災害はどう図像化されてきたか? 辻田真佐憲+大山顕「コロナ非常時のメディアはどうなる」|ゲンロン編集部

ゲンロンα 2020年4月14日 配信
緊急事態宣言から3日。新型コロナウィルスが社会に変容を迫るいま、わたしたちが考えるべきこととは。3月にそれぞれ新著を出版した辻田真佐憲さんと大山顕さんによる初めての対談が、4月10日(金)にゲンロンカフェから配信されました。第2部終盤からは東浩紀も参加。本記事では8時間におよぶ長時間番組の模様をご紹介します。
なお、この番組を収めた動画はVimeoにて全篇がご覧いただけます。本記事の内容に関心を持たれた方は、以下のリンクから議論の全容をぜひお楽しみください。(編集部)
第一部 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200410no1
第二部 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200410no2
第三部 URL=https://vimeo.com/ondemand/genron20200410no3
コロナは顔である?
第1部は大山さんの150枚ものスライドを中心に展開。「コロナウイルスのピークカット戦略はダムの役割と同じ」「コロナウィルスのイメージ画像はスマホで撮ったポートレートの顔に似ている」など、大山さんならではの着眼点で、現状についての発見がいくつも飛び出しました。
古関裕而から見る戦後日本
辻田さんは、大山さんの新著『新写真論』がひとつの着想から文明論へと展開する構成に、大風呂敷を広げるかつての人文書のスタイルを思い出し、刺激を受けたと言います。「写真の『撮影→現象→閲覧』というプロセスがInstagramでは瞬時に行われるようになった。一方、暗室で一人で作業する内省的な時間が従来の写真論を生み出した」――大山さんの指摘から、文筆業ではこの「暗室」にあたるものはなんなのか、議論が交わされました。 第2部では、辻田さんが『新写真論』を近代−ポストモダンの軸で整理したうえで、右派と左派の対立よりも、近代とポストモダンの対立の方が根本的だという問題提起を行いました。対する大山さんは右派と左派の差異として、時間感覚のちがいを見出します。
コロナ禍をいかに図像化するか
第2部の終盤からは東浩紀も登場。話題の中心はふたたびコロナ禍に移り、第3部では大山さんの怒涛のスライドがさらに展開されていきました。大山さんは、新型コロナウィルスによる被害には、災害を象徴する風景がなく、代わりにインフォグラフィックが氾濫していること、そしてそれこそが危険であることを指摘します。統計的に処理される死と、一人ひとりにとっての死の違いとはなんなのか。夜も深まり、議論は普遍的な話題へと進んでいきました。
■イベント概要 コロナ非常時のメディアはどうなる? 国民的音楽の昭和、人類総スマホの平成、そして令和へ。『古関裕而の昭和史』の辻田真佐憲と『新写真論』の大山顕が語る社会とメディアの話。
番組URL=https://genron-cafe.jp/event/20200410/
