今のインターネットがこんなにも広告まみれになったのは、情報は無料であってほしいという利用者の強烈な欲望を技術が可能にしたゆえであると、桂は Web 1.0「フリーの時代」の解説を締めくくった。
印象的だったのは、3人の議論の進め方だ。桂が何度も立ち戻ったスライドのタイトルは「ハッカー文化とヒッピー文化の習合」であった。東海岸からやってきた MIT のハッカー文化と、西海岸にもともとあったホール・アース・カタログ的ヒッピー文化がくっついて、今日まで続くカリフォルニアン・イデオロギーが生まれた。桂はカリフォルニアン・イデオロギーを、「反権威、マネーの忌避、Do It Yourself 、自由至上主義、コスモポリタン、トランスヒューマン」の6つのキーワードで整理する。するとすかさず東がカリフォルニアン・イデオロギーとリバタリアニズムの関連について語る。さらに安達が、Web 1.0 から Web 3 までを貫く思想を、時代として前に進めてきたさまざまな技術について、絶妙なタイミングで補足する。思想史については東が、技術の進歩については安達が解説を添え、議論は広くも深くも発展していった。その点が、この鼎談ならではの魅力だろう。3人はインターネットの歴史を縦横無尽に駆け抜けた。
Web 2.0──PV至上主義の幕開け
続く Web 2.0 の章には「民主化の時代」というタイトルがつけられている。少数に限られていた情報発信の担い手が、SNS 文化・ブログ文化によって一般に開かれ、誰でも情報をパブリッシュできるようになったのがこの時代である。
そして Web 3。桂によれば、Web 3 もこれまでのインターネット思想の流れを汲むものであるという。それは、フリー(無料)を求めるあまり、収益とプライバシーをビッグテックに明け渡した Web 2.0 の時代を反省し、あらためてフリー(自由)を取り戻そうとする民主化運動である、ということだ。隣で頷きつつ安達は、課金手段が AdSense しかなかったところに暗号通貨というものが登場し、これならばという技術的光明により機運が高まった背景について言葉を添えた。このパートでは、ブロックチェーン、DeFi 、NFT 、DAO など、最新のインターネットを席巻している思想および実装が簡潔に紹介されており、それだけでも一見の価値がある。なかでも議論が最も盛り上がったのは、Trust / Truth の見方についてである。
イーサリアムの創設者、ギャビン・ウッドが提唱した"Less Trust, More Truth"(信頼ではなく真実を)の思想が紹介されたとき、東は大きく首を傾げた。Web 3 の中⼼的価値観は「透明」と「分散」にあり、Web 2.0 までの中央集権型サービスにおいて必要とされていた「信頼」を不完全なものとして斥ける。「ぼくは、信頼そのものが全面的によくないものだと思っています」というギャビン・ウッドの言葉は衝撃的だが、対する東の反論も「信頼は大事だ、よいものだ」という倫理的な価値観の話ではない。東が言うのは、"Less Trust, More Truth"という標語は、心理的現実における「解釈」の厄介さをスルーしているのではないか、ということだ。
認識の世界に客観性はなく、人間はファクトやエビデンスを与えられても、いくらでもそれらを「読み替える」ことができる。たとえば、ある事件の現場が完璧に録画・録音されており、状況が非常に正確に再現できたとしても、そこには依然として解釈の余地が残る。加害者・被害者・観察者が、そこで起きた「真実」についての完全なコンセンサスを得ることは難しいだろう。東は、その解釈のレイヤーを安定化させるのが Trust であり、そのうえに成り立つ Truth もまた約束事でしかないと指摘した。絶対的な基準が人間社会の外にあるというのはまやかしで、真実は未来から再評価として与えられるものであり、その再評価も継続的に繰り返されていくという人文的な観点だ。
興味深かったのは、安達が技術者の立場から、ここでの Trust は「ソースを信奉する世界観」なのではないか、と新たな視点を投げかけたことだ。サイエンスは現実を生で扱うことはせずにモデル化する。Web 3 の思想とは「現実をモデル化する解釈コードがオープンになっていて、それを皆が読める」という意味での Truth を信奉しているのではないか、と。
安達真
Web 3 潮流の拡⼤により、暗号通貨や NFT の種類は爆発的に増加した。しかし、Web 3 の思想は、ここに至り二重の皮肉に直面する。貨幣や芸術は「価値を信じる⼈」によってその価値が⽀えられている、という新たな Trust の皮肉。そして、民主化を目指したはずの暗号通貨や NFT アートは、Web 2.0 の PV 至上主義とは多少違ったかたちではあるものの、⼈を集めるゲームに加担せざるを得なくなっている、という皮肉だ。桂が用意した Web 3 についてのスライドタイトルは、「民主の時代」に取り消し線が引かれ「動員の時代」に訂正されていた。「結局、動員ゲームになっている」というのが、桂の問題提起である。
さらに、会場からの質問を受け付ける1時間を経たのち、東は、安達と桂にあらためて向き直った。「シラスは、趣味の人文プラットフォームで終わるわけにはいかない。2030年10月に、シラス10周年を祝わなければならない」。だから「お力を貸してください」と。それを受けた桂は、リリース日のことを振り返りながら、ゲンロンのような人文系の会社が動画プラットフォームを立ち上げたことについて「これは偉業である」と断言した。安達は、シラスという事業の信念に対する誇らしさ、視聴者がついてきてくれている事実を喜び、「それが偶然ではなく、時代の上に乗り、マーケットを踏まえてやっていることが楽しい」と微笑みを返した。3人それぞれが Web 2 + i を、人が人らしくいられるインターネットを本気で信じ、共闘していることが伝わる語りの「気配」に、会場には再びの大きな拍手が響き、イベントは幕を閉じた。(加藤めぐみ)