チリ、希望と絶望の間で──「社会の爆発」に映画はどう向きあえるか|新谷和輝

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webゲンロン 2024年2月1日配信

「大変な時期」のチリ

 日本の大学院でチリの映画運動について研究している私が、1年間の研究調査のためにチリの首都サンティアゴに到着したのは2022年9月2日だった。まだコロナウイルス対策がしっかり行われていた時期で、防疫措置の厳しいチリに入国するために必要な追加のワクチンやら書類やらを準備するのが大変だったことを覚えている。メキシコでの乗り継ぎを含めて約24時間のフライトを終えてぐったりしていた私を、現地で働いている日本の友人が迎えにきてくれ、街の中心部まで案内してもらった。

 チリを訪れるのは初めてで、空港からの道のりではすべての景色が新鮮に見えた。掘建小屋のような家が並んでいる地区もあれば、ヨーロッパのような整然とした住宅街もある。買い物のために訪れたサンティアゴ東部ラス・コンデス地区には、南米で最も大きいショッピングモールや最も高い高層ビルをはじめ、たくさんのショップやレストランが並ぶ。ラテンアメリカでトップクラスのチリの経済力を実感すると同時に、日本よりも高額なスーパーマーケットの商品やレストランのメニューを見ながら、ふつうのチリ人が生活するのは大変なのではないかとも思った。 

サンティアゴの街並み

 下宿先に着いてから、滞在中にお世話になる指導教員のイグナシオ・アグエロに電話をかけた。彼は、軍事独裁政権下のチリの貧困地区で行われた子ども向け映画教室を記録したドキュメンタリー映画『100人の子どもたちが列車を待っている』(1989年)の監督として日本では知られている。アグエロは、いまちょうど家でパーティーをやっているから来てみたら、と誘ってくれた。教えられた住所まで行ってみると、そこには10人ほどのアグエロの友人たちがいた。彼が教鞭を取っているチリ大学の同僚である映画研究者や、教え子の映画作家たちだった。

 私は日本の大学の授業やスペインへの留学でスペイン語を学んできたので、イントネーションや語彙がかなりちがうチリのスペイン語は聞き取るのに苦労したが、徐々に彼らがだいたい何を話しているのかはわかってきた。皆が熱心に語っていたのは、直近に控えている新憲法草案の国民投票についてだった。渡航前からチリではきっとこの話題でもちきりだろうとは予想していたが、彼らの口調や表情に浮かぶ期待と不安が入り混じった静かな高揚感を見ていると、まさにいまチリは歴史の転換点を迎えているのだと実感した。話についていくのに必死な私に、彼らは「君は大変な時期にチリにやってきたね」と繰り返し言った。

 2019年にチリでおこった「社会の爆発」(estallido social)と呼ばれる大規模な社会運動と、それがもたらした新憲法制定の流れは、チリ史上他に類を見ない出来事である。それと同時に、この運動をめぐる状況は私の目の前でリアルタイムに変わっていった。この記事では、1年間の現地調査を終えたいま、そうした社会の変化に映画はどのように応答できるのか、現実の社会運動に映画はいかにコミットできるのかを、具体的な作品や私がチリ現地で見聞きした経験から考えてみたい。 

「社会の爆発」と新憲法制定

 近年のチリの社会情勢については日本でも多少報道があったが、詳しく追いかけている人はそこまで多くないだろう。以下ではまず、2022年の新憲法をめぐる国民投票に至るまでの経緯をまとめてみたい。

 事の発端は2019年10月、首都圏の地下鉄運賃が30ペソ値上がりすることに対して、サンティアゴの高校生たちが地下鉄無賃乗車運動を始めたことだ。30ペソという値上げ額は微々たるものだが、日々の生活を支える公共交通料金が近年ますます値上がりしていることに怒りの声を上げた彼らは次々と改札を突破し、改札機を破壊し、その動画をSNSにアップした。高校生たちの行動は市民の共感を集め、次第に地下鉄運賃のみならず年金や賃金、医療、教育、水道光熱費といったチリが抱える様々な問題を巻き込む大規模な抗議運動へと発展していった。

 路上やソーシャルメディア上には、運動のスローガン「30ペソではない。30年だ」(No son 30 pesos. Son 30 años)が溢れた。この言葉は、抗議活動が何を訴えようとしていたかを端的に言い表している。約30年前の1990年は、国民投票で敗北したアウグスト・ピノチェト軍事独裁政権が政権を譲り、民主化が達成された年だ。

 ピノチェト政権は、1973年にクーデターでサルバドール・アジェンデの社会主義政権を崩壊させ、強引に新自由主義経済モデルを導入したことで知られる。90年の民政移管以降のチリでは民主的な政治体制が続いてきたものの、独裁時代から社会に積み重なってきた問題は温存されたままだった。二大政党連合に独占されたエリート主義の政治体制や、基本路線として引き継がれた新自由主義政策による経済格差や教育問題。それらへの不満が市民の間に蓄積し、近年の抗議運動を引き起こしてきたと言われている★1

 だから、2019年の「社会の爆発」は単発の出来事ではない。それ以前の2006年に高校生たちが教育の権利を訴えた「ペンギン革命」や、2011年に高等教育の無償化を訴えて大規模なストライキや数十万人の大学生によるデモがおこった学生運動、または2013年の年金制度改革運動や2018年の女性たちによる脱家父長制デモといった様々な運動の延長線上にある★2。つまり、2019年の抗議運動はまさしくこれまでのチリという国家のあり方そのものを問うものだったのであり、「30ペソではない。30年だ」というスローガンは、「社会が大きく変わると思って30年も経つのに、結局ずっと何も変わらないじゃないか」という強い訴えを意味している。

 日増しに規模が大きくなり一部の民衆が暴徒化していた運動に対して、当時の保守派セバスティアン・ピニェラ大統領は、軍事独裁期以来はじめて「非常事態宣言」を発令。軍隊を展開してデモ隊を暴力的に取り締まった。しかし、多くの重傷者や死者を出した政府の対応は民衆のさらなる怒りを買い、2019年10月25日にはサンティアゴで約120万人が集結するチリ史上最大のデモがおこった。チリの人口が1950万人ほどであることをふまえると、この120万人という数がどれほどすさまじいかがわかるだろう。

 このデモはそれまでのチリの社会運動と異なり、特定の政党や運動団体によって統率されたものではなかった。多様な個々人や集団が、SNS上でのやり取りなどを介して自然発生的かつ同時的に開始したのだ。よって、当初はデモ全体の主張も統一されていなかったが、盛り上がりの過程で次第に目標が定まっていった。現状の新自由主義的なチリ社会を規定している「1980年憲法」(ピノチェト独裁時代に制定された)に代わる、新たな憲法を定めることが目指されるようになったのだ。巨大デモから1ヶ月後には、与野党間で新憲法制定に向けた国民投票を行うことが合意された。

 「社会の爆発」から一年後、2020年に行われた国民投票では、新憲法を制定することとその制憲議会の議員を市民から新たに選挙で決めることに対して、8割の賛成が集まった。この議会の議席配分は、先住民(マプーチェやアイマラなど)への17議席の割り当てや、男女の議員数を同数にするといった、きわめて先進的なものだった。こうした民意によって、2021年に学生運動の元リーダーで当時35歳の左派ガブリエル・ボリッチが大統領に当選した。さらに、制憲議会選挙を経て左派系議員が議会の多数を占めると、マプーチェ女性のエリサ・ロンコンを議長として新しい憲法草案が作られていった。

 新憲法が扱うテーマは多岐にわたる。まず大きな変化としては、それまでの国家像を覆して、国民の基本的権利を国が保障する社会民主主義国家を掲げたことと、先住民の権利保護を重視してチリを「多民族・多文化国家」として定義したことがあげられる。さらに、水に代表される共有の自然物に対する私的所有の制限、国家が主導する教育システムの構築、国家機関や政党における男女同数や女性の権利の保護などが明記されたことにも注目すべきだろう。簡単にまとめてしまえば、チリの新憲法は世界的に見ても驚くほど画期的でリベラルなものになる、はずだった。

劇的な敗北

 この新憲法草案の国民投票は、2022年9月4日に行われた。つまり、私がチリに到着しアグエロの家に招かれたのは、この歴史的な投票日の2日前のことだったのだ。そのとき彼の家に集っていた映画関係者は全員、草案に対して「賛成派」(apruebo)だった。ただ、事前の報道では「反対派」(rechazo)が10ポイントほど優勢だったため、皆どこかそわそわしていた。翌日、アグエロに連れられてチリ大学へ行ったときも、道路や壁のあちこちに「賛成!」と書かれているのを見かけた。私が出会う映画関係者や大学関係者ばかりを見ていると、賛成派が勝ちそうに思えた。

 しかし結果として、このリベラルな新憲法草案はショッキングなかたちで棄却された。投票当日は再びアグエロの家に数名で集まって、バーベキューをしながら投票の行く末を見届けることになった。各地の開票速報が届きはじめると、事前調査では優勢と見られた地域でも反対派がどんどん勝っていく。最初は楽しそうだった皆の顔が曇りはじめる。結局、賛成派は3割ほどで、反対派が6割以上の得票を得て勝利した。大勢が決すると先生の家の庭は静まり返り、泣きだす人もいた。家の外では反対派が喜んで車のクラクションを鳴らしまくり、子どもたちが国旗を振りながら「チチチ・レレレ!」(「チリ!」を意味する定番のチャント)と叫びだす。アグエロは、SNSに投稿された笑うピノチェトのGIFを見ながら「民主的なクーデターだ」と呟いた。翌日大学で出会った別の教師は、昨日は一晩中部屋のバルコニーで落ち込んでいたと青ざめた顔で語っていた。

アグエロ宅バーベキュー

 左派の劣勢は予想していたが、2019年のデモのひとつの到達点がここまで圧倒的な差で否定されるとは誰も思っていなかった。否決の理由としては、急進的な内容や決め方に国民の多くが不安を抱いたことや、当時チリ国内でマプーチェ過激派の犯罪や増加する国外移民について連日報道されていたことなどがあげられている。いずれにせよ誰の目にも明らかだったのは、「社会の爆発」もしくはそれ以前からチリで積み重なってきた運動がここで一度挫折したことだ。デモが始まった2019年10月18日が「10.18」として言及されるのと同じように、この日の出来事はやがて「9.4」として記憶され、あらゆる場所で口にされはじめる。

パトリシオ・グスマン『私の想像の国』のショック

 あまりに劇的な現実の出来事は、映画や文学といった娯楽・芸術作品を受け取る私たちの心のありようにも大きく作用する。そう実感したのは、国民投票の夜から数日後にパトリシオ・グスマンの新作『私の想像の国』(Mi país imaginario)を映画館で見たときだった。

 グスマンはチリを代表するドキュメンタリー映画作家で、日本でも多くの作品が劇場で公開されている。最も有名な彼の映画は、アジェンデ社会主義政権末期から1973年のクーデターに至るチリ社会を3部作にわけて記録し再構成した大作『チリの闘い』(1975-79年)だろう。チリではドキュメンタリー映画が一般的によく見られていて、『アベンジャーズ』がかかるような大きなシネコンでも硬派なドキュメンタリー映画が時々上映され、それを家族連れがポップコーン片手に見ていることもある。そうした映画文化のなかで『チリの闘い』はかなり有名で、2023年にはクーデター50周年にあわせて4K修復版が制作されている。この『チリの闘い』に圧倒された経験がきっかけとなって、私はチリの映画の研究を始めた。グスマンはクーデター後にフランスに亡命するが、それ以降もチリについての映画を撮り続け、それを私はこれまですべて見てきた。

チリ大学、『チリの闘い』壁画

 新作の『私の想像の国』は、2019年の「社会の爆発」についてのドキュメンタリーであり、当時のデモの記録映像や関係者のインタビューによって構成されると聞いていた。近年はチリの自然風景を映しながら内省的な手法でチリの記憶を語る作品が続いていたが、今作では過去の『チリの闘い』に近いかたちでアクチュアルなチリ社会の動きにグスマンが向きあうとあって、私は楽しみにしていた。

 『私の想像の国』は、アジェンデ大統領を街頭の人々が熱烈に迎える1970年のモノクロ映像から始まる。それに被さるヴォイス・オーヴァーは、監督自身の声によって、フランスの映画作家クリス・マルケルとグスマンの当時の交流について語る。『チリの闘い』の準備をしていた駆け出しのチリの映画作家にマルケルが伝えたのは、「火事を撮りたいのなら、最初の火があがる場所に事前にいなければならない」という助言だった。その後、映像は現代へ移り変わり、2019年のクーデターには間に合わなかったと語るグスマンの声とともにサンティアゴの路上にある石がクロースアップされ、デモで路面を引き剥がし投石用の石の礫を作るデモ隊の映像へとつながれる。

 この冒頭には、グスマンの作家性が凝縮したかたちであらわれている。「『チリの闘い』の作家」としての彼を特徴づける過去のアジェンデの映像に、現在の地点から作家本人の一人称のヴォイス・オーヴァーが重なることで、かつての時代に対するノスタルジーが示されている。クリス・マルケルの助言に対して2019年のチリに間に合わなかったと呟くところからは、亡命者として国外で映画を撮り続けている彼の孤独が察せられる。そして、路上のミクロな自然物=石に注目する姿勢は、直近の3部作(『光のノスタルジア』、『真珠のボタン』、『夢のアンデス』)と共通している。

 その後映画は、2019年当時の路上にいた多数のカメラマンが記録したデモの映像に、その経験を想起する関係者たちのインタビューを織り交ぜていく。インタビューに答えるのは、デモに参加していた学生や医療隊のメンバー、ジャーナリスト、チリの著名な作家であるノナ・フェルナンデス、日本でも紹介された反家父長制フェミニズムパーフォーマンス集団 Las Tesis(ラス・テシス)のメンバーなど様々な人々であるが、全編を通して女性だけが語り手として登場する。彼女らの言葉とデモの映像は、なぜチリで「社会の爆発」が起きたのか、警察および軍隊の弾圧がいかに酷かったか(催涙弾やゴム弾の直撃によって失明したデモ参加者が多数いた)、軍政期から変わらないチリの社会構造のなにが問題か、といった点をわかりやすくまとめている。最後には、2020年の国民投票によって新憲法制定が決まったことと、その後左派系のボリッチ大統領が就任したことが希望に満ちたトーンで語られ映画は締め括られる。

 別の機会に日本で見たとしたらまたちがう印象になったかもしれないが、このタイミングで、チリで、この映画を見るのはつらい経験だった。上映されていたのは、大統領府の地下にあるモネダ宮殿文化センター附属のチリ・ナショナルフィルムアーカイブのスクリーン。300人は入る大きな劇場だったが、私が見た回の観客はわずか5人ほどだった。そのことも寂しかったが、なによりついこの前公開されたばかりの最新作を、とっくに古びてしまった過去の映画のように感受したことがショックだった。

モネダ宮殿文化センター

 先に述べたように、『私の想像の国』はグスマンの映画に一貫してあらわれる亡命者のノスタルジーを基底にしつつも、直近の巨大な社会現象を追いかけたことに新しさがある。インタビューに答えるのが全員女性なのは、女性が台頭した近年のチリの社会運動の成果や憲法草案のあり方を踏襲したからだろうし、彼女たちの言葉のひとつひとつは力強い。

 しかし、私にはそれらの表現が運動の表面的なレベルにとどまっているような気がした。グスマンは、「社会の爆発」を映像と言葉によってうまくまとめようとしていると思った。インタビューの言葉や路上で躍動するデモ隊の映像は、映画の終盤で国民投票が成功に終わり、新しい大統領が生まれるという「希望」または「勝利」に向けて整然と積み重ねられている。もちろん映画制作時には「9.4」の結果などわからないのだから妥当な筋書きだと思いつつも、一連の出来事をチリの「第二の革命」と呼び、序盤と終盤にかつてのアジェンデ政権の民衆の映像を引用する構成では、作家のノスタルジーと願いばかりが強調され、左派のプロパガンダに陥ってしまう危険があるように見えてモヤモヤした。ここに描かれている希望や勝利を、「9.4」のあとでどのように捉えればよいのかわからなかった。

「不可能性」としての10月の記憶

 『私の想像の国』を見た後、チリの映画人と交流するなかで私は彼らにグスマンの印象について聞いてまわった。彼らの反応はいずれも複雑なものだったが、すくなくとも日本でのグスマンの受容とはかけ離れていた。少々ばつが悪そうな顔をしながら、ほとんど全員が、『チリの闘い』についてはチリ映画史上屈指の名作であると認めながらも、近年のグスマンの作風はワンパターンで現実のチリと乖離していると答えた。そもそも彼の新作を見ていないし、あまり興味もないという映画研究者や映画作家が何人かいたのは驚きだった。そういえば、開票速報を聞いていたアグエロの家で、否定派の大勝が決定的になったとき、誰かが「これでチリはグスマンにとってまさしく『私の想像の国』になったな」と皮肉を言っていた。

 批評家のパブロ・リケルメが書いた「想像の10月」という『私の想像の国』評は、そうした多くのチリ人の気持ちを代弁している★3。彼はこの文章の冒頭で、この映画は一体どのような観客に向けられているのかと問い、カンヌ国際映画祭に集まるような外国人には目新しい映像かもしれないが、実際に現地で一連の出来事を経験してきた人々にとっては何も新鮮なことは描かれていないと言う。また、映画研究者・批評家のイバン・ピントは「左翼のメランコリー:クーデターと『社会の爆発』の間のドキュメンタリー的記憶」と題した研究発表で、「9.4」の左翼の敗北によって、これまで世界各地で敗北した左翼が抱いてきたメランコリーがチリで再び蔓延していると言い、そうした雰囲気のなかで『私の想像の国』は「急激に老化」してしまったと指摘した★4。ピントがこの映画を見たときに感じたという「ショック」は、私が同作を見たときに抱いた感覚に近い。

 チリ人の多くが、あの「社会の爆発」が一体何であったのかまだ答えを出せていない。1年間のチリ滞在中に、私は友人や知り合いに「社会の爆発」について教えてほしいとも聞いてまわった。私たち多くの日本人が「3.11」当時の記憶を覚えているように、彼らも「10.18」のときに自分がどこで何をしていたかを詳細に語ることができた。ただ、あの「社会の爆発」がチリに何をもたらしたかを語ることは難しそうだった。この出来事には、簡単な意味づけを拒む何かがあるようだった。

 チリ大学教授で哲学者のセルヒオ・ロハスは、『「10月」の記憶で何をすべきか?』という本で、2019年10月の記憶を、「社会の爆発」直後から2022年の左派の敗北までの期間で振り返っている★5。ロハスによれば、あのデモの原動力となったのは「オルタナティブな何かが可能である」という希望に満ちた確信ではなく、もはやこれ以上耐えきれなくなった生に対する人々の絶望的な経験であった。2019年にチリにあったのは「可能性」や「希望」というよりも、既存の社会の「不可能性」や、あらゆるものに対する「否定性」であり、それらは容易に政治的言説やイメージに翻訳することができない。

 このように考えると、グスマンの新作に対する私やチリの人々の違和感は、『私の想像の国』で彼が「社会の爆発」を理解可能なものとして、つまりわかりやすい希望として描き切ってしまったことに起因するのではないかと思う。あの爆発が示した極度の否定性や混乱、暴力、情動は単純化できないものだった。実際、その片鱗は『私の想像の国』のあちこちに──たとえば路上に未だ残る投石やデモに参加して心や体に傷を追った学生の不安定な喋り方や、人々が壁に石を打ちつけて鳴らす雑多な音の響きに──時折覗いていた。グスマンはそこにある「わからなさ」にもっとこだわってもよかったのではないか。『チリの闘い』では、団結した労働者たちのすさまじい自己組織力が、社会主義政権を後押しする一方で政権の統制をこえて暴走しかねない両義的な力として描かれつつ、そこに響いていた労働者たちのうめきのような声が拾われていた。『チリの闘い』が40年以上にわたって国内外を問わず上映されてきたのは、アジェンデ政権の単純なパンフレット映画に終わらず、チリの人々の不定形の力を見るものに思考させ続けることができる作品だからだろう。私は、『私の想像の国』にそうした粘り強さを期待していたのかもしれない。

映画が作るチリの記憶の層

 ここまでグスマンとその新作について批判的に書いてきたが、私はこれからも彼の映画を見続けると思う。グスマンほど継続的に同じ題材で映画を撮り続けてきた映画作家はほかにあまりいないし、彼はただ同じテーマで撮るだけでなく時代とともに変わるチリの政治や記憶の状況に対応して作風を変えてきたからだ。民政移管後に発表された『チリ、頑固な記憶』(1997年)や『光のノスタルジア』(2010年)では、記憶の主体が出来事の当事者から非当事者へ移行していくポスト・メモリー的な状況において、いかにして映画がチリの記憶を継承できるかが意識されている★6。また、現状ほかのチリの監督が2019年のデモについての長編作品をほとんど発表できていないことに鑑みれば、グスマンの試みが貴重であることはまちがいない。先にあげたリケルメの映画評では国外の観客ばかり意識していると書かれていたが、グスマンは亡命者としての立場を自覚的に利用しながら、彼なりのやり方で世界中の観客に向けてチリの記憶を映画にしている。

 グスマンについてどう思っているか、クーデター後もチリに残って作品を発表し続け、グスマンと同じくチリを代表するドキュメンタリー映画作家となったアグエロには直接聞けなかった。ただ、教え子たちがグスマンに対する違和感を口にしているときも、彼は批判めいたことは何も言わなかった。アグエロは「2019年のデモの映画を撮る気はない」と言っていたし、実際、主流の政治言説や社会運動からある程度距離を取って様々な題材を軽やかな手法で映画にしてきた彼の作風は、グスマンのそれとは明確に異なる。けれどアグエロは、自作でグスマンの映画をちらりと登場させたこともあり、彼のやり方自体は尊重しているのではないかと思う。

 2019年から2022年にかけての社会運動でかつての軍政期の記憶がたびたび人々によって想起されたように、2019年10月の記憶はそれ以前のチリの記憶と地続きにある。1年間の現地調査で私が実感したのは、アグエロやグスマンだけでなくほかの幾人もの映画作家たちによって継続的に積み重ねられてきた、チリの記憶の映画的な層の厚さである。それらの映画は同じ時期や題材を扱っていても異なる視点やアプローチをもっている。たとえば、ピノチェト政権を支持するような市井の右派の人々の生活に迫った映画(『I love Ponochet』、マルセラ・サイード監督、2001年)や、軍部による反対派の誘拐や殺害に関わった加害者側の視点を取り上げる作品(『十字架』、テレサ・アレドンド&カルロス・バスケス・メンデス監督、2019年)、もしくは左派の視点からも、反軍政のゲリラ活動に身を投じた活動家と彼らが国外に残した子どもたちとの対話を映した作品(『El edificio de los chilenos(チリ人の建物)』マカレナ・アギロー監督、2010年)など、より複雑なテーマが最近では映画で描かれるようになった。チリの映画は、自分たちの国の記憶をそっと安静にしておくのではなく、つねに問いかけている。

 映画のなかだけではない。サンティアゴに暮らしながら私が感じたのは、現実のいたるところでかつての記憶が絶えず活性化しているということだった。『アルゼンチン、1984年』というアルゼンチンの軍政期に起きた人権侵害の加害者に対するその後の裁判の過程を再現したフィクション映画を映画館に見に行ったときは、チリで同じような歴史を経験してきた人々でほぼ満席の客席にものすごい熱気がこもっていて、終了後には大きな拍手があがった。

 1973年のクーデター後には、独裁政権によって反体制派とみなされた活動家や知識人、芸術家が誘拐され、その大勢が帰ってこなかった。『チリの闘い』のカメラマン、ホルヘ・ミュラーと彼のパートナーの女優カルメン・ブエノは1974年に秘密警察に誘拐され「行方不明者」となったが、彼らが誘拐された11月29日は「チリ映画の日」として文化庁に定められ、毎年この日になるとチリ映画のプロモーションとともに彼らの記憶に人々は思いを馳せる。街や大学の構内を歩けば、軍政期の行方不明者の写真があちこちに貼られていて私を見つめてくる。大学での人文系のイベントや上映会では、本題とともに「9.4」のあとで知識人はチリ社会とどのように向きあえるかが登壇者たちの間で熱く議論されていた。

チリ大学構内の行方不明者写真

 2023年12月には、右派議員中心となった新たな制憲議会が提出した新憲法草案が再び国民投票で否決された。ボリッチ政権の支持率の低下を含めて先行きはわからず、2019年10月の「社会の爆発」や2022年9月の敗北の記憶の落とし所は見つかっていない。チリの人々の関心は、「社会の爆発」で叫ばれていた根本的な新自由主義批判よりも、身近な問題である治安や経済対策へと移ろうとしている。コロナ禍を挟んだこともあって、あの爆発の記憶はだんだんと遠ざかっている。このような現状で意識すべきは、当座の出来事や時間に拘束されて朽ち果てることのない、時をこえる映画、耐久性のあるイメージを志向することではないだろうか。「9.4」の敗北はひとつの転換点ではあるが、映画人たちはそれに悲観しているばかりではない。「10.18」について今後発表される予定の映画作品はまだまだあるし、グスマンはこれからもチリの政治的ドキュメンタリー映画を撮り続けようと意欲的だ。

 過去の出来事をひとつのわかりやすいイメージやメッセージに落とし込んで精算してしまうのではなく、より幅広く不規則な時間軸上に再配置しながら絶えず問い直していくこと。映画にできるのはそのように柔軟で可変的なかたちを記憶に与えることだ。グスマンやほかのチリの映画人たちがメランコリーやノスタルジーを抱えながらどのような作品を発表していくか、今後も追っていきたいと思う。

写真提供=新谷和輝


★1 ピノチェト政権崩壊以降のチリ社会の問題については、以下の文献に詳しい。三浦航太「学生運動と新しい左派勢力からみるチリの『社会危機』」、『ラテンアメリカ・レポート』、36巻(2)、2020年、1-15頁。
★2 後者ふたつの運動と今回の運動との連続性については、以下の文献で指摘されている。廣瀬純「新自由主義はチリで始まり、チリで終わる──民衆蜂起から新憲法制定へ」、『新空位時代の政治哲学 クロニクル2015―2023』、共和国、2023年、269-272頁。
★3 Pablo Riquelme, “Un octubre imaginario”, SANTIAGO ideas crítica debate, 6 de Septiembre del 2022. URL= https://revistasantiago.cl/cine/un-octubre-imaginario/
★4 Iván Pinto, “Melancolías de izquierda. Memorias documentales chilenas entre el golpe de estado y el estallido social”, en la conferencia de Documental social americano , UNAM , 3 de Mayo del 2023. URL= https://www.youtube.com/watch?v=4vKaTIVd98k
★5 Sergio Rojas, ¿Que hacer con la memoria de “octubre”?, Inubicalistas, 2023.
★6 この点については、以下の拙論を参照されたい。新谷和輝「『記憶の箱』としての映画観客―パトリシオ・グスマン『チリ、頑固な記憶』における記憶、情動、オブジェクト―」、『グァドランテ』(24)、2022年、255-275頁。新谷和輝「『主観的転回』から『記憶の共同体』へ ―2010 年代のパトリシオ・グスマンと イグナシオ・アグエロの作品における 映画作家の主観の表現―」、『ラテンアメリカ研究年報』(43)、2023年、69-97頁。

新谷和輝

1994年岡山県生まれ。東京外国語大学大学院博士後期課程所属。チリやキューバを中心としたラテンアメリカの映画について研究している。主な論文に「証言映画としての『チリの闘い』――闘争の記憶を継承するために」(『映像学』)など。字幕翻訳や上映会企画、映画祭予備審査なども行い、映画と社会をつなぐ活動として、NPO法人独立映画鍋共同代表を務めている。出演作として『にわのすなば GARDEN SANDBOX』(黒川幸則監督)がある。

1 コメント

  • TM2024/02/06 17:06

    おおばこのシアターにポリティカルなドキュメンタリーがかかり、人々が鑑賞する。 1950万のうち120万人がデモを起こす。 そして挫折したとはいえ、そのうねりが新憲法草案を問う国民投票までつながる。 日本からは想像しがたい世界。 この国は裏金問題などで政治不信が募る中、 低投票率の選挙が続きうねりの気配すらない。 行動が世界を変えない諦念が染み付いていると言っている人もいた。 チリと何が違うのだろうか? 論考の後半で語られるように、 記憶を消化せず再活性化する点だろうか。 チリの人々にとって記憶は忘れないように守るものではなく、絶えず再生して使役するものなのかもしれない。 忘れないから記憶を使って考える。 この一歩はどうしたら踏み出せるんだろうか? 全く無かった視点でした。ありがとうございます!

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