【ZEN大学共同講座】マンガの持つ力、キャラの伝えるメッセージ 幸村誠×佐渡島庸平「暴力の物語を終わらせる」イベントレポート

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webゲンロン 2026年1月28日配信

 2025年12月8日、ZEN大学とゲンロンの共同公開講座の第17弾として、20年にわたる連載を経て完結した歴史大河マンガ『ヴィンランド・サガ』を語り尽くすイベントが行われた。登壇したのは作者である幸村誠と、編集者の佐渡島庸平の両氏。ときに凄惨な暴力や戦争を描いてきた『ヴィンランド・サガ』はどこから着想され、そしてどこに辿り着いたのか。同作を入り口に、幸村の驚くべきマンガ制作論やマンガ観、その反戦争へのアツい想いが一挙に明らかになる、またとないイベントとなった。

幸村誠×佐渡島庸平 暴力の物語を終わらせる──『ヴィンランド・サガ』20年の答え
URL=https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20261208

『ヴィンランド・サガ』はどのようにして生まれたのか

 中世北ヨーロッパのヴァイキングの生き様をありありと描き出した『ヴィンランド・サガ』。この傑作はいったいどのようにして、どんなインスピレーションがあって生まれたのだろう。作者のなかには最初から、結末までの明確なイメージがあったのではないか──20年の連載を読み返してそう思うほど、『ヴィンランド・サガ』の1巻は完璧だったと佐渡島は言う。

 じっさい幸村のなかには、主人公トルフィンが最後にはかならずこうなる、というビジョンは、連載当初からあったそうだ。しかし、幸村が連載開始まえに当時の担当に語った言葉は、意外なものだった。なんと「『赤毛のアン』みたいな作品がやりたい」と言っていたというのだ。これには担当も「『赤毛のアン』では売れない、『北斗の拳』みたいなのをやってくれ!」と悲鳴を上げたという。

 だが「『赤毛のアン』みたいな作品」というイメージは、『ヴィンランド・サガ』にも活きている。『赤毛のアン』はバトルやアクションが中心の物語ではない。だから「これを倒せば終了」というわかりやすいラスボスはいないが、にもかかわらず、一気読みしてしまうほどおもしろい。そんな『赤毛のアン』的なおもしろさを、幸村はアクション優勢の少年マンガという枠組みのなかで追求し、見事に描ききったのだ。

幸村誠流マンガ制作の極意

 そのために幸村が大事にしたのは、取材だ。幸村は『ヴィンランド・サガ』の重要な舞台になる、カナダのプリンス・エドワード島をじっさいに訪れ、さらにはその際の動画までYouTubeにアップしている★1。『ヴィンランド・サガ』のリアリティは、丹念な取材や資料の読み込みの賜物なのだ──というより、「取材をしないで書くのは心臓に悪い!」のだと幸村は冗談交じりに語った。

 そしてそのリアリティは同時に、もちろん巧みなキャラ造形の賜物でもある。魅力的なキャラクターたちを、幸村はどのようにストーリーに配置していったのだろうか。幸村の手法は、次のような不思議なものだった。──自分はマンガで繰り広げるストーリーのカメラマンであり脚本家、キャラたちは演者。ある演者を無理やり際立たせようとすると、ほかの演者とかみ合わなくなってしまう。だから、演者全員の意見を協議して、みんなが納得する脚本でストーリーを進めていく……まるでキャラが生きているみたいだ!

 キャラの動かし方のコツはたったひとつ。登場人物たちに強制しないこと。自分のやりたいことを無理やりキャラに押しつけようとすると、たちまち不自然でぎこちないストーリーになってしまう。だから、かならずそれぞれのキャラの言い分に耳を傾ける。そうすると、自然にストーリーは流れていくのだそうだ。

 どういうふうにしたら、そんなにキャラと真剣に向き合えるのだろう。佐渡島がそう訊くと、幸村はすこし戸惑いつつ、「じつは、頭の中にいろいろな人がいて、彼らとよく会話しているんですよ」と話した。彼らはときとして、小言をいってきたりもするのだ、と。それはもしかしたら、「イマジナリーフレンド」のようなものかもしれない。

 佐渡島の経験では、幸村のようなマンガ家はとてもめずらしい。佐渡島が編集者として出会ってきたマンガ家には、「イマジナリーフレンド」からキャラを生み出すひとは少なくない。しかしそうしたマンガ家の多くは往々にしてキャラへの愛がつよいため、アニメや映画など他のメディアに翻案されると、「解釈」の齟齬で揉めたりすることが頻繁にあるという。しかし、幸村はそうではない。アニメ化も順調に進み、海外でも人気を博している。

佐渡島は、なぜ自分のキャラが翻案されることを受け容れられるのかと問いかける。この質問に幸村は「自分の友だち(=キャラ)は自分の友だちであって、それを他人に強制することはできない」とすっぱり断言する。これには数々の作家と向き合ってきたベテラン編集者の佐渡島も驚いた様子だった。キャラたちとの絆は、友人として対話することを通して深まっていくのだ。

 そんな幸村の信条は「わかりやすさを大切にすること」。マンガは伝わるかどうかがすべてで、「これはいったいなに描いてるの?」と読者に思われてしまったら失敗なのだそう。だから幸村は、マンガの骨格である「右上から左下にむかって進行する」というルールを厳守する。基本に忠実に、わかりやすく、伝わるように描くこと。これが幸村誠流のマンガ制作の極意なのだ。

『ヴィンランド・サガ』が伝えるメッセージ

 『ヴィンランド・サガ』は「暴力」という主題を真正面から描ききったマンガである。血の流れる場面もあれば、ときには目を背けたくなるような凄惨な描写も存在する。幸村はいったい、暴力を描くことで、なにを伝えたかったのだろうか。そしてこの作品は、全世界で戦争が勃発する私たちの現実とどのようにリンクするのだろう。

 中世の北ヨーロッパが舞台の『ヴィンランド・サガ』は、もちろん2020年代のウクライナ情勢やパレスチナの問題など、現実の戦争や暴力をそのまま反映してはいるわけではない。そのような仕方では、幸村はマンガを描かない。ヴァイキングという特殊な事例を、徹底して考えつづける。しかしそれは、暴力を描くときこそ、「普遍性」を描こうと心がけているからなのだという。

つまり幸村は、ヴァイキングについて突き詰めることで、逆説的に、どの時代や場所にも通じる普遍性を見出そうとしている。たしかに『ヴィンランド・サガ』を読むと、ずっと前の、遠い異国の歴史のはずなのに、現代の日本を生きる私たちにとっても、なぜだかあてはまることのように思えてくる。

 それはたとえば、「やらなきゃやられる」という二者択一の構図だ。ほんとうはそれ以外の道があるかもしれないのに、国家や政府や組織は二者択一をせまってくる。あたかも戦争や暴力が絶対かのように。自分はそんな「二者択一」が大嫌いで、そうではない第三の選択肢を描きたい──それが幸村の目指したことだった。詳しくは『ヴィンランド・サガ』をお読みいただきたいが、この作品はまさに、「第三の選択肢」を描くマンガである。

マンガとはなにか

 このイベントのサブタイトルは「『ヴィンランド・サガ』20年の答え」だ。20年の長期連載を完結させた幸村にとって、「マンガ」とはいったい何なのだろうか──そう佐渡島が尋ねると、またしても意外な答えが帰ってきた。ズバリ、幸村にとってマンガを描くとは「自分の考えとは違うキャラについて深く考えること」。

 たとえば『ヴィンランド・サガ』にはイーヴァル一味というキャラクターたちが出てくる。彼らは「内と外」、「敵と味方」を明確に区別したがるキャラクターだ。主人公のトルフィンはそれに対抗しようとする。トルフィンは幸村自身の考え方を代弁している。

 しかしながら、20年間もいろいろなキャラと対話し、彼らとともに作品を作り上げてきた幸村は、イーヴァルのように自分の思想とは違うキャラの考えも、完全ではないが、少しずつ理解できるようになっていったという。幸村がそのことを「成長」と呼んでいたのは、たいへん印象的だった。

 マンガや物語は、この世界に生きていながら、それとはまったく別の世界を体験させてくれる。幸村は自分自身の作品でそれを体験できることを「自分はなんて幸せ者なんだ」と語る。マンガの持つ力は、読者が思っているよりもずっと大きいのだ。

 イベントではさらに、より具体的なマンガ制作の話題や、物語のディテールなど、さまざまなトークが繰り広げられた。なかには幸村が次回作のアイディアについてほのめかす場面も……?いずれにしても、『ヴィンランド・サガ』ファン、幸村誠ファン、そして、全マンガファン必見のイベントになった。ぜひ全編を確かめていただきたい。(田村海斗)

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