日本に蔓延する正しさへの執着 飯田泰之、井上智洋と東浩紀が語るパンデミック下の経済政策|ゲンロン編集部
ゲンロンα 2020年4月17日配信
コロナ禍に伴う緊急事態宣言真っ只中の4月14日。ゲンロンカフェにて『世界恐慌は起こるのか? パンデミック下/以後の経済対策総点検!!!』と題された放送が行われた。登壇したのは経済学者の飯田泰之と井上智洋、そしてゲンロン創業者の東浩紀。当日は5時間以上にわたって白熱の議論が交わされた。
本記事ではそのイベントの模様をお届けする。なお、このイベントを収めた動画はVimeoにて全篇をご覧いただけるので、本記事の内容に関心を持たれた方は以下のリンクからあわせて5時間に及ぶ白熱の議論の全容をぜひお楽しみいただきたい。(編集部)
第1部 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200414no1
第2部 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200414no2
敗戦時級の経済危機
第1部は飯田と井上の対談。 まず、イベントタイトルの「世界恐慌は起こるのか?」という問いに対して2人は「資本主義始まって以来の危機」「日本だけでいえば敗戦時級の恐慌」といった強い言葉で危機感を示した。 そんな異常事態にもかかわらず、日本の経済対策が「平常時フレーム」で進められていると飯田は言う。その状況は「タイタニック号の上で椅子を並べ直す人」のようだと。今にも沈みゆくタイタニック号で、しかし椅子をきれいに並べ直すという平常時の所作を行うこと。それが現在の日本の政策なのである。現金給付を阻む平常時思考
この姿勢は、日本のコロナ関連対策費に顕著だ。政府の純粋な支出、いわゆる「真水」は39兆円。しかし井上は「最低でも60兆円、できるなら100兆円の支出が必要である」との見解を示した。加えて井上は「現金をすぐに配るべき」とも主張する。日本で現金給付策が進まない理由としてインフレーションを心配する声は多いが、それこそ平常時フレームでの思考だと井上は続ける。現在は非常時であり、このままでは多くの店が潰れてしまう。しかもそれは市場原理に則った倒産ではなく、全くの外的要因によるーーそれこそ戦争のようなーー倒産である。まず目の前の危機に対処しなければ平常時に戻ることすらできない。だからこそ、ただちに現金給付を行うべきだと井上は主張するのだ。
「正しさへの執着」が現金給付を阻む?
一方で飯田は、現金一律給付を阻む要因として「正しさへの執着」を挙げる。 官僚は現金給付において不正受給を完全に防ぎ、所得差に応じた額を支給せねばならないと強く考える。しかしそうして正しさばかりを追求すれば、申請手順は複雑になり、審査に時間もかかる。現に日本での支援策がそうなってしまっているだろう。しかし飯田は「グレーゾーンを生まない完全な制度はない」と喝破。正しさへの執着を退け、まずは効率を重視してとにかく一律に現金を給付し、急場の対策を行うべきだと提言。グレーゾーンを悪用した不正への対策はコロナ騒動収束後にもできるはずだ、と付け加える。 そして正しさへの執着は実は、コロナ禍の核心と表裏の関係にあると第2部で明かされる。 どういうことだろうか。コロナ問題の核心とはなにか
第2部では東も加わり、コロナ問題を取り巻く社会について多岐にわたる話題が展開された。 3人に共通するのは、コロナ問題に対する認識。コロナウイルスは、ウイルスそのものとしては脅威的ではない。例えば日本における結核の被害に比べれば影響力は少ないにも関わらず、社会の混乱は止まるところを知らない。つまりコロナ禍の核心をなすのは、医学的問題ではなく、社会・経済的問題なのだ、と3人は考えている。 そうした認識に基づき、議論はMMT(現代貨幣理論)からベーシック・インカム、富の再分配をめぐるナショナリズムの本質にまで及んだが、筆者にとって意外だったのは最終的にそれらが「現金一律給付と正しさへの執着」というイベント前半の話題に収束していったことだ。社会は切り分けられない
ここで重要なのは、東が発言した「社会は切り分けられない」という言葉。 例えば芸術活動に補助金を出すとしよう。このとき問題になるのは芸術の定義だ。その定義はほぼ不可能であるにも関わらず、もし補償対象として芸術がなんらかの形で定義されれば、必ずそこから切り落とされてしまうグレーゾーンが生まれてしまう。 しかし社会は定義で区切り得ない、もっと複雑なものだ。だからこそ、社会の複雑さをそのまま取り込むためには細かな規定を廃した現金一律給付が必要なのだ。そう東は述べる。 これは前半に飯田と井上が述べた正しさへの執着にもつながる問題である。グレーゾーンの排除にばかりこだわり続けた結果、日本の経済政策は袋小路に陥っているのではないか。つまり日本社会は今、正しさへの執着に囚われすぎているのだ。コロナが社会を写し出す?
そして前半の議論で言われたように、日本の政策があまりに平常時フレームで行われていることが、この「正しさへの執着」という問題を浮かび上がらせている。つまり、コロナ禍という異常事態が、平常時のように正しさばかりを追求する社会の硬直性を際立たせているのだ。 この議論で私が感じたのは、コロナとは社会を写し出すフィルターなのではないか、ということだった。コロナというフィルターを通してこそ見える社会の歪みがある、とも言えよう。 最後に3人は、「コロナ自体はさほど危険でない」とさえも言いにくい社会の空気感こそ問題だ、と結論付けた。そうした空気感を超えたところにこそ、アフターコロナの社会を見据えた議論が生まれるのではないだろうか。ゲンロンカフェへの登壇は数年ぶりという飯田と井上。しかし時がたつと共に議論は深まり、最終的には笑いに包まれ脱線を繰り返しながらも、コロナ禍の本質をあぶり出すイベントとなった。この放送自体が、政治的正しさのグレーゾーンを体現するかのようなゲンロンカフェらしいものであり、飯田・井上両氏に再登壇を求める東の笑顔が強く印象に残った。
『世界恐慌は起こるのか? パンデミック下/以後の経済対策総点検!!!』
(番組URL= https://genron-cafe.jp/event/20200414/)