〈ゲンロン新芸術校〉第6期 グループC展『「C」 戻れ→元の(世界)には、もう二度と←ない』11月7日(土)より開催

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ゲンロンα 2020年11月3配信

【展示概要】

 2020年11月7日より15日まで、東京・五反田のゲンロン五反田アトリエにて、ゲンロン新芸術校第6期生グループ展、グループC『「C」 戻れ→元の(世界)には、もう二度と←ない』展を開催いたします。本グループ展では、新芸術校第6期生のうち通常課程11名の作家と、CL課程のキュレーター1名が協働し展覧会を作り上げます。

 また、今期より、9月から12月にかけて開催される4つのグループ展に、それぞれグループ担当講師をお迎えしての指導体制となりました。グループC展では、美術家の田中功起氏、磯村暖氏を担当講師に迎えます。11月8日(日)にはゲスト講師に演出家・飴屋法水氏をお迎えし、講評会を開催いたします。講評会のうち、アトリエでの審査の様子および、講評会の様子は生中継で無料ネット配信を行います。遠方にお住まいのかたにも展覧会をご覧いただける機会となります。ぜひご利用ください。



『「C」 戻れ→元の(世界)には、もう二度と←ない』
出展者:宇佐美妃湖 / 加瀬雄一朗 / サトウ / junjun / 出川慶亮 / 中平志穂 / 新田紘平 / HIRA / 伏木健太 / BOCHA / 村井智
キュレーション:中田文(CL課程)
グラフィックデザイン:村井智

グループC担当講師:田中功起 / 磯村暖
講評会ゲスト講師:飴屋法水

会期:2020年11月7日(土)~11月15日(日)
※11月8日(日)は講評のため終日休廊となります。
開廊時間:15:00-20:00
website:https://genron-cafe.jp/event/20201108/
会場:ゲンロン五反田アトリエ 〒141-0022 東京都品川区東五反田3-17-4 糟谷ビル2F
※ 展覧会の会場はゲンロン五反田アトリエとなります。ゲンロンカフェでは開催されませんので、ご注意ください。
※ 講評会会場への入場は、受講生のみとなっております。

11月8日(日)は講評会の模様を生中継します。
レクチャーは会員限定放送で13:00より。
アトリエ中継は放送開始は14:30頃、講評会は16:30頃開始を予定しています。
一般無料アトリエ中継・講評会(Youtube):https://youtu.be/3Jxlb9bQpwA

<新型コロナウイルス感染症への対策のご協力のお願い>
※マスクを着用の上ご来場ください。
※入り口では手指の消毒、検温にご協力ください。
※混雑時は入場制限を行うことがあります。ご了承ください。

  【ステイトメント】

「C」 戻れ→元の(世界)には、もう二度と←ない

以下の文章は、若干修正を加えてあるが、グループCが確定する前に、グループ Cを想定して書かれた展示コンセプトである。 展覧会のステイトメントらしくもっと美術的な表現を入れるべきなのか自問しつつ、この蛇足のような序文を書きながら、それでもやはり当時の自分は間違ってはいなかったのだと確信しているのは、グループ C の作家たちの美術に収まりきらない型破りな顔ぶれゆえである。彼らに共通するのは、日常の、ごく当たり前とされているものの見方や在り方に対して感じる微妙な不協和音に向き合い、もがき、格闘し続けるしかなかった面々だという点だ。ならば、やはりこのまま掲載すべきだし、私たちはもう二度と、元の世界には戻れないだろう。治癒 (CURE/CARE)を施すのか施されるのか、治癒とは文字通りの治癒なのか……私たちはこの問題に身をもって対峙する時期に来ているのかもしれない。

 

 

架空の場所Cでは、様々な出来事が同時に発生している。間軸も別々だ。 そこでは、祈り、魔法、空想、思考、実験、犯罪、休息……あらゆることが渦巻いているが、 その境界は曖昧だ。Cはどこでも見かけるごく普通の町のようでもあり、夢の中でしか行くことのできない異界のような場所でもある。

Cについて考え始めた時、不意にG・ガルシア=マルケスの小説『コレラの時代の愛』のタイトルが降りて来たのは、単にコレラ=コロナの語呂合わせ的な着想に過ぎなかった。文字から濃密な匂いや湿度までも伝わって来るような『コレラの時代の愛』は、初恋の女を51年と9カ月と4日待ち続けた男が主人公の話だ。時代設定(19世紀末~20世紀初頭)も場所(コロンビア)もかけ離れていて、コロナに覆われた 2020年の日本に生きる私たちとはまるで接点が見つからない。

しかしながら、妄執とも言える思い込みや想像力こそが愛を可能にし、愛と捉えられていたことが実はそうしたものにすぎないのかもしれないという意味では、物語の時代や場所など関係ないのだろう(かつて 寺山修司が「この世には“思う”ということだけがあるんだよ」と言ったことを思い出す)。とはいえCはこのような小説世界が反映された場所などではなく、いわば独自の生き物のようなものだ。

生きるという旅の過程は、死に向かっていると言っても過言ではない。生が死によって完結するように、死も生があるから存在している。それはいつ訪れるのか不確かな存在感で人を魅了する。死は死なない。不滅だ。生は死の種子かもしれないと思うことがある。死の花が咲いたら、それはどんな姿形をして、どんな芳香を放つのだろう。

Cでの私たちは、もはやかつてのように他者の体臭を間近で感じることは難しい。匂いは 記憶と繋がる要素でもあるのに。私たちは肌に直接触れる代わりに肌を視る行為に自らの記憶を重ね合わせるのだろう。そして、対象の不在を想像力で補い、疑惑と不安に慄くのだ。

そんなCの中に、一歩、足を踏み入れると……まるでゲームの始まりのように誘われながら内部へ進むうちに、様々な営みや不穏な気配に気づくことになる。いや、そもそも不穏とはどんな状態だったのか。 そして、もはや解読不能のそれらを眺めながら、防護服もなく入ってしまったことを知る。

私たちに訪れる治癒の時はこれからだ。

中田文(CL課程)

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