをもたらしたのが、「脳とコンピュータは似たものなのではないか」と考えた認知科学です。当時は、脳の研究とコンピュータの開発が(ほとんどたまたま)同時並行的に進展した時代でした。そして、両者のわかりやすい共通点に、「電気信号で機能する」という点があります。脳の仕組みがどんどん明らかになるのと同時に、コンピュータも「人間ならでは」のものとされていた数学の証明のような高度な知的操作が行えるようになっていく時代。そんななかで、「コンピュータにあるようなシステムがわれわれの心にもあるのではないか」という発想が生まれてきたというわけです。

 ここでは詳しく述べませんが、システムとして心を捉える視点が生まれたことで、さまざまな実験が考案されるようになりました。つまり、反証可能な科学のかたちで、「心」を扱えるようになったのです。それが認知科学です。

 さて、このあたりで今回の講義の話に戻っていきたいと思います。認知科学によって心のシステムがわかってくると、わたしたち人間の弱点もみえてきました。システムにはなんらかの脆弱性があるものです。人間の心のそうした弱点は「認知バイアス」と呼ばれ、様々なタイプのものが知られています。たとえば、なにか異常事態が発生したときに「これは正常の範囲内なので大丈夫だ」と思い込もうとしてしまう「正常化バイアス」や、自分の主張や仮説を正当化してくれる情報ばかりに目がいってしまう「確証バイアス」などは、みなさんも耳にしたことがあるかもしれません。

 たほう、進化論の観点を導入することで、そんな認知における「まちがい」にもじつは合理性があるのではないか? という研究もなされています。たとえば吉川先生の『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である』では、「4枚カード問題」なるものからこの点が説明されています。詳細はここでは紹介できませんが、当日の講義は「合理性」をめぐって認知科学と進化論が出会う、そんな内容になりそうです。

 

 ここまで、おもに認知科学の誕生について説明してきましたが、認知科学はさまざまな分野のバックグランドをもった学者たちが集まってできている学問なので、そこでなされる主張も決して一枚岩ではありません。したがって、ときおり激しい論争が巻き起こります。それは進化論も同じで、生命の「歴史」を「科学」するという文理融合の学問であるがゆえのことなのでしょう。

 つまり、認知科学も進化論もそんな「喧騒」で特徴づけられる科学であり、だからこそ、豊かな成果を生んでいるのです。

 最後に、今回の講義にむけた吉川先生へのコメントを紹介します。

 我々は正しさを追求します。あえてまちがいを選ぶ人はめったにいません。同じように、我々は正しさについては大いに気にかけていますが、まちがいに対して同等の注意を払うことはそれほどありません。

 しかしながら、我々はまちがいから逃れることはできません。良かれ悪しかれ、まちがいは我々の生活や社会において、正しさと同様に大きな役割を演じています。それどころか、まちがいなしにはそもそも生命の歴史を考えることもできないでしょう。

 本講座では、認知科学(人間の認知メカニズム)と進化学(生物の歴史と多様性)の観点から、まちがいをもたらす機構、まちがいがもたらす機能、まちがいとの付き合い方について、多層的(生命レベル、個人レベル、社会レベル)に考えてみたいと思います。

 物事をさまざまなレベルを切り分ける──。論争をときほぐすための必須テクニックであり、科学的思考にとっても重要な方法です。生命、個人、社会といったそれぞれのレベルでどのような「まちがい」についてのお話が聞けるのか、いまからとても楽しみです。そして講義の最後には、それぞれのレベルを横断しながら、ゲンロン・セミナーを受講するみなさまと議論するなかで「喧騒」が生まれる、そんな楽しい一日になることを願っています。ぜひ会場や配信でお目にかかりましょう。

吉川浩満(聞き手=國安孝具)「まちがう、ゆえに我あり──認知科学・進化論から考える「まちがい」の合理性」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20240518/

 

ゲンロン・セミナー第2期「1000分で『まちがい』学」特設ページ
URL= https://webgenron.com/articles/genron-seminar-2nd

 

★1 吉川浩満『人間の解剖はサルの解剖のための鍵である 増補新版』、ちくま文庫、2022年、13頁。
★2 ハワード・ガードナー『認知革命──知の科学の誕生と展開』、佐伯胖、海保博之監訳、産業図書、1987年。

國安孝具

1990年、茨城県生まれ。2024年、東京工業大学環境・社会理工学院建築学系の博士後期課程を単位取得満期退学し、株式会社ゲンロンに入社。担当業務はイベント企画、編集補助など。
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