人間的な等価交換の復権へ──安達真×桂大介×東浩紀「シラスはウェブのなにをやりなおすのか」イベントレポート

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初出:2022年12月23日刊行『ゲンロンβ79』
 ゲンロンが生んだ放送プラットフォーム「シラス」は、2022年10月19日に2周年を迎えた。それを記念して10月27日に開かれたイベントが、安達真×桂大介×東浩紀「シラスはウェブのなにをやりなおすのか──エンジニアが語る開発の舞台裏2」である。
「2」とつくからには前段がある。「1」にあたるのは、ゲンロン友の会第12期総会内で開催され大好評を博した「シラスは SNS を超える?──エンジニアが語る開発の舞台裏」。約4時間にわたった「1」を超えるべく、入念に準備された本イベントは、なんと9時間を超える長編となった。その見どころを紹介したい。(ゲンロン編集部)
 

過去最大のスケールで語られるシラス



 今から2年前の2020年10月、YouTube やニコニコ動画といった大手プラットフォームが君臨する市場に、突如「シラス」(https://shirasu.io/)が登場した。「放送者のみなさんが『観客』をつくることを支援する、新しいタイプのコンテンツ配信プラットフォーム」と銘打った本サービスは、すべてのコンテンツが有料であるという特徴を持つ。そのかわり一切の広告は排除され、放送者もシラス自体も、ユーザーが支払う購読料によって運営を成り立たせている。本誌の読者の中にも、きっと「観客」は多くいるだろう。

 シラスの思想自体は過去にも熱く語られてきたが★1、今回のイベントは、なんといってもテーマの大きさが段違いだ。「シラスはウェブのなにをやりなおすのか」。シラスがどういった系譜のもとに成立したのかを、ウェブをめぐる思想史・経済史・技術史をまたぎながら紐解き、どのような「やりなおし」を目論んでいるのかを明らかにする。語り手はシラスの CTO で共同代表の桂大介と、開発を担う株式会社グルコース代表の安達真。聞き手はシラス創業者の東浩紀が務めた。

 
東浩紀

「お気楽な羊」化する労働者



 イベントは、東による「今の消費者は"売る相手"ではない」という問題提起によって幕を開けた。古典的なマルクス経済学によれば、かつての産業資本主義の時代には、資本家と消費者≒労働者が存在し、生産手段を持つ資本家が剰余労働を搾取する構造が成り立っていた。しかし、GAFA が牛耳る監視資本主義の時代、プラットフォームが相手にする顧客は広告を出稿する企業である。消費者(?)としての個人は、無料サービスを享受する裏側で、個人情報やウェブ上での行動情報を収集される。このとき彼らは労働者でもなければ、厳密な意味での消費者でもない。彼らはプラットフォームが顧客に提供する製品の、原材料を産出しているに過ぎないからだ。それをあえて産業資本主義の時代に置き換えるなら、餌を与えられて羊毛を産出する、お気楽な羊と同じ立場なのだと東はいう。ゆえに、搾取(?)に対する抵抗も運動も興すことができないのだ。この問題提起は、ショシャナ・ズボフ『監視資本主義』が下敷きとなっており、『ゲンロン13』の論考「訂正可能性の哲学2、あるいは新しい一般意志について(部分)」の第3章を読むことで理解を深めることができる。

 
東の発表資料より

ウェブの起源と独立の精神(Do It Yourself)



 では、なぜ GAFA の時代の「お気楽な羊」は生まれたのか。約9時間のイベントのうち、6時間以上を占めたのが、桂による「インターネットの経済史」というプレゼンだ。「作っているうちに楽しくなっちゃった」という力作の資料は、Web 1.0 から Web 3 までの流れとシラスが提唱する「Web 2+i」を網羅し、スライド53枚に及ぶ。桂は、ウェブの歴史を動かしてきた両輪は技術の進歩とビジネスモデルの進歩であるという視座から、その歴史をひもといていく。

 
桂大介

 

 まず、Web 1.0 は「フリーの時代」。「無料」と「自由」の意味が重ね合わされたこの言葉が、インターネットを貫く超重要なキーワードであると桂は言う。そして安達が補うところでは、このテーマは「自分たちが使うものを自分たちが作ってきたハッカー文化」に根ざしている。自分たちが新しいものを作るための土台がブラックボックスであったり、誰かに支配されたりしてはたまらないからだ。東は、その「自由に作る人」のフリーの思想が、インターネットの拡大に伴い「無料で享受するだけで作らない人」に敷衍されていったことで、先ほどの「お気楽な羊」に至る混乱が生まれたのではないと鋭く指摘した。そこで問われたのは次のような命題だ。「フリー(無料)はほんとうにフリー(自由)なのか?」。

 情報はフリーであるべきだという価値観は、インターネットの背骨となっている。また、Web 1.0 の時代には、技術的な問題としての課⾦設計の欠如もあいまって、コンテンツにカジュアルに課金をすることはできなかった。E コマースやフリーミアムモデルの商品も、大きな成功を収めることはなかった。そこに登場したのがリスティング広告(AdWords)である。検索エンジンで情報を探しているユーザーに対して、ダイレクトに親和性のある広告を宛てるビジネスモデルは、サービスの利用者と料金を支払うクライアントを分離させ、「無料」と「商売」の奇跡的な両⽴を実現させた。
 今のインターネットがこんなにも広告まみれになったのは、情報は無料であってほしいという利用者の強烈な欲望を技術が可能にしたゆえであると、桂は Web 1.0「フリーの時代」の解説を締めくくった。

 印象的だったのは、3人の議論の進め方だ。桂が何度も立ち戻ったスライドのタイトルは「ハッカー文化とヒッピー文化の習合」であった。東海岸からやってきた MIT のハッカー文化と、西海岸にもともとあったホール・アース・カタログ的ヒッピー文化がくっついて、今日まで続くカリフォルニアン・イデオロギーが生まれた。桂はカリフォルニアン・イデオロギーを、「反権威、マネーの忌避、Do It Yourself 、自由至上主義、コスモポリタン、トランスヒューマン」の6つのキーワードで整理する。するとすかさず東がカリフォルニアン・イデオロギーとリバタリアニズムの関連について語る。さらに安達が、Web 1.0 から Web 3 までを貫く思想を、時代として前に進めてきたさまざまな技術について、絶妙なタイミングで補足する。思想史については東が、技術の進歩については安達が解説を添え、議論は広くも深くも発展していった。その点が、この鼎談ならではの魅力だろう。3人はインターネットの歴史を縦横無尽に駆け抜けた。

Web 2.0──PV至上主義の幕開け


 続く Web 2.0 の章には「民主化の時代」というタイトルがつけられている。少数に限られていた情報発信の担い手が、SNS 文化・ブログ文化によって一般に開かれ、誰でも情報をパブリッシュできるようになったのがこの時代である。

 ここで、検索連動型広告 AdWords の成功が、検索エンジンの外へと応用された。個人のウェブサイトやブログなど、どのような場所にも任意に広告を貼りつけ、収益を得ることができるアドセンス広告(AdSense)がリリースされ、多くのウェブサイトの収益化を牽引した。コンテンツの読み手は無料で情報を得、そのかわりに広告を見せられる。メディアの運営者は広告によって収益を得る。AdSense の登場によって、PV(ページビュー)⾄上主義が幕を開けた。

 3人の議論がとくに盛り上がったのは、VC(ベンチャーキャピタル)による投資の加速に話が及んだときである。YouTube しかり、ビジネスとして成り立ち得ないはずの無料サービスが PV を稼ぎ出すと、将来のさらなる PV 拡大に期待して、VC が次々と資金を注入した。それによって、有料の細々とした「まっとうな」ビジネスモデルは淘汰され、無料-広告を軸とするサービスが覇権を握ることとなった。東は、無料を志向したがゆえに PV 至上主義になったのは、人類の歴史で繰り返されてきた皮肉の、大きな事例のひとつであると指摘する。民主主義の逆説や共産主義の逆説しかり、ユートピアを志向してできたディストピアの何例目かであって、哲学的歴史的に意味深いことが起きていたのだ、と。桂も、シリコンバレーの最大の過ちは「フリーの思想が広告を生み出したこと」であり、われわれは「羊になりたかった」のかもしれないとまとめた。

Post Trust? Web 3 はどこへ行くのか



 そして Web 3。桂によれば、Web 3 もこれまでのインターネット思想の流れを汲むものであるという。それは、フリー(無料)を求めるあまり、収益とプライバシーをビッグテックに明け渡した Web 2.0 の時代を反省し、あらためてフリー(自由)を取り戻そうとする民主化運動である、ということだ。隣で頷きつつ安達は、課金手段が AdSense しかなかったところに暗号通貨というものが登場し、これならばという技術的光明により機運が高まった背景について言葉を添えた。このパートでは、ブロックチェーン、DeFi 、NFT 、DAO など、最新のインターネットを席巻している思想および実装が簡潔に紹介されており、それだけでも一見の価値がある。なかでも議論が最も盛り上がったのは、Trust / Truth の見方についてである。

 イーサリアムの創設者、ギャビン・ウッドが提唱した"Less Trust, More Truth"(信頼ではなく真実を)の思想が紹介されたとき、東は大きく首を傾げた。Web 3 の中⼼的価値観は「透明」と「分散」にあり、Web 2.0 までの中央集権型サービスにおいて必要とされていた「信頼」を不完全なものとして斥ける。「ぼくは、信頼そのものが全面的によくないものだと思っています」というギャビン・ウッドの言葉は衝撃的だが、対する東の反論も「信頼は大事だ、よいものだ」という倫理的な価値観の話ではない。東が言うのは、"Less Trust, More Truth"という標語は、心理的現実における「解釈」の厄介さをスルーしているのではないか、ということだ。

 認識の世界に客観性はなく、人間はファクトやエビデンスを与えられても、いくらでもそれらを「読み替える」ことができる。たとえば、ある事件の現場が完璧に録画・録音されており、状況が非常に正確に再現できたとしても、そこには依然として解釈の余地が残る。加害者・被害者・観察者が、そこで起きた「真実」についての完全なコンセンサスを得ることは難しいだろう。東は、その解釈のレイヤーを安定化させるのが Trust であり、そのうえに成り立つ Truth もまた約束事でしかないと指摘した。絶対的な基準が人間社会の外にあるというのはまやかしで、真実は未来から再評価として与えられるものであり、その再評価も継続的に繰り返されていくという人文的な観点だ。

 興味深かったのは、安達が技術者の立場から、ここでの Trust は「ソースを信奉する世界観」なのではないか、と新たな視点を投げかけたことだ。サイエンスは現実を生で扱うことはせずにモデル化する。Web 3 の思想とは「現実をモデル化する解釈コードがオープンになっていて、それを皆が読める」という意味での Truth を信奉しているのではないか、と。

 
安達真

 
 Web 3 潮流の拡⼤により、暗号通貨や NFT の種類は爆発的に増加した。しかし、Web 3 の思想は、ここに至り二重の皮肉に直面する。貨幣や芸術は「価値を信じる⼈」によってその価値が⽀えられている、という新たな Trust の皮肉。そして、民主化を目指したはずの暗号通貨や NFT アートは、Web 2.0 の PV 至上主義とは多少違ったかたちではあるものの、⼈を集めるゲームに加担せざるを得なくなっている、という皮肉だ。桂が用意した Web 3 についてのスライドタイトルは、「民主の時代」に取り消し線が引かれ「動員の時代」に訂正されていた。「結局、動員ゲームになっている」というのが、桂の問題提起である。

 ところで、ブロックチェーン関連が Web 3 のメジャーな側面だとすれば、マイナーな側面には VR やメタバース、サイバースペース関連がある。桂は、サイバースペースの定義の重心を2種類に分け、それぞれ「ヘッドマウントディスプレイの世界」「リアルタイムの世界」として語った。シラスに関連するのは、主に後者だろう。サービス構想時のシラスには、実は動画をアップロードする機能が想定されていたが、運営を開始して2年、現在は生放送とそのアーカイブに振り切っている。そして、必要十分に断ち切られる Zoom ではなく、まして YouTube や TikTok で隆盛を極めるショート動画とはほど遠く、冗長性を含む長時間の放送を特徴とする。そこには、リアルタイムの世界ならではの人間的な「気配」が満ち、不思議なことに、その「他者存在のリアリティ」は、コンテンツがアーカイブになっても消えることがない。ぜひ、まずは本イベントの動画をアーカイブ視聴して、それを感じていただきたい。

シラスがやりなおすインターネット── Web 2 + i



 数十年を6時間に圧縮した「インターネットの経済史」、ハッカー文化とヒッピー文化の習合から今に至るフリーの思想の道程は、ついに現在地にたどり着いた。Web 1.0 は課金をまったく無視し、あるいは後回しにしてきた。Web 2.0 は広告を全面的に採用し、PV 至上主義・広告の世界のビジネスモデルを築いた。Web 3 は技術による自由への回帰と民主化を謳いながら、動員の社会に向かった。桂は、ここまでの議論を超高速に振り返り、「Web が間違っていたとは言わない。こうせざるをえなかったとも思う。しかし、無料と自由を比較したときに、僕らは無料をあまりに優先してきた。今、インディペンデントを考え直さなければならない」と総括した。

「自律的主体的な人間を志したのに、いつのまにか羊として飼われる運命になった」と、東は、冒頭のスライドを思い起こしながら語る。シラスは、当初のインターネットが真に望んでいた方角に向かうために、いくつかの分岐をたどり直す。安達・桂・東は、その方角を「Web 2 + i」と名付けた。ここが本イベントのクライマックスであり、会場には拍手が巻き起こった。以下が、2周年という節目において、あらためて語られたその思想である。

 
桂の発表資料より

必ずおとずれる10周年に向けて



 イベントはまだまだ終わらない。桂による「インターネットの経済史」を返し縫いしながら、安達は「シラスは何の上に立っているか」というプレゼンを披露した。2020年にシラスが誕生したのは、複数の技術の歴史が、奇跡的とも言えるタイミングで噛み合ったからである、ということが伝わってくる。Serverless 、動画、リアルタイム通信、認証、課金システム。安達オリジナルの技術年表は、情報系の学生には必見だろう。また、東と桂も負けじと、GAFA それぞれのスタンスや、多国籍企業と国家の関係に話を広げ、シラスの現在地を照らし出した。

 さらに、会場からの質問を受け付ける1時間を経たのち、東は、安達と桂にあらためて向き直った。「シラスは、趣味の人文プラットフォームで終わるわけにはいかない。2030年10月に、シラス10周年を祝わなければならない」。だから「お力を貸してください」と。それを受けた桂は、リリース日のことを振り返りながら、ゲンロンのような人文系の会社が動画プラットフォームを立ち上げたことについて「これは偉業である」と断言した。安達は、シラスという事業の信念に対する誇らしさ、視聴者がついてきてくれている事実を喜び、「それが偶然ではなく、時代の上に乗り、マーケットを踏まえてやっていることが楽しい」と微笑みを返した。3人それぞれが Web 2 + i を、人が人らしくいられるインターネットを本気で信じ、共闘していることが伝わる語りの「気配」に、会場には再びの大きな拍手が響き、イベントは幕を閉じた。(加藤めぐみ)

撮影=編集部

 シラスでは、2023年4月26日までアーカイブ動画を公開中です。また本レポートの公開にあわせ、イベント第1弾にあたる「シラスは SNS を超える?──エンジニアが語る開発の舞台裏」を再公開いたしました。こちらもあわせてご覧ください。


安達真×桂大介×東浩紀「シラスは SNS を超える?──エンジニアが語る開発の舞台裏」
(URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20221019
 
安達真×桂大介×東浩紀 「シラスはウェブのなにをやりなおすのか──エンジニアが語る開発の舞台裏2」
(URL= https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20221027

 


★1 サービスリリース当日のようすは「哲学者による社会運動としての動画配信プラットフォーム──さやわか×辻田真佐憲×東浩紀『シラスの未来、配信の未来、データの未来』イベントレポート」(URL= https://webgenron.com/articles/article20201027_02/)に、1周年の振り返りは桂大介×東浩紀「人間の顔が見える『シラス』 始動1年を振り返る」(URL= https://webgenron.com/articles/article20211228_01/)に、それぞれまとめられている。
 

加藤めぐみ

1989年生まれ。シラスの顧客担当スタッフ兼ゲンロンの編集。ふだんは別会社(Webメディア運営会社)にて会社員。
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