2017年12月、モスクワを訪れた。同地のロシア国立現代美術センターで開催されたシンポジウム「時代と意味──トラウマ、記憶、忘却、知識 Время и смыслы. Травма, память, забвение, знание」に参加するためである。このシンポジウムは、2015年から18年にかけて、同地で複数の美術館を会場に続けられている「人間の条件」プロジェクトの一部をなすもので、今回も同時に美術展「幽霊屋敷 Дом с привидениями」が開催されていた。幽霊や慰霊のテーマは、本誌と重なりあうものがある。
モスクワ訪問は美術評論家のエレーナ・ペトロフスカヤの招きで実現した。本誌は『ゲンロン5』で共同討議「ユートピアと弁証法」を訳出している。ペトロフスカヤはその参加者で、また同討議のロシア語版を掲載した思想誌『青いソファ Синий диван』の編集長でもある。前出シンポジウムのコーディネーターを、彼女が務めていたのだ。
ここに掲載するのは、そのペトロフスカヤと、同じく「ユートピアと弁証法」の参加者で、彼女とともに『青いソファ』誌を支えてきた思想家のオレグ・アロンソンにモスクワで行ったインタビューの記録である。彼らはヴァレリー・ポドロガら「余白の哲学」派の弟子の世代にあたる。その彼らの目に、いまのロシアの思想状況はどう見えているのか。短い時間ながらも、議論は最後、思弁的実在論やソルジェニーツィンの収容所文学にまで広がった。『ゲンロン6』『7』のロシア現代思想特集の補遺として、ぜひお読みいただきたい。(東浩紀)
アロンソン ぼくたちがメイヤスーではなくラリュエルを選んだのは偶然ではありません。メイヤスーの哲学は、内在性の哲学 имманентная философия から過激さを奪っている。しかしラリュエルは過激さを保ち続けています。メイヤスーは独自の弁証法の導入に思弁的実在論の可能性を見ている。彼は人気があるけれども、ぼくはカントをドゥルーズに接ぎ木するのは無理があると考えています。いまふたたびカントに帰っても実りはないでしょう。
ところでソ連のラーゲリの記憶に関しては、まさにポドロガが『以後の時代──アウシュヴィッツとグラーグ 完全な悪を思考する Время после. Освенцим и ГУЛАГ: мыслить абсолютное Зло』(2013年)という本を書いています。アドルノの「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」を踏まえたタイトルです。
ペトロフスカヤ ポドロガの『以後の時代』以外にも、つい最近、ポドロガの友人でもあるミハイル・ルイクリンの大著が刊行されました。『運命を負ったイカロス──家族史にみる〈赤い10月〉 Обреченный Икар. Красный Октябрь в семейной перспективе』(2017年)という、スターリン時代に弾圧された彼自身の家族についての本です。この本には両極端な反応が寄せられている。わたしはまだ読めていないのですが、ルイクリンがどのようにスターリン時代を物語り、それによっていまなにを言おうとしているのかが気になっています。
★1 イリヤ・カバコフによる連作《Where Are They?》(1979年)のうちの一葉。《Where Are They?》は縦長の画面に余白を大きく残しつつロシア語のテクストとイラストが描かれた絵本のようなシリーズ。当該のページには画面の中央部にちいさなハエの絵が描かれ、「襟のあるコートはどこ?」「青いソファはどこ?」「ジーナのテーブルクロスはどこ?」「クローゼットはどこ?」「鹿の角はどこ?」「ない……」というテクストがキャプションのように入っている。ここで「ない」とされているものは、ソ連時代には駆逐されたことになっていたブルジョワの象徴である。
★2 Синий диван. № 19, 2014. この号が刊行された2014年はユーロマイダン運動とクリミア併合の年である。『青いソファ』のウクライナ特集は、ウクライナとロシアの関係が悪化するなか、イリーナ・ジェレプキナ、ヴィクトル・マラーホフら、ウクライナの哲学者を寄稿者に迎えて編まれた。
★3 メラブ・ママルダシヴィリ Мераб Мамардашвили(1930‐90年)はソ連の哲学者。民族的にはグルジア(ジョージア)人である。現象学や実存主義の流れをくむ思想家で、西欧哲学への造詣も深かった。書物よりも対話やレクチャーなどの伝達形式を好んだため著作は少ないが、没後は何冊もの講義録が出版されている。1980年にモスクワからグルジアのトビリシに移住。ポドロガ、ミハイル・ルイクリンら「余白の哲学」派と呼ばれる、ヨーロッパ現代思想をロシアに根づかせたポスト構造主義哲学者たちはママルダシヴィリの弟子にあたる。
★4 ニコライ・ベルジャーエフ Николай Бердяев(1874‐1948年)、イワン・イリイン Иван Ильин(1883‐1954年)はともに帝政末期から20世紀前半にかけて活躍したロシアの哲学者。どちらも革命に批判的で、1922年、レーニンによる知識人の国外追放の際に亡命した。
ベルジャーエフはドストエフスキーやヤーコプ・ベーメの影響のもと、神秘主義思想に傾倒。歴史や文化を神に対する人間の自由の問題として独自の歴史哲学を説いた。『ドストエフスキーの世界観』(1923年)『ロシア思想史』(1946年)ほか、いくつかの著作が数回にわたって邦訳されている。亡命後はパリを拠点に著述活動を続けた。
イリインは保守思想家。革命時には白軍を支持し、ベルリンへの亡命後は、白軍の亡命者による反ソ組織・ロシア全軍連合のイデオローグとなった。ソルジェニーツィンら、20世紀の保守思想家に大きな影響を与えている。主著にトルストイの非暴力を批判する『力による悪への抵抗 О сопротивлении злу силою』(1925年)、論集『われらの使命 Наши задачи』(1956年)など。
プーチン大統領は2013年にベルジャーエフ『不平等の哲学 Философия неравенства』(1923年、邦題『霊的終末論』)より保守主義の意味を論じた箇所を、また2014年にはイリイン『われらの使命』よりロシアの自由と自立の必要性を説く言葉を引用したことが知られている。
★5 モスクワ大学哲学科は保守的な傾向が強い。現在は分析哲学の教育と研究が盛んで、2006年には「モスクワ意識研究センター Московский центр исследования сознания」が設立されている。このセンターではダニエル・デネット、パトリシア・チャーチランド、デイヴィッド・チャーマーズら分析哲学の第一人者を招き、大規模なシンポジウムを複数回にわたって開催している。他方、アロンソンとペトロフスカヤ、および彼らの師であるポドロガが教鞭をとるロシア人文大学ではリベラルな政治的スタンスが強い傾向にあったが、ペトロフスカヤによると、最近ではその傾向が変わってきているという。
★6 スキゾ分析(分裂分析)は、ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが『アンチ・オイディプス』(1972年)で提唱した精神分析の手法。彼らは「オイディプスの三角形」にもとづく従来のフロイト─ラカンの精神分析を、資本主義と結びついた「パラノイア」的なものだと批判する。そのうえで、精神分析が「欲望」を直接的に扱ったことについては評価し、オイディプスという表象に回収されないスキゾフレニックな精神分析の可能性を示す。資本主義や父権からの逃走を呼びかけるその思想は、近代から脱するための導きとして、ポストモダン思想を牽引した。
★7 「全世界的共鳴」は、ドストエフスキーが1880年6月にモスクワのプーシキン像の除幕式で行った演説において語った概念。「作家の日記」に収録されたこの演説で、ドストエフスキーはロシア文学の父とされる詩人アレクサンドル・プーシキンを世界的な文学者として位置づけた。この演説は、スラヴ派と西欧派という、同時代の思想的潮流の両陣営が等しく納得できる名演説として高い評価を受けた。たとえば次の箇所を参照。「いや私は断固として言おう、プーシキンのような全世界的に共鳴し得る詩人はいなかったと。いや、ここで問題なのは、共鳴し得るということだけではない。その驚嘆すべき深み、他国民の精神に自分の精神を化身させる能力が問題なのだ。その化身はほとんど完全であるがゆえに奇蹟的であり、それゆえに、世界中のどんな詩人にあっても、いかなるところでも、このような現象は繰り返して起こらなかったのである。[……]ここにこそ、彼の国民的ロシア的な力が最もよく表現されているからであり、まさに彼の詩の国民性、国民性の今後の発展、すでに現在のうちにひそんでいるわが未来の国民性が予言的に表現されているからである。なぜなら、その終局的な目標が全世界性・全人類性への志向でないとしたら、ロシア国民性の精神の力とは果して何なのかわからなくなるからだ」(『ドストエフスキー全集 19──作家の日記(Ⅲ)』川端香男里訳、新潮社、1980年、343頁)。
★8 アロンソンはここで、ドストエフスキーのプーシキン演説をベンヤミンの「翻訳者の使命」(邦訳『ボードレール 新編増補──ヴァルター・ベンヤミン著作集6』円子修平訳、晶文社、1975年所収)を用いて展開している。プーシキン演説にはアロンソンの言葉と完全に合致するような記述は見当たらないが、国民詩人プーシキンがシェイクスピアやセルバンテスら国外の大作家たちよりも深く世界文学の精神を体現していると論じている。たとえば以下を参照。「すべての世界的詩人の中で、ただプーシキン一人が、完全に他の国民性の中に化身し得る特質を有している。現に『ファウストの一場面』、『吝嗇の騎士』、バラード「かつて世に貧しき騎士ありき」などがいい例である。『ドン・ジュアン』〔『石の客』〕を読み返してみるがいい。もしプーシキンの署名がなかったら、作者はスペイン人ではないということなど、知りようがなかったであろう」(『ドストエフスキー全集19』、342頁)。
★9 Финиковый компот は2012年にモスクワ大学哲学科の学生イワン・フォミン、アンドレイ・メルツァロヴィイ、エヴゲーニー・ロギノフが創刊したウェブ雑誌。2014年から16年までは年2回刊。2015年からは認識論と形而上学の問題にテーマを特化しているという。最新号は2017年9月号で、特集は「神の存在証明」。公式サイトURL=http://datepalmcompote.blogspot.jp/ なお、同誌のブログで『ゲンロン6』が紹介されている。 Дебаты о России: современная русская мысль глазами японцев // Финиковый компот. 15 ноября 2017. URL=http://datepalmcompote.blogspot.jp/2017/11/blog-post_15.html ★10 アンドレイ・ロージン Андрей Родин は論理学者。ロシア科学アカデミー哲学研究所所属。著書に『プラトンとアリストテレスの哲学世界に見るユークリッド幾何学 Математика Еврипида в свете философии Платона и Аристотеля』(2003年)。
★11 Синий диван. № 18, 2013.
★12 2014年9月にスリジー国際文化センターで開催されたコロック La philosophie non-standard de François Laruelle のこと。ゴゴチシヴィリが実行委員に名を連ねており、アロンソン、ペトロフスカヤ、ホルージーほか、多くのロシア人が参加している。プログラムは以下を参照。URL=http://www.ccic-cerisy.asso.fr/laruelle14.html ★13 アレクセイ・ローセフ Алексей Лосев(1893‐1988年)は哲学者、古典古代文学者。パーヴェル・フロレンスキーの弟子にあたり、ウラジーミル・ソロヴィヨフやセルゲイ・ブルガーコフら象徴主義の宗教哲学を受け継ぐ。新プラトン主義の弁証法と近代ヨーロッパ型の構造分析や類型学を融合させ、独自の哲学システムを生み出し、哲学、美学、記号論、言語学などさまざまな領域に適用した。1920年代にはソロヴィヨフらとともに賛名論の思想サークルに参加。賛名論とは、神の名には不可視の神が存在すると考える神秘主義的宗教思想である。主著に『名の哲学 Философия имени』(1927年)、『古典古代の宇宙と現代科学 Античный космос и современная наука』(1927年)、『神話の弁証法 Диалектика мифа』(1930年、邦訳『神話学序説──表現・存在・生活をめぐる哲学』大須賀史和訳、成文社、2006年)。また、『古代ギリシア美学史 История античной эстетики』(1963‐94年)はローセフのライフワークで、ローマ、ルネサンス編を加えて10巻の大著となった。ローセフはまたアリストテレス、プラトン、ニコラウス・クザーヌスらの翻訳者としても高く評価されている。名の哲学については、貝澤哉「アレクセイ・ローセフ『名の哲学』(1927) における「意味」の造形──形相的なものの可視性と彫塑性──」(『スラヴ研究』61号、2014年)を参照。
★14 セルゲイ・ホルージー Сергей Хоружий は1941年生まれの物理学者、哲学者、神学者。ステクロフ数学研究所およびロシア科学アカデミー哲学研究所所属。神学の分野では静寂主義などの神秘主義の潮流をソ連時代から研究していた。著書に『幾何学的場の量子学入門 Введение в алгебраичесукю квантовую теорию поля』(1986年)、『中断のあとに──ロシア哲学の道 После перерыва. Путь русской философии』(1994年)、『哲学と禁欲主義 Философия и аскеза』(1999年)など。『ユリシーズ』をはじめとするジェイムズ・ジョイスの作品の翻訳者でもある。
★15 Синий диван. №22, 2018.
★16 高等経済学院 Высшая школа экономики はモスクワの国立大学。ソ連崩壊後の1992年、経済体制の変化に対応すべく創設された高等教育機関である。1996年から経済学部のほか、社会学部、法学部などを創設し、総合大学となった。哲学科は人文科学部に属している。
★17 エヴァリド・イリエンコフ Эвальд Ильенков(1924‐1979年)はソ連の哲学者、マルクス主義者。スピノザとヘーゲルの研究者であり、マルクス=レーニン主義の弁証法を、抽象的なものから具体的なものへと到達する認識の方法として解釈した。この問題を扱った主著『資本論の弁証法 Диалектика абстрактного и конкретного в «Капитале» Маркса』(1959年)は邦訳がある(花崎皋平訳、合同出版、1972年)。また、観念的なものを心理的なものと捉える考え方を批判した。そのほかの著作に、ロシア宇宙主義を意識しつつ、宇宙における人間の存在意義を論じた『精神のコスモロジー Космология духа』(1950年代半ばに執筆)などがある。
★18 ヴァレリー・ポドロガ、フレドリック・ジェイムソン他「ユートピアと弁証法」上田洋子訳、『ゲンロン5』、2017年、181‐209頁。
★19 ジョナサン・フラットリー Jonathan Flatley 1967年生まれ。ウェイン大学教授。アフロ・アメリカンを含むアメリカ文化とロシア文化を対象に、比較文化研究を行っている。ジェイムソンの弟子にあたり、彼とともに「ユートピアと弁証法」の共同討議に参加。著書に『情動地図 Affective Mapping: Melancholia and the Politics of Modernism』(2008年)、『アンディ・ウォーホルのごとく Like Andy Warhol』(2017年)など。現在はレーニンの思想が黒人の政治参加運動に与えた影響に関する著書を執筆中。
★20 プロレトクリトはプロレタリア文化あるいはプロレタリア文化・啓蒙組織の略称。アレクサンドル・ボグダーノフやアナトリー・ルナチャルスキーら社会民主労働党の知識人たちが、革命前の早い時期から取り組んでいた労働者の教育プログラムに端を発する。プロレトクリトの最初の実施の試みとして、1909年、当時イタリアのカプリ島にいたマクシム・ゴーリキーの別荘を会場に、ロシアの労働者を生徒に招いて行った教育プログラムが挙げられる。その後、1917年の2月革命後にこうした文化の啓蒙運動が盛んになり、10月革命の直前、労働者の芸術・文化推進組織としてのプロレトクリト発足が正式に宣言された。以後、数多くの芸術スタジオや労働者クラブが設立される。プロレトクリトには最も多いときで40万人のメンバーがいたという。のちに映画監督となるエイゼンシュテインは、1921年に発足したプロレトクリト第一労働劇場の設立メンバーである。社会主義リアリズムが国家の芸術方針として採択された1932年に解散。
★21 レーニンのモニュメント・プロパガンダについては、ロシア版ウィキペディアに各都市に建設された銅像についての詳細なリストが掲載されている。URL=https://ru.wikipedia.org/wiki/Ленинский_план_монументальной_пропаганды ★22 国立グラーグ歴史博物館は2001年設立、2004年から展示を開始した。国立博物館だがモスクワ市の管轄である。グラーグ ГУЛАГとは、おもに1930年代から50年代のソ連で、国家による弾圧の道具として用いられていた強制労働収容所・強制収容所のシステムのこと。博物館は2015年に現在の建物に移動し、広さは当初の4倍になった。初代館長は歴史家のアントン・アントーノフ=オフセエンコ。『独裁者の肖像 Портрет тирана』(1980年)など、数多くのスターリン批判の書の著者で、また彼自身が両親を粛清で失っており、5回の収容所経験を持つ。なお、ソ連崩壊後はラーゲリの真実を暴き、記録する動きが盛んだった。しかし、近年はソ連時代の負の記憶を明るみに出すための活動は政府によって制限される傾向にある。
★23 パブリック・ヒストリーは1970年代にアメリカで生まれた、公共空間における歴史の問題を扱う歴史研究の潮流。オーラルヒストリーやアーカイヴ、文化財保護やキュレーションなどもこの流れに含まれる。ロシアでパブリック・ヒストリーが学術的に用いられるようになったのは2010年代のことで、最も早い試みのひとつとして、高等経済学院サンクトペテルブルク校のプログラム「パブリック・インターディシプリナリー・ヒストリー Прикладная и междисциплинарная история」(2015年)がある。また、2016年には同じく高等経済学院メディア科の主催によりモスクワで国際会議「過去は別の国か? ロシアにおけるパブリック・ヒストリー Прошлое - чужая страна? Публичная история в России」が開催された。 URL=https://cmd.hse.ru/media/news/182699041.html ★24 東浩紀「ソルジェニーツィン試論」『郵便的不安たちβ──東浩紀アーカイブス1』、河出文庫、2011年所収。「ソルジェニーツィン試論」は東のデビュー作で、1993年『批評空間』誌に掲載された。掲載当時、東は21歳だった。
★25 『コルィマ物語 Колымские рассказы』はソ連の収容所生活を描いた文学作品で、詩人・作家のヴァルラーム・シャラーモフ(1907‐82年)の代表作。シャラーモフは2度の収容所経験があり、その2度目にあたる1937年から51年をシベリア極北のコルィマ地方の収容所で過ごした。『コルィマ物語』の名を冠しているのは、釈放後、1954年から73年のあいだに書かれた6つのシリーズで、収録されている短篇の数は150篇以上におよぶ。しかし、反体制文学であるがゆえに生前には書籍化されず、地下出版および国外出版のかたちで流通した。邦訳『極北 コルィマ物語』(高木美菜子訳、朝日新聞社、1999年)には、そのうち29篇が収録されている。『コルィマ物語』はソルジェニーツィンの諸著作と双璧をなすソ連収容所文学とされる。