展評――尖端から末端をめぐって(9)「表現者は街に潜伏している。それはあなたのことであり、わたしのことでもある。」展について|梅津庸一

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初出:2020年02月28日刊行『ゲンロンβ46』
 美術・アートとはいったい何か? そして表現者とはいったい、誰のことを指すのだろうか。また、その表現の受け手とは誰なのか?  今回は昨年の11月30日から12月8日までパープルームギャラリー★1で開催された「表現者は街に潜伏している。それはあなたのことであり、わたしのことでもある。」展を取り上げる。パープルームギャラリーはわたしが主宰する共同体のパープルームが運営するギャラリーであり、本展はわたし自身が企画した展覧会なので、本稿は厳密には展評ではない。しかしこの場を借りてどうしても紹介したいと思った。というのも、本展は冒頭で述べた、わたしが美術家として活動する上でずっと気にかかってきた問題とダイレクトに向き合った展覧会だからだ。  とても小さな企画ではあったが、展覧会が終わったあとも自問自答が続いている。本稿の中でこの問題をきれいな落とし所や結論に導くことはとうてい不可能だろう。それでも現時点での報告書として記しておきたい。  わたしはこれまで一貫して、美術や絵画が生起する地点に強い関心を持って活動してきた。美術作品が物理的あるいは原理的に成立する諸条件、さらに作品を規定する制度や環境について、作品の内側と外側から検証し、問い直してきたつもりだ。その根底にあるのは美術や絵画、あるいは「表現すること」への強い執着と、同じくらいの疑念である。これまでわたしは、日本の近代洋画黎明期の作品(たとえば、黒田清輝の《智・感・情》★2)を自作に憑依させようと試みたり、パープルーム予備校という私塾を主宰し美術大学を出ていない人を積極的に招き入れ一緒に活動したりしてきた。それもみな美術の制度や表現を自明のものとしてはいけないという強いオブセッションのためなのである。わたしにとって美術は、必ずしも自分が伝えたいことや表現したいことと親和性が高いわけではない。いや、もしかするとはじめからそんな表現衝動や動機などないのかもしれない。しかし、このようなひとりの美術家の身も蓋もない実存の悩みを発端として、美術そのもののありようや存在意義の中心に少しでもにじり寄ることはできないだろうか。そこから誰もが共有可能な大きな問題へとつなげられないだろうか。

 本展は、主に相模原を拠点に活動する60代後半から80代半ばのシニア世代の作家5人による絵画展だ。彼ら・彼女らは戦後の日本、そして相模原の移り変わりとともに歩んできた世代である。普段は公民館の絵画サークルや絵画教室、もしくは自宅で制作をしているアマチュア画家だ。わたしは美術館に併設された市民ギャラリーや公共施設でよく行われているアマチュア画家の展覧会をここ10年くらい継続的に見てきた。と言っても特定の地域のうちのほんの一部に過ぎないが。  わたしのような制度内の「プロの美術家」がアマチュアの作家を取り上げるという試みからは、かつてパブロ・ピカソがアンリ・ルソーを見出したことや★3、ジャン・デュビュッフェが従来の西洋美術の伝統的規範を否定し、アール・ブリュット(生の芸術)を提唱したこと、それから柳宗悦が無名の職人たちの日用品に「用の美」を見出し、民芸運動を推進したこと★4などがすぐさま想起されるだろう。もちろん、これらの事例の中に、制度内の美術家による周縁の作家への搾取の構造が含まれていることは否定できない。わたし自身もこの構造を縮小再生産してしまうかもしれないし、周囲からそう見なされる危険性もある。それでもわたしがこの展覧会の開催に踏み切ったのには理由がある。
 今日、現代アートについて語ることはとても難しい。それは現代アートというジャンルが難解だからではない。現代アートという形式は、ずいぶん前に伝統的な絵画、彫刻といった区分けから解放され、作品のコンセプトや行為、出来事に主戦場が移っている。次々に生まれる新しい潮流と旧勢力が同時に存在する現代アートの世界では、辻褄を合わせるため、多様性や多元性を謳うことになった。その結果、様々な価値観や形式を包括するショッピングモールのような概念になってしまったのだ。もちろん、これまで素晴らしい作品や出来事がたくさん生まれてきたが、同時に新たな問題を抱え込むことになったのである。それはつまり、全体を把握することが不可能なほど膨張した現代アートが、様々な価値観や理念で駆動する多数のクラスタがなんとなく軒を連ねるだけのたんなるプラットフォームになってしまったということだ。

 このような状況下で、作品をジャッジし批評する基準はますます曖昧になっている。それによって、以前にも増して人間力や人間関係が強く反映される場になってしまったのではないだろうか。作品の内容(コンテント)ではなく、どのクラスタの誰がどこで何を表明したかという主張や「対話」が重要視される例も散見される。美術館の企画展や芸術祭に同じような顔ぶれの作家が繰り返し登場することも、無関係ではないだろう。アーティストが、「一芸に秀でた存在」というよりむしろ、時流を読んで取り入れる順応性や、業界内での立ち回りやポジション取りの能力に特化した、いわばバラエティタレントやひな壇芸人のような存在に限りなく接近していると感じることもある。つまりアーティストが持つ専門性の定義が、従来の「職人的な技術」からアートワールドに参加するための「通行手形」のようなものに移行しているように思えるのだ。美術大学出身ではない者を「独学」と強調する習慣は依然として残っているが、美大卒あるいは一部のコネクションを持つ作家たちが独学の作家と違う点は、結局のところ業界をサバイブするための「通行手形」や「コツ」を持っているかどうかに過ぎないのではないか。制度内にいる「わたしたち」は、自らのアートシーン(既得権益)を守るためにほとんど無自覚に外部からの参入を制限し、抑圧するシステムを構築してきたのかもしれない。

 本展のステートメントから一部抜粋する。


「この狭い日本のアートシーンの中で」という声をたびたび耳にします。しかしながらこの「アートシーン」とは、はたして一体どこからどこまでを指しているのでしょうか? WHOの2018年の統計では日本の人口は約1億2774万人、世界で10番目となっています。ちなみに、日本が近代美術の制度を輸入したフランスは現在、約6699万人です。日本という国では印象派や若冲の展覧会を開催すれば何十万人という観客が押し寄せます。つまり美術・アートに高い関心を持っている国だと言えます。それにも関わらず、日本のアートシーンが狭いというのであれば、それは「わたしたち」がある特定の狭い領域にしかアートシーンを見出していないということを意味しているのではないでしょうか。


 新聞社が協賛しているブロックバスター展★5のような取り組みの是非はともかく、美術館や芸術祭の観客の中にはかなりの数の潜在的な表現者(アマチュア・独学の作家)が含まれていることは忘れてはならないだろう。多様性や多元性を謳ってきた「現代アート」は、作品の題材としては様々な立場の人を積極的に扱うが、それはあくまでも作品の対象に過ぎない。作品をつくる表現者は全く多様ではないのだ。美術に限らず多くの分野で、アマチュアとプロフェッショナルの線引きは明確な数値や基準で決められるものではなく、様々な都合と条件が絡んでくる。また、絵画教室の講師は団体公募展系★6の作家であることが多く、その意味では教室に通うアマチュア作家が既存の美術史から完全に切り離されているとは言い切れない。しかし、彼ら・彼女らは美術館の企画展に呼ばれることもなければ、芸術祭の出展作家リストに入ることもない。著名な作家の作品と比べて、全く引けをとらないものを作っていたのだとしても、である。



 本展で取り上げたのは、相模原市民ギャラリー★7で開催された「さがみ美術展」や「相模原市民文化祭」★8に出品していた作家たちの作品である。両展はともに戦後間もない頃から続いていて、洋画と日本画という区分が設けられている。会場にはぎっしりと隙間なく150点もの作品が展示されていた。出展者は定年後、あるいは子育てがひと段落してから絵を描き始める人が多く、60代から80代のシニア世代が大半を占めている。画題は人物、風景、静物など明確に分類できる作品がほとんどだ。一見、ここに展示されていた作品は戦後の前衛美術や現代アートとは関係ないようである。実際にていねいに見ていくと必ずしもそうではないのだが、とはいえこれらの洋画や日本画が、現代アートの領域で発表される絵画とは違った原理で描かれているのは事実だ。主題や様式のレベルで両者を比較すれば、前者は趣味的で牧歌的なローコンテクストなもの、後者は美術史や同時代の動向にも目配せの利いたハイコンテクストなものだと捉えることができるだろう。

 しかし、本当にそれでよいのだろうか。美術史のなかで絵画は次々と展開し発展してきたが、現在は周縁に追いやられている。これはほかでもなく、現代の絵画が同時代の動向や事情(コンテクスト)に目配せするばかりで、内容(コンテント)を置き去りにしてしまったからではないのか。わたしたちは、そもそも絵を描くとはどういうことなのかよくわからないまま、判断保留と忘却を繰り返しながら今日まできてしまったのではないだろうか。この問題意識は本展と直接つながっている。本展の開催を決めた一番の理由は、ほかでもなく相模原市民ギャラリーで見た作品がとてつもなく素晴らしいと感じたからだ。だが、この「素晴らしさ」とはいったいなんだろうか。いまの美術や現代アートは、1枚の絵から発せられるこの極めてシンプルな問いにすら応答できないのではないか。美術は必ずしも過去の事例を刷新できていないどころか、この根本的な問い自体も置き去りにしてきたのではないだろうか。わたしは、これからの活動を通じて、あまりに本質的なためにともすると見過ごされがちであったこの問題に応答していきたいと思う。本展はその決意表明でもあった。

 わたしは10代後半から相模原近郊に住んでいるので、もうかれこれ20年もこの地域に住んでいることになる。相模原は典型的な郊外の衛星都市だ。大きな工場や倉庫が立ち並び、物流の通過点として国道16号線をトラックが絶え間なく走っている。治安もそれほど良いわけではない。街並みから文化的なものをまるで感じない荒涼とした街という認識だった。しかしこんな相模原にも信じられないほど多くの「表現者」が潜伏していたのだ。いや、彼ら・彼女らからすれば潜伏していたのはこちらの方だ。実際、わたしが主宰するパープルーム予備校のすぐ近くにも何人もの絵描きが住んでいることがわかった。本展によって今まで意識してこなかった隣人たちが、実は自分たちの仕事と密接に関係していることに気づかされたのである。彼ら・彼女らと対話する中でもたいへん興味深いできごとが多々あったのだが、ここではその詳細は省略する。それでは、パープルームギャラリーに出品された作品をいくつか見ていこう。
 
【図1】兼田なか 《運河沿いの倉庫》 キャンバスに油彩 60.6×72.7cm
 

 兼田なか(1935年生まれ、千葉県出身)による《運河沿いの倉庫》は夫と旅行した小樽で撮った写真をもとにした風景画だという。一見、素朴でごく普通のありふれた風景画だ。上手いとも下手とも言い難い手つきである。実際、わたしは相模原市民文化祭の会期5日間のうち4日も通ったのだが、わたしは最初、この絵の前を素通りしていたのである。そして最終日になってようやくこの作品の真価に気づかされたのだった。まず目をひいたのは水面に映り込む建物の「あらわれ」である。兼田はたんに水の表面を描いているのではない。まず天地逆さまに建物を描き、その後風景のジオラマの水辺に透明なレジンを流し込むような要領で、そこに運河を仕上げているのである。いや、実際に絵画の画面上でそんなことはできない。そう見えるように描いていることにただ驚かされる。兼田は不透明な絵の具を用いながら異様に澄みきった水面も抵抗感のある建物の壁も等価に生み出し、ガチガチとした堅牢さと淀んだゼリーのような柔らかさをあわせ持つ絵肌を生み出す。それは矩形の画面の隅々までぴっちりと続いており、画面のどこを見ても同じ解像度と強度を持っている。つまり、どこまでもクリアで見通しが良い空間の質を、伝統的な絵画のセオリーや技術をことごとく避けながら達成しているのだ。現代の画家の多くは、作品内に歴代の画家たちが試みてきた様々な様式や方法論をサンプリングしながらも、自らのタッチやジェスチャーに僅かな固有性を忍び込ませようとしたり、絵画のレイヤー構造を敢えて見せることで、描かれたイメージに固執していないことをことさら強調したがる傾向にある。しかし兼田はそんなゲームには参加しない。この作品をじっと見ていると、まるでこれが絵画であることを忘れてしまいそうな感覚に見舞われる。まるで、画面の中で永遠に時が止まっているかのようだ。そしてそれは、おそらく絵画という形式が本来的に永続性を志向してきたということと無関係ではないだろう。兼田は自分の様式や作家固有の特徴をわかりやすくアピールすることをよしとしない。油絵というメディウムを徹底的に内面化した上で、度を超えた実直さで描ききっているのである。
 
【図2】宮崎洋子 《多摩の森》 キャンバスに油彩 60.6×72.7cm
 

 宮崎洋子(1951年生まれ、神奈川県出身)による《多摩の森》は、多摩の公園を描いた風景画だろうか。木立の間からは民家らしい建物が確認できる。並木道の地面に落ちた木々の影はのっぺりとした色彩の帯を形成し、鑑賞者の視線をジグザグと画面の右奥に誘う。木々の際の随所にキャンバス地が確認できることから、この作品がいかに手早く、そして少ない手数で計画的に仕上げられているのかが伺える。軽快だがどこかよそよそしく、即興的でありながらなんらかの法則性に従って冷静に、時にぞんざいに配されている。画面に近づいて見ていくと、タッチの1つ1つの単位が造形の1単位であることに気づかされる。そんな特徴から、いやおうなくポール・セザンヌやモーリス・ド・ヴラマンクが脳裏に浮かぶ。そしてこのタッチは図像のディテールの再現描写に貢献しないばかりか、印象派のような光学的な秩序とも距離をとっていることがわかる。色彩は目で見た風景の固有色を起点にしながらも、作品内で設定された色彩設計に準じている。木々に日光が当たっている部分には不透明で彩度の高いオレンジが採用されており、暗い色調で描かれた木々のパートにはプルシャンブルーのような透明度の高い染料系の絵の具が用いられている。のちに作家本人から聞いて驚いたのだが、この作品は宮崎にとって2枚目の油絵らしい。さらに宮崎はセザンヌを知らなかったのである。むろん、美術館や図版でなんとなく見ていた可能性は高いが。セザンヌのような、わたしたちが普段から見たり言及したりする大きな固有名が優れた画家であったことは疑いようもない。しかし、実はセザンヌ級の精度の演算を有した水準の作品は、わたしたちの知らないところでしばしば誕生しているかもしれないのである。それも、もしかしたら全国の市町村ごとに数人くらいの割合で……というのは大げさな考えだろうか。宮崎はパープルーム予備校の近所にある公民館の絵画サークルで活動している。
 
【図3】内田一子 《ローソクのある静物》 キャンバスに油彩 45.5×53.0cm
 

 内田一子(1947年生まれ、東京都出身)による《ローソクのある静物》は遠目で見るとオーソドックスで親しみやすいありふれた卓上静物の作品のようである。マルーンの背景、『セサミストリート』に登場するクッキーモンスターのような鮮やかな青のヒトデ型のもの、青みがかった紫の巾着、真っ赤なキャンドルなど、モチーフの持つ色の再現性を超えて見る者の心理を刺激するようなシチュエーションを作り出す色のあしらい方に息を飲む。さらに、この小ぶりのキャンバスにはとてつもない情報量がぎゅっと詰まっているのである。内田が描いた静物のモチーフは、レリーフのような起伏を生み出している。そしてそれぞれのモチーフごとに違うテクスチャーが付与されているが、さらに目を凝らすとより広大な表面積を有していることがわかる。それはたんに絵の具が凹凸のある絵肌を形成しているだけではなく、軽石の表面のような多孔質の複雑な表面をかたちづくっているのだ。油絵の具は鉱物や土や染料を油で練って作られるが、それらの物質が結合し新しい化合物が生まれる様子を拡大し再現しているかのようだ。内田の作品の上ではそんなことが起こっている。
 

【図4】内田一子《ローソクのある静物》拡大画像
 
【図5】續橋仁子 《カッパドキアに魅せられて》 キャンバスに油彩 116.7×91.0cm
 

 續橋仁子(1934年生まれ、神奈川県出身)による《カッパドキアに魅せられて》は平べったい書き割りのような構造を重ねることで演劇の舞台のような空間を作り出している。画中の人物は鑑賞者には気づいておらず自らの役割を演じることに没頭しているように見える。絵の具をオイルやテレピンで薄く溶いた溶液が画面上を流れることで、襞のようなベールの層が画面の手前に向かって幾重も重なっていく。續橋は絵画の平面性に極めて自覚的であるため、作品に最小限のボリュームや奥行きしか与えない。画面の左端にいる男の手は当初もう少し下の方に描かれていたが、修正され描き直されていることが確認できる。續橋は描きのログを意図的に残すことで、鑑賞者にこの作品がどのように生成されたのかを追体験させるのである。現代舞踊に取り組み、保健体育の教員でもあった續橋にとって絵画制作とは、身体の行為と、絵の具の流れの偶然性がキャンバスを舞台に絡み合いながら上演されるパフォーマンスでもある。とはいえ、この上演と追体験によって、作品の組成や主題になっているトルコのカッパドキアのことが理解できるわけではない。画中では間違いなく何かが物語られているが、その物語の真相が明かされることはない。これは物語によって理解するのではなく、主題を覆う琥珀のような面を眺め認識する場であり、時間なのかもしれない。



 絵画というメディウムは美術史と密接に関わってきたが、むろん、歴史や同時代の動向といったコンテクストに規定されない領域でも作品は生成されるのである。今回取り上げた彼ら・彼女らの作品は、この事実を再確認させてくれるだけでなく、既存の制度やコンテクストの外部には驚くほど豊かな可能性が秘められていることを教えてくれる。今後わたしは、彼ら・彼女らと一緒に制作し、展覧会を組織する予定だ。たとえば、この春に日本橋三越本店で計画している展覧会「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」では、物故作家や現代アートの作家など様々なクラスタの作品と一緒に展示される予定だ。しかし、ただ一緒に展示するだけでは表面的に多様性を賛美するだけのオフ会になってしまうだろう。ほかにも、彼ら・彼女らの活動する公民館の絵画サークルに参加するなど、試行錯誤していきたいと思う。

 絵画における知的探求は、必ずしも抽象や幾何学に還元したり、なにがしかの理論や歴史上の大きな固有名に紐づけたりする必要はないのかもしれない。一方で彼ら・彼女らの作品が正当に「評価」されることになれば現在のアートシーンは根底から様変わりするだろうし、美術史も大幅に書き換える必要が出てくるだろう。その時、わたしに美術家と名乗る余地はあるのだろうか。正直に言えば、そんな地殻変動は絶対に起き得ないとわたしは思っている。それこそがわたしを暫定的に「美術家」の位置に留まらせているのである。

撮影・図版提供=パープルームギャラリー


★1 パープルームが運営するギャラリー 。パープルームの拠点であるパープルーム予備校の階下にある。月に1回のペースで展覧会を開催し、展覧会冊子も発行。パープルームはもともと近所の住人からあやしい集団だと思われていたふしがあり、かなりの頻度で警察に通報されていたが、ギャラリーを運営し始めてから一切、通報されなくなった。ギャラリー運営によって近隣住民に相模原の街の一部として認められたのだ。
★2 黒田清輝の代表作。1897年、第2回白馬会展に《智・感・情》の題で出品した3部作。のち、3画面とも加筆され明治33年パリ万博に《裸婦習作》として出品される。わたしはこれを下敷きに自画像《智・感・情・A》(2012-14年)を制作した。現在このシリーズの続編として《フル・フロンタル》を制作中。この作品は《智・感・情》にあらたに8点追加し、全11点組みの巨大な作品になる予定。カードゲームのブースターパックや『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』の作中に登場するX-78GP03 ガンダム試作3号機デンドロビウムから着想を得ている。
★3 税関に長年、勤務したあと制作に専念するために退職。ピカソやゴーギャンなどごく少数の画家に認められるも、広く評価されることはなかった。グランマ・モーゼスやアンドレ・ボーシャンなどと並び「素朴派」と分類されてきた。
★4 「用の美」を発見した柳宗悦の中にもオリエンタリズムや「中央と周縁」といったフレームが存在していたことがたびたび指摘される。
★5 新聞社などが協賛についた大規模な展覧会。テレビCMや街中の大きなポスターなど、様々な場所で大々的に広報が展開され、数十万人という観客が訪れる。海外から名品を借りる際の経費を賄える一方で、会場が鑑賞に適さないほど混雑するというデメリットも。
★6 日展をはじめとする審査のある大きな美術団体。団体展の審査をする会員はそれぞれ多くの生徒を持っていることが多く、百貨店などで開催される展覧会では生徒が講師を買い支えることも珍しくない。
★7 JR相模原駅の駅ビル、セレオ相模原の4階にあり市民の創作活動の成果を発表する場。基本的に会場費を払って使用する。駅に隣接しているため、電車で作品を搬入する利用者をよく見かける。
★8 戦後間もないころから継続している市民の美術の団体。講師による講評会も行われることもある。わたしが見学した講評会は数回に過ぎないが、いずれの回もその内容はきわめてオーソドックスで当たり障りのないものだった。しかし講師の保守性によって逆に作品の多様性が守られている側面もあるのかもしれない。
 

梅津庸一

1982年山形生まれ。美術家、パープルーム主宰。美術、絵画が生起する地点に関心を抱く。日本の近代洋画の黎明期の作品を自らに憑依させた自画像、自身のパフォーマンスを記録した映像作品、自宅で20歳前後の生徒5名と共に制作/共同生活を営む私塾「パープルーム予備校」の運営、「パープルームギャラリー」の運営、展覧会の企画、テキストの執筆など活動は多岐にわたる。主な展覧会に『梅津庸一個展 ポリネーター』(2021年、ワタリウム美術館)、『未遂の花粉』(2017年、愛知県美術館)。作品論集に『ラムからマトン』(アートダイバー)。作品集『梅津庸一作品集 ポリネーター』(美術出版社)今春刊行予定。
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