ゲンロン×H.I.S.チェルノブイリツアー写真レポート(2)|上田洋子

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初出:2014年12月18日刊行『ゲンロン観光地メルマガ #27』
 11月14日から20日にかけて開催されたゲンロン×H.I.S.チェルノブイリツアー。今回はチェルノブイリ原発事故の記憶に加えて、昨年11月から始まり、ヤヌコーヴィチ元大統領の国外逃亡、そして政権交代をもたらしたユーロマイダン運動の足跡をたどりました。フォトレポート第2弾では、今は博物館として公開されているヤヌコーヴィチ元大統領邸を紹介します。ユーロマイダン跡地もあわせて紹介したかったのですが、ヤヌコーヴィチ元大統領邸の過剰さは複数の写真がないと伝わらない。とにかくなにも考えず、かっこいいもの、そして世間的に評価を得ているもの、しかも例えば大理石とか、ギリシア彫刻とか、ゴシック様式とかそういうおおざっぱな分類でよしとされているものを、組み合わせをまったく気にせず集めて、湯水のように金を注いだ結果、たいへんキッチュで居心地が悪く、悪趣味というより無趣味なものができてしまったという、たいへん奇妙なものなのです。しかしあそこに行くと、人間が莫大な富を手にするとこんなことをやってしまうのかと実感できます。後味ははっきり言ってよくないけれども、一生に一度は見る価値のあるなにかでした。なお、ヤヌコーヴィチ邸、通称「メジヒーリヤ」は「汚職博物館」とも呼ばれています。というわけで、マイダンはお預け、まずはマイダンを生んだ専制君主の館についてのレポートです。 

 ウクライナは1991年にソ連邦から独立し、ひとつの国になりました。9世紀末に建設されたキエフ大公国は、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの3国共通の起源とされています。つまり、ウクライナには1000年以上に遡る国家としての歴史基盤があります。が、その後は次々にリトアニア、ポーランド、オーストリア帝国、ロシア帝国などの占領下となっていきます。17~18世紀に一時土着の武装集団であるコサックによる独立国家が成立しましたが、それはやはり近代国家と言えるものではありませんでした。ウクライナが共和国として独立したのはロシア革命後、ソ連の枠内であり(とはいえ、ソ連とは別に国連に加盟するなど、独立した立場を取ったりしています)、ソ連の枠組みを越えて国として独立したのは1991年のソ連崩壊がきっかけでした。すなわち、国家としては若いのだと言えます。

 ユーロマイダンはこうした若い国家の歴史のなかで、大きな転換点を作った重要な運動だと言えるでしょう。この運動がなぜ起こったのか、情報の乏しい日本から見ると、特にウクライナとロシアがいわば戦争状態にあるいま、その観点からのみ捉えられがちです。しかし、ヤヌコーヴィチ邸を見ると、ポストソ連のウクライナが抱えている複雑な問題がよく見えてきます。そもそもヤヌコーヴィチ邸の管理会社はヤヌコーヴィチ元大統領の息子のもので、家賃および管理費が国庫からその会社に支払われていたとか。そのほかにも日本人のわれわれにはとても信じがたい、あからさまな収賄システムが存在したことを複数のウクライナ人から聞かされました。 

 まずは21世紀の汚職世界遺産とも言うべき、ヤヌコーヴィチ邸を画像でご覧ください。 

写真1 ヤヌコーヴィチ元大統領邸はすっかり博物館になっている。門には「メジヒーリヤ」(「山間」という意味。この地区の名称)と書かれたバナーが貼られている。月曜から金曜は9:00から19:00、土・日は20:00までオープン、つまり年中無休だ。入場料はおとなが20フリヴニャ、こどもは10フリヴニャ。よく見ると、施設維持の為に寄付を募っており、Facebookページ情報も掲載されているのがわかる。右の緑の建物がチケット売り場。
 
  

写真2 元大統領邸内にある道路。敷地はたいへん広く、構内見学もところどころバスで移動する。
 
  

写真3 邸内に入ると、いきなりボーリング場が! これは見学コースの入り口が邸宅併設のスポーツセンター側にあるせい。スポーツセンターにはほかにビリヤード場、ボクシング&トレーニングジム、温室庭園、マッサージ・エステセンターなどがある。キッチンもこちらにあった。邸宅部分に食事の匂いが充満しないようにとの配慮。その他特別の空調室があって、邸内の湿度と温度が厳重に管理され、通気口からはアロマも発せられていたという。
 
 

写真4 案内人のペトロ・オリーヌィク氏はマイダンの「百人長」だった。傭兵部隊の師団長のようなものか。ヤヌコーヴィチが逃亡した直後に邸宅にやってきて、その後マイダンの女性戦士、およびヤヌコーヴィチ邸の元家政婦と3人で屋敷を博物館として管理しているという。政府からの引き渡し要求には断固として応じないそうだ。肩にかけている赤と黒の旗は20世紀のウクライナ民族運動「バンデーラ主義」に由来する、民族主義者の旗。極右政党「右派セクター」もこの色を党の旗に用いている。
 
  





写真5 壁面がすべて塩でできているので、ここに一定時間いればエステ効果があるらしい。エステセンターには複数のマッサージ室、美顔室、マニキュア室などがあり、2人のタイ人ほか、マッサージ師やエステティシャンが常駐していたという。(注:ここに暮らしていたのはヤヌコーヴィチ大統領、愛人、娘の3人です)
 
  

写真6 いよいよ邸宅本棟に。床の意匠はさまざまな木材を使ったモザイク仕立て。モザイクの豪華さは宮殿級だ。
 
 

写真7 なぜか甲冑。写真6とは別の部屋です。
 
  

写真8 山ほどあるダイニングルームのひとつ。ゴシック風のテーブルセット。絨毯はもちろんシルク。奥はバルコニーになっている。そして使った形跡がほとんどないのが不思議だ。
 
  

写真9 もちろんありました、ホームシアター! そしてこちらもなぜかゴシック風。観客席はレザーのマッサージ椅子でございました。
 
  

写真10 超豪華シャンデリア。金額は忘れました。こんなものがいくつもある。すべて財産管理表に記録されているとか。
 
 

写真11 シャンデリアのむこうの窓から見える景色。庭も広大。
 
  

写真12 邸内の教会。東方正教特有のイコノスタス(聖人画が一様に配された聖域と礼拝所を分ける門)とはいえ、あまりにもきんきらきん。ダイヤモンドや真珠、琥珀ほか宝石がちりばめられているという。宝石の一部は元大統領逃亡後の混乱期に盗まれたそうだ。ヤヌコーヴィチ元大統領は信心深かった、そうだ。ここには写っていないが、普通はあまり描かれない神(キリストではない)のイコンもあった。
 
  

写真13 メインホール?
 
  

写真14 ヤヌコーヴィチ大統領寝室のトイレ。クローゼットルームから繋がっているが、たいへん広く、かつ仕切りがないのも特徴。(ドアはガラスだったのかもしれません)。大統領逃亡後、メジヒーリヤには「金の便器」があるとの情報が写真付きでネットを賑わせたが、オリーヌィク氏によるとそれはデマだと言う。
 
 

写真15 ふたたび窓の外。自然にでも目をやって休憩しないととてもやっていられない。なお、中央が少しへこんでいるのは、窓からドニプロ河が見えるように上部を刈り込んでいるのだとか。omg! この辺はドニプロ河の川幅が特に広く、「海」とすら称されている場所で、リゾート地として人気だったらしい。が、ヤヌコーヴィチがここに来てから、人間や船が彼の目に触れないように、通行&遊泳禁止にしたとか。
 
  

写真16 メインホールのピアノはスタインウェイのジョン・レノン限定モデル”イマジン”シリーズ。価格は検索して下さい。オリーヌィク氏の「ピアノが弾けるやつがいるなら弾かせてやる」という太っ腹提案により、ツアー参加者のミニコンサートが始まった。
 
  





写真17 敷地内の東洋風庭園。庭園の数は無数。ゴルフ場、テニス場、動物園、犬の調教施設などもあります。
 
 

写真18 東洋風庭園を望んでひと風呂。(これは本当に風呂です)。
 
  

写真19 ノーコメント。右上に木造建築らしいものが見えているが、これは先ほどの邸宅の延長線上にある。
 
  

写真20 敷地には船着き場もあって、好きなときにドニプロ河クルーズができる。この船はマホガニー製で、中はヴェルサーチにデザインを頼んだという超豪華食堂。
 
  

写真21 敷地内にはダチョウ園も。ヤヌコーヴィチ元大統領はどうも動物好きだったらしい。
 
 

写真22 クラシックカー・コレクション。なかにはエルヴィス・プレスリーやヒトラーが乗ったという車も。元大統領は休日になるとここにやってきて、その日の気分で車を選び、敷地内をひとりでドライブしていたと。
 
  

写真23 キエフに戻って昼食。老舗のウズベキスタン料理店で。このあたりはもともとイスラム系住民が住んでいたところ。革命前はモスクだった建物もこのあたりにある。
 
  

次号はいよいよ革命運動ユーロマイダンのフォトレポートをお届けします。お楽しみに! 

(つづく) 

 

撮影:東浩紀

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。早稲田大学非常勤講師。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。著書に『ロシア宇宙主義』(共訳、河出書房新社、2024)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS、2018)、『歌舞伎と革命ロシア』(編著、森話社、2017)、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』(調査・監修、ゲンロン、2013)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社、2012)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010)など。
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