【特別寄稿】ロシアをレペゼンするのは誰か──プーチン時代の政治とラップ(前篇)|松下隆志

世界的に人気のあるヒップホップは、ロシアでもここ十年間で若者からもっとも支持される音楽ジャンルへと成長した。それだけでなく、オクシミロンのような政治意識の高いラッパーたちの台頭により、アカデミズムの領域でも研究対象として取り上げられる機会が増えている。楽曲自体は YouTube や音楽配信などで今や世界のどこからでも手軽に聴くことが可能となったが、ビートやメロディもさることながら、リリック=言葉こそが重要な意味を持つジャンルなだけに、ロシアのヒップホップ・シーンについて日本ではまだあまり知られていないのが実情だ。
本稿では、ロシアのヒップホップのこれまでの歩みを紹介するとともに、おもにプーチンが大統領職に復帰した2010年代以降のロシア語ラップと政治の関わりについて論じてみようと思う。実際、今や現代ロシアにおいてヒップホップは単にポップカルチャーの枠組みに収まるようなものでは到底ないのだ。ラッパーは言うなれば現代の詩人であり、社会の病理を鋭く抉り出す彼らの歯に衣着せない言葉は何百万人もの若者の心を動かし、その絶大な影響力は権力にとっても無視できないものとなっている。私たちはそこに、既存の文学とは異なるフィールドで繰り広げられるもう一つの「文学」の闘争を目にするだろう。

URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Oxxxymiron_RAW_Berlin_asv2022-04_img14_(cropped).jpg by A.Savin / FAL 1.3
ロシアのヒップホップはソ連から始まった
ロシアにおけるヒップホップの起源は実はソ連時代にまで遡る。当時のロシアはいわゆる「鉄のカーテン」によって西側世界から隔絶していたように思われがちだが、スターリン死後の1950年代に始まった自由化の流れの中で、西側の最先端文化が国内に流入するようになった。開放的な空気は長くは続かず、当局による規制が再び強まったものの、一度燃え上がった西側文化への憧れの火を消すことはできなかった。西側の流行ファッションに身をやつし、ジャズやロックを愛聴する不埒な若者は「スチリャーギ」と呼ばれた。人類学者のアレクセイ・ユルチャクによれば、体制と対立した異論派とは異なり、体制の一部でありながら権威的言説の意味を読み替えることによって独自の文化を開拓した若者たちは、まさにソ連版「サブカルチャー」の担い手だった[★2]。
ソ連の若者たちは、短波ラジオで西側の放送をキャッチしたり、友人が西側から持ち帰ったレコードを回し聴きし、テープレコーダーで録音したりしながら、禁じられたジャズやロックに親しんだ。自国のグループも現れ、多くは非公式なものだったが、ライブも行われた。日本でも公開されたキリル・セレブレンニコフ監督映画『LETO-レト-』(2018)は、ソ連を代表するロックバンド、キノーのヴォーカルで、今なおロシアをはじめ旧ソ連地域でカルト的な人気を誇るヴィクトル・ツォイに焦点を当てながら、1980年代前半のレニングラード(現在のサンクト・ペテルブルグ)におけるアンダーグラウンド文化の雰囲気を巧みに描き出している。
1970年代にアメリカのブロンクスで誕生したヒップホップが密かにソ連に輸入されたのもまたこの時代だった。ロシアにおけるヒップホップの元祖と広く見なされているのは、クイビシェフ(現在のサマーラ)のロックバンド、チャース・ピーク Час пик(ラッシュアワー)による、その名もずばり『ラップ Рэп』(1984)というアルバムだ。ヒップホップの存在を世に知らしめた曲として名高いシュガー・ヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」(1979)をサンプリングし、それにロシア語で独自の歌詞を乗せたもので、内容はリズムに合わせて九九表を読み上げるといった戯れ歌的なものではあったが、曲はテープレコーダーでダビングされて国中に広まった。

URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Час_Пик_Рэп.jpg by Andpozd / CC BY-SA 4.0
商業ラップとアンダーグラウンド
その一方で、ソ連最晩年の1980年代末から90年代初頭にかけて、国内ではD.M.J.、バッド・バランス Bad Balance、ブラック&ホワイト Черное и Белое、マリチシニク Мальчишник(男の宴会)といったラップ・グループが誕生し、ロシア初の女性ラッパー、リカMC Лика МС (1973-)も活動を開始している。90年には最初の大規模なラップ・フェスティバル「ラップ・ピーク90」がレニングラードで開催されるなど、ブレイクダンスやグラフィティとともに「ラップは新たに輸入された西側のヒップホップ文化の一要素として初めて理解された」のだ[★4]。
アメリカのボーイバンド、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのソ連版として結成されたマリチシニクは、ロシアで最初の商業ラップ・グループだとされる[★5]。「ソ連にセックスはない」という不条理なジョークが広まるほどソ連では公の場でセックスの話題が忌避されたが、1991年末にソ連が崩壊し、マリチシニクは積年のフラストレーションをぶちまけるかのようにセックスについてラップしまくった。その後ソロでも活躍するドルフィン Дельфин(1971-)が作詞し、「セックス、セックス、すげえ気持ちいい」とセックスの快楽をストレートに叫んだ代表曲「絶え間ないセックス Секс без перерыва」(1992)は、テレビの娯楽番組「50×50」で歌ったところ大スキャンダルとなり、その後番組制作者が解雇され、マリチシニク自身もテレビやラジオに出禁となる事態となった[★6]。その裏で若者たちからは人気を博し、デビューアルバム『セックスの話をしよう Поговорим о сексе』(1992)は大ヒットを記録した。
さらに、1990年代末にはデツル ДеЦл (1983-2019)という若きラップ・スターが現れる。彼の父親は有名な敏腕音楽プロデューサーで、ロシアでの放送が始まったばかりのMTVを見てラップやブレイクダンスに夢中になっていた16歳の息子へのいわば「誕生日プレゼント」に、「金曜日 Пятница」(1998)という曲をプレゼントした[★7]。Bボーイ(ブレイクダンスに興じる若者)の放課後の過ごし方を歌ったこの曲のビデオクリップはロシアのMTVで大々的に流され、翌年には当時の人気カルチャー誌『プチューチ』の表紙を飾った。2000年にリリースされたデビューアルバム『君は誰? Кто ? Ты』はミリオンヒットを記録したが、収録曲はいずれも本人ではなく、シェフ ШEFF (1971-)やリーガライズ Лигалайз (1977-)といった当時の実力派ラッパーやDJが作詞・作曲したものだった。

URL=https://ru.wikipedia.org/wiki/Децл#/media/Файл:Децл_(Кирилл_Толмацкий)_(cropped).jpg by Aleksandr Plyushchev / CC BY 2.0

「プーチンのロシア」へのプロテスト
アメリカの黒人文化にルーツを持つヒップホップが世界に拡散しグローバル化していく過程で、それを受容する側の国では現地の文化とのミックスによるローカル化が生じることがある。たとえば、日本のラッパーたちはチェーンや高級車といったアメリカのギャングスタのシンボルを頻繁に使用する一方で、「サムライ」のような日本人性を強調する。日本のヒップホップを論じたイアン・コンドリーによれば、グローバル化とローカル化は決して二律背反的な関係ではなく、実際には「グローバルな標準化とローカルな土着化とがいっそう明白に同時並行している状態」がある[★12]。
1990年代のロシアにおいては、アメリカのヒップホップのパロディである商業ラップにせよ、ルーツを意識してオリジナルに近づこうとするアンダーグラウンドにせよ、アメリカという「模範」が基準となっている点では共通しており、そこまで強いロシア人性の表出は見られない。興味深いことに、ロシアのヒップホップを真の意味で「ロシア的」たらしめたのは、日本と違って過去の歴史的遺産ではなく、99年にエリツィンの後継者としてロシアの玉座に座ったウラジーミル・プーチンという一人の政治家だった。
プーチン政権下のロシアでは、石油・天然ガスの国際価格の高騰もあって著しい経済成長と社会的安定が達成されたが、その一方で大手メディアが次々に国の傘下に入るなど言論統制が強まった。アメリカの音楽研究家フィリップ・イーウェルによれば、この期間に高まったプーチンと国民との間の緊張状態がラッパーたちの作品に現れ、「ジャンルとしてのラップは、プーチンの14年の治世の間にロシアにおいてついにその地盤を見いだし、1990年代にラップを定義したアメリカのアーティストたちの全面的な模倣から脱却した」[★13]のである。
社会派ラッパーの筆頭としてはノイズMC Noize MC (1985-)が挙げられる。音楽学校を優秀な成績で卒業しモスクワ大学に入学した彼は、ロックに取り組むかたわらラッパーとしても活動し、2007年にはロシア全土から三千人以上のラッパーが参加したRap.ru主催のMCバトルで見事優勝を収めた。翌年にはソ連時代の有名な学園映画の現代版リメイク『悪ふざけ Розыгрыш』(2008)で主演を務めるなど、デビュー前からすでに広く名が知られていたことから、最初のアルバムは『グレイテスト・ヒッツ Vol. 1 The Greatest Hits Vol. 1』(2008)と名づけられた。

URL=https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Noize_MC_MRPL_City_2018.jpg by Ivasykus / CC BY-SA 4.0

現代の詩人としてのラッパー
ワーシャ・オブローモフは本名をワシーリー・ゴンチャロフといい、ラッパーネームは19世紀ロシアの文豪ゴンチャロフの代表作『オブローモフ』に由来する。サンプリングが重要な要素であるヒップホップでは既存の楽曲やリリックの流用が頻繁に行われるが、自国の文学作品への豊富な言及もロシア語ラップの特徴の一つだ。
2011年3月にロシアサッカーのアンジ・マハチカラ対ゼニートの試合で起きたロベルト・カルロスに対する人種差別事件(当時アンジ・マハチカラの選手だったカルロスに向けて、ゼニートのサポーターが黒人差別の象徴であるバナナを投げつけた)を受けてノイズMCが発表した「プーシキン・ラップ Пушкинский Рэп」(2011)では、「ロシア文学の父」と称されながら、同時にアフリカ系の黒人の血を引いていることでも知られる大詩人プーシキンの来歴を語り、「レイシズムとロシア/この二つの言葉が同じ語源だと考える/そんなお利口どもはどこから現れたんだ[★17]/いいか、プーシキンはそういう連中に反対するのさ」と人種差別にノーを突きつける。
ロシアの大手検索エンジンであるヤンデックスには、ロシアのラッパーによる文学作品の引用を検索するユニークなページがある。たとえば「Noize MC」で検索すると、プーシキン以外にも、彼が楽曲の中でマヤコフスキーやマンデリシターム、エセーニン、ブロツキーの詩をリリックで引用していることが三次元バブルチャートの形でわかりやすく表示される。続けて「プーシキン」のバブルをクリックすると、今度は、25/17、クロヴォストク Кровосток、トリアーダ Триадаなど、ノイズ以外にも楽曲の中でプーシキンの詩を引用しているラッパーやグループの名前が浮かび上がる[図1]。さらに、ラッパーと詩人や作家とのつながりだけでなく、具体的にどの楽曲のどの箇所でどの詩のどの箇所が引用されているかもわかるようになっており、教育的効果もありそうだ。

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URL=https://ru.wikipedia.org/wiki/Жиган,_Рома#/media/Файл:Рома_Жиган.jpg by Страна FM / CC BY 3.0
沈黙は沈黙する者を引きずり込む、まるで沼のよう ボロトナヤ広場[★23]、プッシー・ライオット、弾圧、ウクライナ 俺はすべてを無視するが、痛みは消えない 嘔吐するまで飲み、血痰が出るまで吸う アル中、ドラッグ、俺はずっと逃げ続ける ベッドにはまた別の女、だがそれは何の助けにもならない バトルの対戦相手はどいつも俺への平手打ちの話を持ち出す 禁断のテーマ、しかし公然の秘密 俺はひたすら沈黙し、だからこそ世代のヒーロー『ゴルゴロド』ではあくまでよくできた「フィクション」として腐敗した権力との闘争や葛藤を語ってみせたが、この曲でオクシミロンはマルクという自ら創作したキャラクターを自ら葬り去ることによって、虚構ではない現実の世界と真正面から向き合う覚悟を示している。(『ゲンロン14』へつづく)
楽曲リストはこちらから。
★1 「ロシアの反戦ラッパー」『しんぶん赤旗』2022年3月18日。
★2 アレクセイ・ユルチャク(半谷史郎訳)『最後のソ連世代』みすず書房、2017年、230–231頁。
★3 Sergey Ivanov, “Hip-Hop in Russia: How the Cultural Form Emerged in Russia and Established a New Philosophy,” in Sina A. Nitzsche and Walter Grünzweig, eds., Hip-Hop in Europe: Cultural Identities and Transnational Flows (Zürich: LIT, 2013), p. 89.
★4 Ilya Kukulin, “Playing the Revolt: The Cultural Valorization of Russian Rap and Covert Change in Russian Society of the 2010s,” Russian Literature, no. 118 (2020), p. 83.
★5 Зайков А. История русского рэпа в 15 важнейших треках: От «Мальчишника» до Оксимирона и далее / Союз музыка. 22.12.2017 [https://www.soyuz.ru/articles/1092](2022年11月1日閲覧、以下同).
★6 Большому Дельфину большое плавание // Музыкальная газета. 26. 10. 1999. この曲のビデオクリップが1992年に製作されているが、監督によると日本のテレビ局でも放映されたという。 Не надо стесняться. История постсоветской поп-музыки в 169 песнях. 1991–2021. М., 2021. С.68.
★7 Децл нашего времени // Радио свобода. 04.02.2019 [https://www.svoboda.org/a/29750416.html].
★8 Johann Voigt, “From Moscow with Flow: How Rap Became Russia's Most Important Genre,” Vice, 03.23.2018 [https://www.vice.com/en/article/3k73yb/from-moscow-with-flow-how-rap-became-russias-most-important-genre].
★9 Ivanov, “Hip-Hop in Russia,” p. 93.
★10 Kukulin, “Playing the Revolt,” p. 84.
★11 Ivanov, “Hip-Hop in Russia,” p. 95.
★12 イアン・コンドリー(上野俊哉監訳、田中東子、山本敦久訳)『日本のヒップ・ホップ──文化グローバリゼーションの〈現場〉』NTT出版、2009年、86頁。
★13 Philip Ewell, “Russian Rap in the Era of Vladimir Putin,” in Milosz Miszczynski and Adriana Helbig, eds., Hip-Hop at Europe’s Edge: Music, Agency, and Social Change (Bloomington and Indianapolis: Indiana University Press, 2017), p. 46. なお、「14年」はイーウェルの論文執筆時の年数だと思われる。
★14 Ewell, “Russian Rap in the Era of Vladimir Putin,” p. 52.
★15 「メドヴェード」はメドヴェージェフの愛称、「VVP」はプーチンのフルネームのイニシャル(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン)。
★16 Ibid. p. 55.
★17 レイシズムはロシア語で「ラシーズム расизм」と発音し、「ラシーヤ(ロシア) Россия」と発音が似ている。
★18 Kukulin, “Playing the Revolt,” p. 81.
★19 以下のような論文がある。Дементьев И.О. Оксимирон и Пушкин: опыт интертекстуального анализа альбома «Горгород» // Literatūra. 2018. Т. 60, № 2. С. 107–121; Дмитриев В.А. Античные мотивы в творчестве Oxxxymiron’а : «Русская античность» в рэп-формате? // Метаморфозы истории. 2019. №14. С. 96–112; Летохо Е.В. Библейские аллюзии как способ мотивной организации в альбоме Oxxxymiron’а «Горгород» // Проблемы современной науки и образования. 2019. № 11. С. 74–79.
★20 Альбом Oxxxymiron "Горгород" номинирован на литературную премию имени Александра Пятигорского // Flow. 21.01.2018 [https://the-flow.ru/news/poema-gorgorod].
★21 たとえば、ジガンの「俺は反対する! Я против!」(2009)という曲には、「俺たちはエイズや麻薬やホモに反対する」というフックがある。これに対し、ショックとミロンは「退廃芸術 Дегенеративное искусство」(2010)と題した曲を発表、ジガンのフックを反転させ、「俺のラップは退廃芸術/俺たちとお前たちの党路線は一致しない/エイズや麻薬やホモを支持する方がいい」と歌っている。
★22 Oxxxymiron про ситуацию с шоком и ромой жиганом [https://www.youtube.com/watch?v=Uoe-6DCa6Pg].
★23 2011年の反政府デモのシンボルとなったモスクワ中心部の広場。「ボロトナヤ」はロシア語で「沼」を意味する。
『ゲンロン14』
¥2,420(税込)|A5|260頁|2023/3/28刊行


松下隆志
1 コメント
- mTos2022/11/19 14:39
この素晴らしい記事のおかげで、新しい音源に出会えました。私はロシア語は全くわからないのですが、「Vendetta」(注1)と「ГАМОРА」(注2)というラップグループの、トラックとPVのあまりのカッコ良さに衝撃を受け、半年くらい前からずよく聴いています。 特に、上述のГАМОРАのその主要メンバーと思われるСерёжа Местный(注3)の、お経のような(?)音程のラップスタイルに衝撃を受けています。 Oxxxymironのエピソードについても、とても参考になりました。英語も堪能であろうと思われるインテリである彼のRussian Rapを聴くと、母国語で表現する事の意味を考えさせられますね… なお、私はДетектор Лжиという曲(注4)のPVがカッコ良すぎてOxxxymironが好きになった経緯がありますが、ローマ・ジガンの名前が出てきます。この記事のおかげで意味がわかりました。 歌詞の内容を知りたいと思いましたが、Deep LやGoogle翻訳ではどうも不十分で、プロの研究者の手による翻訳のありがたみを痛感した次第です…松下先生の次回作を心から楽しみにしています! (注1)Vendetta feat. Восточный Округ - Пополам https://www.youtube.com/watch?v=VuLJFW5Ci54 (注2)ГАМОРА - Ау (Official clip 2016) https://www.youtube.com/watch?v=xYrH6H5_sg0 (注3)Сережа Местный - Яд https://www.youtube.com/watch?v=IaNKPkbww4o (注4)Oxxxymiron - Детектор Лжи https://www.youtube.com/watch?v=FxtrqGXY37g&t=83s