発信のツールからメインストリートへ──上田洋子(聞き手=清水知子)「インターネットは現代文化のストリートである」イベントレポート
上田洋子(聞き手=清水知子)「インターネットは現代文化のストリートである──日本ロシア文学会大賞受賞記念トーク」
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231223
言論統制の厳しいロシアで、社会運動は可能なのか。ましてや社会変革を求めるアクティヴィズムを、アートを通して行うことができるのか。ロシアが戦時下にある今、当然湧いてくる疑問だろう。しかし、ポストソ連のロシア社会の歩みをつぶさに追ってきた上田によれば、アートを用いた様々なスタイルの社会運動が若者を中心に展開されていた。
上田は、言論統制のさらに厳しかったソ連時代にはアクティヴィズムの可能性はきわめて限られていたと語る。結びつきを見出そうとするならば、1917年の革命前後のロシア・アヴァンギャルドの政治と密着した芸術まで遡る必要があるという。そこでは革命を再現する試みとして野外で群衆劇が行われたり、キリル文字のデザイン性を高めたポップアート風の作品が発表されたりした。特に後者の、上田が「いかにもロシアらしい」と語るキリル文字を使ったアート作品は今に至るまで存在感を放っており、イベント全体を通し多数紹介された。
「自由」を得たロシア社会とアクティヴィズム
1980年代中頃からペレストロイカにより統制が緩和されると、アートによるアクティヴィズムの萌芽が見られた。「モスクワ・アクショニズム」と呼ばれる一派で記念碑的作品とされる「エーチ・テクスト」は、権力の中枢であるクレムリン横のレーニン廟前で「Хуй(フイ:男性器)」の人文字を作った(だけの)作品だ。この言葉は日本語で言えば「クソ」のような罵倒語で、レーニン廟に対して侮辱的な意味を持つ。上田は、末期とはいえソ連でこのようなアクションができるようになったこと自体が意義深く、参加者たちはその自由を楽しんでいるのだと語る。同派の中でも特に衝撃的な作品がオレグ・クリークの「犬人間」だ。その名の通り、犬になりきった(!)全裸の男性を記録したビデオ作品に会場は爆笑の渦に包まれた。
上田が「カオスだが楽しかった」と語る1990年代から2000年代にかけてのロシアでは、路上や交通機関といった公共空間で「自由」の境界を試す挑発的なアクションが多数行われた。2000年代末ごろからアクションは勢いを増し、パトカーをひっくり返したり、聖職者や警官の服を着て万引きした品々で豪遊したりと、アクティビストたちは意図的に「法を犯し」て、社会の不正を暴こうとした(当然、逮捕されるのだが)。上田によると、こうしたラディカルなアクションによって無礼講の非日常空間が作り出される。そこにはロシアの思想家ミハイル・バフチンのいう「祝祭」的な要素が色濃く見られるという。統制の厳しいロシアでアクションの中心となっていたのはアンダーグラウンドだろうと思っていたという清水は、それが開かれた公共空間を舞台として、かつ様々な手法を用いて行われていたことに驚いていた。
さらに、アクティヴィズムは右派と左派の闘争の舞台にもなった。例えばソ連崩壊後に復興したロシア正教をめぐり、信者が大切にするイコン(聖像画)を侮辱することで批判的な視点を投げかけるアクションに対して、右派は激しく反発した。ほかにも、ロシア社会の性的マイノリティへの理解のなさを批判する左派のアクションが物議を醸したこともあった。上田はそれらの意図に理解を示しつつも、過激なアクション・作品が人びとの反感を買うことも確かで、それが分断を広げたり、政権の態度を硬化させたりする側面もあると語る。とはいえソ連崩壊後、国が再建されるなかで、市民に社会問題に意識を向けさせたという点で、アート・アクティヴィズムは失敗はありつつも一定の役割を果たしたのではないかと評価した。
インターネットの活用
ロシアの若いアーティストたちは、2000年代に世界中に普及していったインターネットを巧みに活用していった。上田が高く評価する「モンストラーツィヤ」は、SNS黎明期の2004年に地方都市ノヴォシビルスクで始まった運動だ。それは実質強制参加だったソ連時代のメーデーのデモを、ネット上の呼びかけによって自発的かつ要求を掲げない行進として行うものだった。準備段階から当日の行進に至る運動の様子がネットに公開され、またWebサイトも活用された。話題を呼んだこの運動は他の都市にも広がっていき、10年ほど続いたという。
公共空間でのアクションをインターネットでグローバルに広めたのが、ロシアのアート・アクティヴィズムを代表するフェミニストのアートグループ「プッシー・ライオット」とその前身の「ヴォイナ」である。メディア戦略を駆使して世界的に有名になったのは前者だが、「迷惑系ユーチューバー」まがいだと上田が語るヴォイナのアクションはよりラディカルだ。例えば同性愛者の権利を主張する意図で、若い女性のメンバーが女性警官に無差別に抱きついてキスをするというアクションが行われた。上田は、路上や地下鉄などで同性とはいえ見知らぬ人にいきなり抱きつかれてキスされる体験はもちろん暴力的で、トラウマを引き起こす可能性もあると指摘する。他方、2010年の作品「ロシア連邦保安庁に囚われたペニス」のように、ペテルブルクの白夜や街のロケーションを存分に生かして体制批判を投げかけた優れた作品もあるという。彼女たち/彼らを手放しに評価することは難しいが、若者たちを惹きつけた「祝祭」的な運動を体現していたことは確かで、なりふり構わぬ切実さが魅力なのだろうと上田は語った[★1]。
メディア上の革新が起こるとアート・アクティヴィズムが盛んになる傾向は、複製技術が発達した20世紀初頭のアヴァンギャルド期と、情報革命と同時期のポストソ連期のロシアに共通していると上田は指摘する。加えてインターネットの登場は、アクティヴィズムが軽々と国境を越えることを可能にした。清水は、プッシー・ライオットの作品に見られるネット空間を意識した効果的な演出を評価した。
アクティヴィズムは無力なのか
上田はイベントの冒頭で、現在進行形の戦争で暴力が可視化され続けている中、アート・アクティヴィズムは無力ではないかと率直に問うた。厳しい言論統制が敷かれている戦時下のロシアでは、表立ったアクションはほぼ不可能で、残された活動の場であるインターネットにも統制は及んでいる。キリル文字を使ったメッセージ性のあるストリートアートはSNSで広く共有されるが、国内では作者が逮捕され、かといって国外へ出てしまうと効果は薄れる。それでも、国内の反戦の声はSNSを通して少しずつ上がり続けている。「自由」が奪われた現在も様々な形で続くロシアのアクティヴィズムを上田は紹介した。
例えば反戦・反体制で知られる「フェミニスト反戦レジスタンス」や「春」といった運動は、SNSを通した緩い連帯の下で活動を続けている。そこでは商品の値札を反戦ビラにすり替えるアクションが呼びかけられたり、反戦の落書きや、顔を隠しつつプラカードを掲げた写真が共有されたりする。戦時下になっても地道に運動に参加し続ける人びとがいるのは、アクティヴィズムが鬱屈した気持ちや不安を発信・発散する手段を提供してきたからこそだと上田は言う。
これを受けて清水は、南米チリのフェミニスト・アートグループ「ラステシス」を紹介した。ラステシスはプッシー・ライオットの活動から影響を受けており、ふたつのグループは映像作品を共同制作したこともあるという[★2]。ロシアでの活動が遠く離れたチリにまで波及したように、政治へのアプローチの一つとして、長期的に見ればアクティヴィズムに何らかの意味はあるのではないかと清水は結んだ。
インターネットのストリートは、私たち一人一人の手元にも広がっている。TelegramやInstagramといったSNSで発信される最新の作品・運動はもちろん、過去のものもネット上には無数に転がっている。本イベントだけでも、ここではとても書ききれないほど数多くの魅力的な作品が紹介された。イベントの終わりに清水が述べたように、ロシア語の壁はありつつも、その奥には非常に興味深い豊かな世界が広がっている。ロシア文学会大賞を受賞した上田を案内人とする本イベントのアーカイヴと配布資料は、まさにその絶好の入り口となるだろう。(平田拓海)
URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20231223
★1 プッシー・ライオットに関しては、中心メンバーの著書で上田が監修を務めたマリヤ・アリョーヒナ『プッシー・ライオットの革命―自由のための闘い』(aggiiiiiii訳、DU BOOKS、2018年)や、上田の連載「ロシア語を旅する世界」の第8回「サッカーとアクティヴィズム」(https://webgenron.com/articles/genron009_18)も併せてお読みいただきたい。
★2 "MANIFESTO AGAINST POLICE VIOLENCE / PUSSY RIOT x LASTESIS", 2020. URL= https://www.youtube.com/watch?v=UPfcb9aTcl0