「表面」を収集する――『新写真論』刊行直前インタビュー|大山顕
初出:2020年2月28日刊行『ゲンロンβ46』
ゲンロン叢書005『新写真論』が3月24日より全国書店にて発売されます。その刊行を記念し、著者の大山顕さんに同書についてお話をうかがいました。「スマホによってカメラは完成した」という言葉の意味や、執筆に至るまでのご本人の活動、このさきの展望まで、『新写真論』をより楽しむためのトピックが満載です。だれもが高性能のカメラを持ち、いい作品を撮れるスマホの時代に、「写真」と「写真家」の意味はどう変わるのか。必読のインタビューをお届けします。(編集部)
谷頭和希(編集部) ゲンロンではこの三月に、ゲンロン叢書005『新写真論』を刊行予定です。同書は本誌『ゲンロンβ』の連載「スマホの写真論」(第13‐40号掲載)をもとにしています。本日は著者である大山顕さんをお迎えし、その魅力を探ります。大山さん、よろしくお願いします。
大山顕 よろしくお願いします。
スマホが写真をまともにした
谷頭 インタビューにあたり「スマホの写真論」を読みなおしました。切り口は斬新でありつつ、テーマそのものは写真論として古典的とも言えるものであることに驚きました。 大山 そうですね。扱っている話題は遠近法や旅行写真、あるいは子どもの顔写真など、オーソドックスなテーマです。読み返して自分でも驚きました。 谷頭 『新写真論』では、そうした古典的なテーマがスマートフォンによって変容したと書かれています。具体的にはどのような変化があったのでしょう。 大山 まず機材の取り扱いが圧倒的に楽になりました。ぼくはカメラマンですが、機材についてそれほど詳しくないんです。しかしカメラ好きのひとと話していると、みんなほんとうによくカメラの勉強をしている。彼らはカメラを使って新しい視点を得ることではなく、カメラそのものに興味あるんです。もちろんいい機材を持っているのですが、被写体は尾瀬の水芭蕉だったりする。 谷頭 みんなが撮るものをよりきれいに撮るために、機材について学んでいる。 大山 一方ぼくは機材も最低限のものしか持っていないし、「いいレンズが欲しい」という欲もまったくありません。『新写真論』でも書いていますが、人々が機材にこだわっていたのは、カメラを上手く操作できるようになることが快感だったからだと思います。なにを撮るか以前にきれいに写真を撮ることに興味がある。上手くカメラが扱えることを証明するために、だれかがきれいに撮ったものを同じように撮ることに価値があった。しかしスマホの登場以降は状況が変わりました。ぼくはかつての「カメラはむずかしい」という認識は、絶対にまちがったものだったと主張しています。 谷頭 カメラがむずかしかった時代には、作品としての写真そのものより、機材であるカメラが議論の中心になっていたということでしょうか。 大山 そうです。その認識が当たり前だったので、世の写真論には「写真はむずかしい、お金がかかる、たくさん撮れない」という暗黙の前提があります。しかしスマホ以降、ようやくカメラが「まとも」になったとぼくは考えているんです。大衆化からここ100年ぐらいのこれまでのカメラは、非常に未熟なものだった。 谷頭 カメラが未熟とはどのような状態を指すのでしょう。大山 たとえば写真よりずっと歴史が長い絵画や彫刻は、機材や道具によって作品の評価が左右されることはないですよね。しかし、おそらく絵画もキャンバスや油彩が出てきた当時は、最近までの写真と似た状況があったと思うんです。つまり「優れた発色の絵具が登場し、使い方は慣れていないけれどいいものが描ける」というような評価がされていた時代です。しかし長い歴史を経たことで、絵画ではさまざまな道具がさまざまなひとによって試されてきた。だからいま、絵を描こうとして絵具を一から作るひとは――一部の日本画などを除けば――ほとんどいないですよね。一方、写真はつい最近までそういうことをしていた。そんなイメージです。
谷頭 写真はメディアとして若いので、言説のなかで道具が前面に出すぎていたということでしょうか。
大山 そうです。その状態で写真を批評しようにも、あまり深さが出ない。
谷頭 ではスマホの登場によって、道具の制約にとらわれずに「写真とはなにか」が問える環境になったのでしょうか。
大山 このインタビューの結論はそこに帰着すると思います。カメラは操作がややこしく技術が必要だったために、写真そのものの評論がしづらくなっていた。しかしスマホによってだれでも思ったとおりに写真が撮れるようになり、ようやく「写真とはなにか」を考えられるようになり、ほんとうの意味で「写真論」が書けるようになった。それはここ数年のことだと思います。『新写真論』はそうしたことを論じた本です。
大山 以上がぼくの写真観ですが、多くのカメラマンはこの変化を認めたがらないと思います。すこし前まで、カメラマンがカメラマンを名乗っていたのは、彼らのカメラを扱う技術がなかなか持てるものではなかったからです。「カメラはむずかしい」からこそ技術に価値があり、そのことが彼らを「プロ」たらしめていた。
谷頭 ではカメラがまともになった時代に、「カメラマン」の定義はどのように変わるのでしょうか。
大山 『新写真論』でも書いていますが、ひとつは「その場にいる権利」だと思います。現在すでに、その場にいて撮影を許されたひとが「プロ」と呼ばれている状態です。たとえば、報道カメラマンは腕章をつけて事故現場などを撮影する権利を持っている。かつてカメラの操作がむずかしかった時代は、現場に重い機材を持っていくのはふつうできることではなかった。だから価値がありました。
しかし現在では被害者がスマホカメラを持っていることもありますよね。もっとも典型的だったのは、2014年の御嶽山噴火による火山災害です。何人かの犠牲者の携帯電話には噴火の写真が残っていて、撮影したために逃げ遅れたのではないかとも言われています[★1]。あの事件が象徴するように、現場にいるひとがカメラを持っていれば、報道カメラマンが駆けつける意味はなくなってしまう。だから現在では「その場にいる権利」という定義さえ危うい。
谷頭 一般人が撮影した動画を報道番組が使う例も増えてきました。
大山 被害者や現場の近くにいるひとが撮影する場合はもちろん、現在では監視カメラもいたるところにあります。いまいちばん注目されているのは車載カメラです。テレビなどで映される交通事故の映像は、ほとんどが車載カメラのものになっています。
谷頭 もはや「撮影者」の存在さえ必要ではなくなっている。
大山 ぼくが「カメラがまともになる」と呼んでいる状況が徹底化すると、現場に駆けつけることに重きを置いていたプロのカメラマンは必要ないことになる。とはいえ、理念的にはそう言えても、じっさいには「その場にいる」カメラマンが必要とされる状態はまだ続くとは思います。
もうひとつのプロのあり方として、ぼくが『新写真論』を書いたから言うわけではないですが、「写真とはなにかを語るひと」という考え方もあると思います。あらゆるジャンルにおける「作家」は、そのジャンルとはなにかをつねに語ってきた。写真もまた、「写真とはなにか」ということを問われつづけています。
だからこそ、写真におけるプロとアマチュアを分ける明確なちがいは、写真とはなにかを語るひとか否かという、ジャンルをめぐる言論の問題になっていく。撮影行為がいくら簡単になろうが「写真論」はなくならない。写真のプロと名乗るひとは、むしろいままで以上に言葉を鍛えることが必要とされる。
もちろん、「写真とはなにか」という問いに完璧な答えを出すことはできないでしょう。けれどもつねにそれを考えて言葉にする必要がある。
谷頭 写真はメディアとして若いので、言説のなかで道具が前面に出すぎていたということでしょうか。
大山 そうです。その状態で写真を批評しようにも、あまり深さが出ない。
谷頭 ではスマホの登場によって、道具の制約にとらわれずに「写真とはなにか」が問える環境になったのでしょうか。
大山 このインタビューの結論はそこに帰着すると思います。カメラは操作がややこしく技術が必要だったために、写真そのものの評論がしづらくなっていた。しかしスマホによってだれでも思ったとおりに写真が撮れるようになり、ようやく「写真とはなにか」を考えられるようになり、ほんとうの意味で「写真論」が書けるようになった。それはここ数年のことだと思います。『新写真論』はそうしたことを論じた本です。
技術、権利、言論のプロ
大山 以上がぼくの写真観ですが、多くのカメラマンはこの変化を認めたがらないと思います。すこし前まで、カメラマンがカメラマンを名乗っていたのは、彼らのカメラを扱う技術がなかなか持てるものではなかったからです。「カメラはむずかしい」からこそ技術に価値があり、そのことが彼らを「プロ」たらしめていた。
谷頭 ではカメラがまともになった時代に、「カメラマン」の定義はどのように変わるのでしょうか。
大山 『新写真論』でも書いていますが、ひとつは「その場にいる権利」だと思います。現在すでに、その場にいて撮影を許されたひとが「プロ」と呼ばれている状態です。たとえば、報道カメラマンは腕章をつけて事故現場などを撮影する権利を持っている。かつてカメラの操作がむずかしかった時代は、現場に重い機材を持っていくのはふつうできることではなかった。だから価値がありました。
しかし現在では被害者がスマホカメラを持っていることもありますよね。もっとも典型的だったのは、2014年の御嶽山噴火による火山災害です。何人かの犠牲者の携帯電話には噴火の写真が残っていて、撮影したために逃げ遅れたのではないかとも言われています[★1]。あの事件が象徴するように、現場にいるひとがカメラを持っていれば、報道カメラマンが駆けつける意味はなくなってしまう。だから現在では「その場にいる権利」という定義さえ危うい。
谷頭 一般人が撮影した動画を報道番組が使う例も増えてきました。
大山 被害者や現場の近くにいるひとが撮影する場合はもちろん、現在では監視カメラもいたるところにあります。いまいちばん注目されているのは車載カメラです。テレビなどで映される交通事故の映像は、ほとんどが車載カメラのものになっています。
谷頭 もはや「撮影者」の存在さえ必要ではなくなっている。
大山 ぼくが「カメラがまともになる」と呼んでいる状況が徹底化すると、現場に駆けつけることに重きを置いていたプロのカメラマンは必要ないことになる。とはいえ、理念的にはそう言えても、じっさいには「その場にいる」カメラマンが必要とされる状態はまだ続くとは思います。
もうひとつのプロのあり方として、ぼくが『新写真論』を書いたから言うわけではないですが、「写真とはなにかを語るひと」という考え方もあると思います。あらゆるジャンルにおける「作家」は、そのジャンルとはなにかをつねに語ってきた。写真もまた、「写真とはなにか」ということを問われつづけています。
だからこそ、写真におけるプロとアマチュアを分ける明確なちがいは、写真とはなにかを語るひとか否かという、ジャンルをめぐる言論の問題になっていく。撮影行為がいくら簡単になろうが「写真論」はなくならない。写真のプロと名乗るひとは、むしろいままで以上に言葉を鍛えることが必要とされる。
もちろん、「写真とはなにか」という問いに完璧な答えを出すことはできないでしょう。けれどもつねにそれを考えて言葉にする必要がある。
谷頭 スマホ以前には機材や撮影技術が重要だったのに対し、スマホ以降のカメラマンは「写真論のプロ」でなければならないのですね。
大山 まさにそうです。スマホ以前は、技術さえあれば写真とはなにかを語らなくても済んでしまう状態だったんです。今後はそうはいかなくなると思います。つまり「写真」というジャンルが技術から独立し成熟するのにともなって、プロの写真家もようやく成熟するんじゃないかと考えているわけです。
大山 そうした作品を撮っていきたいですね。『新写真論』で書ききれなかったテーマに「現像」があります。白髭東アパートを撮影した作品はまさに「現像」の賜物ですが、これは昔の現像とすこし意味合いがちがい、ポストプロダクション全般を指しています。簡単に言えば、できた写真を合成したり、つないだりして写真を制作することがいまの時代における「現像」だとぼくは考えているんです。 撮影とは表面をセンサーで感知するようなものです。これはかつてのカメラでもそうでした。それを画像に出力する操作を「現像」と呼ぶのなら、写真の合成やつぎはぎも「現像」に含まれる。その手法はいくつでも取りえるので、そのバリエーションについて写真家として考えたいと思っています。ただ、「現像」というテーマは『新写真論』では言語化できなかったので、まずは写真作品で答えていこうと考えています。 これに関係してぼくが最近興味を持っているのは、イラストレーターが用いるフォトバッシュという技法です。素材となる写真を合成し、フィルターにかけ、もとの写真と異なる風景を作り出す方法のことで、たとえば自転車の写真を合成して加工し、廃墟の風景を作ったりできる。従来の写真家なら「それは写真ではない」と否定するかもしれませんが、これもぼくの考えでは「現像」です。ぼくがじっさいにフォトバッシュを作るかは別として、現像行為を拡大解釈する仕事を今後やってみたいと思います。それこそ写真家の重要な仕事だとぼくは考えているんです。
谷頭 フォトバッシュ以外にはどのような「現像」があるとお考えですか。
大山 最近のフォトグラメトリーのように、さまざまな角度から撮影した写真をもとに作る、360度回転させてスマホ上で見ることのできる3D画像がありますよね。あれは写真だと思うし、現像のひとつだと考えています。 フォトバッシュやフォトグラメトリーを写真だと言うと、あらゆるものが写真じゃないか、という反応があると思います。でもぼくはいまのところ、「表面を撮るもの」という定義で写真を捉えています。凹凸のある事物の表面だけをスキャンしてそれを画像にする、それが写真を写真たらしめているのではないか。
「現像」の写真論
谷頭 大山さん自身はプロとして、今後どのような活動を展開されるのでしょう。『新写真論』の副題は「スマホと顔」ですが、被写体としてひとの顔を撮ることはあるでしょうか。 大山 撮らないですね。 谷頭 ではやはり、今後も建造物を中心に撮影されるのでしょうか。先日行われた『TOKYO2021』展で、大山さんは白鬚東アパートの、全長七mに及ぶ巨大なパノラマ写真を出展されていました[★2]。ふつうのカメラでは撮影できないこうした写真を撮ることも、写真家が今後担う役割になっていくと感じました。大山 そうした作品を撮っていきたいですね。『新写真論』で書ききれなかったテーマに「現像」があります。白髭東アパートを撮影した作品はまさに「現像」の賜物ですが、これは昔の現像とすこし意味合いがちがい、ポストプロダクション全般を指しています。簡単に言えば、できた写真を合成したり、つないだりして写真を制作することがいまの時代における「現像」だとぼくは考えているんです。 撮影とは表面をセンサーで感知するようなものです。これはかつてのカメラでもそうでした。それを画像に出力する操作を「現像」と呼ぶのなら、写真の合成やつぎはぎも「現像」に含まれる。その手法はいくつでも取りえるので、そのバリエーションについて写真家として考えたいと思っています。ただ、「現像」というテーマは『新写真論』では言語化できなかったので、まずは写真作品で答えていこうと考えています。 これに関係してぼくが最近興味を持っているのは、イラストレーターが用いるフォトバッシュという技法です。素材となる写真を合成し、フィルターにかけ、もとの写真と異なる風景を作り出す方法のことで、たとえば自転車の写真を合成して加工し、廃墟の風景を作ったりできる。従来の写真家なら「それは写真ではない」と否定するかもしれませんが、これもぼくの考えでは「現像」です。ぼくがじっさいにフォトバッシュを作るかは別として、現像行為を拡大解釈する仕事を今後やってみたいと思います。それこそ写真家の重要な仕事だとぼくは考えているんです。
谷頭 フォトバッシュ以外にはどのような「現像」があるとお考えですか。
大山 最近のフォトグラメトリーのように、さまざまな角度から撮影した写真をもとに作る、360度回転させてスマホ上で見ることのできる3D画像がありますよね。あれは写真だと思うし、現像のひとつだと考えています。 フォトバッシュやフォトグラメトリーを写真だと言うと、あらゆるものが写真じゃないか、という反応があると思います。でもぼくはいまのところ、「表面を撮るもの」という定義で写真を捉えています。凹凸のある事物の表面だけをスキャンしてそれを画像にする、それが写真を写真たらしめているのではないか。
写真集『立体交差』の刊行記念イベントをやったときにランドスケープ・アーキテクトの石川初さんにこのことを言ったら、石川さんから、じゃあ「表面でないもの」とはなにかあるのか、と尋ねられました[★3]。いまその質問に答えるなら、建築の図面は表面ではないですね。あれは構造や素材などに関することが描かれている二次元図像で、表面についてだけの情報ではない。その意味で写真とは対極にあります。
つまり二次元のものがすべて写真かといえば、まったくそうではない。あいかわらず写真でないものもたくさんあります。たとえばテキストも表面ではない。テキストから受け取るのはそこに書かれているなにかであり、私たちは字面そのものを受け取るわけではない。それに対して写真はどこまでも表面であり、「現像」によってその表面性が拡張できるようになった。いまはその行為がおもしろいと思っています。
大山顕と写真の出会い
谷頭 『新写真論』で大山さんは、大学時代、建築図面を用いた3D把握に苦手意識があり、「平面」である写真に惹かれカメラマンを志した、と書かれていました。ここからは写真家としての大山さん自身について、さらにお話をうかがえればと思います。大学以前から写真に興味を持たれていたのでしょうか。 大山 ぼくの世代だと父親がそれなりにいいカメラを持っていることが多かった。本書でも触れましたが、かつてカメラが父親の趣味として一般的だった時代がありました。ぼくも中高生ぐらいのときにそれを借りていじってみた、というのが最初にカメラに触れた記憶です。とはいえ写真にとりたてて興味があったわけではなく、旅行のときにカメラを持っていって撮る程度でした。当時はまだフィルムの時代で、現像するにもお金がかかりましたから。 谷頭 では写真に興味を持ち始めたのは大学時代の経験が大きいのでしょうか。 大山 そうですね。ぼくが大学で師事した先生は、ジョン・ジャーディ[★4]の事務所でデザインとプランニングをしていた人物でした。マスタープランの作り方を叩き込まれ、その一環として頻繁にフィールドワークを行なったんです。商業施設を作るという課題で現地を取材するというフィールドワークでしたが、その後の授業での発表では、現地での発見でいかに友人を驚かせるかの勝負になりがちでした(笑)。それが楽しかったんですね。 たとえば、幕張メッセ周辺の街を対象に、あらたな商業施設のプランニングとひとを呼ぶためのプログラムを提案せよ、という課題がありました。これに対するある友人の調査と提案がふるっていました。詳細な調査結果、幕張新都心に張り巡らされたペデストリアンデッキがおどろくほど長く、あの街のほとんどのビルに接続していることに気が付いた彼は、それを一八ホールに見立て、道路に降りることなくすべてまわれるゴルフ場を提案したんです。あれにはやられたと思いましたね。まあ、それで集客がほんとうにできるのかは疑問ですけど。 谷頭 大喜利のようになっていたんですね。 大山 結果的にぼくは都市計画よりも、現地での発見のほうがおもしろくなってしまった。絵が描けるひとはイラストでプレゼンしていたし、図面が引けるひとは図面を描いていました。でも、ぼくは両方ともできなかったので、必然的に写真を使ってプレゼンをすることになった。そこで写真を使うことのおもしろさに気づき、それ以来写真を撮り始めました。 谷頭 『工場萌え』(2007年)や『団地の見究』(2008年)のように、団地や工場を撮り始めたのはいつからでしょう。
大山 いまの話の延長線上ですが、卒業制作の課題が、街をつくる提案をするものでした。ぼくは当時の川崎製鉄(現・JFE)の工場跡地[★5]を選び、工場の構造物をそのまま活かした街の可能性を提案しました。その課題のために写真を撮るなかで、工場写真のおもしろさに気づき、課題以外でも工場の写真を本格的に撮り始めたんです。当時の先生が褒めてくれたこともそれを後押ししました。
団地も同様です。いろんな場所へフィールドワークすると必ず団地があり、そのおもしろさに気づいて、フィールドワークとは別に真剣に団地を撮り始めたという経緯です。
活動を「言語化」する
谷頭 写真への興味も団地や工場への興味も、フィールドワークから始まったということですね。大山さんは幅広い媒体で執筆活動をされていますが、なかでも「デイリーポータルZ」で書かれている「路上観察系」の記事は、まさにフィールドワークだと思います[★6]。こうした活動と『新写真論』にはどのような連続性があるのでしょうか? 大山 なかなかむずかしい質問です。デイリーポータルZで執筆を始めたのは2004年です。当時ぼくは、写真家や写真愛好者の持つ独特の雰囲気がいやでした。もうすこし写真をポップに発信したいと思って記事を書き始め、現在に至っています。 とはいえ、かつてはそうしたわかりやすいおもしろさ、ポップさが必要だと考えていたのですが、いまはそれだけでもいられないと思っています。もちろんそうした活動も続けていきますが、もっと別のかたちで言ってみたいことがあるし、見せたいものもある。 たとえばぼくがデイリーポータルZで書き始めたころ、工場はとにかくマイナスイメージが強かった。危険で汚くて、景観も悪いとされていました。職場としてもたいへんだし、公害問題もありました。でも、ぼくは船橋の準工業地域で育っていたので、工場のある風景に愛着があり、それもおもしろいんじゃないかと思っていました。その考えを広めるという点で、当時のやり方はまちがっていなかったし、実を結んでもいます。いまは工場好きがたくさんいて、逆にふつうのことのようになりましたよね。でもそうなると今度は「いや、ほんとうにそれでいいのか」と思ってしまう。ぼくも歳を取った(笑)。 谷頭 公害などの問題が忘却されてしまっているような印象も受けますね。 大山 現在の工場写真は「工場夜景を撮影すること」に変わってしまい、写真で撮ることそのものが楽しまれるようになりました。要するに、フォトジェニックであり、スペクタクルである、という側面だけが一般に流布してしまったんです。自分がけしかけたこととはいえ、忸怩たる思いがあります。 谷頭 工場そのものではなく「工場夜景」に惹かれてしまうことは、カメラ愛好者がみんなと同じようにきれいなものを撮りたがる、ということとも関係するように思います。 大山 そこに『新写真論』との連続性があるのだと思います。工場写真が夜景写真として普及してしまったことは、ぼくにとって予想外でした。だからこそ「写真とはなにか」とあらためて考えたいと思い、『新写真論』を書きました。いわば『新写真論』は工場写真に対する落とし前なんです。 落とし前といえば、ぼくがデイリーポータルZでやってきたことは「路上観察」あるいは「VOW」[★7]のようだと括られてしまうのですが、そう簡単に同一視されていいのだろうか、という思いもあります。自分たちがやってきたことを言語化し、位置づけてこなかったから、そのようにカテゴライズされてしまった。そう考えていたときにちょうどゲンロンと関わるようになり、言葉にする機会を得たんです。つまりぼくは、自分がやってきたさまざまな活動の総括を始めた。『新写真論』はその第一歩です。写真、移動、見るということ
谷頭 今後は『新写真論』のように、路上観察の活動についても語りなおしていく予定があるのでしょうか。
大山 そうですね。特にぼくがやっていることで「路上観察」と括られているものに関しては、別の名前を与えたい。壮大な夢ではありますが、自分がやってきたことが、赤瀬川原平の路上観察学会や、それ以前の今和次郎の考現学の流れにどう位置づけられるのかを明確にしたいと思っています[★8]。
谷頭 最近大山さんが書かれた「腰巻きビルと向き合う」を読み、たんに路上での発見をおもしろがるだけでなく、その向こう側にあるより原理的なシステムについて言及されていると感じました[★9]。
大山 路上で見かけたものがなんなのか、論理的に飛躍しているかもしれないけれど、より原理的な文脈に結びつけて書くようにしています。そこにメンションしてくれるひとはあまりいないですが、『新写真論』の試みと同じ問題意識があります。
谷頭 赤瀬川の名前が出ましたが、彼が「超芸術トマソン」を発表したのは『写真時代』というカメラ雑誌でした。今和次郎もスケッチを描いています。考現学的な系譜と記録メディアとはどう関連するのでしょう。
大山 スケッチにしろ写真にしろ、「見え方」を記録しているわけですよね。ある景観がどのように見えているのか、その表面を図像として集めるというやり方はずっと一緒です。ぼくが気になるのは、なぜそのやり方が普遍的なのかということです。あるいは、普遍的だと思っているだけの可能性はないのか。
日本の路上観察の系譜を辿っていくと、江戸時代の喜田川守貞という商人が路上観察学のようなことをやっていた『守貞謾稿』に突き当たります[★10]。その商人は、膨大な数の看板や門をひたすらスケッチして集めていた。彼はもともと難波にいたのですが、仕事の都合で江戸詰めになり、それから江戸の街のスケッチを始めた。彼はもしカメラがあったら、絶対に江戸の街を撮っていたと思います。ここで重要なのは彼が都市を移動する経験をしていることです。
谷頭 江戸へ移動することで新しい視点を得たんですね。
大山 路上観察学や考現学に携わっていた人々と現代に生きるぼくたちの大きなちがいは、移動距離にあると思います。鉄道を使う頻度がちがうし、一回の移動距離もまったくちがう。その容易さが路上観察の質を変化させたのではないか。ぼくは移動が非常に重要だと思っています。
そう言えば、「地理人」こと今和泉隆行さんや地図研究家の今尾恵介さんは、なぜか日野などの西東京の土地にゆかりがある。これはぼくの仮説では、彼らが毎日都心まで、かなりの長距離を移動しているからです。そこで車窓風景をよく見ていることが、彼らの地形への興味や街を見る視点を生んだのではないか。つまりここにも「移動」が関係しているわけです。
谷頭 大山さん自身の関心も移動から生まれたのでしょうか。
大山 その価値観をかたちづくったのは、じつは、父親との散歩なんです。といっても自転車を使っていたので会話ができない(笑)。しかも家から進むとすぐに工業地帯に入るから、自ずと工場や倉庫街を、黙々と眺めて走っていた。親子が自転車に乗りながら、無言でそういう場所をとおる。それが毎週のように続き、楽しかったんですよね。そのせいで、ぼくはいまでも街をぶらつくのはおもしろいと思っているし、どんな街でもおもしろい見方があるんだと考えるようになりました。
谷頭 まさに路上観察的な視点の萌芽ですね。
大山 小学生から中学生ぐらいまで、かなり長くやっていました。その後、自転車でふらふらするのはひとりでもやるようになったし、いまでもやっています。
谷頭 そうした、ただひたすら無言で「見る」という経験が大学でのフィールドワークで思い出されたのかもしれない。
大山 そうですね。『新写真論』の副題は「スマホと顔」となっていますが、移動や旅、写真の位置情報などについても多く論じています。特に書き下ろしの「はじめに」では徒歩による移動と写真の相性の良さについて書いています。
最後にエピソードですが、そもそもこの本のもとになった「スマホの写真論」は『ゲンロンβ』での月一回連載で、毎回ネタをひねり出すのがけっこうたいへんだったんですね。それがどうにか書けたの自体、散歩のおかげです。行き詰まって近所を散歩したら良いアイディアを思いついた、ということが何回もありました。そういう意味でも、この本は「移動」と深く関係しています。
谷頭 『新写真論』を貫く「見る」ことへの関心の源泉が、今日のお話でよくわかりました。これからのお仕事に期待しています。本日はありがとうございました。
2019年12月27日 東京、ゲンロンオフィス
構成・撮影=編集部
★1 「御嶽山噴火:頭部や首に噴石、即死20人…検視の医師」、『毎日新聞』(電子版)二〇一四年一〇月一〇日。現在記事は削除されているが、下記のアーカイブサイトから閲覧できる。URL= https://web.archive.org/web/20141013025636/http://mainichi.jp/select/news/20141010k0000m040138000c.html
★2 『TOKYO2021』は二〇一九年八月から一〇月に戸田建設本社ビルで行われたアートイベント。建築展と美術展が会期を分けて行われ、大山は黒瀬陽平のキュレーションによる美術展「慰霊のエンジニアリング」に参加。横幅七メートルを超える「白鬚東アパート」全景のパノラマ写真を出展した。
★3 ゲンロンカフェで二〇一九年五月二三日に開催された「大山顕のすべて――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウンイベント」のこと。登壇者は大山顕、石川初、速水健朗、東浩紀。 現在イベント動画はvimeoにて視聴できる。URL= https://vimeo.com/ondemand/genron20190523
★4 アメリカの建築家。南カリフォルニア大学にて建築を学び、設計事務所ジャーディ・パートナーシップを設立。生涯で数多くのショッピングモールや商業施設を手がけ、日本では六本木ヒルズやキャナルシティ博多などの設計を担当した。
★5 千葉市の蘇我に立地していた川崎製鉄千葉製鉄所を指す。現在はJFEスチール東日本製鉄所、蘇我スポーツ公園、ショッピングセンターなどに再開発されている。
★6 大山はポータルサイト「デイリーポータルZ」にて工場や土木工事現場、路上で見つけたふしぎな事物などについて記事を寄せている。大山の著者ページは以下。URL= https://dailyportalz.jp/writer/kijilist/148
★7 宝島社が発行する『宝島』に掲載されていた、読者が街で見つけた変わった看板などの写真を投稿するコーナーおよび、それらをまとめた同名の単行本シリーズ。現在では同社の『sweet』で連載が続けられている。
★8 今和次郎は大正時代の民俗学研究者。柳田國男のもとで学び、現代の生活風俗を観察し研究する「考現学」を提唱。全国を調査し、観察による膨大なスケッチを残した。 美術家の赤瀬川原平は一九七〇年代に、「トマソン」(不動産に付随した無用の長物を示す造語)の収集を開始。八〇年代にはふつう景観とはみなされない風景を観察する「路上観察学会」を発足させた。メンバーとして建築家・建築史家の藤森照信、博物学者の荒俣宏らが参加。その成果は一九八六年の『路上観察学入門』などの書籍にまとめられている。
★9 「腰巻きビルと向き合う」、『デイリーポータルZ』、二〇一九年七月一九日。URL= https://dailyportalz.jp/kiji/koshimaki_building
★10 『守貞謾稿』は、江戸時代後期に喜多川守貞が著した全三五巻からなる百科事典。簡略な日本史や身分制度の解説から、当時の風俗・事物に至るまでのあらゆる事柄が詳細なスケッチとともに説明されている。
★1 「御嶽山噴火:頭部や首に噴石、即死20人…検視の医師」、『毎日新聞』(電子版)二〇一四年一〇月一〇日。現在記事は削除されているが、下記のアーカイブサイトから閲覧できる。URL= https://web.archive.org/web/20141013025636/http://mainichi.jp/select/news/20141010k0000m040138000c.html
★2 『TOKYO2021』は二〇一九年八月から一〇月に戸田建設本社ビルで行われたアートイベント。建築展と美術展が会期を分けて行われ、大山は黒瀬陽平のキュレーションによる美術展「慰霊のエンジニアリング」に参加。横幅七メートルを超える「白鬚東アパート」全景のパノラマ写真を出展した。
★3 ゲンロンカフェで二〇一九年五月二三日に開催された「大山顕のすべて――『立体交差』刊行記念&『スマホの写真論』単行本化カウントダウンイベント」のこと。登壇者は大山顕、石川初、速水健朗、東浩紀。 現在イベント動画はvimeoにて視聴できる。URL= https://vimeo.com/ondemand/genron20190523
★4 アメリカの建築家。南カリフォルニア大学にて建築を学び、設計事務所ジャーディ・パートナーシップを設立。生涯で数多くのショッピングモールや商業施設を手がけ、日本では六本木ヒルズやキャナルシティ博多などの設計を担当した。
★5 千葉市の蘇我に立地していた川崎製鉄千葉製鉄所を指す。現在はJFEスチール東日本製鉄所、蘇我スポーツ公園、ショッピングセンターなどに再開発されている。
★6 大山はポータルサイト「デイリーポータルZ」にて工場や土木工事現場、路上で見つけたふしぎな事物などについて記事を寄せている。大山の著者ページは以下。URL= https://dailyportalz.jp/writer/kijilist/148
★7 宝島社が発行する『宝島』に掲載されていた、読者が街で見つけた変わった看板などの写真を投稿するコーナーおよび、それらをまとめた同名の単行本シリーズ。現在では同社の『sweet』で連載が続けられている。
★8 今和次郎は大正時代の民俗学研究者。柳田國男のもとで学び、現代の生活風俗を観察し研究する「考現学」を提唱。全国を調査し、観察による膨大なスケッチを残した。 美術家の赤瀬川原平は一九七〇年代に、「トマソン」(不動産に付随した無用の長物を示す造語)の収集を開始。八〇年代にはふつう景観とはみなされない風景を観察する「路上観察学会」を発足させた。メンバーとして建築家・建築史家の藤森照信、博物学者の荒俣宏らが参加。その成果は一九八六年の『路上観察学入門』などの書籍にまとめられている。
★9 「腰巻きビルと向き合う」、『デイリーポータルZ』、二〇一九年七月一九日。URL= https://dailyportalz.jp/kiji/koshimaki_building
★10 『守貞謾稿』は、江戸時代後期に喜多川守貞が著した全三五巻からなる百科事典。簡略な日本史や身分制度の解説から、当時の風俗・事物に至るまでのあらゆる事柄が詳細なスケッチとともに説明されている。
「顔」と「指」から読み解くスマホ時代の写真論
ゲンロン叢書|005
『新写真論──スマホと顔』大山顕 著
¥2,640(税込)|四六判・並製|本体320頁(カラーグラビア8頁)|2020/3/24刊行
大山顕
1972年生まれ。写真家/ライター。工業地域を遊び場として育つ・千葉大学工学部卒後、松下電器株式会社(現 Panasonic)に入社。シンクタンク部門に10年間勤めた後、写真家として独立。執筆、イベント主催など多様な活動を行っている。主な著書に『工場萌え』(石井哲との共著、東京書籍)『団地の見究』(東京書籍)、『ショッピングモールから考える』(東浩紀との共著、幻冬舎新書)、『立体交差』(本の雑誌社)など。2020年に『新写真論 スマホと顔』(ゲンロン叢書)を刊行。