歴史的モーメントとしてのコロナ禍──新フーコー講義|石田英敬+東浩紀
初出:2021年3月25日刊行『ゲンロンβ59』
本対談のもととなったゲンロンカフェのトークイベント「フーコーで読むコロナ危機──生権力と統治性をめぐって」のアーカイブ動画が、Vimeoにで購入いただけます。記事とあわせてぜひご覧ください。(編集部)
コロナ禍は思想の転機か
東浩紀 今日は「フーコーで読むコロナ危機──生権力と統治性をめぐって」と題し、『新記号論』でおなじみの石田英敬先生をお迎えしてミシェル・フーコーについて講義をしていただきます[★1]。石田さん、今日はよろしくお願いします。
石田英敬 よろしくお願いします。
東 講義のテーマのひとつは「生権力」です。新型コロナウイルスの大流行で、フーコーが「生権力」という名のもとで指摘した、公衆衛生や医学を用いて市民の生活様式を管理する権力が世界的にたいへん強くなっています。ちょうど今日(2020年6月19日)、日本では接触確認アプリ「COCOA」の配信が開始されました。情報技術と結合した新たなタイプの生権力が世界的に広がっていますが、驚くべきことに知識人からほとんど反対の声が出ていません。
まずはこの状況をどうご覧になっていますか。
石田 コロナ禍にはいろいろなレベルの問題が混ざり非常に複雑なので、知識人のあいだでも論争が起こっていますよね。たとえばかつて心臓移植を受けているジャン゠リュック・ナンシーのように、自身の感染リスクが非常に高いひとは、いままでの言説とは異なることを述べています。コロナ禍の科学的評価について知識人も根本的な不確かさのなかに置かれたことが困惑を引き起こしたのだと思いますね。知識人って「なんでもわかるひと」って顔したがるものなんだけど、この案件についてなんでもわかるひとはいないってことになったので、どの思想的・政治的文脈に結びつこうとするかによってちがいが出た、ということなのではないかな。
東 ナンシーはコロナ禍下での生権力を肯定する立場、というより今回の現象を権力の拡大とみなすべきではないという立場ですね。ジョルジョ・アガンベンと論争も行なっています[★2]。
コロナ禍下でリベラル知識人が生権力の拡大をきちんと批判できなかったことは、いまでこそ止むをえないとみなされていますが、のちに禍根になるのではないかと考えています。ひとつ思い出すのは1990年代のコソボ空爆です。ユルゲン・ハーバーマスが空爆を批判できなかったことは、思想史的な事件として受け止められました。
石田 そうした思想家の姿だけではなく、ITと統治性がどうリンクするのかなど、フーコーが生権力という言葉で述べたことが現実にどう作用するかを見ることができました。その意味でコロナ禍は、いわばフーコーという天体を観測する絶好の機会、つまり「フーコー・モーメント」だと言えるでしょう。
たとえばフーコーに『狂気の歴史』(1961年)という本があります。この本は1656年の「大いなる閉じ込め」という出来事の記述から始まります。この年に一般施療院という施設が設立され、浮浪者や犯罪者や狂人を閉じ込めるようになりました。ひるがえって現在、人類の半数に及ぶ人口が外出禁止状態に置かれています。日本では「巣ごもり」や「自粛」という間接的な言葉で言い換えていますが……。
東 フーコーに言わせればそれは「閉じ込め」であると。
石田 そうです。つまりいま、人類の多くが「大いなる閉じ込め」を経験している。コロナ罹患者が増えた都市はロックダウンされ、住民が外出禁止になります。それだけではなく、家族のだれかが罹患すれば、家族全員がそれぞれの個室に閉じ込められてしまう。かつては狂人を閉じ込めていた病院が、いまでは都市全体に、そして個人の部屋にまで拡張されたわけです。あるいはテレワークも、実世界からオンライン上への閉じ込めだと捉えられるでしょう。
東 「オンラインへの閉じ込め」という表現自体がおもしろいですね。オンラインへ「閉じ込める」とはなにを意味するのか。いまはむしろ、オンラインが「開放」されたという見方もできそうです。
ジル・ドゥルーズが有名なフーコー論「追伸──管理社会について」(1990年)で指摘したように、そもそも権力は空間を区切ることと結びついていました[★3]。ドゥルーズは、新たな管理社会の権力を、空間へのアクセス権として捉えました。ところがコロナ禍では、実世界の閉鎖がオンラインの開放と表裏になっていて、逆にオンラインではさまざまなイベントや場所へのアクセス権が拡張している。
石田 このように考えるとコロナ禍は歴史的におもしろい事態です。生権力・生政治というフーコーの概念、それに関連する医学や統計学などの問題を観測することで、わたしたちの時代をエポケーする(立ち止まって考える)ことができるのではないでしょうか。
未完のフーコー
石田 それでは講義に入っていきましょう。今日はおもに、生権力を扱ったフーコーの晩年の講義録、1976年から1979年の『社会は防衛しなければならない』『安全・領土・人口』『生政治の誕生』を取り上げます。いまは絶版で価格が高騰しているようですが、それぞれ『ミシェル・フーコー講義集成』の一冊として、どれも邦訳されています[★4]。コロナ禍では人口を管理し、それを統計的に処理する風景が日常的に見られています。これは非常にフーコー的な問題です。
東 視聴者のためにすこし補足すると、フーコーは「生権力」や「生政治」といった概念について非常に魅力的なことを語っているのですが、残念ながら十分に展開できないまま亡くなっています。生権力と統計学の関係についても、それが重要だとあちこちで匂わせているものの、どのように重要なのかまでは書いていない。権力とはべつに「統治性」という新しいキーワードも提示しているのですが、これも明確な定義をしていません。今回扱う3冊の講義録を読みなおし、たいへんもどかしい気持ちになりました。
石田 フーコーは「権力とはなにか」という問題をずっと考えていて、統治性はその延長にある概念です。だから統治性を知るためには、まず権力について知らなければいけない。国家権力に限らず、権力はいたるところで働いていると考えるのがフーコーの前提です。そうした権力をどのように差配し、治めるのか。その技術として統治性という概念が登場しました。
とはいえフーコー自身がどれぐらいその概念をまとめていたかというと、おっしゃるとおり限界がありました。そこで残された問題を考えてきたのが、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートや、アガンベンです。いまではビッグネームとなった彼らも、フーコーの議論をかなり援用して自身の理論をつくっています。
東 つまり、フーコーが生権力や統治性といった明確な概念を提示していて、それを「応用」してコロナ禍を明確に分析できる、という状態ではない。むしろコロナ禍の経験に照らして、フーコーが残した概念をいかに継承し、発展させることができるのかを考えなければならない。
石田 そうです、この講義でそこまで行けるかはわかりませんが(笑)。
まずはおもな著作を確認しつつ、フーコーの経歴を振り返りましょう。フーコーは1926年に生まれて、1984年にエイズで亡くなっています。死後40年近く経っているにもかかわらず、思想界ではまだ現役と言えます。Nグラムビューワーという、グーグルがデジタル化した図書全体に、ある単語がどれくらいの割合で含まれているかを調べられるサービスがあります。そこで哲学者の名前の含有率をグラフにしてみると、「フーコー Foucault」の含有率は大陸哲学のなかで最も多かった。1990年ごろにハイデガーを抜いています【図1】。
東 そのタイミングはわかる気がします。すぐあとの1991年に、フーコーの講義とインタビューをまとめた『フーコー・エフェクト』がアメリカで出版されていますね[★5]。そこらへんからフーコーが、文学理論や芸術理論のひととしてではなく、権力分析の思想家として注目され始める。
ぼくは1993年に大学院に進むのですが、日本でも90年代半ばにフーコーの受容が大きく変わったことを覚えています。
石田 著書としてはまず1961年に、彼の博士論文である『狂気の歴史』が出版されています。フーコーの先生はヘーゲル学者のジャン・イポリットで、博士論文の審査教授には、科学哲学で有名なジョルジュ・カンギレムや、精神分析学者のダニエル・ラガーシュ、歴史学者のフィリップ・アリエスとフェルナン・ブローデルがいました。なかでもカンギレムは非常に重要で、フーコーは彼から「規範」や「正常」というテーマを受け継いでいます。
そのあとに『臨床医学の誕生』(1963年)など何冊かの本を書きます。有名なのは1966年に発表された『言葉と物』です。今日扱う講義録とは10年以上離れているのですが、この時点で主題は大きく変わっていないことがわかります。1969年には『知の考古学』が出版されます。
東 『知の考古学』はいまの日本ではあまり読まれていないようですが、重要な本だと思います。文系/理系という分け方が粗雑なのを承知で言えば、この本でフーコーは文系の学問がなにをするのか、つまり人文科学の基礎づけを考えたと思うんです。大学のグローバル化のなか「文系的な知」への信頼が急速に衰えているいまだからこそ、こうした議論は注目されていい。
この本では「考古学」という言葉が使われています。いっけん神秘的ですが、フーコーが言っていることはシンプルです。たとえば昔の「狂気」と現在の「狂気」では指し示しているものがちがう。言葉そのものには実体がない。だから「狂気」について考えるためには、それが現在の意味を持つようになった知の環境(エピステーメー)、それ全体の誕生をあわせて考えなくてはいけない。このように、ある概念や言説を成立させる空間自体の歴史を記述することが「考古学」なのだと、フーコーは言います。
現代はこの考古学がない時代です。20年前の発言を現代の基準で問いただし、それが正義だといった単純な告発に溢れている。歴史がすべて「現在の基準」に回収されてしまういまの状況への疑いとして、フーコーの言う考古学の視点は不可欠です。
石田 そうですね。「考古学」、フランス語の「アルケオロジー archéologie」の語は「アルケー ἀρχή」(始まり、原理)というギリシャ語に由来していて、アーカイヴを意味するフランス語「アルシーヴ archives」も同じ語源につらなる言葉です。フーコーはこのふたつの意味を完全に意識してこの語を使っていて、アルケオロジーは考古学だけではなく、アーカイヴ学の意味でもあるのですね。インターネットのように日々刻々と万有アーカイヴが更新されつづけているいまの世界で、そうした「普遍的アーカイヴ」(これもフーコーの用語ですが)に依拠するような批判的思考が逆に見えなくなってきていることは大きな問題です。
これは単純化した言い方かもしれないけれど、いまのフランス哲学がフーコーのようなポスト構造主義の考え方を受け継がずに、分析哲学に歩調をあわせたのは残念ですね。言表の問題を命題の真理値の問題に切り詰めて考える態度にはフーコーは終始批判的でしたからね。チョムスキーによって言語学の数理化が起こったのと同じで、哲学の人文科学からの切り離しと論理学化が起こったのです。
東 石田さんは『知の考古学』の草稿を研究し、フーコーの構想のメディア論的な解釈を提示する論文も書かれていますね[★6]。あれは刺激的でした。
石田 ありがとうございます。ちょうどサバティカルに行ったとき『知の考古学』草稿が図書館に収められたとフーコーの伴侶だったダニエル・ドフェール氏に聞き、一番に見ることができました。フーコーは推敲のひとで、ひとつの本を書くときに、まずはなにも参照せずに書き、つぎにそれに対して自分で反駁をし、そして文献にあたるという書き方をしているんです。5年くらいのスパンで大きな仕事をして、草稿は大体捨ててしまう。『知の考古学』のつぎの大きな本は6年後、1975年に刊行された『監獄の誕生』(仏語原著では『監視と処罰 Surveiller et punir』がタイトルで、「監獄の誕生 Naissance de la prison」は副題)です。
そこから見ると、翌年の1976年に『性の歴史』の第1巻が出版されたのは異例のスピードでした。しかし『性の歴史』の第2巻は、1984年の、彼が亡くなる2週間前に出版されることになる。結果的に8年のブランクが空いてしまったわけです。
主権権力と生権力
石田 フーコーがコレージュ・ド・フランスで講義を始めたのは1970年で、そこから14年にわたって講義を続けます。コレージュ・ド・フランスはフランスで最も権威ある学校で、歴史的にはルネッサンスの時代から続いています。その一方で、だれでも講義を聞きに行ってよいというカルチャーセンターのような不思議な場所でもある。そこで行われた生政治や統治性についての彼の講義について、これからお話ししていきます。
石田英敬
1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。
東浩紀
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。