【 #ゲンロン友の声|041】友だちってほんとうに必要ですか?

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webゲンロン 2026年5月1日配信

友だちって大事ですか? そして孤独は結構辛いんですけど、でもしょうがないのかな?みたいに思います。人間はみんな完璧じゃなくって、批判しようと思えばいくらでもできる。それは自分も含めてです。私は23歳ですが、一緒に語り合える仲間が欲しいです。しかし、ゲンロン戦記を読んで、ムムっとなりました。私は双極性障害なので結構やばいやつになったりして、本当に好きなやつだけといたい!と定期的になります。傷つけないように優しく話そうとすると、自分が傷ついています。俺と対等に話せる奴はいねえのか?みたいな傲慢さにも驚き萎えます。どう人と繋がればいいですか? そもそも繋がれないのでしょうか? つながるとは?(京都府・20代・男性・会員)

 こんにちは。よい質問です。

 友だちが大事かという質問ですね。結論から言うと大事です。ただ、無理をしてつくる必要はありません。なぜか。

 それは、そもそも友というのは、「結果として友になっていた」というかたちでしか成立しないものだと思うからです。友なるものは「友になろうと思って友になる」というかたちでは存在しえない。ぼくの哲学の言葉を使えば、「遡行的に見出される」ものでしかない。未来に向かってつくろうと思ってつくることができるものではないし、「いまおれらマブダチだよね」的に現在の時間のなかで確認しあうものでもない。ふだんはたいして意識していなかったのに、あるときふと振り返って「そうか、これが友だちというものかもしれないな」と思う、そんな体験でしか友情なるものは感覚できないものだと思います。

 ぼくもまた、質問者さんと同じく若いころは人間関係について悩んでいました。具体的に多く失敗があっただけではなく、友情とはなんだろうとか、傷つけるとはなにかとか、対等な関係じゃなければ友だちと言えないがそもそもひとは原理的に対等になりえないんじゃないかとか、とにかくあらゆる無駄なことについて悩んでいた。まあ、若いとは無駄なことを考えるということなので、それはそれでよかったわけですが、しかし、そういう思いとは無関係に、当時もいろいろ具体的な人間関係、質問者さんが言う「つながり」はあって、それはあとから振り返ると友情だったのだなあと思い返したりもするわけです。

 というわけで、きっといまの質問者さんにも友だちはいるのだと、ぼくは信じています。少なくとも、未来から振り返って友だちと言える存在はいるのではないかと。

 むろん、もしかして、相談者さんの悩みはもっともっと深刻で、ぼくの想像も及ばないような孤独のなかにいるのかもしれません。その可能性も考えないではないのですが、でも、結局いまのぼくにはこれぐらいの楽観的なことしか言えない。そして、そのような楽観的な返信こそが年長者の義務だとも思います。

 というわけで、友だちは大切だけれど、どうせあとから振り返れば遡行的に発見できるから無理につくる必要はない、自然体で生きてオッケー。孤独でも平気なあいだはオッケー。平気じゃなくなったらどうせ傷ついても友だちをつくるようになる。ひとはつながりたくなくてもつながってしまう。それが人間。だからつながりについて悩む必要はない。以上が答えです。(東浩紀)

東浩紀

1971年東京生まれ。哲学者、ZEN大学教授。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』、『平和と愚かさ』など。
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