福島第一原発観光地化計画と日本の未来|小林よしのり+東浩紀

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初出:2014年3月20日刊行『ゲンロン通信 #11』
 東日本大震災から10年。「復興」のためにこれまでに30兆円を越える予算が用いられ、まるでその達成を祝うかのように、今年の3月には聖火リレーが始まりました。しかし、復興がほんとうに達成されたとはとても言えません。薄れていくわたしたちの記憶、40年とも言われる福島第一原発の廃炉作業、そしてそのあいだを独自の物語で埋めてしまうさまざまな震災遺産の展示。わたしたちはどうやってこのできごとを引き受けて、さきに進んでいけばいいのでしょうか。
 本日のゲンロンαでは、2013年にゲンロンカフェで開催された小林よしのりさんと東浩紀の対談をお届けします。『福島第一原発観光地化計画』の発売に合わせて企画されたこの場が、初めての顔合わせとなったふたり。記憶の風化、健康被害、地域の誇り、アジアとグローバリゼーション、民主主義を育てること。ことばがぶつかり交錯するなかに、ふたりの知識人がともに願う未来が映る白熱の議論です。(編集部)
 
東浩紀 今日は、小林よしのりさんをお迎えし、「福島第一原発観光地化計画と日本の未来」と題して対談を行います。『福島第一原発観光地化計画』を出版したあと、誰に意見を聞きたいかと考えたときに、まず最初に頭に浮かんだのが小林さんでした。ぼくは1990年代、『ゴーマニズム宣言』がブームになったころから、小林さんの動向を追ってきました。実際、薬害エイズ問題の時期に一番熱心に小林さんを応援していたのは、ぼくたち団塊ジュニア世代だと思います。それからずっと言論人として一線で活躍されてきて、3.11以後にも『脱原発論』を発表し、話題を呼んでいます。そんな小林さんはこの本に対してどういう印象を持たれたか、まずは率直な感想をお聞かせいただけないでしょうか。

事故は風化するか



小林よしのり まず2036年にJヴィレッジを再開発されると聞いたときに、いま60歳のわしにはもう時間がないな、と思いました。自分の人生はあと10年くらいだろうと。だから、若い人たちがこういうプランを掲げていまから動き出していこうというのは、素晴らしいことだと思います。けれどいまひとつ、これがなんのためのものなのかが見えてこない。福島第一原発事故の風化を防ぐため、と言われていますが、しかしあの事故が風化することなどあるのか。

 風化は進みつつあると思います。しかもそれは政府や電力会社だけが望むことではありません。

 ぼくがよく挙げる例は警戒区域の再編です。事故現場周辺の警戒区域は、原子力災害対策特別措置法に基づいて国が責任を持つことになっていました。しかし再編後は、それぞれの自治体の判断に任されている。無責任な体制です。しかしそれを望んだのは誰か。政府だけではないと思います。被災者の一部も、もう安全になった、警戒区域指定は必要ないのだと宣言されることを望んでいたのではないか。本来利害関係が対立する立場の人々が、ともに「あの事故は大した影響がなかった」と結論付けたがっている。

小林 両方が事故をなかったことにしたいと思う、と。

 そうです。そもそも福島は、宮城や青森などの被災地とくらべて、とても語りにくい問題になっています。最近、マスコミでも震災遺構の保存の是非が取り上げられるようになってきました。しかし原発事故の震災遺構についてはまったく語られていない。一方では加害者も被害者も風化を望み、他方で第三者は福島について語りづらい雰囲気が生まれている。このままでは、風化は進む一方でしょう。

小林 わし自身は常に心配です。みんながそうではないのかもしれないけれど、まともな人ならば、常に喉に小骨が刺さっているような感覚を持っていると思います。

 個人的には、福島に関してはかなり悲観的に見ています。4号機のプールの中から燃料棒を1年かけて1本ずつ取り出し、管の中に入れて別の場所に移していても、そのうちにもう一度事故や災害が起きれば、今度こそ本当に東京から避難しなければいけなくなるかもしれない。

 その通りだと思います。

小林 1号機や3号機については、手をつけるまでに数十年かかる。気の遠くなるような話です。とても忘れていられるような話ではない。だから風化を恐れるどころか、もっと延々と心配を続けなければならない。

 事実関係についてはぼくも同じ認識です。汚染水についても、結局は敷地全体をある程度封鎖するしかない。廃炉を完了させて原発跡地を公園にするなんてとても考えられない。
小林 それなのに、政府は年間20ミリシーベルトまでは大丈夫だと言い始めた。そこでみんなが家に戻るか。子どもが住める地域ということを前提に考えないと生活空間にはならない。子どもがいなければ未来はないので、年寄りだけが自然に死んで行くのを待つために街や空間を整備するというわけにはいかない。だとしたら、生活する母親や父親の身になって、子どもが住める地域をつくっていかなければ仕方がない。汚染水の問題も深刻です。

 しかしこれだけ深刻な事態に対し、東さんたちのプランが民間だけで実現可能か。決して反対というわけではないですよ。けれど、やはり大きな公共事業に対しては、国や地方が税金を投じないと実現できないのではないかと思います。この計画のお金はどこから出てくるのですか?

 それは税金になりますね。2020年の段階では、再開発の一環として、品川周辺にアジアハザードセンターを設けることを提案していますが、これは東京都の予算を想定しています。ヴィレッジを会場とする災害博覧会については、国と民間の半々くらいで考えています。書籍では、建築家の藤村龍至さんに試算もお願いしました。この本の出版を受けて、誰がどのような関心を持ってくれるか、楽しみにしています。

小林 仮に予算の問題がクリアされたとしても、どんな事故で一気に頓挫するかわからないのでは?

 それを言い始めると、なにもできません。それこそ東京に住むことだってリスクです。あと30年のうちには、かなりの高確率で東海地震が起こると言われています。けれども東京の未来について考えなくていいということにはならない。

小林 確かに、東さんのような戦い方もあるのでしょう。けれど、自分は活動できるのがあと10年くらいだと思っているので、政府から被災地にどれだけ予算を落とさせるかというところに発想が向く。

 ただ、この計画は未来に向けた建設的なものなので、意義があることは認めます。けれどその手前で、計画に参加している人たちは脱原発派なのか、それともそこには関心がないのかを聞きたい。

 ぼく個人は脱原発すべきだと思っています。しかし、プロジェクト全体が脱原発なのか原発推進なのかという話をすると、そこから先に進まなくなります。そもそも、「原発事故の記憶を風化させてはならない」という目標は、エネルギー政策や原子力の是非についての議論とは無関係で、いろいろな立場の人たちが協力して取り組めるし、取り組むべきもののはずです。だからいまのような質問については、観光地化計画は脱原発とも原発推進とも関係のないプロジェクトだ、とお答えすることにしています。

小林 ただ、世間の人は、これは脱原発のプロジェクトだと受け取りますよね。

 そう受け取っていただけるのはむしろありがたいです。

倫理としての脱原発



 『脱原発論』を読ませていただいた限りでは、低線量被曝の健康被害については、ぼくは小林さんとはかなり違う考え方を持っているようです。ぼくは小林さんほど厳しくは考えていない。それは、チェルノブイリや福島の取材に行った結果です。とはいえ、ぼくが日本は脱原発すべきだと主張しているのは、原発そのものが悪と考えるからではなく、国内政治や外交上の立場を考えると、脱原発以外の選択肢はありえないと思うからです。もしかしたら、原発は技術としてはすぐれていて、合理的なのかもしれません。しかし仮にそうだとしても、こんな事故を起こしてしまった以上、この国にはもう脱原発という選択肢しかない。

小林 そこはわしと感覚が違いますね。わしは、原発の問題とは、すぐれて倫理的な問題だと思っています。日本は、すでにトルコのような地震大国に原発を輸出している。現実の金儲けのシステムに、原発が組み込まれている。そこには倫理のかけらもない。日本経済について考えるならば倫理なんか必要ない、という理屈もあるでしょうが。

 ただぼくは、人類は決して原子力の技術を手放さないと思う。小林さんが『脱原発論』で打ち出されているのは、一言で言えば反進歩主義です。しかし、進歩主義は、決して近代という一時代がつくった流行のイデオロギーなどではなく、人類とはなにか、ということの根幹にかかわっている。コントロールできなかったものをコントロールできるようになる喜びは、人間の本能に近いものです。だから、全人類が原子力を放棄するということは、ぼくにはとても想像できない。

小林 兵器としての原爆がなくなることはないでしょう。けれど、日本は原爆も持つことができていない。今年(2013年)10月、安倍政権は「核兵器の人道上の影響に関する共同声明」に署名しました。日本は、アメリカの核の傘に守られているにも関わらず、です。西にしすすむに代表される日本の保守派は、核武装のために原発は必要だと言っています。しかし、現実的に核武装ができるのか。不可能だとすれば、原発は必要ないのではないかと思っています。

 それともう一点、わしは進歩主義を否定するつもりはありません。否定しても意味がない。ただ、どの方向に進歩するかという問題がある。原発を一定数維持するのが、本当に進歩なのか。商業的に見てもコストがかかりすぎるのではないか。東電にいくら税金をつぎ込んでいるのか。資本主義的に成り立たないならば、早晩、日本から原発は消えるでしょう。

 では、日本から原発が消えたとしましょう。でも、中韓やインドなど、これから原発をつくっていきそうな国はたくさんある。そこで事故が起きれば、日本も放射能被害を受けざるをえない。それについては、小林さんはどうしたらよいと思いますか。
小林 櫻井よしこのような保守派の論客が言っている理屈ですね。韓国にも原発があるのだから、放射能は気流に乗ってくる、だから日本だけ脱原発しても仕方がない、という。しかし、わしはそれには与しない。中国や韓国で事故が起きるのと、日本で事故が起きて日本の土地が失われるということは、意味も被害もまったく違う。

 韓国の古里コリ原発はサンのすぐそばにあります。ここでもし事故が起きれば、九州は福島事故よりも大きな打撃をこうむる。

小林 ならば、日本はもっと新しい代替エネルギーの方法を見つけて輸出した方がいい。安全保障上その必要がある、ということになる。

 それもひとつの戦略でしょう。しかし、なぜぼくがいまこの話題を持ちだしたかというと、本当の意味での脱原発を考えていくと、日本だけの脱原発であってはいけないということになるのではないか、という話をしたかったからなんです。

小林 けれど、まずは日本のことを考えなければならない。韓国のことは日本人には決められないのだから、とにかくまずは日本国民として、自国の原発の問題を解決しなければいけない。

 トルコへの原発輸出を正当化するうえで、世界の原子力産業をより安全なものにするために、事故を経験した我々だからこそできる新技術を提供するのだ、という理屈がありますよね。

小林 バカみたいな理屈だ。

 ぼくも違和感を感じます。でも、地震国が原発をつくるなら、ほかの国よりも同じ地震国である日本が受注した方が安全だという考え方は、確かに筋が通っているのかもしれない。ぼくが言いたいのは、世界のどこかが原子力を欲望している限り、日本の原子力産業の輸出を正当化するロジックはいくらでもつくれるということです。

小林 しかし、それは完全な詭弁でしかない。論理としては成り立っても、それが倫理的に見て本当に倫理的に正しいのかどうか、直観でわからなければいけないと思います。もちろん、論理的にも間違っていると説明できます。それはこれからやっていく。しかしその前に、そんなことが倫理的に許されるのか、許されるはずがない、ということを確認しなければならない。いまは保守派こそが、倫理観を無視して原発を推進している。山本太郎の方がよほど誠実な右翼青年ですよ。彼はほとんど倫理だけで動いている。福島の健康被害が心配で堪らない、ほかの政治家は頼りにならないから、天皇陛下にお知らせするしかないという切迫感で行動した。

健康被害をめぐって



 ただ、倫理と切迫感があればいいかというと、さすがにそうではないでしょう。健康被害を大げさに強調してもいいのか。

小林 わしは法的に認められた年間1ミリシーベルトを前提に話しています。それも危ない、ということになると話が進まない。その上で、本当に年間20ミリシーベルトを認めてよいのかを議論しなければならない。山本太郎のように原則を貫く人間がいるのはありがたいと思う。

 しかし現実的に言って、年間1ミリシーベルトを基準にすると、100万人以上を移住させなければならなくなります。これはできない。

小林 しかし、その現実から遡って、本来の法や常識を書き換えるというのは、それ事態が異常なことです。だから、我々は年間1ミリシーベルト以上の地域に住む人々に、申し訳ないという気持ちを持っているべきです。わしも自分でガイガーカウンター持って福島に行きました。浪江町に入ると誰もいない。ただ、残された猫が鳴いて寄ってくる。腹を減らしているのでパンをやったりしました。柿の木がきれいで、川の水を見ても魚は泳いでいる。なんて美しい町なんだろうと思う。けれど汚染されている。ガイガーカウンターは鳴りっぱなしでした。

 その通りだと思います。ただ、低線量被曝の健康被害については、基本的には統計的な問題で、その結論については、まだ誰も科学的に正しい結論を導き出せていない。

小林 そうですね。

 人々が病気になるかもしれない、というのは事実です。それを伝えることはいい。けれど、それを強調しすぎると、今度は福島に住む人々とぼくたちは連帯することができなくなってしまう。「福島に住むべきではない」と主張するのはいかがなものか。
小林 だとしても、たとえば山本太郎が福島の住民たちを東京から切り離すつもりがあったかと言えば、そんなことはないと思いますよ。その一方で、今度は放射能は体に良いと言っている人たちもいる。

 そちらの主張は、端的に間違いだと思います。

小林 しかし調べていくと、一方では1ミリシーベルトでも甲状腺がんになるという人もいれば、もう一方では放射線は浴びれば浴びるだけ健康になるのだという人もいる。放射能の健康被害についてのデータの基準になっているのは広島・長崎ですが、そのデータだって全部解明されていないという話もある。

 だから、データの話をしていくと平行線にならざるをえない。ということは、それについては結論を出さずに落としどころを見つけるしかない。

小林 わしが倫理の問題だと言っているのはそこです。データに基づく合理的判断では解決しない。

 年間1ミリシーベルト基準で考えると、中通りまで含め、かなり広範な地域が入る。小林さんはその人たちに「ここは放射能で汚染されています。ここに住んでいると一定の確率で健康被害が出ます。ある程度の補償はするので、リスクを理解したうえで住んでください」と言うべきだ、という主張でしょうか。

小林 語り方が違います。確かに土地は汚染されている。東京にくらべれば何倍も汚染が進んだ。除染したとしても、膨大な地域すべてを除染することはできないし、舗装された土地は除染も難しい。だから、一定の健康被害が出るリスクも確かにある。従って、申し訳ないけれども、地域にはホールボディカウンターなどをきちんと設置して、子どもたちには一定期間ごとに健康診断を受けるようにしてもらいながら住んでください、というふうに伝えるべきです。

 それはぼくが先ほど言ったことと、ほとんど同じではないでしょうか。

小林 非常に近いかもしれませんが、気をつけて言葉を使わないと、原発推進派の人間に利用されてしまう。原発推進派が居直るのと、脱原発だが現実は認めていこうというのは全然違う立場なのに、表現次第ではかなり近いものになる。

 わかります。ただ気になるのは、政府が「この地域は放射性物質で汚れた土地だ」と認めてしまうことは、後世に大きな影響を与えるのではないかということです。ぼくにはそちらの方が怖い。それは小林さんにとって、倫理的に許容できるのでしょうか?

小林 しかし、放射線量は増えたけれど、汚染はされていないのだ、というわけにはいかないでしょう。

 それはその通りです。しかし、汚染されていると宣言して、もし健康被害が出なかったらどうなるか。

小林 それは歓迎すべきでしょう。

 いや、そう単純ではないでしょう。実際には「あのとき、あの政府の声明のせいで人口が半減した、コミュニティが壊れてしまった」と非難されるはずです。実際、メキシコシティやアメリカのデンバー、インドのケララなど高放射線地域は世界中にあって、そこにも人は住んでいるわけですよね。それらとあまり変わらない程度の空間放射線量で、しかも100万人規模が住む広大な土地に対し、政府が公的に、ここは汚染されており健康被害が起こる土地だ、と宣言することはさすがにできないのではないか。

小林 「健康被害が起きる」のではなく、「健康被害が起きる可能性がある」と言っているのは、むしろ子どもの健康調査を受けてもらい、母親たちに安心してもらうためです。健康被害の可能性さえ伝えないとなると、診断を受けてもらうこともできない。疑心暗鬼が広がる一方です。

福島の誇り



 小林さんがなにを懸念されているのがわかってきました。少し別の観点からお話しすると、ぼくも当然、福島に住んでいる人たちはきちんと支援すべきだと思います。ホールボディカウンターを置くだけではなく、彼らが福島に住んでいることを誇りに持てるようにしたい。ぼくらの観光地化計画も、そういう精神的、文化的な復興を目指すものです。

小林 そこが少しひっかかるところです。こういう商業施設ができることが、福島県民の誇りにつながるのか。

 具体的な施設についてはいろいろ議論があっていい。ただ、未来に向けて新しいアイデンティティをつくっていかないと、福島はもともとすごくいい場所だったのに、事故のせいで汚れてしまった、という負のイメージだけが残ってしまうのではないか。

小林 いや、そうはならないでしょう。

 そうでしょうか。

小林 たとえば、わしは福岡の出身ですが、福岡県民としての誇りというのは、誰かに与えられるものではない。福岡の人間は、祭りが好きであるとか、多くの芸術家やミュージシャンを輩出しているとか、こういうことの積み重ねによって誇りを持つのであって、外部の人間が「こういうところに誇りを持ちなさい」と言っても無理がある。それは、福島県民がいまからつくっていくべきものです。そういう困難を乗り越えていくことそのものが、東北の人々の誇りになっていくでしょう。

 厳しい表現になりますが、ぼくは今回の困難は巨大すぎて、福島だけの力では乗り越えることは難しいと思っています。とくに原発が立地している自治体は、もともと福島の中でも貧しかった地域です。そこに原発を誘致することで発展してきた。その原発で事故が起き、なくなったあと、自力で乗り越えなさいというのは無理がある。

小林 乗り越えなさいと命令しても仕方がない。誇りというのはきわめて歴史的なものなので、人工でつくれるものではないということです。

 確かに、誇りというのは歴史的なものです。だから問題なのです。かつて広島や長崎が原爆投下の標的になったのは、そもそもそこが重要な都市だったからです。広島と長崎は、もともと確固たるアイデンティティを持つ地域だったからこそ、原爆の被害を乗り越えることができたと言えます。しかし福島の浜通り地域については状況が少し違う。

小林 その通りです。いままで、原発こそ未来を動かすのだ、原子力は国の誇りであり、福島の誇りなのだと思っていたとすれば、それは崩れ去ったでしょう。けれども、それ以外の誇るべきこともあるでしょう。

 その点には同意します。

小林 被災地を訪問して福島の人たちと話すと、彼らは自分たちが被災して大変な目に遭っているのに、一生懸命話しかけてきてくれます。最初は、そこまで聞いていいのかなという気遅れもあったのですが、原発の問題についても誠実に話してくれる。もともと東北は、関東からずっとある種の差別にさらされてきたところです。そういうところで育った性根の強さのようなものもあるのかな、と感じます。放射能汚染の現実は現実で、彼らはそれを受け止めることができるのではないか。もちろん、関東の住民たちは、差別的な表現や考え方をすべきではない。日本全国が、被害を受けた地域に心を寄せる感覚を持っていればいい。

 東京で観念的にいろいろ考えていても仕方がなく、現実に被災地で暮らしている人たちに話を聞きにいくしかないと思っています。この前の『朝まで生テレビ!』(2013年10月25日放送)には東さんも出演されていましたが、仮設住宅に住んでいる女性が話していましたよね。彼女の話を聞いていると、知識人たちはまったくの観念論を言っているのにすぎない、と感じましたよ。
 いや、現場の空気はもう少し複雑でした。というのも、番組中は池田信夫さんを始めとして、東電の破綻処理だのなんだのと、お金の話ばかりをしていた。まるで福島の問題はカネで片がつくのだと言わんばかりです。それでは被災者サイドも、「みなさんはなにもわかっていない」「実際には私たちはこういう苦しみを負っているのだ」と主張せざるを得なくなる。カネ対被災者という構図はそうして生まれた。でもぼくは、硬直したこの構図自体を変えたいと思っているんです。だからこそ、「福島第一原発観光地化計画」という、いままでとはまったく違う切り口を提案した。それに対して小林さんはずっと、まずはほかにやることがある、原発について語るならばこう語るべきだ、とおっしゃっている。しかしそれでは、福島についての語り方が固定化してしまい、多様な意見が出てこなくなってしまうというのが、ぼくの危機感なんです。

小林 かつて『戦争論』を描いたときも、もう言論状況はガチガチに硬直しているので、とても変わらないだろうな、と思っていました。かつては国家について話すと右翼だと言われ、わしなんか完全に危険人物だとされていた。ところがそれから十数年経ってみると、いつの間にかずいぶん変わっている。だからわしは、いまの言論がこのまま硬直するとは思わない。最終的には自然に、人々の心の中に脱原発や、放射性物質に対する正しい認識が根づくのではないか。

 そもそもぼくは原発政策については、ほとんど議論の余地がないと思っているんです。まず、日本は脱原発すべき。というか、原発の新設はもう不可能でしょうから、否応なく脱原発してしまうはずです。他方で、人類が決して原子力技術を手放さないのも事実。だからもう、ほとんど議論することがない。あとは原子力ムラをどう無力化していくかとか、そういうテクニカルなことしか残っていない。

小林 東さんは、脱原発しかなく、それは必然だと思っているわけですね。

 そうです。それ以外の選択肢はないでしょう。

小林 東さんの中で話が完結していることはわかりました。しかしまだそういう認識を持つ人は少ないのではないかと思います。

 どうでしょうか。確かに国民は、原発の再稼働を許容するかもしれません。しかし新設は無理でしょう。新設できない以上、原発はいずれなくなる。だから自動的に脱原発するしかなくなるはずです。だとすれば、原子力の是非についてばかりではなく、その先について話をしたい。

小林 それはそうですね。

 だからぼくは、物理的、科学的な議論だけではなく、文化的な問題について考えたいんです。ほとんどの外国人にとって、福島という地名は、この事故を通して初めて知ったものです。我々が原発事故を通してチェルノブイリを知ったのと同じですね。そしていまでも、チェルノブイリという地名を聞くと、日本人は、原発事故が起きた死の街であり、後遺症に苦しむ人が大勢暮らしている、と思ってしまう。もちろん、実際に後遺症はあります。しかし、我々の一員が取材したコロステンという街では、「日本のテレビ局がやってきて、後遺症の人でいっぱいだと報道されてしまった」という不満を聞きました。現実には、そこで多くの人は健康に日々を送っているのに、日本のテレビは一面しか切り取らないのだと。

 もちろんこれはメディア側の問題でもあります。ただ、ぼくは未来の福島が、そういうふうに扱われる場所であってほしくないと思っているんです。だとすれば、福島はあの事故を乗り越えたのだとアピールする、文化的な戦略が必要です。それを当事者でがんばってください、と丸投げするのは間違っている。いやらしい言い方になりますが、東京は世界有数のグローバルシティです。外国人も大勢訪れるし、発信力もある。この力は、福島のイメージを復興するために生かしていくべきだと思うし、それはいますぐ始めるべきことだろうと。

小林 なるほど。なぜ温度差があるかもわかったし、東さんがやりたいことも見えてきました。東さんは、もう脱原発しかありえないと、自分の中で決着をつけている。でも、わしはまだ不安なんだと思いました。日本は脱原発しなければならないはずなのに、その方向に向かっていかないのではないかと思っている。

脱原発の戦略



 それは確かに、難しい問題です。2013年の参議院選挙で山本太郎氏が当選しました。都民が支持したのだから、それでいいのかもしれない。しかしその過程で、福島という言葉の力を借りた、行きすぎたキャンペーンがあったのではないか。ぼくとつきあいがあるアーティストやミュージシャンたちは、軒並み山本太郎を支持していました。震災からずいぶん経ったのに、まだ福島は危険だ、脱出すべきだという意見が「先進的」とされている。ただ、これは彼らが悪いというより、自分がいままでサボってきたのだなとも思ったんです。東京にいる人間が、きちんと責任を持って、それは間違いだと言わなければいけない。それをしないと、才能あるミュージシャンやアーティストたちが、彼のような主張についていってしまう。

小林 彼が当選するとは思っていませんでした。ただ、それほど人がいないのだな、と思いました。

 彼が脱原発の象徴になった。実際、明確に脱原発を掲げたのは彼だけです。それこそが問題です。あの事故について真剣に考えることと、福島は危険で、人はそこに住むべきではないと主張することが等価になってしまった。そういう状況は積極的に変えていかなければいけない。

小林 わしは、山本太郎が、本当に福島に人が住むべきではないと思っているかどうかわかりません。しかし、おそらく思っていないと思う。そんな人間がいるわけがないという気がする。山本太郎の支持者が多かったのは、誰もが思う、一念を徹底的に通し、脱原発を原理主義的に訴えていく人間も必要だという感覚を体現したからではないかな。

 信念と現実が対立しているときは、極論であればあるほど筋が通っているように見えます。その結果、いつの間にか、脱原発は極論に傾いていってしまった。山本太郎氏は、小林さんが薬害エイズ訴訟のときに批判されていた理想主義的な若者──小林さんの表現では「純粋まっすぐ君」──に近いのではないでしょうか。

小林 しかし、その極端な原理を通していく力強さがなければ、原発推進の保守派には勝てないのではないか。

 だからいまは、純粋まっすぐ君の力が必要なのだと。
小林 それくらい、原発推進派の力が強いんです。

 しかし小林さんは、純粋まっすぐ君を嫌悪していたはずです。その力を借りるのはどうなのでしょう?

小林 力を借りようとは思わないですよ。ですが、なぜあそこまで叩かれなければいけないのか同情しています。手紙を渡しただけで「手紙テロ」などと言われていますが、それならなにをしてもテロでしょう。お辞儀したら「お辞儀テロ」なのか。バカげています。「天皇の政治利用」という言葉も、みな間違って使っている。

 ぼくも、「なぜこんなに騒ぐんだ」というのが率直な印象です。

小林 議員辞職を迫ったり、皇室行事に参加させない、といった保守派の圧力はものすごい。この圧力で原発も強引に推進されるかもしれない。だから戦わなければならないと思う。しかし、もう脱原発以外はありえない、新設も絶対に不可能だと考えれば、東さんのような考え方になるのでしょうね。

 ぼくが気にしているのは、脱原発が原理主義的になってしまうと、多くの人がそこから距離を置いてしまうのではないかということです。それは可能性を狭める。推進派の主張もある程度受け入れたうえで、確かに原子力は日本の経済成長に資するかもしれないけれど、それでもあのような事故を起こした以上は原発を使うのはやめよう、と議論すべきです。脱原発こそが経済的なのだとか、原子力技術は人類がそもそも手を出してはいけないものだったのだなどと言うと、合意できる人が減ってしまう。原発新設に抵抗を持つ感情を多くの人間が共有しているのだから、それを緩やかに結びつけることこそが大切ではないか。

 確かに、小林さんが危惧されているように、保守派が復活し、原発停止は国富の流出を招く、原発再稼働やむなし、という議論が強くなっていることは事実です。しかしこれも、脱原発の人が議論を狭めていったことが原因ではないか。

小林 要するに東さんは、民衆の中にはこれ以上の原発推進を受け付けないという合意が取れていると信じており、その合意がある以上、政治もそう動くはずだと思っているわけですね。

 そうです。というよりも、本来はそのはずなのに、脱原発を唱える人たちが急進化して、そのプロセスが狂ってきているのではないか。

小林 そこがわしと東さんの違いですね。自分は民主主義に限りなく疑惑を持っている。この世の中を動かしているのは一部の人間だと思っている。

 だから、論壇での戦いが重要だと。

小林 そうです。国民がなんとなく合意を持っていても、指導者たちにごまかされてしまう。特定秘密保護法案にせよ、国家安全保障会議にせよ、かなり危ない方向に進もうとしている。それを止めるには、国民全体を動かそうとしている保守派と戦うしかない。

 戦前もそうでした。支那事変までは、政府に懐疑的な立場を持つこともできた。しかし、それでは売れないんです。わしも安倍晋三の批判をすると、まったく本が売れなくなる。出版社も編集者も批判は聞きたくない、無意味だし商売にもならないと言う。それを聞いて、この戦い方ではダメなのだと思った。『ゴーマニズム宣言』で社会批評をしても仕方がない。国民は批判を聞きたがらず、なんとなく引きずられていってしまう。保守派が強くなったせいで、権力に関する警戒心がものすごく薄くなっている。

鎖国は可能か?



 少し視点を変えると、小林さんは一貫して、アンチグローバリズムを主張されています。しかし、最近はアンチグローバリズムだけでは言説が力を持たなくなってきている。実際、安倍政権はTPPも推進、減反政策の見直しなど、グローバル化に積極的です。これは、現政権だけの問題ではなく、今後日本がどのような方向に進むかと関わっています。小林さんは、日本はどういう国であるべきだと思いますか。

小林 グローバリズムそのものを拒否するしかないでしょう。グローバリズムは重力のような自然現象のように勘違いしている人もいますが、そうは思わない。少子高齢化で人口が減る中でグローバリズムを進めるのであれば、徹底的に、一部のきわめて優秀な商売人だけが富を独占するシステムをつくるしかない。当然、雇用は全部非正規になる。よりアメリカに近づいていくわけです。そういう世の中を選ぶのか、もう一度国民に考えさせなければならない。

 しかし、日本一国で、TPPにも参加せず、世界のグローバリズムに抵抗していくことができるのか。

小林 できると思います。日本は内需を8割も持っているんだから。

 それは、これまでの日本が強かったからでしょう。これからもその強さを維持できるのか。

小林 地方それぞれの産物を利用した産業や工場があるわけで、それでかなり行けると思う。極端に言えば鎖国してもいい。もちろん、すでに国を大きく開いてしまっているわけだから、完全な鎖国にはならないだろうけれど。

 それは、とても強い日本観ですよね。ぼくは日本に対して、かなり違った捉え方をしています。そもそも日本というのは、ユーラシア大陸の東端で、いろいろなものが流れ着いた結果としてできた国です。だからこそ、外国のものも自由に取り入れていくことができた。いまクールジャパンともてはやされているものも、戦後アメリカの文化をどう換骨奪胎するかという問題から出発しています。日本独自のものに閉じこもっていくのは、日本の本来的なあり方に反しているのではないかと思うんです。

小林 日本独自の文化ができたのは江戸時代でしょう。
 そうです。しかし、いまぼくらがこうした豊かな生活を送ることができるのは、明治維新が成功したからです。そして明治維新は、すごく大胆に江戸的なものを否定した。これは天才的だったと思います。そんなことは、ほかの国は絶対にできない。つまり、ぼくらの近代の出発点は自己否定なんです。戦争にしても同じです。ぼくたちは戦争の処理に完全に失敗していて、英霊たちをどう弔うかも定まっていない。しかし、戦後完全に自己否定し、アメリカの文化を浴びるように受け入れたことこそが、戦後日本の繁栄を可能にしたのも事実ではないか。

小林 外来の物を入れるという意味では、仏教も漢字もそうですね。しかし、それを全部変容させている。日本の中で熟成させていく期間も必要で、江戸時代はそれにあたる。ただ、当時はエネルギーが不足していた。エネルギーというのは、ずっと日本の大命題です。結局、前の戦争もエネルギーをめぐって起こったものです。それがトラウマのようになっているから、原子力発電に過度に依存してしまう。

 原子力から脱するためのひとつの方向性として、ロシアや中国と国交を深める可能性もありうると思います。どちらも厄介な国ですが、資源大国から天然ガスのパイプラインを引けるようになれば、原子力に頼らなくてもいい。

小林 それ以外に、日本には膨大な森林がある。これもエネルギー上重要です。まず木材の輸入を減らし、日本の森林を使えばいい。いままではコンクリートの家に住んでいたので冷房が必要になり、エネルギーを消費した。しかしいまは、木材でも燃えない家がつくれます。ビルだって建てられる。省エネ技術もすごい水準で確立されていっています。だから現にいま、原発は動いていないけれど、社会は回っている。保守派は原発を止めれば江戸時代に戻ると脅かしていましたが、そんな事実はない。

 いま『大東亜論』を執筆中とうかがいましたが、アジアと日本の関係についてはどう思われていますか。

小林 なぜアジア主義は挫折したのか、日本の近代化の中でなにが間違っていたのかを明らかにするために描いています。中国とも、共産党政権でなければ連携できると思っています。ただ、アジアといっても中国と朝鮮半島だけではない。東南アジアの国々とはいろいろ連携できるはずです。ただそこでは、やはり日本が手本になっていくしかないでしょう。

 つまり、日本がアジアのリーダーとしての地位を取り戻すべきだということですね。

小林 中国だっていまのままでは続かない。いまの中国が、アジアのリーダーとして、ほかの国が見習うべき文明を持っているかと言えば、そうではないだろうと。日本にはまだ可能性があるのに、なぜアメリカのまねごとをしなければいけないのか。日本の中から生じてくる文化の芽をなぜ、消滅させなければならないのか。

 しかし、戦後の日本文化は、たんなるものまねと言えるものでもない。アメリカに半分くらい侵食された産物としてできていて、その強度はアメリカによって支えられているところも大きい。
 

意外にも初顔合わせの2人。初めは緊張した面持ちで話が進んだ


届けるべきメッセージ



 ぼくはアジアの中での日本の地位を考えるならば、まず地理的条件に注目したい。今回の福島原発の事故は、太平洋とアジアの境界にあたる最東端で起きた。まさに極東です。アメリカから見ると、たとえばシアトルから飛行機で来るのに一番近いのは仙台空港です。ほかならぬその場所で、西洋文明が生み出した原子力と、東アジアの地理的条件である災害が衝突した。ここには大きな意味があるはずです。

 そもそも、地震や火山、台風など、世界で一番災害リスクが高い地域に、これだけ多くの人間が住んでいること自体が奇妙なことです。むしろ、これこそが日本のアイデンティティを考えるうえで、重要なのではないかと思うんです。伊勢神宮が20年に一度式年遷宮を行うのは、災害の国だからこそです。地面が揺れ、毎年のように台風が来る環境とつきあうことで、我々の文明は形成されていった。そのことを自覚して、アジアだけではない世界に発信していくべきです。日本は災害と文明が共存する最先端の地なのではないか。

小林 それを体現するのが、福島第一原発観光地化計画であると。

 考えてみれば、大和朝廷の時代から、福島は蝦夷との境界領域でした。大陸からやってきた文明が果つる土地なわけです。そこで今回のような事故が起きた。原発事故については、西欧文明が自然の猛威に敗北したという「文明」的な事件だと捉えるのが一般的ですが、ぼくは文化的な事件でもあると思っています。日本という地理的な条件、そしてそこで育まれた文化と深く関係している。

小林 そういう考え方であれば、アジアや世界に向けて、日本がどれだけの知恵を蓄積してきたかを示すことには意味がある。

 ぼくたちがモデルにした西欧の文明は、地震もなければ台風もない場所でつくられた。だからそれをそのまま持ってくると、日本では過剰投資が必要になる。莫大な土木工事はその帰結です。確かに冷静に考えれば、そもそもコンクリートの道路を敷き詰めること自体が間違いだったのかもしれない。しかし西洋と同じサービスを提供しようとすればそうならざるをえなかった。そこまで一回巻き戻さないと、開発の連鎖からは抜け出せない。
小林 そうですね。そしてそれは、必ずしも反資本主義ではないし、反グローバリズムというわけでもない。観光地化計画が、日本だからこそできる文明の転換を発信し、新たなる進歩主義をつくりあげる場所になるのであれば、非常にいいことだと思います。じつは、この計画は、資本主義の最先端で、テーマパークみたいなものをつくろうとしているのではないかと思っていたんです。それでは誇りに結びつかない。しかし、いま言われたような射程まで含んでいるならば話は違う。

 いまは日本人自体が、この事故の持つ意味を小さく捉えようとしています。

小林 わしが脱原発と言っているのは、根本的に資本主義の質を変えなければいけないと思っているからです。エネルギー問題は日本の宿しゅくであり、この機会に解決してしまった方がいい。小泉純一郎の「脱原発の方が夢がある」という発言に共感するのは、こういう視点からです。このままでは夢がない。

 坂の上の雲の、そのまた上の坂まで耕す必要はない。坂の下の土地を耕すことから始めるべきです。地域ごとに、その地域だけで興せる産業がある。それを育て、内需型の国に転換し、エネルギー政策も切り替える。それができれば、アメリカから搾取されるばかりではなくなる。

 鎖国というとネガティブですが、内需型というのは、つまり地産地消でいこうということですよね。近くでつくったエネルギーで自給する小さいユニットがたくさん生まれ、それが合わさって社会を構成すればいい、という考え方。

小林 そうです。

 ぼくは、日本がこの事故で受けたローカルな経験を、どうユニバーサルに変えていくかが重要だと思っています。地産地消のユニットをつくるという発想は、普遍的なメッセージになりうる。日本だけの問題じゃないんです。

小林 わしはこの事故で、みながそういう風に意識を変えていくと思っていた。ところが全然変わらない。きわめて危険な状態です。

 風化についてぼくたちの計画が主張しているのは、小林さんがいまおっしゃったことと同じです。あんなに痛手をこうむったはずなのに、なんとなく原発の輸出も許している。それが風化です。福島について考えることが大事だ、重要なのだと言い続けていかないと忘れられてしまう。そのためにも、福島についての文化戦略が重要です。

小林 そういう言い方であれば納得できます。ただ、日本人は震災の直後でも、不満も言わずに粛々と行列に並んでいて、世界中から賞賛されていました。これは肯定的に見れば秩序が保たれていると評価できますが、他方で、なんでも仕方がないと諦めてしまっているのではないかとも思うんです。もう少し、恐怖心や警戒心を持ってもらいたい。

民主主義を育てる



小林 わしは知識人には、民主主義を育てる責任があると思っています。ニュース番組には若い知識人がたくさん出てきますが、彼らは本当にそれを意識しているのかがわからない。実際につきあってみても、ネットで支持者の顔色をうかがっているところがある。

 どんなに叩かれても、それと真っ向から戦うという態度が大切だと思う。たとえば、東さんとわしは、今日初めて話している。

 今日は完全に初対面ですね。

小林 東さんの著作はサブカルを扱っているけれど、わしはいまのサブカルにもオタク文化にも、そう詳しくない。参考例に挙げられている作品がわからないので頭に入ってこない。そうなると、やはり議論してみなければわからない。だからこうして話している。これを怖がってはいけない。

 ぼくはかつて『批評空間』のシンポジウムで、1990年代に重要な人物は小林よしのりと宮台真司だけだと発言しました。浅田彰さんにはひんしゅくを買いましたが、これはいまでも本心です。小林さんと宮台さんはこの時期、論壇を世間に開く役割を果たしていました。ぼくは小林さんや宮台さんとは15歳くらい年下ですが、論壇に対する感覚がかなり違う。ぼくの年齢になると論壇を体感できなくなっているので、重要性がわからないんです。しかし小林さんや宮台さんは、論壇の存在をとても重要視して、たびたび取り上げてきた。小林さんの本を読んでいる若い読者は、『表現者』という雑誌も、なかたけという論客も知ることになる。逆に言うと、日本ではそういう形でしか、論壇は成り立たなくなっている。

小林 それは過大評価です。しかし、若い人には真っ向から政治の問題に取り組んでほしい。

 その意味では、いまは論壇のようなものが、安易に縮小再生産されてしまっている時代でもある。若手論客は簡単にテレビに出られるし、雑誌にも書ける。彼らは同世代感覚が強いので、話もなんとなく通じる。じつは団塊ジュニア世代のぼくは、違和感を覚えるんです。TBSラジオの『Life』や、NHK ETVの『ニッポンのジレンマ』に出ているような論客たちは、みな一気に露出するようになったので、たがいにとても近い感覚を持っている。それは彼らの強みではあるけれど、同時に弱みでもある。というのも、小林さんはよくご存じでしょうが、『朝まで生テレビ!』のような番組だと、ほかのパネリストとまったく話が通じない(笑)。本当に同じ国に生きているのか疑いたくなるレベルです。しかし本当の論壇というのはそういうものではないか。

小林 たとえばわしと政治的な話で衝突するのを怖がっているようだと、それはまずい。しかし、たとえばふるいちのり寿としさんやはまさとさんが原発についてどう思っているのかというと、全然わからない。

 そもそも彼らは原発について考えているのか。

小林 わからない。会っても、まったくそういう話はしない。AKB48の話をしていれば無難だという感じ。

 小林さんはなぜそこに参加しているのでしょう。

小林 わし自身は変わっていない。しかし彼らは、恋愛禁止はOKかどうかとか、もっとどうしようもない話題で対立している。

 それでは原発について話す時間はないですよね。
小林 わしは気づいたらあっという間に60歳になっていて戸惑っているのだけれど、いまの若い知識人は還暦になったときに存在感があるのかな?

 それはぼく自身へのメッセージかもしれません。だとすれば、ぼくはもう若手ではないですが、一応、60歳になっても大丈夫なように仕事をしていきたいと思っています。

小林 若手、若手と重宝される時代があっても、それは本当に一瞬ですよ。それから先、延々と戦っていかなければいけない。課題は次々に発生する。それとひとつずつ戦っていたらこの歳になってしまった。しかし、誰かこの後をついでくれるのか不安です。

 今日は小林さんから、さまざまな点で本音が聞けてよかったです。ぼく自身も、20年後も存在感を保てるような仕事をしていきたいと思います。ただ一方で、この2013年の現実に関していえば、政治に対する諦めや無力感が広がるのはやむをえないと思うところもある。自民党の一党支配体制が確立し、安倍政権が長期政権化している下で、我々に一体なにができるのか。

小林 知識人として、民主主義を育てていくしかない。一般の方からもよく、政治にどう参加していいかわからないという相談を受けます。でも、そういう質問をする時点で、考えようという意識を持っているわけですよね。わし自身は、2ヶ月に1、2回の割合で、「ゴー宣道場」という私塾のようなものを開いています。60人くらいは門弟としていますが、あとは流動的な参加者です。テーマによっては会場のキャパシティを超える応募がある。やはり、考えようと思っている人はたくさんいるんです。

 いわゆる思想オタクみたいな人ではない、それぞれの現場を持った人たちで、その中には主婦もいれば医者もいる。そういう人の方がいいと思う。門弟のメーリングリストを読むと、主婦がバイトの合間に、自分の亭主や親を説得して、1ヶ月や2ヶ月に一度、時間をつくって来ているのだという。ぎりぎりのところで、ものを考えようとしている人もいる。そういう人に期待するしかない。この会場に来ているような人はある程度余裕があるのだから、そういう人こそしっかり考えないといけない。そしてものの考え方を伝播できるような、自分の言葉を身につけてほしいと思います。

 ぼくも同じようなことを考えて、このゲンロンカフェをつくりました。ぼくは思想や哲学というのは、本当は生活者たちが、自分はなにをしているのか、なぜ生きているのかを考えるものだと思います。そこから離れて、思想や哲学そのものについて考えるメタ哲学は哲学ではない。ぼくも本当の意味で哲学を必要としている人に、言葉を届けていきたいと思います。今日初めてお話しする機会を得て、小林さんの活動が、社会を動かすための論壇での戦いと、民主主義を支える生活者との対話の両輪で支えられていることがよくわかりました。今日は長い間、ありがとうございました。

小林 こちらこそ、ありがとうございました。

2013年11月9日 ゲンロンカフェ
構成・撮影:河村信

小林よしのり

1953年生まれ、福岡県出身。漫画家。大学在学中に描いたデビュー作『東大一直線』が大ヒット。代表作の一つ『おぼっちゃまくん』は社会現象となり、アニメ化もされた。92年より連載中の『ゴーマニズム宣言』では、世界初の思想漫画として社会問題に斬り込み、数々の論争を巻き起こしている。最近はネットでの言論も盛んに行ない、Webマガジン「小林よしのりライジング」やブログでの発言が注目されている。近刊に『天皇論「日米激突」』 (小学館新書)、『慰安婦』(幻冬舎)など。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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