ウクライナと新しい戦時下(抜粋)──『ゲンロン16』より|東浩紀

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webゲンロン 2024年3月15日 配信
2024年4月30日 リード文更新

 4月10日に刊行した『ゲンロン16』から、東浩紀の論考「ウクライナと新しい戦時下」の冒頭部分を以下で公開しています。

 2023年秋にウクライナを訪れた東。現地の取材から見えてきたのは、SNSが発達した消費社会が「戦時下」までもリアルタイムに飲み込んでいく姿でした。

 本論考を含む小特集「ゲンロンが見たウクライナ」には、上田洋子による戦時下での芸術写真についての論考、映画『DAU. ナターシャ』で知られる映画監督イリヤ・フルジャノフスキー氏へのインタビュー、キーウ市民へのインタビューも収録されています。ぜひ『ゲンロン16』であわせてお楽しみください。

 2023年の秋、ウクライナに一週間ほど滞在した。訪問は秘密にした。ウクライナはロシアと戦争中で、外務省から全面的な退避勧告が出ている。専門家でもジャーナリストでもないぼくのような人間が行くと公言すると、どう批判されるかわからないと思ったからだ。

 けれども帰国して感じたのは、そんな心配は杞憂だったということだ。ただしそれは取材が歓迎されたという意味ではない。

 むしろ逆で、ウクライナがまだ戦争をしているということ、それじたいが忘れられているように思われた。SNSで記しても反応が薄い。取材報告の放送をしても視聴数が伸びない。むろん、ぼくもあるていどは「ウクライナ疲れ」を予想していた。ロシアによるウクライナへの全面侵攻から二年近くが経過し、日本での報道は目に見えて減っていたし、イスラエルでは新たな戦争も起きていた★1。けれどもここまで関心が低下しているとは思わなかった。

 戦争はまだ続いている。終わる見込みもない。にもかかわらず、ぼくのまわりですらウクライナの話題は古びている。

 それでいいのだろうか。ぼくはもともと、ここにはよくある体裁の訪問記を記すつもりでいた。何日に入国し、入国審査はどんなもので、街はどんな感じでといった日記風の文章だ。実際、書きたいことがたくさんある。ウクライナへの入国で、バスの車内が若い女性と子どもばかりだったこと(11月5日)。リヴィウの教会で兵士の葬儀に出会い、群衆に合わせてぼくも思わず跪いてしまったこと(11月6日)。リヴィウからキーウへの移動で、同じコンパートメントに乗り合わせた若いカップルがゲーミングノートPCで仕事をしていたこと(11月7日)。キーウのマクドナルドが夜11時まで賑わっていたこと(同じく7日)。博物館で、ロシア兵が残したパスポートやクレジットカードが展示されているのを見て複雑な気もちになったこと(11月8日)。そしてポーランドへ出国するバスで、乗り合わせた高齢の女性が、これからベルリンに行くのだが避難民を受け入れてくれるのだろうか、と不安そうに語りかけてきたこと(11月12日)。そんな細部を重ねることで、見えてくる戦時下の現実がある。ぼくは、そんな現実を読者も知りたいだろうと思って取材に行った。

 けれども、そんな期待は大きくなかったようだ。それゆえここでは、ウクライナについて考えることがなぜ日本の読者にとって重要なのか、基礎から説き起こす別種の文章を記したい。

 ウクライナの問題は「ぼくたち」の問題だ、とぼくは思う。しかし、それは、このグローバル時代、どんな離れた国の戦争も他人事ではありえないのだといった抽象的な理由によるものではない。また、ウクライナも民主主義国家で、日本も民主主義国家で、ともに権威主義国家と戦わねばならない仲間だからだといった「地政学的」な理由によるものでもない。

 そのような地政学的な言説は侵攻以来ずいぶんと盛んになり、一時はテレビをつけてもSNSを開いても、毎日のようにプーチンの野望やら台湾有事の可能性やらが語られていた。けれども、正直にいえば、ぼくはその手の話にあまり興味を惹かれなかった。むろん安全保障は大事な問題で、いざとなれば自分や家族の生死に関わるものでもある。しかしかといって、メディアで識者の「おしゃべり」を聞いたところで、たいして理解が深まるわけでもない。むしろ、現在の無関心は、そんなおしゃべりが飽きられたことにも起因するのではないかと感じている。

 だから、ここではもっと身近な対比について語ることにしよう。ぼくはウクライナの問題が、もっと直接にぼくたちの問題だと考える。なぜならば、かの国でいま展開しているのは、欧米的でリベラルな価値観があるていど浸透し、ネットもスマホも普及した民主的な社会が「有事」にどのように反応するかという、たいへん残酷な社会実験だといえるからだ。

 

 ウクライナは豊かな国ではない。ひとりあたりのGDPは日本の七分の一ほどだ。汚職もたいへん多い。腐敗認識指数はロシアとどっこいどっこいである★2

 けれどもウクライナはロシアのような権威主義国家ではない。ロシアと共通する政治風土があることは確かだが、ソ連解体後の両国はかなり異なった歴史を辿った。ロシアでは権力が大統領ひとりに集中し、憲法も国会も無化されていった。ウクライナではそうはならなかった。むしろ権力は不安定で、オリガルヒと呼ばれる富裕層の争いが激しく、革命も二度にわたって起きた。むろんそんな不安定さは褒められたものではない。二流国家だと非難することもできる。しかしそれでも、この戦争までのウクライナが、ベラルーシのルカシェンコやカザフスタンのナザルバエフのような独裁者を生み出さず、たえず異論が衝突する「喧騒」に満ちた国だったことは事実だ。いまウクライナがゼレンスキーのもとで一丸になっているように見えたとしても、もともとはそういう国だったことを認識しておく必要がある。

 加えて重要なのは、ウクライナ社会が高度に情報化されていることだ。じつはウクライナの情報化指標は、ネット接続普及率、モバイル普及率、SNSのアクティブユーザー比率、いずれをとっても日本とほぼ変わらない★3。実際、今回の滞在ではあらゆる場所でQRコードのアクセスが求められたし、キーウの地下鉄やバスはクレジットカードをかざすだけでたやすく乗車することができた。

 そして情報化が進んでいるというのは、つまり消費社会化が進んでいるということでもある。リヴィウのモールは家族連れやカップルで賑わっていたし、シネコンではマーベルの新作を上映していた。キーウのクラブは若者で賑わっていた。ウクライナは、少なくともリヴィウやキーウのような都市部については、日本人が想像する以上に日本に近い市民生活が送られている国なのである。

 だから、そんな国に訪れた「戦時」は、かりにぼくたちの国に同じように戦時が訪れるとしたらなにが起きるのか、それを考えるうえで大きな学びを提供してくれる。それゆえに取材に行ったのだ。

 このように記すと憤る読者もいるかもしれない。日本の未来を知るためにウクライナに行く。それは戦時下の国を取材するものとして、あまりに「他人事」で、「不謹慎」な態度なのではないか。ぼくはその批判を受け入れる。かつて福島第一原発の事故について論じようとしたときも、ぼくは似た非難を受けた。きっとそれはぼくの思考の欠陥なのだろう。しかしそれでも、そんな視点を導入しなければウクライナ戦争への関心はつなぎとめておけない、そういう現状認識のうえでこの原稿を書いている。

 

 本論に入るまえに前提を記しておく。ウクライナ訪問はぼくと上田洋子の二人で行った。

 日本国籍の保持者はウクライナへの短期間の入国に査証を必要としない。2022年の全面侵攻前からそうで、方針はいまも変わっていない。ぼくたちもまたパスポートだけをもって国境に向かった。

 現在ウクライナに旅客機は飛んでいない。それゆえ陸路で入るしかない。ぼくたちはまずポーランドに入り、つぎに南部の小さな都市、ジェシュフに飛行機で移動し、そこからウクライナ西部の都市、リヴィウへ陸路で移動することにした。帰りも同じようにリヴィウからジェシュフへと陸路で出国した。途中、コルチョワ(ポーランド名)あるいはクラコヴェツ(ウクライナ名)の検問所で出入国審査を受ける。ポーランドはEU圏だが、ウクライナはそうではない。時差も一時間ある。

 リヴィウはポーランド国境から50キロほどしか離れていない。ジェシュフからも150キロほどで、検問で待たされなければバスでも3時間弱で着く。

 けれどもリヴィウとキーウのあいだは450キロほど離れている。東京から大阪よりも遠い。それゆえキーウまでは鉄道で移動した。それでも6時間以上かかる。ジェシュフとリヴィウを結ぶバスの乗車券は、ネットで簡単に購入できる。リヴィウとキーウのあいだの鉄道は厄介で、ウクライナ国営鉄道のサイトはなぜか日本からアクセスできない。VPNを介してアクセスしたうえで、乗車券の購入にはウクライナ国内の電話番号による認証が必要になる。ぼくたちは現地の協力者を得て席を確保することができた。

 ウクライナに滞在したのは一週間である。リヴィウに3泊、キーウにも3泊、夜行列車で1泊した。ホテルの手配は、驚いたことに、いまも大手予約サイトで障害なく行うことができる。ウクライナの地名を入力して検索をかければ、ほかの国の都市と同じように複数の候補が出てくる。そして簡単に予約ができる。支払いも日本発行のクレジットカードで問題ない。ただし予約確認のメッセージには空襲警報や戒厳令の記載がある。ネット時代の戦争の奇妙さについて、出発するまえから考えさせられた。

 取材では複数の人々に話をうかがった。その一部は、この原稿のあとに上田の文責で記事化されている。

 ぼくはウクライナに6回行ったことがあり、今回の訪問で7回目になる。けれどもウクライナ語はできず、ロシア語も辞書を引きつつ文章を追うぐらいの能力しかない。取材はすべて上田がロシア語、部分的にウクライナ語で行なったものであり、ぼくは横で彼女の要約を聞いていただけである。そして、いうまでもなく、ぼくはスラブの専門家でもなければ戦争の専門家でもない。

 以下は、そんなぼくが、戦時下とはいえ、わずか一週間、それもリヴィウとキーウという大都市に滞在しただけの印象をもとに積み上げた「観光客」の考察にすぎない。その前提でお読みいただければと思う。

 ウクライナで、ぼくはなにを見てきたのか。この原稿で伝えたいことのひとつめは、ぼくが見た「戦時下」は、多くの日本人が想像するものとは大きく異なっていたということである。(『ゲンロン16』、「ゲンロンセレクト」に続く)


★1 イスラエルはパレスチナを長いあいだ抑圧してきた。パレスチナはまともな国家として機能していない。そもそもガザ侵攻は民間人の一方的な虐殺である。それゆえ現在起きていることを、対等な主権国家同士の衝突を想像させる「戦争」という言葉で呼ぶべきではない。それはイスラエルの暴力の正当化を意味するからだ──そのような意見がある。論理は理解できるが、ぼくはここでは一般的な意味で「戦争」という言葉を用いている。他方、ロシアとウクライナの戦争についても、そもそも戦争は(国際社会が無視していただけで)2022年以前から始まっていたのであり、開戦は2014年のクリミア併合とドンバス紛争まで遡らせるべきだとの意見がある。こちらも正当な問題提起だが、ここではとりあえずはいま一般に日本で流通している見かたにしたがい、現在の戦争は2022年2月に始まったものだとして記述する。なにを戦争と呼ぶか、どう名付けるかは、それじたいきわめて政治的な問題だが、本稿はそこまで立ち入らない。
★2 ドイツに本部を置く国際NGO、トランスペアレンシー・インターナショナルが算出している指数。腐敗が進んでいるほど点数が低い。2022年の腐敗認識指数は、ウクライナが33点で116位、ロシアが28点で137位である。ちなみに日本は73点で18位。URL= https://www.transparency.org/en/cpi/2022/index/dnk
★3 ネット接続普及率は日本は83%、ウクライナが79%。モバイル普及率は日本は149%、ウクライナは155%。SNSのアクティブユーザー比率は日本もウクライナも74%。Meltwater とWe Are Social が発行している 2023 Global Digital Report によるもの。URL= https://datareportal.com/

 

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。

1 コメント

  • teppeki772024/03/21 14:05

    ゲンロンセレクトをプレゼントしていただき、早速読んだ。 とても示唆に富む内容で考えさせられることが多い。 人々が戦時下の中でも普通の生活を営もうとするが、戦争は着々と街の風景、文化、人々の思考を単一の色に染め上げていく。もし仮のこの瞬間終戦したとしても、元あった多様な社会は取り戻せないし、取り戻すまでに何十年、何百年とかかってしまう。それこそが戦争の罪で戦争の愚かさを再確認した。 文化を紡いでいくというのはとても儚く、丁寧な営みが求められる。 『訂正可能性の哲学』では残酷な現実に対して作為によって、それが作為だと感じられないように人々の感情を自然に動かされることによって社会や文化は保たれると論じられた。そしてそれが人文知の本来の役割なのだろう。 SNS社会によって単純な正義が叫ばれ、他者を容赦なく切り捨てる言説が流行る現状は人文知の機能が働いているとは思えない。正義の名のもとに思想を一色に染め上げようとする現状はまるで戦争をしているようだ。 日本は幸運なことに数々の諸問題を抱えつつも、まだ平和な社会である。 平和のうちに多様な文化をどのように紡いでいくのか、その方向に人文知が使われることを願っている。

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