【 #ゲンロン友の声|042】トランプ主義者の上司に耐えられません

webゲンロン 2026年8月10日配信

東さんがおっしゃる「政治的な思考はわたしたちを平和から遠ざける」という問題意識に絡めて相談です。最近職場が大資本に買収され、特定の感染症陰謀論やディープステートを盲信するトランプ支持者が上司として親会社から赴任してきました。議論の成立/不成立以前に、自分とはあまりに異なるそのような政治信条を持つ人間を上司として受け入れ、その下で働くこと自体が生理的に耐えがたく、仕事に対するモチベーションが激しく摩耗しています。

わたしは反旗を翻して戦うべきか、静かに職場を去るべきか、それとも政治的な嫌悪感を乗り越えてプロとして「仕事」に徹するべきでしょうか。目の前の人間をどうしても「敵」としか見なせないとき、安易な敵味方の政治に陥らずに踏みとどまるための考え方や知恵があれば教えてください。(東京都・30代・男性・会員)

 質問ありがとうございます。一般的に答えるのが難しい質問です。というのも、ご質問のようなケースの場合、表面的には政治が対立点のように見えて、そのじつ本当の原因は別のところにあることが少なくないからです。

 ひとはさまざまな理由で他人を嫌いになります。性格、外見、話し方、食べ方そのほかそのほか……。ひどいときは体臭なんてのもある。それが悪いわけではありません。苦手なひとがいないひとなんていない。ただ、そのようなとき、ひとは、往々にして、自分が社会的に正当な理由なく特定の他人を遠ざけている現実を認めることができなくて、理由を捏造してしまう傾向があります。そしてそんなときに政治が持ち出されることがじつによくある。SNSを見ると、相手をダサいと言いたいがために政治を持ち出すひとがいっぱいいますよね。政治というのは、人間のそういう弱いところに侵入して影響力を拡大する営みなのです。だから警戒しなければならない。

 というわけで、もしかして、質問者さんも単に上司さんが嫌いなだけかもしれない。嫌いなひとの欠点はどんどん拡大して見える。陰謀論なんて多くのひとが多かれ少なかれもっているものだし、トランプ支持者だって少なくない。本当にそれが「生理的に耐えがたい」ところなのか、もういちど冷静に考えてみるべきでしょう。

 で、そのうえで、本当に政治信条の違いが、そしてそれだけが問題だった場合、どうするか。ぼくの答えは「政治的な嫌悪感を乗り越えてプロとして「仕事」に徹するべき」です。社会は政治より広い。多様な政治信条のひとが集まって社会は営まれている。なかには差別主義者もいるでしょう。排外主義者もいるでしょう。カルトの信奉者もいるでしょう。しかし彼らが具体的な犯罪を犯さないかぎり、社会から排除することはできない(本当は犯罪者だって社会から完全に排除されるわけではない)。それがぼくたちの「自由な社会」のルールです。ましていわんや、同じ職場のひとがみな同じ政治信条なんてことはありえない。たとえほかの職場に移ったとしても、同じ問題はつねに起こりうると思います。

 しかし、他方、もし問題の本質が政治以外のところにあり、ぜんぜん別の理由で「生理的に耐えがたい」のであれば、まったく話が変わってきます。たとえば、もしかして上司さんはパワハラ気質で、それが質問者さんにとって耐えがたいのかもしれない。だとすれば「反旗を翻して戦うべき」でしょう。パワハラは犯罪です。告発には正当性があります。

 あるいは逆に、相手にはこれといって非はなく、単に質問者さんが性格や外見を我慢できないだけかもしれない。その場合は、しかたない、相手には非がないのだから、質問者さんのほうが「静かに職場を去る」しかないと思います。繰り返しますが、だれにでも苦手なひとはいます。だから、そこで去ったとしても、それはけっして恥じるべきことではありません。本当に恥じるべきは、単に苦手なだけのひとを、政治的理由をつけて「敵」認定し、どんどん話を大きくしてしまう人間の弱さのほうなのです。(東浩紀)

東浩紀

1971年東京生まれ。哲学者、ZEN大学教授。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』、『平和と愚かさ』など。
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