哲学の起源から「まちがい」を問う──ゲンロン・セミナー第2期第1回「古代ギリシア哲学とまちがい」事前レポート|栁田詩織
5人の先生方による講義で一つのテーマを深めていく「ゲンロン・セミナー」。その第2期がいよいよ始動します! 今期もwebゲンロンでは各回の開催前に、聞き手を務める「院生チーム」スタッフによる事前レポートを公開します。
第1回は2024年2月3日、納富信留先生をお招きし、「哲学とは何か?──『まちがい』をめぐる古代ギリシア哲学との対話」と題してお話しいただきます。聞き手・レポートを担当するのは栁田詩織です。
納富信留 聞き手=栁田詩織「哲学とは何か?──『まちがい』をめぐる古代ギリシア哲学との対話」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20240203/
古代ギリシア哲学と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。真っ白な神殿、あるいはいかめしい哲学者たちの石像、あるいはラファエロの絵画「アテナイの学堂」かもしれません。また、この時代にソクラテスという人物が哲学を「創始」したこともよく知られています。
そのような古代ギリシア哲学研究の第一人者としてご活躍されているのが、ゲンロン・セミナー第2期の初回講義にお迎えする納富信留先生です。
それにしても、なぜいま2400年前の思想家たちの考えを学ぶべきなのでしょうか。納富先生から次のメッセージをいただきました。
私は古代ギリシア哲学を専門にしていて、プラトンやアリストテレスら哲学者のテクストを、古典ギリシア語やラテン語で読んでいます。今から二千数百年前の文献を読んでも、21世紀の現代社会には何も意味がない、そう思っている人が多いかもしれません。高度な科学技術が発達しSNSやAIやVRが日常に使われる今日、いまさら古代哲学でもないでしょう、そう考えるのは当然です。しかし、ここに考えるべきことが2点あります。
まず、私たち人間の生き方、考え方はそれほど変わっているのか、という点。古代社会にも複雑なシステムや多様な価値観があり、人間の能力や本質は今とほとんど違いません。むしろ欲望の解放が進み、感性や想像力は弱まっているように見えます。情報も計算も伝達も外部に丸投げしてしまい、私たち自身が貧困になっている危惧さえあります。また、現代に生きる私たちはきちんと物事が見えているのか、という点。目眩く情報に流され、自分で思考や判断がしにくい現代と比べて、古代ギリシアの哲学者たちは自ら経験し頭で考え、物事の本質を見据えて的確に語ってきたように思います。私たちはまだ、いやより一層古代哲学に学ぶべきことがあるのではないでしょうか。今回はそんなギリシア哲学の一端を紹介して、議論したいと思います。
納富先生は、はるか遠い昔の古代ギリシアであっても、いやそこにこそいまの私たちが学ぶべきことがあるとおっしゃっています。たしかにプラトンやアリストテレスの著作を紐解けば、善悪や正義、あるべき政治のあり方など、現代でもなお重要な問いが扱われています。また科学技術は大幅に進展したものの、たとえば独裁制・貴族制・民主制という政治形態は、この当時に提唱された枠組みのまま。私たちの「まちがい」を考えるヒントは、さまざまな発想の起源である古代ギリシアにこそあるのです。
納富先生はそのようなギリシア哲学の中でも、特にプラトンを研究されています。プラトンは、人間はみな洞窟のなかで鎖につながれ、その壁にうつった影(虚像)を現実と思い生きているため、イデア(物事の真の実在)を観想することでそうした状態から解き放たれなければならない、と説きました。今回のゲンロン・セミナーのテーマ「まちがい」に引きつけてみると、プラトンは私たち人間がそもそも「まちがい」の中で生きていることを前提に、そこから真理や正義について考えた哲学者であるといえそうです。
納富先生が『ギリシア哲学史』や『哲学の誕生』といった著書でご紹介されている最先端の研究によれば、ソクラテス-プラトン-アリストテレスという三大哲学者だけを特権視すると、当時行われていた豊かな言論の場を捉え損なってしまうことにもなるそうです。今回の講義はさまざまな古代ギリシアの思想家を参照することで、私たちが古代ギリシア哲学に対して抱くイメージの「まちがい」を更新し、「共に問い答えながら生きるという人間のモデル」[★1]としての哲学を学ぶ機会となるでしょう。
筆者の専門であるカントは「哲学を学ぶことはできない。[……]ただ哲学することを学びうるだけである」(『純粋理性批判』A837 / B865)と述べました。哲学者かソフィストかにかかわらず、それぞれが考え抜き、対話を交わし合った場として古代ギリシア哲学を学ぶことは、まさに私たち自身が考え、哲学するうえで重要な手がかりにもなると思います。
たほうで、この古代ギリシアから始まる西洋哲学の歴史と、私たちが生きる現代日本にことなる部分があることも事実です。西洋中心主義が問い直されるいま、哲学もその流れと無縁ではありません。
哲学といえば「西洋」哲学であり、日本や中国で営まれてきた思考の伝統には「(東洋)思想」という言葉が割り当てられてきました。「哲学」という言葉は、たしかに西洋で発展した思考を特定するものである一方で、ローカルな「思想」を、その水準に満たない哲学未満のものとして見なして排除する機能をも持ってしまうのです。
納富先生はそのような問題意識から、近年は「世界哲学」を探究されています。「世界哲学」とは、すべてを西洋化して捉えてしまうことを避けつつも、ローカルな思考を「すべて哲学であるといったん認めたうえで、そこから共に哲学を進める場を作っていく意識的な試み」[★2]です。納富先生によれば、西洋に偏重した哲学を問いなおし、新たな世界哲学を展開するためにも、古代ギリシアまでさかのぼることが有用であるとのこと。講義では古代ギリシア哲学から出発し、近年注目されている「世界哲学」についてもお話を伺う予定です。
古代ギリシア哲学の精緻な読解から世界哲学まで、ゲンロン・セミナー第1回は「哲学よくばりセット」になると一企画者として自負しています。また、観客のみなさまからの質問や交流に時間を多く使えることもゲンロン・セミナーの醍醐味です。当日は古代ギリシアさながらに、納富先生と観客のみなさまと共に、言論を交わし合えることを楽しみにしています!(栁田詩織)
納富信留 聞き手=栁田詩織「哲学とは何か?──『まちがい』をめぐる古代ギリシア哲学との対話」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20240203/
ゲンロン・セミナー第2期「1000分で『まちがい』学」特設ページ(お得な通し券はこちらから)
URL= https://webgenron.com/articles/genron-seminar-2nd
栁田詩織